Smile
――始まりは、母の胸に突き刺さった深紅の剣と、その柄を血が滲む程強く握りしめた自分。
その手は震えていて、呼吸をしている筈なのに肺に空気が全然入らなかった感覚を、呆れるほど覚えている。
石造りの壁と、木や竹を張られた屋根の家たちはほぼ全てが半壊し、炎に焼かれ、見る影もなく地獄と化していた。材木や街路樹が焼け落ちる音、石造りの壁が崩壊する音が溢れているのに、人の悲鳴がもうどこからも聞こえない。
血肉が焼けた臭いに噎せ返り、前も後ろも、自分が何処に居て何をしていたかも霞んで定かではなかった。
俺はただ泣き叫んだ。焼けた故郷を見下ろして、逆さまのカミサマが微笑んでいる。
否。嘲笑しながら、俺の故郷を焼き滅ぼした。
――全ての人類が罪を背負っていて、裁かれる運命だというのなら。俺は『神』を許さない。
これが、俺の最初の、絶望だった。
◆◆◆ Smile ◆◆◆
青年は森を駆け抜けていた。時に木々の幹を蹴り枝から枝へと飛び移り、時に岩肌を踏み付けてまた木の幹に飛び移るを繰り返し、木の上の小動物を驚かせる様な俊敏さで駆けていた。だが、青年とてそれを悠長に楽しんでいる訳では無い。そうしなければならないのだ。
青年が振り向くと石膏のように白く、不気味に美しい人間の顔を模った巨大な人形が、風も枝も圧し折りながら轟々と追いかけて来るのだ。正面から見てざっと縦横各々10メートル程ある巨大な生首が、それも二つ三つと浮遊して追いかけて来る。虫唾が走る光景だ。
しかし青年の表情に恐怖の色は無い。かと言って、涼しげでも楽しげでもないその表情は、明らかに苛立っていた。
白い生首人形は額を茨の冠で飾られ、頭上には金色に輝く円盤、そしてどこから生えているのか鳥のそれに比べて歪な白い翼を持っている。そんな人形は白い翼から無数の羽を弾丸の様に撃ち出して青年を容赦なく攻撃するのだ。
人形から逃げ続けている内に、鋭い羽根が青年の左肩を抉り取り、暖かな血が飛び散った。
「ぐ……っ!」
青年は木の幹に身体を隠し、流れる血に声を押し殺して呻いた。
「……簡単には殺させてやらない、よ」
青年は自分も、この状況も、悍ましい殺戮人形も嘲笑うかのように口角を吊り上げた。
抉り取られた傷の痛みに歯を食い縛りながら、青年は目と鼻の先に深い谷を見つけた。谷底には川が流れていて、深さを確認する余裕は無いが身を隠しながら移動する好機だと、青年は息を整えて迷わず谷底に身を投げ出した。
青年の体が水流に飲み込まれた頃に、天使の影から黒い影が表れ、谷を覗く。
「川に身を沈めて逃れたか……。この程度であの男……シアオ・フェイツェイは死なない」
水音を聞いて駆け付けた数人の黒いローブを纏った男たちは平淡な声で天使に命令する。
「神の名に誓って、必ずあの男を殺せ」
黒いローブの左肩には十字架が縫い付けられており、ローブの下から影が滲んだような黒い剣の鞘が覗いている。シアオと呼ばれた青年への殺意をありありと纏い、その癖それに狂気を感じさせない。
「――全ては神の導きの儘に」
黒いローブの男たちを見守るように、翼の生えた生首人形は微笑んでいた。
「ぐっ……ぅあぁ……っ! うぐっぅ……っ!」
抉られた傷口を焼き潰し、出血を強引に止める。傷を付けられた瞬間よりも耐え難い、酷く鈍い痛みに声を抑える事は出来なかった。
青年、シアオは川の流れに従い、何とか追っ手を撒く事が出来た。
「グルル……」
シアオに寄り添う様に、獣が喉を鳴らす。獣は炎で体を形作った虎の様な姿をした存在だ。
「ありがとう、炎の精霊王……フオシアン」
シアオは油汗まみれの顔で息を激しく切らしながら、炎の虎、フオシアンをそっと撫でた。今しがたこの獣の炎を借りて傷を焼いたのだが、燃える毛並みを撫でるシアオの掌は火傷一つしない。
シアオはまだ痛む傷を、服で隠しながらゆっくりと起き上がる。
「ああ……この辺りは見たことあるぞ……。苦労して進んだのに、3日の旅路が水の泡かぁ」
シアオは地形や植物を見渡してズドンと頭が重くなったように項垂れた。フオシアンも酷く落胆したシアオの様子を察してか、慰める様に頭を擦り付けて甘えて見せた。大きな猫の様な仕草がシアオのお気に入りだと昔から知っているのだ。
「ふふっ、可愛いなあフオシアン」
ゴロゴロと鳴る喉を擽ってシアオの機嫌は少し回復した。
「さてと、あいつらとはそう離れてないだろうし、暫く『遺跡』に身を隠そうかな」
追われる身の上に手負いと来ている。残念ながら現実はいつまでも休ませてはくれない。
シアオはフオシアンの柔らかく暖かな毛並みを堪能するのをやめ、ヨロりと立ち上がった。川辺の砂利の上から土のある森の方へ移動した。
「大地の精霊……ダディ。お前の足を貸してくれ」
呼びかけに応える様に、土がボゴボゴと盛り上がり、形作られたのは木の枝を角に見立てた牡鹿の頭だった。やがて牡鹿は土の中から重そうに大きな体を這い出した。牡鹿の美しい身体が作られると、少し遅れて、乗馬に用いられる鞍や手綱など一通りの備品を蔓や木の皮などがまるで牡鹿の世話をするかのように取り巻き、装着されていく。
「体力が持つか不安だけど……急がないと」
土と木や雑草で形作られた『ダディ』と、炎で形作られた『フオシアン』は、命令をした訳でも無いのにシアオの意思に背く事は無い。シアオはダディに跨って走らせた。
森の中を駆け抜けると時折、鉄の塊の様な巨大な建造物が木々や土に飲み込まれながら姿を見せる。
……それはシアオが敵対する組織が約600年前、滅ぼした文明のほんの一部である。
――――――――――――……
『今より600年前! 我らが神は鉄と血で穢れた人類を最早不要と仰った!』
狂信者どもは信じて疑わない。自分たちこそが完全な『神』を信じているのだと。
シアオは何度も見てきた。救済を掲げながら、身を寄せ合って必死に生きていた人々を焼き尽くし、泣き叫ぶ幼い子供を笑いながら槍で貫く外道を。
許しを請う女性に、優しく微笑みながら神に祈れば救われると嘯いて惨たらしく業火に放り投げた血も涙もない羅刹を。
『神は22体の『柱』と56体の『天使』を地上に遣わし! 洗礼を受けず敬虔で善良なる我ら兄弟を見下した70億の愚かな人間を焼き滅ぼしてくださった!』
