表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

第三章:インストール

 カツさんに誘導された風香ちゃんは素直に指示に従い椅子に座る。なんの変哲もないただの事務用椅子。


 彼は白衣を身にまといダンボールを開いて何かを探していた。どうやって測定するのか注目していると、ダンボール箱から何かを取り出した。あれが脳波計だろうか。ヘッドフォンの形に似ているが、その先にはタコの足のように幾つもの突起物が出ていた。注意深く観察していると、カツさんが私に手招きしている。


「真冬君、すまないがこのタオルを濡らしてきてくれ。適度な湿り気が欲しい」


 カツさんは使い古された白いタオルを私に手渡してきた。多少薄汚れていたが、ゴワゴワした手触りではない。柔軟剤のいい匂いがふわりと鼻に吸い込まれる。ちゃんと洗濯しているようでほっとした。


「分かりました」


 キッチンに出向きタオルを濡らしてから、絞り過ぎないように水気を飛ばして彼に手渡した。


「ありがとう」


 彼はそう呟くと風香ちゃんに脳波計を取り付けていた。彼は突起物を風香ちゃんの頭に押し当てる前にタオルでさっと拭いていた。汚れでも落としているのかな。


「どうして一度拭いているのですか?」


 カツさんは一切此方を見ないで作業を続けている。


「脳波といっても電気信号を計測するので、計測に影響を与える余計な皮脂を取りたいのと、少し濡らして伝導率を上げておきたいのさ。本当は専用のジェルがあればいいけど切らしていてね。よし、準備出来た。哲平、ちょっと部屋の明かりを消してくれ」

「了解」


 カツさんが先輩に指示を出すと、彼はそれに応じるように軽快に返事した。


 何故、先輩が部屋の隅にいたのか疑問だったけど、部屋を暗くする事を知っていたからスタンバっていたのね。カーテンを閉めた時も気にはなっていたけど、用意がいい人ね。


 彼が返事をしたと同時に部屋の明かりが消えた。暗闇に包まれた部屋はパソコンのディスプレイ周辺がぼんやりと明るかった。カツさんはパソコンを操作しながら、穏やかな口調で風香ちゃんに語りかけた。


「風香ちゃん、怖がることはないからね。痛くもないし、すぐに終わるから。深呼吸してリラックスしてもらえるかい?」

「はい」


 私は彼女を安心させるために傍に近寄ると、彼女はカツさんに言われた通りに深呼吸をしていた。強張った顔をしているので、(かが)んでから手を握ってあげた。


「真冬さん、ありがとう」


 彼女が笑った所でカツさんが座って椅子をクルッと回して、此方に向いた。


「そろそろ始めるけど、準備はいいかな?」

「はい。お願いします」


 風香ちゃんが答えると、彼は再びパソコンに向きなおす。マウスをクリックした音が聞こえた。静かにしておいた方がいいと思い、言葉を発する事を躊躇(ためら)ってしまう。なんだか私まで緊張してきた。


 彼が言っていた通り測定は直ぐに終わった。時間にして1分くらいだろうか。


「哲平、一度明かりをつけてくれ」


 カツさんは一切振り返らないで、先輩に指示を出した。


「おっけー」


 先輩が返事すると部屋に明かりが灯った。暗闇からの急な明かりは眩しくて目がチカチカしてしまう。私たちはカツさんからの発言に固唾を呑んで見守っていた。


「ん~ん、これと言ってα(アルファ)波もβ(ベータ)波もθ(シータ)波もδ(デルタ)波も異常は無さそうだけどな。催眠状態に陥っているなら多少傾向が出てもよさそうだと期待していたが……。もしかしたら何らかのアクションによって変化するのかもな」


 私はカツさんの隣に移動してディスプレイを覗いてみた。よく分からないグラフが表示していて理解できないが、先ほどの発言が気になる。


「アクションですか?」

「ああ、君たちも怪しんでいると思うが、俺も催眠状態にするのに音声占いは適していると思う。あれは悪い占い結果は出ないだろ? すると聞いている方はリラックスした状態になっている。受話器を耳に当てることで意識がそっちに集中してしまう。まさに催眠術をかける前準備が完了しているんだよな」

「なるほど」


 催眠術には詳しくないが、カツさんに説明されると納得してしまう。やはりこの人は天才かもしれない。


「占いの内容に隠されたワードがあると予想しているんだけど、こればかりは解析していないからなんとも言えない。今すぐに出来ることは、脳波を測りながら占いを聞いてもらうといいんだけど、風香ちゃん、お願い出来るかな?」


 カツさんはディスプレイを見つめたままで風香ちゃんにお願いしている。


「分かりました。やってみます」


 彼女は返事をしてからジーンズのお尻側のポケットに入っていたスマフォを取り出した。


「それは駄目だ!」


 先輩が大声で阻止する。皆が先輩に注目していた。カツさんは立ち上がり、二、三歩先輩に近寄ってから言い返す。


「哲平、リスクがあることは俺も承知している。状況が悪化しているなら急いで解明するべきだと思うがね」


 先輩に釣られてカツさんの声量も大きくなっていた。カツさんに言われて先輩も負けじと言い返す。


「それは時と場合によるだろ! シセンは危険だと思う。沢山の人たちが亡くなっているからな。占いを聞いてしまうことで彼女の死ぬリスクが増える恐れがある人体実験には賛成出来ない」