『洗礼を受けずして神の裁きから逃れた罪深き民衆は、あろう事か邪悪な知恵を身に着けて、哀れにも神に刃を向けた! 神を信じぬものは神の怒りを買う! 須らく裁くのだ!!』
ただ一つの思想による暴虐が、今なお人類を脅かし、滅ぼし続けている。
――――――――――――……
暴論甚だしい歴史を説きながら神を妄信するその組織が、信仰を違えただけの隣人達に何をしたのか、何をしているのかをシアオは知っている。
精霊たちと森を駆け抜ける内に、開けた場所に『その光景』を見つけた。
「難民キャラバン……!」
焼け焦げたテントの残骸が散らばる中心に二、三十ほどの粗末な十字架が建てられている。女も男も子供も老人も関係なく、磔にされて一人残らず絶命していた。
「……何が神の裁きだ、ふざけろ……っ」
シアオは顔を顰めて乱暴に吐き捨てた。ダディから降り、右肩から斜めに下げている左腰の革の鞄へ手を伸ばし、外側にポケットを縫い付けて差し込んでいた小型のスコップを抜き取り、魔法を掛けた。
小型のスコップは赤い光の糸を放ち、徐々に大型のスコップに形を変えていく。
取手の付け根から蔦が伸びている幻想的な見た目をした、切っ先から取手の隅まで真っ赤な金属の大型スコップに姿を変えたそれをシアオは地面に突き立てた。
今度は地面に魔法を掛ける。
「懸命に生きた魂に安らかな眠りを願わん――」
地面は長方形の穴がくり抜かれていき、磔にされた人数分の棺を土の中に用意していった。その後、シアオは磔にされた遺体を魔法は使わず優しく抱きかかえてゆっくりと降ろし、棺の中に収めていった。
そしてフオシアンが遺体に前足を伸ばし、遺体の衣服に火を灯していく。
全ての遺体に火が付く頃には火の粉が舞い、森を悲しげに照らしていた。
(大陸の上で人間が定住出来る場所は一割に満たないと言われている……。最早『神』は人類の敵だ。奴らとの戦争が終わらない限り……)
「……!」
突貫の火葬場を見守っていたシアオは唐突に視界が歪み、脳を揺らす様な鈍い痛みに立っていられなくなって、咄嗟に膝をついた。
「……うん、大丈夫だよ」
シアオの体調を危惧した精霊たちが顔を覗き込む。苦笑してシアオは二頭を撫でて強がりを言ってのけた。そうでも言わないと仕方がないのだ。たとえ弱音を吐いたとしても。
精霊にも、シアオにも、どうしようも出来ない。
「少し疲れちゃった。俺の脊髄に封印されているお前たちにも心配かけるけど……」
精霊はシアオの意思で動いている傀儡ではない。本来ならば人間の命令に従う存在でもない。だが、シアオは生まれ付き精霊に愛される性質を持っていたらしく、恐らくはシアオが赤子の内に施されていたのだろう『封印』に縛られて二頭はシアオに寄り添っていた。
封印の宿主であるシアオに精霊を制御する体力があれば精霊は地上に顕現する事が可能だが、今のシアオに余裕は無かった。精霊がシアオを守りたくとも、シアオに叶える力が無かった。
二頭の精霊はその形を崩し、消えてしまう。シアオは独り、その場に座り込んでいた。
突然、地響きがシアオの体を揺らした。
「地鳴り……!? くそ……っ、酷いタイミングだな」
シアオは既に憔悴しきっている。そんな状態で先刻の様な敵襲は勿論だが、野生動物や災害に襲われても望ましい状況ではない。
ずっと長く一人で旅をしているがその度限界まで余裕を奪われる遣る瀬無さにシアオは気が立っていた。
ドゴォンッ――と轟音を立てて木々を薙ぎ倒しながら、地響きの正体は現れた。
シアオは一瞬呆気にとられた。地響きの正体を、自分よりずっと華奢で小柄な少女が連れて来たからだ。
(女の子……!?)
「おおっこんな所で人と会えるとは地獄に仏とは正にこの事! 出来そうならちょっと助けて頂けませんかね!?」
金色の髪と暁を思わせる紫色の虹彩を持つ少女が、自身の身長より大きいであろう、持ち手に藤の蔓が絡まる黄金に輝く槌を振り翳して、余りにも無遠慮にシアオの目に飛び込んだ。
シアオが何かを考える前に、地響きの正体が迫り来ていた。それは重たそうな鋼鉄の装甲を纏う多目的兵器の一種で、横並びに幾つもの車輪が取り付けられている。その内の左側の車輪が二つ、シアオが造った火葬場に落ちて脱輪した。そのまま前に進めなくなったらしい兵器を見てシアオはとうとう頭にキた。
「な、何すかこの穴!? 人が燃えてる!?」
少女が仰天して声を上げているのにも構わずに、シアオは力一杯地面を踏み砕き、跳んだ。
標的を何処に定めたのか向けられた兵器の主砲を踏み付けて、シアオは赤い大型スコップを振り上げた。
「――踏みつけてんじゃねえぞ、このガラクタが!」
次の瞬間、シアオがスコップを振り抜くと共に兵器の砲台が硬い音を響かせて砕け飛んだ。兵器を操作する命令機関がそこにあったのか、もしくは単なる老朽化か、兵器は轟音を立てて崩れ落ち、完全に動作を停止した。
「いやぁ助かったっす! まさか一瞬でぶっ壊しちゃう……なん……て」
少女は陽気にシアオに声を掛けたが、迷惑を被らせた自覚はあるようで、シアオが物言いたげに睨むと尻すぼみに言葉を慎んだ。シアオは深く溜め息を吐くと、なるべく穏やかに少女を見やった。
「怪我は無かった?」
「お蔭様でピンピンしてるっす!」
少女は明るく返した。簡易とはいえ葬儀の最中に、突如現れた少女は酷く不釣り合いだった。少女もそれを察しているのかいないのか、気まずそうに眼を泳がせた。
「えっと~……」
シアオは遺体を踏み潰した車輪を持ち上げ、車体ごと火葬場の外へ放り投げた。少なくとも生身一つで出来る芸当では無いので、身体を強化する魔法か兵器の方を軽くする魔法を使っているように少女の目には見えたが、真相は定かでない。
「……俺の仲間って訳じゃなかったけど、人を弔っていた所なんだよ。此処で全員死んでいた。君が連れて来たあの兵器に二人踏み潰されたんだけど」
「ぎゃあっ!」
事情を知るや否や少女は自分が踏み潰された様な悲鳴を上げて慌てて火葬場に手を合わせた。
「ワザとじゃないんすぅうゴメンナサイッ!! 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
「!?」
少女の言葉は確かにシアオと同じ西大陸の言葉だったのに、後半の音の羅列は殆ど聞き取る事が出来なかった。だが、シアオはそれが何か心当たりがあった。懐かしささえ感じる。
「それっ日本仏教の念仏かい!?」
「うわびっくりした!」
少女にいきなり大声で詰め寄ったシアオは、大げさに驚いた少女にハッと我に返りながらも内心信じられない気持ちで一杯だった。
「君は……?」
改めてシアオは少女の素性を窺った。しかし少女も助けて貰ったとはいえ、会ったばかりの男に名乗るほど能天気ではないと威風堂々たる態度で返した。
「人に名を訊く時はまず自分から名乗るっすよ」
「えっ」
「それが礼儀っす」
シアオは今更ながら意表を突かれた。そう言えば暫く他人に自分から名乗った事が無かったと思い出したのだが、それは少女の知る由もあるまい。
「俺はシアオ。……シアオ・フェイツェイ。『魔法考古学者』だよ」
短く整えられた夕焼けの様な赤い髪と、翡翠色の虹彩。東大陸のかつて最も歴史の深かった大国の伝統衣装の一つ――旧紀元では『パオ』と呼ばれていたシャツの様な服――の上から、袖のない襟だけ黄色い身頃の赤い着物を着ていて、手の甲から肘にかけて保護する手甲と腹を護る甲冑を武装している、緑の深い森の中では何とも奇抜な色合いの青年は名乗った。
それに応えて少女も機嫌よく口を開く。
「七ノ宮 星っす! 日の国『日本』から来たっス!!」
金色の髪は少女らしく肩につく長さで切り揃え、左こめかみに紫色のリボンを結んでいる。上半身は山吹色の七分袖作務衣を着ているが、山吹色ベースの迷彩柄のぶかぶか工業ツナギも着用しており、上半身を脱いでズボンを履いたまま袖を腰で括ってしまっている。靴は紫色の革製ショートブーツのようだ。
アカリと名乗った少女は肘まで覆う大きな紫色の皮手袋を装着した両手で、自身の身長より一回りも大きな金槌を軽々と担いでいた。
「日本って……本当にまだ存在しているの?」
シアオはまずそれを疑った。大陸の上で人間が住める場所が一割に満たるかどうかなのだ。人類が大陸を支配していた旧紀元、世界一番の人口を誇った大国の、東隣に存在した列島国。世界中の大国に負けず劣らずの先進文明を誇ったと記録が残っているが、資源の物量が乏しく大陸に頼らなければ運営できない国だった筈だ。
「そりゃ『神』に勝利したんすから早々滅びはしないっすよ。……まあ終戦直後は大変だったらしいっすけど」
しかし星は呆気からんと返したものだ。
「神に……勝利した……」
「資源が枯渇するとか、難民を大量に受け入れて居住区争奪戦になるとか色々懸念されていたらしいっすけど、案外やっていけたみたいっすよ。少子高齢化問題が解消して税金関係が改善に向かったようですし、資源問題は寧ろ魔法の発達を促進させたと言われてるっす」
人間数いれば大概の問題は解決するもので、難民を受け入れた事で文明の発達は今も伸び代がある位だ、と星は語る。それはなんとまあ前向きな事で。
シアオはどう言えばいいのか解らない複雑な気分で息を詰めた。
そして難民と言ったか。星が日本人を名乗る癖に金髪、紫色の虹彩を持つのは、白人の血が混ざった結果なのかとシアオは納得した。それはそれとして、それよりもだ。
「いや、そもそも古代人類文明最高の国政技術を誇った大国諸国が軒並み『神』に敗北しているのに、何で極東の小さな島国に過ぎない日本が無事な筈があるのって話だよ……」
日本は狂信組織の持つ殺戮兵器に対抗する手段を開発したと云うのか。
シアオも考古学者として一人前以上に調査と研究を重ねて来ただけに、心当たりが全く無い訳では無かったが、真っ向から眉唾も裸足で逃げ出す与太話を平然と聞かされて頭が痛くなる一方だった。
「その辺は専門家の方が詳しそうな気がするっすけど」
星の言う通り、シアオは考古学者として『神』が人類史に登場した原点を研究してきた。
『神』を製造した組織、製造方法、発生した地域が分かれば人類の大きな武器になるからだ。
「確かに心当たりはあるけど、本当にそんなことがあり得るのか検証出来る程条件を揃えられないんだよ……」
現にその可能性が事実だとしても、大陸の人類はほぼ滅んでいる。根拠は全くない。
星はふぅん、とさほど興味を示さなかった。というよりは、星は自分の国が存在かの是非を疑われたのが面白くない様子だ。
「君の話をどこまで信用するかは一旦置いて、仲間が居ないとは言わないでしょう? 何処かで合流出来そうなら一緒に行こうか」
自分は追われている身で、出来ればすぐにでも安全を確保したい状況だったが、少女を一人森に置いて行く訳にもいかないとシアオは頭の中で今後の予定を組み立て直す。
星が担ぐ金槌が目に入らないとは言わないが、どれほど戦闘訓練を積んでいても容易く命を落とすのが大陸の上だ。明らかに『子供』である星が一人で歩けるような安全な場所では無い事をシアオは骨身に染みて知っている。
まして星の身なりを見る限り肌も体格も健康そのもの、清潔で大きな怪我も見受けられない。服装も新品ではないが目立ってボロボロという訳ではない。大きなキャラバンで生活しているのだろうとシアオは目途を立てた、……が。
「私は一人っすよ。そっちこそ仲間は何処かに居るんすか?」
「……君、此処が何処か判ってるの? 君の言う日本から海を渡った向こうの、大陸のど真ん中だよ? 船と馬で移動して何か月かかると思ってるの」
「そんなの、飛行機で飛んで来たに決まってるじゃないっすか」
「…………」
「…………」
星は何を言ってるんすか、と呆れた様子で当然の事の様に言ってのけたが、シアオの脳内は天変地異でも起こったかのような衝撃に揺さぶられていた。本当に、その発想は無かったのだ。
「あっ、その顔は信じてないっすね!? 私は確かに幼気な可愛い少女っすけど、これでも国に認められた航空自衛隊のパイロットっすよ!」
「航空、自衛隊……パイロット……?」
シアオにしてみれば信じる、信じないの問題ではない。真新しい言語過ぎて該当する文献を脳内索引するのに手間取ったのだ。確か日本国が持つ武装団体だが、軍ではない組織だったとシアオは目を伏せて頭を振った。