 こんな風に向きになって反論している先輩を初めて見たかもしれない。編集長と口論した時でも彼は声を荒げなかったから。カツさんはさらに一歩先輩に詰め寄った。


「このまま進展がないことで被害がより一層増える恐れがあるかもしないがな。確かに彼女のリスクは高まるかもしれないが、これは千載一遇のチャンスじゃないか。予想通りマインドコントロールなら催眠治療で治せるかもしれない」


 私もリスクがあるなら賛成はしたくはない。カツさんは必死に先輩を説得しているが、彼も頑固なのか聞く耳を持たない感じだ。


「治せない可能性もある。確証が持てないままやるにはリスクが高すぎる。お前に頼って申し訳ないが、その実験は賛成出来ない。諦めてくれ」


 先輩の言い分は理解出来る。カツさんはこれ以上無理だと悟ったのか、両手を広げて頭を左右に振っている。彼としても解明する手立てを失ってショックなのだろう。異様な雰囲気を察したのか風香ちゃんが手を上げた。それを気づいた全員が彼女に注目した。


「私なら大丈夫です。皆さんを信頼していますから」


 彼女は自ら実験台になることを提案してきた。危険が付き纏うかもしれないのに。勇気ある発言だけど、先輩の心を動かしているようには見えない。彼は固い表情のままだ。


「風香ちゃん、それは駄目だ。不安な時が続くかもしれないが、別のやり方もあるかもしれない。答えを急ぐべきではない。分かったかい?」


 カツさんとのやり取りより、優しい口調に変わっていたが、説得には応じない姿勢が感じ取れた。私が感じ取れたから風香ちゃんも感じ取ったかもしれない。彼女は手に持っていたスマフォを両手で胸に抱えていた。


「はい。私は何も出来ないので、皆さんに任せます。これからもよろしくお願いします」


 何も出来ずに見守っていた私は、どうにかしてこの重たい雰囲気を変えたかった。


「カツさん、シセンの作者に接触したいのですが、調べる事は可能ですか?」


 私は話題を変えてみた。本来はシセンの作者を調べて欲しかったのだから。


「やり方を任せてもらえるなら可能だ」


 カツさんの言い方にちょっと引っかかる。どういう意味だろうか。


「やり方ですか?」

「ああ、ちょっと違法だけどハッキングすれば分かるだろう。少し時間をもらうけど分かったら連絡するよ。それとは別なんだが、俺のスマートフォンにシセンをインストールしてもらえないか? そっちも調べたい事があるんでね」


 彼の言いたいことを理解した。違法だから煮え切らない感じだったのね。私は警察でもないし、今は人命優先だから人殺し以外は許容したい。


「分かりました。ついでに連絡先を交換しましょう。先輩と連絡が取れない場合もあるかもしれませんし」


 いざという時の連絡手段を確保したくて提案すると、またあの人が邪魔をしてきた。お節介な先輩だ。


「ま、真冬ちゃん、俺にもインストールしてくれ。それにカツ! 私的なやり取りはするなよ。あくまで事件に関連することだけのやり取りだからな」


 来なくてもいいのに、先輩は近寄ってきた。お願いだから邪魔しないで欲しい。


「ちょっと、先輩にそんな権限はないでしょ。私がカツさんとデートしても先輩には関係ないじゃないですか」


 私の発言に彼は目を見開いた。


「デート……、だと? 許しません」


 先輩の発言は、何の権限があって言っているのか理解しがたい。ほんとうに呆れてしまう。


「もう、黙っていて下さい」


 私が諭すと彼は黙り込んだ。体と心のサイズは乖離(かいり)しているのね。言動が子供じみている。呆れ返っている私と違い、カツさんの笑い声が聞こえてきた。


「くっくっく、本当にお前はバカ野郎だな。自分の気持ちが優先で相手のことを考えていない。彼女が大切なら影から支えてやる度量を持ったほうがいいぞ。それが男というものだ」


 本当に愉快に笑っている。さっき先輩と言い争っていたのが嘘みたいだ。


「うるせー、お前だって彼女いないじゃねえか」


 意気消沈な感じで俯いていた先輩の反論をカツさんは涼しい顔して受け流している。


「俺には必要がないからな。そんなことよりも真冬君、インストールを頼む」

「はい」


 カツさんに返事をした私は、彼からスマフォを受け取った。シセンをインストールする準備をしていると、急に思い出したかのように風香ちゃんが気になった。そういえば、全然会話に入ってこない。私は彼女に視線を向けると、彼女はスマフォを耳に当てている。


「風香ちゃん、どうしたの? 誰かに電話しているの?」

「…………」


 私からの質問に彼女は答えない。先輩が彼女に近寄って勢いよくスマフォを取り上げた。再確認するかのように、スマフォに映っている画面を凝視している。


「……まじか、占いを聞いていたぞ。風香ちゃん、どうして占いなんか聞いていたんだ?」


 先輩は目を見開いてから、彼女の肩を揺すり、問いかけた。それがきっかけなのか、ぼんやりしていた瞳に意識が戻ったように思えた。


「えっ? あたし占い聞いていましたっけ?」


 風香ちゃんはさっきまでの自分の行動が分からずに逆に質問している。きょとんとした顔で先輩を見ている彼女に恐怖した。やはりカツさんの意見を聞いた方がよかったのかも。早く解明しないと彼女の命が危ない。私は風香ちゃんの傍に行き彼女を抱きしめた。必ず助けるからね。


 先輩のスマフォにも無事にインストールが完了すると、私たちはカツさんにお礼を言ってから解散した。カツさんからの連絡待ち状態になって気が焦る。風香ちゃんの行動が死に近づいているように思えたから。