だがそんなシアオの反応に、星は自分が年端もいかない少女だから飛行機を操縦する力など無いと疑っていると微妙に勘違いをして、ムキになった。
「そんなに疑うなら見せてやりますよ! 私の可愛いゼロ戦を!!」
「ちょっ、ちょっと!?」
かくしてシアオは星に腕を強引に引かれ、火葬場を後にした。
「凄い……」
シアオはここまで感激を覚えたのは何年ぶりだろうと、高鳴る鼓動を飲み下した。
「どうっすか、我が国自慢の旧式最高の性能を誇る戦闘機。ゼロ戦っす!」
シアオの視線の先でドーンと胸を張る星の背後に、深緑の翼を広げた鋼の鳥が、木漏れ日に柔らかく照らされて悠々と存在を知らしめていた。
「約700年前の兵器だよね。世界を巻き込んだ大戦の終戦間際で製造されて、8時間の連続飛行と当時の戦闘機の中でも最高速の飛行速度を実現したっていう……」
「詳しいっすね、流石考古学者」
まあ、8時間の連続飛行など人間の方が保つ訳が無く、実装された後は機体を生産する職人さえ徴兵されたため最後はその精度も落ちていき、結局は敗戦した訳だが。
「資料でなら見た事あるけど、本物をお目に掛かれる日が来るなんて夢にも思わなかった……。本当に、飛べるの?」
「勿論っすよ! 滑走路があればお見せ出来るんすけど、……実は近くの川に不時着した時に、ちょーっとあちこち痛めちゃったんで、もうちょっと整備したいんすよね」
確かに星の言う通り、機体には焦げた様に黒ずんでいる部分が数か所ある。何かと交戦した様だ。シアオの知る限り、有人にしろ無人にしろ空を飛ぶ兵器は限られる。
「……よく無事で、ここまで来れたね」
シアオはゼロ戦をそっと撫でながら呟いた。星も察しが悪いつもりは無い。シアオの言葉は自分が大陸に上陸するまでに経験した苦労とは比べ物にならない経験が滲む様だった。
「ま、来た甲斐はあったっすよ。二ヶ月位前に海上保安庁が難民キャラバンを保護したお陰で大陸にまだ人類が居る事が判明したんす。そんで彼らから耳寄りな情報が手に入りまして」
星はニヨッと猫の様な顔で悪戯っぽく台詞を区切った。
「難民に天使から逃げる戦術を徹底的に叩き込んで救ったっていう魔法使いが居ると聞いて♪」
「……そんな人がいるんだ?」
少なくともシアオはそんな人間に出会った事は無い。大陸は広く、大層な事をしている人間も居るものだとシアオは感心していたが、その様子に星は目を疑う様な顔をして本気で言っているのかと呆れた。
「難民が言っていた人物の名前はシアオ・フェイツェイ。赤い髪に翡翠色の眼、服装や体格も一致してるっすけど、心当たりないっすか?」
「――――……!」
確かに、長く旅をする間に難民キャラバンに出会い、生き残る為の戦術を教えた事はある。だがそれがこうして別の誰かに繋がって巡り巡り自分に返って来るなど初めてで、思いがけず目頭が熱くなった。
――このご恩は一生忘れません! いつかまたお会いしましょう!
何度か会った難民たちの多くは、そう言いながら別れていく。大陸は余りに広いので、同じキャラバンにもう一度、生きたまま会える事など無いとシアオは覚悟の上だった。それが。
「……生き残れた人達が、居るんだ」
シアオは独りで旅をしている内に、これ程まで報われた事は後にも先にも無いだろう。
「難民たちの話じゃ、シアオさんは一人で現れて一人で去ったって言ってたらしいっすけど、本当に一人で旅をしてるんすね」
「……もう五年くらいになるかな」
星の言葉にシアオは苦笑を返した。正直、あまり褒められた行動とは言えないのだ。だが、この五年は無駄ではなかった。シアオはそんな実感を噛み締める。
「飛行機も無いのにっすか。地道な旅っすね、文字通り」
シアオは星の素直な言葉に困ったような笑みを浮かべたが、ふとある事に気付く。
「星ちゃんはこんな便利な飛行機があるのに、どうして地上であの兵器に追いかけられていたの? あの手の兵器は現代で大陸を支配する殺戮人形と違って経年劣化も進んでいたし、余程余力が残ってないと一人の人間を追いかけて攻撃するなんて滅多に無い筈だけど……」
飛行機自体は見るだけで所々焦げている部分があるのだ。交戦中に何処かの部品が破損して、近くの川に不時着したのは想像できる。そこまで想像して、シアオはもしや、と勘付いた。
「破損した部品を補修する材料を探そうとして、あの兵器を見つけた、までは合ってる?」
「多分その先の予想も大方正解っす」
良さげな金属部品の塊である兵器を見つけた星は次にどの様な行動を取るか。
絶対に触る。中身を見る。そして。
「ここから北西に少し歩いた所に一機だけあったんす。どんなものか調べようと弄ってたら、明らかに壊れてる部品があるじゃないっすか。つい修理しちゃうじゃないっすか☆」
えへ、と星は自分の頭を軽く小突く真似をした。シアオはこういう人種に心当たりがある。技術の限界に対する探究心にどこまでも貪欲な、職人という名の変態である。
「素材さえあればどんな形でも自分で加工出来るんすけど。さっきのロボットちゃんも良さげな素材だったんすけど、重すぎたっすね。何処か鉄製品がいっぱいある所、知らないっすか?」
ケロッとしてやがる星にシアオは苦虫を噛み潰した様に顔を顰めた。
「えーっと……近くなら、さっきみたいな兵器の類を製造してた工場とかなら案内出来るけど」
シアオはこっそり、出来れば部外者に触って欲しくないんだけどなぁとぼやいた。特に星の様に遺物をそのまま持ち去る前提で足を踏み入られるのは考古学者としては死活問題なのだが。
「助かるっす! 遺跡探検ってロマンっすよね、楽しみっす!」
シアオの憂鬱な気分など露にも気にせず星はご機嫌にシアオの後をついてくる。
「そんなに楽しいもんじゃないよ。……これから行くのは『魔法機構遺跡』だからね」
「何すか、その楽しげな響きの遺跡は」
「楽しげ??」
星が目を輝かせる。その表情はシアオの期待したものと真逆の反応で、どれほど危険な遺跡なのかを知らない故か、と頭を抱えた。
「あのね。俺の仕事は大きく分けて二つ。『魔法機構遺跡』の調査、場合によっては保存、逆に破壊する事。もう一つが『文明浄化装置』――通称『天使』の破壊。どちらも命懸けで、遊びじゃないの。遊び半分でいい加減な真似をするなら君から排除させてもらうよ」
そもそもシアオが五年掛けて歩き続けても辿り着けない海の向こうから空飛ぶ兵器に乗って一人で大陸にやってきた少女を連れ歩くこと自体、死神に背後を取られながら歩くのと同じだ。
どんな得体の知れない武器を隠し持っている事か。
先刻でさえ何年前に故障したとも知れない兵器を一人で修理したと言うではないか。それはシアオの手に負えない技術力と知識を星は持ち合わせている可能性がかなり高い。
此処で一度線引きが必要だとシアオは判断した。
「……仕事が遊びじゃないのは私も同じっすよ。日本には軍組織がないから私は軍人じゃないっすけど、大陸を調査する為に兵器を預かった自衛隊員っす」
なぜ此処で軍人を引き合いに出したのか、シアオは焼け付く様な殺意を星に向けた。
「本当に軍人って文字列にアレルギー起こすんっすね。難民キャラバンから噂を聞いたんすよ」
その様子だと余程酷い目に遭ったみたいっすね、と星は軍人の言葉だけで敵意を剥き出しにしたシアオに純粋に驚かされた。
「……君が軍人じゃなくてよかったね」
余りにも冷たい語調は、もし軍人だと名乗っていたらどんな目に遭わされたのだろうと寒気を覚えるには十分な一言だった。
「でもまあ、自衛隊を名乗るにしても君は若すぎるんだけど?」
シアオが星を信用できる材料は不十分だ。
「それはそうっすね。まあ、シアオさんの事を守る理由は在っても攻撃する理由はないっすよ。自衛隊が自分から攻撃する事は母国の法に基づいて絶対に在り得ませんから、私と敵対したいならお先に攻撃してください」
あくまでも母国を護る為の武装組織は、敵からの先制攻撃を甘んじて受けなければならない。そして攻撃を受ければ反撃するのが仕事だ。喧嘩をするかしないかはシアオが一方的に決められる、そんな状況を差し出され、シアオは少し肩の力が抜けたような気分になった。
シアオは冷静に、改めて星を警戒する。それが出来るのは、確かに星のお陰だった。
「お、見えて来たっすね。あれが件の『魔法機構遺跡』っすか?」
星がシアオの後ろから覗き込んで期待に胸を躍らせながら窺った。大陸には古代人類文明の痕跡が数多く転がっているが、何やら金属がぶつかる音、擦れる音、様々な轟音が溢れる活気ある遺跡と言うのは初めて見た。
全貌を遠目で見る限り、鉄の壁で覆われた大きな建物が十や二十と建っていて、太い鉄の管が何百本とあちこちから伸びて全ての建物を繋いでいる。どうやら見える範囲では、建物よりうんと高く首を伸ばした様な鉄骨の頭から鉄の糸が吊り下げられ、鉄骨や巨大な箱などを持ち上げて運んだり降ろしているのが轟音の正体らしい。二人からは確認し難いが、もっと小さい重機の作業音もしている。
長く人間の管理から離れていた割に修理を繰り返しているのか大きな損傷は見受けられないが、錆の手入れまでは行き届いてないのか全体的に茶色くくすんでいて、豊かな緑の蔓が壁をびっしりと覆っている場所もある。
「人類を失い、600年が経過した今も兵器を生産し続ける工場。かなり保存状態も良いね」
「探索が楽しみっすねえ」
ニコニコと星はご機嫌にシアオの隣を歩く。今にもスキップで駆けだしそうだ。
「さっきも言ったけど遊びじゃないんだから、余りはしゃがないでね」
「了解っす」
思いの外聞き分けよく返事した星にシアオは毒気を抜かれて肩を落とした。どうにも判っているのか、判っているつもりだけなのか。
大陸の生存競争などは甘く見ている訳では無いらしく、舗装されていない道を歩く足取りは非常に慣れた様子だった。流石に自衛隊を名乗るだけはある。
大陸に引けを取らず、寧ろ人材育成の質なら大陸の軍人より優れていたとされる武装組織、それが日本国の自衛隊だ。恐らく、神に対抗する人類の中で最も巨大な組織となるだろう。
シアオはどうしても逸れてしまう思考を振り払い、目の前の状況に集中する。
「まず目的の『工場』もしくは『資材倉庫』の場所を確認して……」
本来の目的を邪魔されない為にも手順を説明しようとシアオが星に視線を寄こした時、背後から茂みが圧し潰される音が近づいてきていた。
『――敵軍ノ接近ヲ確認。直チニ迎撃シ、排除シマス』
「な……っ」
鉛の弾幕をシアオは身体を捻じり間一髪で躱す。シアオは動揺した。今まで調査した遺跡で、接近するだけで攻撃された事などなかった。侵入調査中にある程度戦闘した事はあるが、この遺跡の兵器は性能が違ったのか。前に訪れた時に見落とした脅威をシアオは懸念した。が。
「いくら何でも気づかれるのが早過ぎる……っ」
「そりゃ私がタグ持ってるんで」
「はあ!?」
星が何食わぬ顔で自分が原因だと自供した。タグと言うのはドッグタグ、つまり軍属の金属認識票の事か。そう言えば、とシアオは自分の迂闊さを認識した。
この手の自立型兵器は金属認識票に反応して攻撃するように作られている。シアオは認識票すら持っていないので接近しただけでは軍人――敵という認識はされず、一般人もしくは野生動物扱いだったのだろう。5年の一人旅ですっかり忘れていた。
「戦場に出る人間の認識票を布や合成樹脂で作る訳にはいきませんからねえ」
星には帰る場所がある。シアオとの決定的な違いだ。
慣れた様子で星は敷地内に走る。今は止むを得ない状況とはいえ、シアオはそれを信じられない気持ちで追いかけた。逃げているというより、虎穴に入らんばと言ったところだ。
遺跡に入ってからもシアオと星は掛ける足を休める事は出来なかった。
『エフ5エリアデ火災ガ発生シマシタ。エフ5エリアデ火災ガ発生シマシタ――』
敵に迎撃態勢を悟らせない為の特殊警報が鳴り響き、行く先々で小型の多脚式戦車が出るわ出るわ。地の利的に不利なシアオと星は障害物が少ない廊下の中で各々戦車から撃ち出される弾丸を凌ぎながら戦車を壊す壊す。
「星ちゃん、さっきの兵器自力で壊せたんじゃないの!?」
「いやあ、だって自分で修理して元気に動いてる可愛いロボットを自分で壊すのは何と言うか忍びなかったというか。シアオさんが手も足も出なくて殺されそうになっていたら自分で処理しましたけど」