 マンションを後にした時に思い出してしまった。私、占いを聞いてしまった……。

 もしかしたら、私も……。心配かけるので、誰にも相談することは出来ない。先に彼女を救う必要があるから。私はその後でもいい、きっとそれが正解だから。


 次の日、私はカツさんを訪ねていた。こんなにも早く彼を訪ねることになるとは。この場合はむしろ喜ぶべきかもしれない。それだけ早く事件の解明に近づいているのだから。


 先輩は所用があり、後で合流すると連絡がきていた。今日は私が先に訪ねる事をカツさんにお伝えしたら、一緒に来て欲しい所があるそうだ。何を見せたいのか知らないが、新たな事実に期待せずにはいられない。


 彼のマンションの前で待ち合わせをしていたが、どうやら既に待っていたみたいだ。年下の私が遅刻するわけにはいかないので、十分前には到着したのに。それほど迄に見せたいものなのか。


「カツさん、お待たせしてすいません」

 少し小走りで彼の元に駆け寄った。私のヒールの音に気づいたのか、此方に振り向いた彼と目が合った。


「まだ時間には早いけどね。奴と違い真冬くんは来るのが早いね。では行こうか? ここから五分くらい歩いたら着くから」


 腕時計を見てからの爽やかな笑顔。軽く先輩をディスっていたけど構わない。それにしてもイケメンと一緒に歩くなんて気恥ずかしい。悪い気はしないけどね。彼を誘導されるように私はついて歩く。第一京浜沿いを京急平和島駅方面に向かっていた。しばらく進むと左折。さっきより自然が増えた気がする。私は周りをキョロキョロ観察していた。


「あそこに大きな公園があるんだ。その先にはアスレチック場なんかもある。さらに奥に行くと小さいけれど、海水浴場まである」


 彼が説明しながら、その方角を指差す。その先を見ると、木々に覆われた場所が公園なのだろう。海水浴場まであるなんて、この辺に引っ越すのも悪くはないわね。


 引越し計画を妄想していると例の爆音が聴こえてくる。本日も競艇が開催しているのが言われなくて分かる。彼が左に曲がった時に競艇場の看板が目に入った。もしかして、競艇場に入るの? だとしても賭け事するとは限らない。凡人の想像を飛び越えるのが天才の行動だから。


 彼は予想通り競艇場に入った。私にとって人生初の競艇場。なんか場違いな感じがする。意識すると余計に緊張してきたので、お手洗いに行きたくなった。


「すいません、ちょっとお手洗いに行きます」


 軽く会釈してから女子トイレのマークが見える場所に歩みだす。


「俺はその辺で待っているからね」


 カツさんは待っている場所を指差していた。私はそれを確認してからトイレに入る。個室が埋っており直ぐに帰れなかったが、戻ると彼の姿は何処にも無かった。


 ……えっ? ここで待っていると言っていたのに。


 脂汗が出そうなくらい焦ってきた。こんな所で一人にされるのは困る。仕方なく周りを観察しながら歩いていると彼を見つけた。でも、その光景に目を疑う。彼は銀行のATMのような装置の前に立ち何か操作していた。これはきっと、ギャンブルをしているんだわ。待たせたのは悪いけど、数分程度でギャンブルしに行くってどういう神経しているのよ。


 壁際で彼を見張るように立っていると、私に気づいた彼が近づいてきた。


「真冬くん、待たせたね。じゃあ、帰ろうか」


 やり遂げたような満足顔で話し掛けてくるが、意味が分からず私の考えが纏まらない。


「この場所に意味があるから来たのじゃないのですか?」


 そんな筈が無い。襲ってくる不安を完全に拭い去れない。私の元から立ち去ろうとしている彼への信頼は泡のように消え去った。彼は船券を大事そうに財布に入れてからズボンのポケットに収納した。


「この前、真冬くんが来た時も勝てたからね。君は勝利の女神かもしれない。俺も君たちに協力しているから、君も協力してくれよな」


 帰路に向かう彼の後ろを仏頂面で歩いていた。浮かれていた自分が情けない。これはシセンの為でも、ましてやデートなんかでも無い。ただの競艇場に船券購入に付き合っただけだ。彼とは話す気も起こらず、マンションに着くまでお互い無言だった。私は俯いていたが、顔を上げると視線の先に先輩の姿を捉えた。普段はどうしようも無い所もあるけど、先輩がいて良かった。


 先輩に合流したタイミングで彼に思いの丈をぶつけてみた。


「ちょっと先輩、聞いてくださいよ。カツさんは競艇に行くのに私をつき合わせたんですよ。私はシセン関連と思っていたのに、本当にサイテーですよ」


 怒り具合を見せ付けるように頬を膨らませたが、効果はなさそうだ。だって先輩は笑っているんだもの。


「ははは、真冬ちゃん、カツはそういう奴なんだって、まあ運が悪いと思って諦めるんだな」


 楽しそうに話す先輩と違いカツさんは心外だといわんばかりの表情だ。


「俺にとっては生活費なんだから、仕方ないじゃないか。もし大勝ちしたら御馳走するから」


 彼は自分の主張は正論とばかりに訴えるが、私には納得出来ない。う~ん、この気持ちをリセットしてくれる御馳走か。それに見合う食事を考えてみた。


「……や……くです」


 頭に浮かんだフレーズをうっかり呟いてしまった。小声だったし、誰にも聴こえていないと思っていたが、先輩は見逃さなかった。


「えっ? 真冬ちゃん、何言ったの?」


 問い詰められたので、正直に答えるしかない。


「焼肉です。勝ったら焼肉を奢って下さい。それも食べ放題じゃないやつで」


 久しく食べていない焼肉心(やきにくごころ)に身を任せて彼らに伝えると、カツさんは聞こえてないのか無反応だった。私の思いが届いていないのかと残念がるが、それは杞憂だったらしい。