星は巨大な金槌を振り回し、向けられた銃口ごと戦車を叩き潰す、殴り飛ばす。シアオより戦いに向いた戦い方だ。一方、シアオは戦車の銃口が別の戦車に向くように誘導しながら弾幕を躱し、相打ちを狙った立ち回りで戦車を破壊している。最後に残った戦車に至っては、星に破壊させる手管だ。シアオはそろそろ星に苦言をこぼされると懸念した……が。
カチリ――。そんな音がした。
「今、罠が動きましたよって音がするなんて間抜けっすね。親切なんすか?」
「安全措置みたいなものでしょ……っじゃなくて!!」
やはり今の音は罠が動いた音か、とシアオは戦慄した。何より不味いのは、恐らくだが星は『意図的に』罠を踏んだ事だ。シアオの目を盗むどころか目の前で何かを調べて「これかな?」と呟いて堂々と床を踏んだのだ。
何の意図があるのかは知らないが明らかにわざとだ。否、隠し通路の出入り口を調べようとしたのかもしれないと思い直して――シアオは激しく後悔した。
「ひゃっほぉーぅぃっ!!」
「ぎゃぁあああああああああ!!」
二者二様に真逆の感性を以って叫びながら二人は駆けずり回った。
長年同じ様な遺跡を調査しているシアオも戦闘中に罠を誤作動させる事は未だにある。
しかし流石に、一度に立て続けに罠を誤作動させて追い回されるなんて人生で初めての経験だった。シアオは至極一般的な感性の持ち主の為、悲痛な絶叫を上げていた。
一方で星はあまり一般的とは言えない感性の持ち主らしく、頭上から断頭台の刃の様な巨大な刃物が落ちて来ようが、壁から銛のような鋭利な凶器が無数に勢いよく伸びて来ようが、何が面白いのか楽しそうに笑いながら躱すのだ。そして次の罠を踏む。
「君ワザとやってるよね!?」
「それはそうっすよ」
シアオが我慢ならずに怒鳴りつけると星は心底愉快そうに白状し、更に告げる。
「罠があるからいいんじゃないっすか!」
それはそれは爛々と輝く目で星は力説した。全くもって微塵も悪びれなく言い放った。
人様を罠に掛けるのも自分で罠に引っ掛けるのも趣味だと星は高らかに暴露したのだった。
そこからは大変だった。車輪に追いかけられ、落とし穴が開き、飛び越えた先に槍が飛んできて、天井が落ちてきたり、両側の壁が迫ってきて挟み潰されそうになったり、……。
二時間は走り続けたのではないだろうか。
「……っ、……っ、ケホッ、ケホ……ッ」
「スミマセンっす、てっきり探索調査ってこういうものだと思ってたんすけど……」
二人の前に現れた兵器たちは粗方破壊し、罠も作動しなくなった束の間の一息に、シアオはようやく腰を据える余裕が出来た。
余りにも疲弊して呼吸すら困難な状態に陥り床に這いつくばるシアオに、流石の星もやって良い事と不味い事の分別が出来ていなかった事を自覚したらしい。反省しているかは別として。
「罠の仕組みも大体見れたし良くメンテが行き届いてるっすね。余程丁寧に作る必要があったんすかね。それか単に設計者が天才だったのか神経質だったのか」
それでいてしっかり調査に必要な情報は着々と収集していると云うのだから余計憎たらしい。恨みがましげな視線を星に向けながら、シアオは整わない呼吸を抑え込んで体を起こす。
「ケホッ……お陰で、全体のほぼ半分を巡る事が出来たってところかな。此処がまだ未調査の遺跡だったら君を磨り潰してたけどね」
「ひえ……」
いい加減腹に据え兼ねたシアオの物言いだが、星は正直に言えば考古学者の仕事と言うものをよく知らなかった。学者の中でもフィールドワークが多そうなイメージだが、作業的には地味と言う印象がある。
こういう古代遺跡の探索はスリル満点のトラップを命懸けで乗り越えて最奥の宝を見つける事に意義があるというのは架空の物語の認識だ。
だが、魔法機構遺跡と言う大それた異名を持つ生きた遺跡を探索すると聞いて星は心を躍らせた。実際、罠も兵器も全て生きていて、退屈とは遠く離れた大冒険だった。
「……考古学者っていうのはね。此処にどういう人達が居たのか、働いていたのか。どういう素材の物が何に使われていたのか。何処が破損しているのか、いつどのようにして破損したのか。煤や落ちている石に至るまで細部を記録し、役割を推測するのが仕事なんだ」
「それって、独りでする仕事なんすか?」
シアオがするべき仕事なのか、と星が訪ねた。数十人規模のキャラバンが目を離したら全滅する様な大陸の人間に、『生きる』以外の労力を割く余裕があるとは思えないからだ。
それを、シアオ独りに押し付けている様な。一人で生きていくのに精一杯なのに、と。
実質、今の説明はシアオの仕事の根幹ではない。だが、シアオは面食らった。
「誰かの為にやっている訳じゃないんだ」
「そうなんすか?」
シアオは自分の目的の為に命を賭け戦い続けている。それを久々に自覚した、そんな感覚を噛み締めた。無意識に感じていた理不尽への怒りがほんの少し払拭されたのかもしれない、とシアオは溜め息を吐いた。
自分の事を話し過ぎたと、シアオは切り替えて身体を起こし腰の革鞄から資料を取り出した。
「これがこの遺跡の見取り図だよ。北西部に兵器を作る工場があったのに、俺たちは工場とは反対方向、それも地下に降りてきちゃってる」
この辺りは開発された兵器を試運転する広場などが設けられたエリアだと確認する。
「広いっすねえ」
星は広げられた数枚の紙の端から端まで埋め尽くされた情報の地図を見て感心した。
「大体どこの兵器工場もこんな造りっすよ。外敵に占拠されない様に迷路みたいになっている上に、罠にとか警備用ロボットとかが所狭しと配置されているので面白いっすよ」
「……魔法機構遺跡は初めてなんじゃなかった?」
「遺跡は、っすよ。魔法機構なんて日本じゃ料理をしたり、お風呂を沸かしたりと普通に活用してるっす。さっき見せたゼロ戦だって魔法機構の結晶っすよ」
シアオは驚いた。どうやら日本国では大陸で負の遺産とされつつある魔法機構が随分と発達しているらしい。
そして星は兵器工場の基礎的な構造に精通する様な教養を備えている事にも。
「そう言えばシアオさんはさっき逃げてばかりだったっすけど、私が兵器を壊しまくったのは結構不味かったりするんすか?」
星は気になったことを指摘した。シアオは彼女がシアオの事を弱いと思っているのではなく、遺跡の保存について気にしている事を意外に思った。
「いや……確かに遺物を片っ端から破壊されるのは困るんだけど、こればかりは仕方ないよ。俺が今戦えないのは単純に『魔力圧』に耐える余裕がないだけなんだ」
日本で該当する翻訳があるのかシアオは知らないが、魔法を使う者同士なら通じる筈の単語を口にした。星はその単語が日本で使用される意味と同じものか確認する必要があったが。
「魔力圧っていうと、魔法を発動しようとした時に自分の体にかかる負荷の事っすよね?」
「うん」
目を伏せたシアオは徐に手甲を外して白い袖を捲った。肘から二の腕、肩にかけての皮膚を見て星は息を吞んだ。
「顔は見えるし目立つから、弱っているなんて思われない様に念入りに治療するんだけどね。服の下はもう治療する余裕もないんだ」
シアオが見せた腕は赤黒く変色し、ぐずぐずに膿んでいた。蛆が沸いても可笑しくない程に腐りかけている肌は、見ているだけで痛みを感じるくらい悲痛だった。
「鎮痛剤で誤魔化してきたし、もう慣れたとも言えるんだけど、全身こんな感じだ。多分内臓も傷んでる。意識がある限り無理は利くけど、出来れば最低限で済ませたいんだ」
勝手に頼るようでごめんね、とシアオは付け足した。
「ずっとそんな体で旅をしてたんすか……? 五年間も……?」
震える声を絞り出す星に、シアオは困った様に微笑み、これが大陸の限界なのだと納得して貰えただろうかと、ぼんやり思った。
黙り込んでしまった星を横目にシアオは地図を鞄にしまい直してゆっくりと立ち上がった。どうしてもぎこちない動きに星は苦い顔をしながら手を貸した。
――コツ、コツ、コツ。
「シアオさん、真面目に転職をお勧めするっすよ」
急に、星の雰囲気が変わった。それと同時だったか、空気が重く変わった。
「……!」
シアオは息を呑む。星が気付くまでこれ程の殺気に気が付かなかったなんて。
「――ふん。馬鹿そうな見かけをしている癖に感の言い餓鬼だ」
硬い靴底の音を響かせながら、一人の男が現れた。中年が少しやつれた様な長身の白人で、黒いカソックを着用している。その男はシアオに傍目から見ても判る程の殺意を視線に乗せて向けていた。ついでに星の事も明け透けに馬鹿にしてくれた。
「お迎えに上がりました。我が主の子羊よ」
カソックの男は恭しくシアオに頭を下げる礼をした。星からしてもその所作は何とも不気味で、シアオは心底嫌なものを見る目で盛大に顔を顰めた。
「星ちゃんの提案は有り難いけど、丁重に遠慮させて貰うよ」
シアオは冗談めかした星の言葉にようやっと返答した。誠に遺憾ながらシアオは理不尽から逃げられない運命なのだ。生まれる、前から。
現れた男に対してどう解釈するべきか、星は少し考えた。シアオが歓迎してないのは判る。男がシアオに向ける殺意と、シアオが男に向ける敵意から、明らかに仲良しではない。
だが、迎えに来たというのはどういうことか。
「何かあの男に恨まれる事でもしたんすか?」
「……あの男が何者かを先に聞かないのは深読みのし過ぎじゃない?」
初対面の相手を一方的に敵だと判断しない思慮深さにシアオは少々辟易したが、それは星の母国が『神』に勝利したという証明なのかもしれないと恐れ入った。
「一応、あの男の服装が何かは判ってるんすけど。誰って聞いて答えられるんすか?」
シアオが何か理由があってあの男、もしくは組織を裏切って逃げている最中だという可能性が無いか、と星は確認したいのだ。どんな理由があれど血を流す様な争いは避けたい。そんな星の心情を察した上で、それでもシアオは残酷な未来を押し付けるカソックの男を睨みつけた。
「何がどう間違ってもあいつらは俺の仲間じゃないよ。あいつらが言う『お迎え』っていうのは『殺しに来た』って意味だ」
消えなくなるんじゃないかと言うほど眉間に深い皺を刻んでシアオはカソック男に牙を剝く。星に対してあれだけ穏やかだったシアオを思うと、相当に因縁があるようだ。
「あいつが、難民の言っていた『殉教者』っすか」
星は金槌を構え直す。この確認次第でカソック男は星にとっても凶悪な敵となるのだ。
「そうだよ」
――ゴドドドドドドドドドドォオオオオオオン!!
シアオの肯定と同時に、シアオと星はけたたましい轟音が鳴り響く激しい砲撃を受けた。
「こんな狭い地下によく押し込んだね!」
シアオは忌々し気に吐き捨てた。殉教者の背後から、森の中でシアオを追い詰めた歪な翼が生えた生首と比べるとかなり小さな、それでも人間より二回りほど大きい、翼を背に生やして弓矢を持つ赤ん坊の様な人形が殉教者の背後から現れて、砲弾のような矢を放ったのだ。
障害物が殆ど無い半端に開けた空間で思いの外強力な砲撃を受けた為、シアオは咄嗟に星を護る行動に出ていた。砂塵に撒かれて二人の身を護った魔法がほんのり赤く光る。
シアオは自分独りだったら逃げる事を真っ先に考えていたのだが。
「あの男の目的は俺だ。俺さえ殺せば殉教者にとって王手だから脇目も降らずに攻撃してくるよ。そして、俺は君が人質に取られても助けない。だから俺から離れない方がいい」
こんな局面には何度も立たされてきたシアオは冷静に、まず逃げられない事を警告する。
「あんたを殺せば王手って……何者なんすか、シアオさんは」
どうして逃げられないのか、その理由を、星は訊かなければならなかった。
「シアオ・フェイツェイ――その男さえ殺せば再び世界を裁く事が出来るのだ」
殉教者が、悠々と答えた。
「汚らわしい『黒骨』に教えてくれる。主は白骨の女達を保護し、子供を授け給われたのだ。シアオも尊き主の子供の一人。主が授けた御身に刻まれた『最後の審判』が神の楽園を穢した愚かな罪人全てに永遠の命を与え、地獄で罰を与え続けるのだ!」
「――!!」
星は途端に気分が悪くなった。シアオは眉を顰めて目を瞑る。
殉教者の言っている事を、星の理解できる範囲で要約するなら――殉教者の信仰する『主』とやらは『白骨』の女性を複数人拉致し、強姦か、あるいは人工授精か何かで無理矢理子供を産ませた。
シアオはその犯罪の二次被害者で、生まれつき身体に何か細工をされているのではないか?