「いいよ。真冬くんの行きたい店にしよう。それでいいよね」

「はい」


 私は彼を許すと決めた。食べ物の主導権を渡してくれるとは、この人はやっぱりいい人だ。願わくば今夜にでも食べに行きたい気持ちを抑えて、カツさんの部屋に向かった。


 玄関から入って廊下の突き当たりにあるのが、彼の研究室と言われる元リビングだ。彼が立ち止まった場所にはパソコンに何かが映し出されている。私の心を揺さぶったのは、その隣に設置している実験環境だ。キャスター付の小さいテーブルの上に配線が出ているスマフォ。そして大学の研究室で使った事がある電圧や電流などを計測するオシロスコープが置いてあった。


 オシロスコープに繋がれているケーブルは2種類あり、一つは電流プローブで電流を計測するものだ。赤い配線を挟んでいる。もう一つはプローブで緑色の配線から出ている銅線を摘んでいる。黒い配線にはプローブから出ているワニの歯のようなクリップを掴んでいた。これで計測の基準となるGND(グランド)を取っているのね。


「色々と分かったのだけど、シセンを作ったやつは意図的に作ったのかな?」


 カツさんは意味深なセリフで私たちの心を揺さぶる。

「どういう意味でしょうか?」


 早く回答が聞きたかった。彼が解析した情報を欲している。カツさんはPCに映っている画面を指差しながら先輩の顔を見た。


「哲平、占いを再生するときに流れるメロディは規則に乗った周波数になるぞ!」


 彼の問いかけに先輩はハッとしているように口が半開きになっている。私には全然ピンとこないが先輩には分かっているのだろうか。


「まさか、悪魔の周波数か?」


 先輩は少し取り乱している。名前を聞いただけでも良い印象を与えないフレーズ。私には知識がないので余計に畏怖してしまう。彼らに質問したかったが、タイミングが悪くカツさんが語り始める。


「そのまさかだ。しかもソルフェジオ周波数まで使ってやがる。最初から洗脳する気だったのかもな。これが計算ではなく偶然の産物なら、なんていうものを作ってしまったんだよ」


 このまま話が続いていくと一人だけ話についていけず、置いてきぼりにされてしまう。私は会話の終わるタイミングを見計らっていた。まさに今がチャンスだ。


「色々分からないのですが、悪魔の周波数とは物騒な言葉ですよね? それにソルフェジオ周波数というのを聞いた事がありません」


「ああ、すまない。音とは空気の振動によって発生していることは知っているよね? その音が一秒間に何回振動しているかを表現したものを周波数と言うんだよ」

「ええ、知っています」


 周波数については授業で習っているし、健康診断の聴力検査でも、聴こえる周波数帯域をチェックしているから理解出来ている。私の返答に納得したカツさんは説明を続けてくれた。


「ソルフェジオ周波数とはグレゴリオ聖歌に使われた古代の音階だと言われている。これ自体は危険なものではない。中には人間の精神に影響を与えて危険と考えられている種類が存在している。ソルフェジオ周波数は9つあり、それぞれに役割が違う。174hZ(ヘルツ)なら意識の拡大と進化の基礎。285hZなら多次元領域からの意識の拡大と促進。396hZなら罪、トラウマ、恐怖からの解放。417hZならマイナスな状況からの回復、変容の促進。528hZなら理想への変換、奇跡、細胞の回復。639hZなら人とのつながり、関係の修復。741hZなら表現力の向上、問題の解決。852hZなら直感力の覚醒、目覚め。963hZなら高次元、宇宙意識と繋がる。色々役割があり、セラピーとかでも、この周波数になるような音楽を使っていたりしているんだよ」


 音に意味があったなんて知らなかった。確かに心地よい音色とかあるもんね。先輩はどこから持ってきたのかホワイトボードに先ほどの周波数と意味を書いていた。覚え切れなかった私にはその行為は非常に助かる。先輩が書き終わるのを待ってから質問の続きをする。


「それで、悪魔の周波数とやらを教えてください」

「これはきちんと証明された訳じゃないんだが、440hZの音階をそう呼んでいる。人類の意識や感情に悪影響を及ぼすと。ただし、この周波数は音響器材の較正や楽器の調律の標準として用いられている。国際標準化機構にISO(イソ)16として採用されているからね。火の無い所に煙は立たぬと言うし、あながち間違ってないのかもよ」


 一瞬、背筋が寒くなりブルっとしてしまう。それほどまでに恐ろしい説明だ。音が人に悪影響を与えることがあるなんて。占いを聞くときに流れているメロディがそんなに恐ろしいものだと誰も思わないだろう。現に私も思わなかったし……。


「哲平、真冬くん、本当に恐ろしいのはそこじゃないんだよ。占いを聞いている時に流れている電流に悪意があると思っている」


 さっきもかなりの恐ろしい内容だが、もっとあるというの。聞くのが怖いが、聞かずにはおれない。単純な私はやっぱり周波数が人間を洗脳していると思っていた。


 カツさんは喉を鳴らした。たぶん唾を飲み込んだのだろう。その仕草が恐怖を誘い、私を強張らせてしまう。


「このアプリは脳にデータをインストールしているかもしれない」


 私たち二人とも固まってしまった。先輩が手に持っていたマーカーを落とし、床にぶつかった音で意識を取り戻す。脳に……、インストール? もはや自分の手には負えない領域になっていた。


 カツさんは先輩の所に歩み寄ってから、ホワイトボードの両端にあるロックを解除して、両手でホワイトボードを一回転させる。再びロックすると、マーカーを手に取った。どうやら何も書いていない裏面を使って何かを書くのだろう。その前に彼は此方に振り向いた。


「人間って脳からの命令で動いたり、考えたりしているけど、これって電気信号なのは知っているかい?」


 カツさんは、私と先輩を交互に見てから問いかけた。


「……いいえ」


 私は自信無く答えた。そんなの考えた事もない。というか、考えている人なんて極少数の人間だけじゃないのか。


「俺は知っているが、脳科学はそこまで詳しくない。昔、本を読んでかじった程度で大分忘れちまったけどな」


 さらっと言っていますが、あなたも凄いですよ。もしかしたら先輩も知らないとたかをくくっていたけど、当たり前みたいな顔されると落ち込んでしまう。記者にそこまでの知識がいるのなら自分に勤まるのかしら。


 キュッキュと音をさせながら絵を描き始めたカツさん。口頭では伝わらないと判断したのだろう。でも、描いている絵を眺めても私には意味不明だ。


「人間の脳にはニューロンと呼ばれる神経細胞がある」


 彼の説明が始まったが、そこに描かれたヒトデというか、アメーバーみたいなトゲトゲの物体がニューロンなのかな。


「脳全体には、約千億個のニューロンがあると言われている。ニューロンは細胞体の周りにある短いヒゲの樹状(じゅじょう)突起(とっき)で別のニューロンとつながっている。その集合体が複雑なニューロンネットワークを構築している。このネットワークが記憶の正体だ」


 この気持ち悪いのが、頭の中にそれほどの数がいるのね。人間は神秘の生き物とよくいったものね。


「記憶に関連するのが、この海馬と大脳皮質だ」


 彼が指さした脳の断面図にタツノオトシゴみたいなのが海馬で、一番大きい脳みそが大脳皮質らしい。これを見たら理科室に置いてある人体模型を思い出す。自分の体にも備わっているのに気持ち悪くて余り見たくなかった。


「日常的な出来事や、苦労して覚えた情報は、海馬の中で一度保存されて整理整頓される。その後、大脳皮質に貯められていくといわれている。つまり脳の中では、『新しい記憶』は海馬に、『過去の記憶』は大脳皮質に保存されているのさ。大体理解出来たかな?」

「はい、なんとなくですが」


 カツさんの説明だからなのか、ある程度、理解出来たと思う。もしくは理解しているつもりかもしれない。よくあるのが、説明を受けている最中は分かるのに、後で考えると分からなくなる事があるけど、今はいいよね。だって先生が目の前にいるんだから。


「カツ、シナプスってのもあったと思うけど。あれはいいのか?」


 先輩がカツさんに何か言っているが、関係無い発言なら混乱するから止めて欲しい。


「ああ、シナプスとはニューロン間の接合部分のことさ。そこまでの説明は今はいらないと思う」

「おお、そうか。それは余計な事を言ったな。すまない、話を続けてくれ」


 先輩は片手を上げて謝罪しているポーズをとっているが、大人しくして欲しい。


 カツさんが説明していない事に余計な首を突っ込まないでよ。私が先生なら廊下に立たせる行為だわ。容量の少ない記憶領域に余計な情報が入ったじゃないの。


「ここからが本番なんだが、シセンを色々調べると、占い中に若干だけど、放電している。その時に電流が跳ね上がっているんだよ」


 カツさんはそう言うと、作業台に歩み寄り、置いているスマフォを操作し始めた。


「オシロの画面を見ててくれ、青が電流で、赤が電圧だ」


 私たちは作業台の周りを取り囲むように近づいてから、オシロスコープの画面を凝視している。カツさんが指でタップしているのが見えた。オシロの画面上で表示している信号が、先ほどまでは一直線だったのに、一段階上がったり、下がったりしている。その様子を見た先輩は感嘆の声を漏らしていた。


「カツ、この電流が脳に流れているのか?」


 先輩は興奮しているのか、声がうわずっている。理系でない私はよく分からない。


「まだ解明出来ていないが、俺の推測だとそう思う。受話器を持つときに耳に当てるだろ? そうすると側頭葉が近い。もしかすると、そこから流れ出た電流がニューロンに干渉を起こして記憶を書き換えているじゃないかな。アメリカで特定の電気信号を脳に流し込んで記憶力がアップする実験は実際に行われて成功しているみたいだから、可能性はあるかもしれない。こっちは実験するのが難しい内容だがね」


 まさか電気を脳に流し込む実験が既に行われていたとは……。しかも成功しているなんて。倫理的にどうなのかな。誘われたって私はそんな実験参加したくない。だけど、シセンは人が死んでいるから、そんな事も言ってられないのかも。


 カツさんは腕組して口を固く結んでいる。もしかして、困っているのかしら。


「自分で実験するわけにもいかず困っている。占い中に放電しているんだが、1mA(ミリアンペア)くらい電流が流れている。これだと、ちょっとピリってするはずなんだよな。それが毎回起きていたら、みんなが疑問に湧くはずなんだが。どういうことだ?」


 カツさんの説明に疑問を感じた。そこまで高い電流とは思えないけど。


「電流が1mA程度でそこまでなります? 電圧は5(ボルト)くらい上昇しただけですし……」

「基本的に感電死は体を流れた電流が、脳が人体をコントロールしている電気信号を破壊、もしくは阻害してしまうことで起こる。電圧よりも電流の方が人体には危険なんだよ。スタンガンが有名だから、みんな電圧に注目しちゃうけどね」


 なるほどね、言われて思い出した。家で占いを聞いたときに一瞬だけど、ヒリヒリしていた。あれがこの現象だったのね。彼らに告白しようか迷ったが、正直に打ち明けた。


「私、占いを聞いてしまいました。その時にヒリヒリしたのを覚えています。でも一度だけなので毎回ヒリヒリするか分かりません」


 知らされていなかった彼らは私の告白に目を見開いて驚いていた。

 それは当然だろう。実際に沢山の人が死んでいるのに、そんな軽率な行動をしているのだから。


「真冬ちゃん、本当なのかい?」

 心配そうな顔で先輩に迫られた。


「ええ、すいません。出来心で聞いてしまいました。報告するのが怖くて」


 あの時の自分はどうにかしていた。今更後悔しても遅いけど。半人前のくせに特ダネを意識しすぎて自滅しているなんて、本当にバカよね。


 顔を下に向けていたら誰かに抱きしめられた。カツさんだった。彼がイケメンだからって訳じゃないけど嫌な気はしなかった。背中をポンポンと優しく叩かれると泣きそうになる。


「お、お前。それは俺の役目だろうがー!」


 先輩が吼えている。無理やり私たちを引き剥がした先輩の顔は怒っていた。


「なんだ哲平、ヤキモチか? こういうのは気遣いが出来るジェントルメンの役目だぞ」


 涼しげな顔で言っていますが、あなたは私を騙して競艇に連れて行きましたよね? ほんと、男って都合のいい考えばかり。私の周りにいるのがそんな人ばかりだわ。なんか喧嘩に発展しそうなので釘を刺しておこう。


「先輩、くだらない争いは控えてください。それよりも、私はカツさんが言った通りの体験をしました」

「そうか、真冬くん、ちょっと悪いけどスマフォを貸してもらえないか?」

「はい」


 カツさんにお願いされたので、鞄からスマフォを取り出して彼に手渡した。彼はスマフォを操作してから、手を当てている。行動が読めないで見守っていたら、突然彼は大声で叫びだした。


「やっぱりだー!」

「カツ、うるせー。何か分かったのか?」


 近くにいた先輩は両手で耳を押さえていた。私は声に驚き、思わず屈んでしまった。カツさんは嬉しそうにしている。なんか鼻息が荒い感じで教えたくて仕方がない顔だ。


「俺のスマフォは占い中に毎回ピリってするが、真冬くんのはしない。これはデータを真冬くんにインストール済みだからじゃないかな。シセンは脳と通信していると思っている。通信してみて、シセンのシステムデータが無かったら、インストールしているみたいな感じかな。だから最初の一回だけはピリってしてしまうんだ」


 カツさんは自分のスマフォでも同様の事をして、ヒリヒリするか手で確かめていた。先輩も気になったのか、同じ事をして確かめる。納得したのか、カツさんに尋ねていた。


「ふ~ん、インストールして終わりなら、すぐに自殺するんじゃないのか?」

「俺もそれは考えたさ、そして気づいた。脳は体の司令部だけど、シセンに関しては受信部なんじゃないかと」

「まさか……、周波数か?」

「ご名答。占い中に発せられる周波数がきっかけじゃないかと予想している。まだそこまでは解明出来ていないが、悪魔の周波数とか都合が良すぎるからね」


 私は説明を聞いてから背筋が寒くなったので、腕を見ると鳥肌が立っていた。

 すると、先輩から返されたスマフォがブルブル震えていた。新着メッセージが届いてみたら、風香ちゃんからだった。開いてメッセージを確認すると、『さようなら』と書いてあった。


 急いで彼らにも見せた。誰も言葉が出ない。その意味が分かるから……。

 彼女はここ毎晩、自分が自殺する夢を見ていた。思い出しかのように慌ててシセンのタイトルバーを見たら表示が変わっていた。黒背景に輪っかになった縄が浮かんでいた。彼女の夢占いは首吊り自殺。私は気を失ってその場に倒れこんだ。


 目を覚ますと、見知らぬ部屋のベッドで寝ていた。上半身を起こして辺りを観察すると、カツさんの寝室だと嫌でも分かる。


 デカデカを壁に貼り付けているモーターボートの写真。水しぶきが弾け飛んでいる躍動的で動きのある構図だ。彼は本当に競艇が好きなのが見て取れる。生活費の為だと言うのは照れ隠しなのかもね。掃除が行き届いていない研究室と違い、ここは整理整頓がきっちりされていた。本来は綺麗好きなのかも。


 ゆっくりと立ち上がり、部屋を出ようとしたら、先輩の声が耳に届いた。


「カツ頼む、シセンを逆コンパイルしてくれないか?」


 部屋を出てから声がする研究室に入ると、カツさんに頭を下げている先輩の姿があった。友人であるカツさんに頭を下げる程の頼みとは一体何事だろう。私の姿に気が付いたカツさんと目が合った。


「真冬くん、もう大丈夫か?」


 先輩はカツさんの声に反応するように頭を上げて視線をこちらに向けた。

 

「真冬ちゃん、無理しないでまだ横になっていた方がいい」


 顔面蒼白な先輩は心から心配してくれているのが伝わる。だけど、立ち止まっているわけにもいかない。


「ご心配をお掛けしました。もう平気なので大丈夫です」


 実際はちょっと眩暈(めまい)がしていたが、これくらいなら問題ない。先ほどの話題も気になるが、まずは風香ちゃんだ。


「先輩、私のスマフォ知りませんか? 今すぐにでも彼女に連絡を取りたいです」

「ああ、それならテーブルの上に置いてある」


 先輩の視線に誘導されるようにテーブルを見ると、目的の物を確認する事が出来た。私は逸る気持ちを押さえつつ取りに行く。


 手にすると即座に彼女に電話をしてみた。呼び出し音は聴こえるが一向に出てくれない。心の中で何度も「出て頂戴」と呟いた。


 どれだけ待っても彼女が出る事は無かった。私は悲痛な思いで電話を切る。


 ……もう、駄目かもしれない。やっとシセンを解明出来てきたのに。


 歯がゆい思いで自分の無力さを痛感した。この不条理な状況を打破出来ないのだろうか。必死で考えを巡らせている私に彼らは静黙(せいもく)して見守ってくれた。


 その行いも空しく、静寂な部屋をあざ笑うように、先輩の上半身からけたたましい音が聞こえてきた。誰かから電話が来たようだ。先輩は上着のポケットからスマフォを取り出して電話に出ている。難しい顔をしながら話を聞いている彼は時折返事をしていたが、電話を切った頃には幾分老けたような顔になっていた。


「真冬ちゃん、……風香ちゃんが亡くなったそうだ。死因は自殺と思われる。母親が買い物から帰ってきたらリビングで首を吊っていたらしい」

「そんな……、風香ちゃん」


 がっくり項垂れると悲しみが込み上げてきた。抑える事の出来ない感情に必死で抵抗するが、涙が溢れてくる。あの人懐っこい笑顔を二度と見る事が出来ないなんて。兄弟のいない私は彼女の事を妹のように思っていた。もっと親しい友達になれると考えていた。身体の一部を失ったかのような虚無感に(さいな)まれる。背中をポンっと叩かれたので見ると、先輩だった。彼も目を真っ赤にして涙を浮かべていた。彼も辛いのだ。


「真冬ちゃん、辛い気持ちも分かるが、今は心の奥にしまうんだ。彼女以外にもシセンに命を奪われる人達は存在する。その人達の為にも俺たちは頑張らないといけない」


 正論。彼の言う事は至極正論だ。頭では分かっている。このまま止まっているのは風香ちゃんにも失礼なことを。だけど、心が動いてくれない。私を解放してくれないの。


 涙を流しながら、光りを失った瞳で先輩を呆然と眺めていると、右頬を叩かれた。


「しっかりしろ!」


 先輩に叱責された。何が起こったか分からず、頭の中が真っ白になる。そのまま先輩に抱きしめられた。いつもなら直ぐに拒絶するのに、今はそれがいい。先輩のぬくもりが涙で冷え切っている私の心を温かくしてくれる。止まった時が動き出したかのように(むせ)び泣いた。泣いて、泣いて、泣きじゃくると混乱していた気持ちが幾分落ち着いてきた。


 鼻水を垂らした情けない私にカツさんがティッシュペーパーを差し出してくれた。先輩の抱擁から解放されて遠慮なく鼻をかむ。そこに恥じらいなんて存在しない。もう情けない私を二人に見られたのだから。頼りになる彼らにそっと感謝した。口には出さず心の中でだけど。


「もう大丈夫です。今直ぐにでも彼女にお線香をあげに行きたいですが、ご両親も大変と思いますので、後日にします」


 風香ちゃんへの思いを口にしたのはこれからの意思表明でもある。私はもうくじけない。先輩も感じ取ってくれたのか、頷いてくれた。


「ああ、その方がいい。その時はおれも一緒に行くから。あまり言いたくはないが、マスコミが騒いでいる。これだけ同じ高校の生徒が連続で死ねば、そうなるだろうな。きっと両親に取材が殺到しているだろう」


 自分も出版社の人間だけど、被害者の気持ちを顧みない人たちが大嫌いだ。風香ちゃんの親御さんの気持ちが痛いほど分かる。辛いけど、今はシセンの解明を進めないと。先輩が先程話していた内容が気になったので質問してみた。


「さっき、先輩が言っていた逆コンパイルって何ですか?」


 私の発言に少し驚いた先輩は、聞かれていた事に驚いたのか、そんな事も知らない無知な私に驚いたのか分からないけど、ちょっとムカつく。ビンタの仕返しに脇腹をつねってやった。


「痛い、何するんだよ! 真冬ちゃん」


 私より身体の大きな先輩が痛がっているのがちょっと面白い。彼は心外な表情で訴えているが私には響かない。


「さっき私をぶった罰です。それより早く教えて下さいよ」


 気持ちが吹っ切れた私は急かすように先輩に迫った。


「そうだな、シセンアプリはプログラムコードを専用のソフトで変換すると実行ファイルが出来るんだ。この変換作業をコンパイルという。アイコンで表示しているのが実行ファイルと言われる物だ。ただそれだと解析が難しいだろ? だから実行ファイルを解析してから逆変換することでプログラムコードに戻すんだ。そうすればシセンの作りが手に取るように分かる。誰にでも出来る代物じゃないからカツに頼んでいるんだ。まだ返事は貰ってないがね」


 先輩はカツさんをチラッと見て催促していた。プログラムコードに戻す事が可能ならもっと早く頼めばいいのに。風香ちゃんが亡くなった事で余計に恨めしく思ってしまう。ううん、彼を恨むのはお門違いね。彼女が亡くなって悲しんでいた人が後出しジャンケンみたいなやり方をする訳がない。必死で調べて気づいたに違いない。


「カツさん、私からもお願いします」


 カツさんは深いため息をついている。どうしてだろう。


「出来るだけ努力はするが、絶対に出来る保証はないからな。それほど難しいことなんだから」


 しぶしぶ了承してくれたが、私には言われている難しさは分からない。でも彼が引き受けてくれた事が嬉しかった。カツさんは頭をボリボリ掻きながら、白衣のポケットから紙切れを出して渡してくれた。


「シセンの作者、RENの本名と住所だ。訪ねてみるといい。お互いに出来ることをやろう」


 それだけ言い残すと、彼はPCの前に座り作業し始めた。先輩が私の手元を覗いてきたので、彼にも見せるように渡された紙を一緒に見た。


山岸蓮斗(やまぎし れんと) 26歳

 神奈川県川崎市川崎区元木一丁目 Dマンション 503号室』


 ……ついにシセンの作者にたどり着いたわ。もう少しで全部解明出来るのね。


「ここだと、京急線の八丁畷(はっちょうなわて)駅の近くだな。ここからだと、大森海岸駅があるから電車に乗っていくとしよう。真冬ちゃん行こう」


 住所を見ただけで近くの駅名まで知っているとは……、先輩は土地勘がありすぎてビックリしてしまう。ベテラン記者か、本当に凄いわ。


「了解です。先輩、私は準備出来ています」

 

 カツさんに挨拶してから、先輩より先に玄関を出る。駅に向かう道中は無言だった。駅に着くと電車が通り過ぎるだけで乗車出来ない。この駅は普通電車しか止まらない各駅停車だった。途中で急行に乗り換えようと提案すると即座に却下された。なんでも八丁畷駅も各駅停車しか止まらないらしい。


 空回りしている自分が悔しかった。半人前を自覚しているなら事前に検索したらよかったのに。


 目的の駅に到着するとスマフォの地図を頼りにマンションを探した。先輩が言ってた通り駅から近かった。せいぜい五分くらいの距離だろう。マンションに入ると、管理人室のオジサンが見えたので彼に尋ねてみた。私だと怪しまれるので、ここは先輩に任せる。


「すいません、私はエース出版社の長谷川と申します。503号室の山岸さんにお会いしたいのですが、中に入れてもらえませんか?」


 先輩は名刺を管理人に渡した。彼はそれを受け取ると書かれている内容をチェックしていた。


「どういうご用件ですか?」

「えとですね、山崎さんに取材を申し込みたくて。彼が作った凄い携帯ソフトがありまして。それについて聞きたいのです」


 年配の管理人に分かりやすい説明をしていた。彼は先輩の説明を面倒臭そうに聞きながら、頷いている。オートロックの自動ドアを解除してくれる事を期待したが、彼の表情が駄目な事を物語っている。


「山崎さんはもう住んでいませんよ。亡くなりましたからね」


 ……亡くなっているなんて、これじゃあもう解明出来ないじゃないの。心が折れそうになった私を余所に先輩は必死に頼みごとをしていた


「お部屋だけでも見せてもらえないですか?」


 低姿勢で管理人にお願いしているが、通じていないようだ。突然の訪問者に迷惑している感じをさらけ出している。


「ダメダメ、もう別の人が住んでいるから。私もこれ以上は分からないから、後は管理会社にでも聞いてよ。こっちも忙しいからさ」


 彼は否定するように片手を振っている。ここまで来て空振りなんてあんまりだ。


 先輩もしつこくお願いしていたが、邪険にされて終わった。仕方なくここでの調査は諦めて、管理人にお礼を言ってからマンションを後にした。やるせない気持ちを抑えながら、川崎駅近くにある管理会社を訪ねたが、個人情報保護法で教えられないの一点張り。せっかくここまで来たのに空振りに終わった。人の命よりも法律が大事なんて矛盾しているとしか言いようがない。


 暗礁に乗り上げた調査に二人とも言葉が出てこない。駅に向かう最中に思わず口に出してしまう。


「私も死んでしまうのかな……、風香ちゃんみたいに」


 言ってからしまったと思った。恐るおそる先輩の顔色を伺うと、彼はスマフォを操作している。誰に連絡するのだろう。しかし、彼は受話器に耳を当てているが、一向に喋らない。その様子が私の不安を加速させる。


「先輩、もしかして……、シセンの占いを」

 彼はニヤリとしている。返事が怖い。これ以上誰も被害にあって欲しくないのに。


「ああ、聞いた。これで俺も仲間だな。一連托生さ。もし、真冬ちゃんが死んでも俺が後から逝くから寂しくない。でも、そうはさせない。これからも死なない為に、一緒に頑張ろう」


 ……ああ、この人はなんて愚かで、なんて勇敢なのだろうか。私には彼の真似は出来ない。


 だって自分の命は惜しいもの。指導員が彼で良かった。心の底からそう思ってしまう。彼と一緒に頑張ろう。彼を死なせないために。


ついにシセンの作者が判明しましたね。

ここまま無事にうまくいくのか。。。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