一歩間違えれば人類の敵だっただろうシアオは、人類の敵の敵という立場を選んで星の前に立っている。
殉教者は随分と余計なことをべらべらと喋ってくれたようだ。
――これでは星がシアオを、守らない理由がない。
「人類を、嘗めるな!!」
星が叫んだ。それを合図に、今度は殉教者が激しい砲撃を浴びせられる。息を吐く暇もないとはこの事と言わんばかりに、夥しい密度の弾幕が殉教者の四方八方を包囲していた。
「――所詮これも目眩ましにしかならないっす、シアオさん。進みましょう!」
「っ……! う、うん」
星はシアオの手を強く引っ張り、殉教者が来た道に背を向けて走り出した。
走りながらシアオの表情は暗くなっていった。星が気付いた殺気に気付けなかった。自分が思っている以上に衰弱している事を痛感させられた。今も星に手を引かれていなければ置いて行かれそうだ。
「シアオさんは、白骨なんすね」
星が適当な脇道を見つけて、二人は身体を捻じ込む様に身を隠した。星が好きな罠が無い、この遺跡で働いていた人間が使っていたであろう安全なショートカットルームだ。
殉教者が吐き散らした、余りに気持ち良くない情報を確かめようとする星に、シアオは首を横に振った。
「いや……。あの殉教者も勘違いしているけど、俺は『娼婦のマリア計画』で生まれた子供だ。母親は『黒骨人種』で、俺の骨も黒い」
「そうなんすか」
乱れた息を整えているシアオは、此処で情報の際を修正しようと口を開いた。
「殉教者が言った『白骨女性に子供を産ませる計画』は『聖杯計画』と言われている事件だ。実行されたのは確か三百年前から四百年前だったんじゃないかな。そして、約百年前から俺の生まれた大体三十年前までに遂行されたのが、『黒骨人種に子供を産ませる計画』……それが『娼婦のマリア計画』……目的は殉教者が言った通り俺に『最後の審判』を刻む為だよ」
「気になってたんすけどシアオさんって年は幾つ位なんすか?」
「俺は28歳だけど……」
星はシアオをじろじろと値踏みし始めた。白人や黒人に比べて、黄色人種は年齢を重ねても子供に見られがちとは昔からよく聞くが、シアオは顔つきが幼いとは言わないまでも、三十路目前とは素直に感じない若さだった。
肌の色から明らかに黄色人種と判るが、殉教者の首謀者とやらの血を引くと聞いたからには白人の血も混ざっているのだろう。
「話を戻してもいい?」
星の視線から見た目が年齢にそぐわないと言いたげなのが察せられるが、今は一刻の猶予も惜しい状況なので話を切り上げてしまう。
「まず、六百年前に『神』と呼ばれる兵器を殉教者が造った事は知ってるんだよね」
「うっす。その時代の人類は白骨人種と呼ばれていて、殆どが『神』に滅ぼされたんすよね」
星の認識に、シアオは頷く。星の口ぶりから、日本国も高い割合で黒骨人種なのだろう。
「『骨が白かった』人類は、六百年前に『オリーブの灯』と名乗る宗教団体が突如造り出した『神』に蹂躙されるうちに、進化する事を選んだんだよ」
とても強引に、だけどね。とシアオは付け加える。星も表情を引き締めた。
「端折るけど、結果的に人類の骨は黒い金属の様に変質した事で、『魔法』という物質を自在に操る力を手に入れ、『神』を迎撃する術を身に着けていったんだ」
そこまでは日本国でも把握している歴史だと星も答える。
狭い通路を抜けて、薄暗いが下に降りる螺旋階段を見つけた所で、シアオは一瞬だが意識が途切れる様子を見せ始めた。星が案じて、シアオの手を引いた。
「ありがとう」
「そんな身体でどうやって戦うつもりなんすか? 凄く体温高いじゃないっすか」
出血は抑えていると言っても、膿み放題の傷口から熱が出ているのだろう。いつ昏睡しても可笑しくない。それなのにシアオは誰かに心配されるのは久々だとへらりと笑うのだ。
「情けないけどね。『神』を迎撃する術を身に着けたと言っても、完全に破壊する事は大陸では未だに出来ないんだ。『天使』ですらね。それが出来るのは、殉教者の言葉を信じるなら世界で唯一、俺だけらしい」
日本国は殉教者に勝利したと星は言ったが、勝利というのも振り幅がある。それは殉教者にとって敗北なのか、日本国にとって勝利なのか、『どちらにも該当する』ではなく『どちらかに該当する』であれば差異が出る。
「確かに、日本国でも『神』や『天使』を破壊する事は出来ないっす。精々、攻撃を阻害して退ける程度しか出来なかったっすよ。でも、シアオさんに出来るなら、天使や神を破壊出来るなら、方法があるってことじゃないっすか!」
方法があるなら、シアオはこんな誰にも助けて貰えないような辺境でたった独りで、膿んだ傷の痛みと高熱に苦しむ必要などない筈だと、星は悔しそうに顔を歪ませた。
シアオの言っている事が傲慢だとは言わない。ただ星は、理不尽だと思った。シアオ独りに戦わせている人類が怠惰なだけではないかと訴えた。
……俺にばかり戦わせている、か。
熱に浮かされた瞳でぼんやりと星の表情を見つめ返すシアオは、ただ一人、同じ事を指摘した小さな家族の事を思い出した。だが、いつだって人類は、英雄を待ち望んでいるのだ。
「『神』を完全に破壊するのは、『死』を背負った者じゃないと無理だ。それも膨大な因果律を必要とするから、数百万人、数千万人じゃ済まない命を犠牲にしないと条件は満たせない」
シアオは地図を開く。地下の一番広い空間を探すよりも、一度地上に出た方が安全に戦いやすいだろう。星共々生き埋めになる訳にはいかない。
「膨大な因果律さえ引き起こせば『神』の破壊は出来るって事っすか?」
星は諦め悪く、シアオを睨む。その眦にシアオは擽ったそうに笑った。
「どうかな。因果律は波紋の様に広がって、ほんの小さな切っ掛けで大きな結果になる。人間が扱える中で一番大きな因果律は、人間の命だと言われている。……扱いたい力が天災規模になれば、釣り合うだけの大量の命が必要になる」
神と戦うのなら、天災以上の代償が必要かもしれない。シアオはまだ、その可能性を星には伏せておくべきだと判断した。
「一旦殉教者を地上に誘き寄せて叩こう」
「下に降りるべきっす」
シアオの提案に星が真っ向から反対意見をぶつけた。予期せぬ反論に、シアオは面食らった。
「どうして」
「この施設の端っこに医療技術の開発施設がある筈っす。まずその瀕死の体を回復させないとお話にならないっすよ」
「……!?」
医療施設。そんな物があると何処で知った。既に調査しているシアオは、確かにその存在を知っていた。だが星に見せた地図は全てではなかった。唖然とするシアオの心中を読み取ってか、星は遺跡の壁を撫でる様に何かを探り、黒いガラス質の板が嵌め込まれたそこに手が触れると、黒かった壁に四角い光が灯った。
「私も大陸を調査するのが仕事っすからね。こういう施設は母国にも資料があるっす。そんで此処には医療技術研究施設を所有する施設に共通するマークがある事は確認済みっすよ」
壁に映された画像には確かにシアオも施設に入った時に確認したマークが見取り図に在った。
「でも、治療なんてしている暇はない。殉教者に俺の居場所が割れた以上、この遺跡ごと消し飛ばされる前に天使を破壊しないと」
「はあ……。あんた『も』頑固っすね。つべこべ言っても無駄っすよ。此処は既に私の掌っす。シアオさんの事は何が何でも守るっすよ」
「……!」
シアオは本当に突然、眩暈に襲われて足元から崩れた。体が怠くて力が入らず、立ち上がる事が出来ない。そのまま意識を手放してしまう。
「どうしてこうも、しんどい役回りをやりたがるんすかね……『あんた』も『俺』も……」
シアオは意識が沈む中、遅すぎる後悔を噛み締めた。どうしてこんなに信用していたのか。また、全てを奪われる――。




