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第一章:神アプリの謎

 JR京浜東北線の大森駅東口を降りると、タクシー乗り場とバス乗り場が目の前に見える。その道路向かいにある商業ビルの一角にそびえ立つビルは、かなりの年月が経過しているのか、白い外壁は黒ずみで(すす)けていた。汚れの原因は車の排気ガスや埃などが原因だろう。目の前の道路は交通量が多いので仕方がないのかもしれない。

 そのビルの3階にある一室に若い女性がパソコンのディスプレイを先程から熱心に見つめていた。時折ため息をついているのだが、誰かがゆっくりと彼女の背後に近づいて来ていた。一切後ろを振り返らないが、近づいている事は分かっていた。コーヒーの風味豊かな香りが鼻にスッと吸い込まれ、その匂いが徐々に強くなっていたからだ。匂いの効果なのか、イラついているようなキーボードを打ち込む音がいつの間にか小さくなっていた。机の上にコーヒーが入った紙コップを置かれると彼女は振り返る。


「先輩、ありがとうございます」

 彼女は去年入社した半人前の蜷川(にながわ)真冬(まふゆ)である。


 真冬は椅子に座ったままの状態で先輩を見ている。距離が近いのと大柄な男なので、かなり上を見上げている。彼は身長188cmを自慢するだけの事はあり、かなりの大きさだ。しかもフィットネスジムで鍛えているだけあって筋肉で引き締まった身体は見事としか言いようがない。彼は真冬の指導員長谷川哲平(はせがわてっぺい)。三十四歳のベテラン記者だ。

 彼は愚かにも真冬に彼女いないアピールしているがウザったく思われているとは考えてもいない。でも懇切(こんせつ)丁寧(ていねい)な指導で真冬は非常に助かっているらしい。さっきも真冬の為にコーヒーを入れるなんて優しい先輩なのだろう。真冬はお礼を言ってから頂いたコーヒーを一口飲むとなんだかホッとした表情をしている。

 そんな半人前の真冬を見つめながら、哲平が話し掛けてきた。


「真冬ちゃんは熱心だね。その情熱を少しでも俺に向けてくれたらいいのに」


 もう直ぐ入社して一年になるが、彼は何度も愛を囁いていた。流石に聞き飽きたのか、真冬は呆れながら先輩に訴えた。


「私は早く認められて、特ダネ記事をスクープしたいんですよ」


 真冬の真剣な表情を見つめている哲平は心底彼女に好意を抱いていた。

 彼はあの日から恋をしたのだろう……。

 あれは去年の4月だった。入社式で彼女を見かけた俺は、一瞬で彼女に惚れてしまった。仕事に夢中になっていたらいつの間にか30歳も過ぎ、知り合いは次々に結婚していくから流石に焦っていた。真冬が誰かに取られるくらいなら、早めに自分の部下にしたくて策を練った。枯渇したリソース状況で新人の手も借りたいと上司と真冬に相談したら意外にもあっさり了承された。上手くいって良かったが、このお嬢さんはガードが鉄壁過ぎて攻略出来そうになかった。

 まあ、いいさ。そのうちに心を許してくれるだろう……。

 ひとまず彼女に仕事の話を説明することにした。


「編集長からタレントAの浮気現場をスクープする仕事が依頼されたぞ」

「えっ!」


 露骨に嫌な顔をされた。彼女の志望動機は社会事件で特ダネをスクープしたいと宣言していた。それが浮気現場の仕事ならやる気も出ないわな。でも小さい会社は売上を稼がないと直ぐに潰れてしまう。実績が無くて金を稼がない奴の我儘は通らない。気分を損ねないために話を変えてみた。


「さっきから見ていたのは何?」

「そうだ! ちょっと、聞いて下さいよ」


 ほら、予想通り機嫌が直ったよ。嫌われたくないから余り厳しく出来ないんだよな。それでなくても今はセクハラだとか、パワハラとかが厳しい時代なんだから。

 真冬は俺に見えやすいようにディスプレイの角度を少しずらしてくれた。


「ここを見てください! 都内T高校の女生徒がわずか一週間に2人も死んでいるんですよ! 最初は森繁蓮美が飛び降り自殺、田端結衣は車に跳ねられて死亡。これは特ダネの予感がしませんか?」


 真冬は(まく)し立てるように喋っていたが、大して俺は気乗りしていない。


「そうか?」

「これはきっと、学園の闇が彼女たちを死に追いやったんですよ」

「なんでそう思うんだよ!」

「記者としての勘です」

「半人前のお前に勘があるわけ無いだろうが!」

「じゃあ、女の勘ですね」


 こいつはああ言えば、こう言う。まさに暖簾(のれん)に腕押しとはこの事だよな。

 自信満々で言える度胸は大したもんだけど、信頼を勝ち取るまでの実績が無いんだから信じる事は出来ない。


「あのな、最初の子は自殺だけど、次の子は事故かもしれないだろ?」

「先輩の言うことも一理ありますが、事故じゃない可能性を私は信じたいです。記者として!」


 真剣な瞳で見つめられると異性として意識してしまう。

 ショートヘアがよく似合っている小柄な真冬に恋しているけど、仕事ならば話は違う。俺はなんとかして諦めさせようと説得を試みた。


「お前の気持ちも理解できるけど……」

「先輩も協力してくれるんですか?」

「待て待て、お前は会社の信頼を勝ち取る為に実績を積む必要があると思わないか?」

「そ、それはそうですけど……。女子高生の闇を解決したら一気に実績作れますよ」


 真冬はちょっと自信なさげに答えた。


「それが空振りに終わったら、お前の信用はゼロになる。しばらくは現場に出ることも叶わないだろうな」

「それは困ります……」

「だから地道に実績を積み重ねる為にも芸能スクープを撮りに行くぞ!」

「それしか無いですよね」


 困り顔で見つめられると、助けたくなってしまう。惚れた弱みとはよく言ったもんだぜ。やれやれとした感じで俺は助け舟を出してあげた。


「本当にやりたいなら方法はあるぞ」

「えっ、どういう方法ですか?」

「俺なら実績もあるから編集長を説得できるかもしれない」

「お願いします。なんでもしますから」


 真冬は両手を合わせてお願い事をするかのようにポーズを取っている。


「俺と付き合うなら説得してきてやるよ」


 彼女は俺の提案に一瞬固まっていたが、すぐに断りを入れられた。


「お断りします。では芸能スクープを撮りに行きましょう」


 真冬は椅子から立ち上がり、出かける準備をしている。俺としては結構ショックなんだけど、彼女は気にもしていない。だが引き下がるわけにいかない!

 しつこいけど、真冬にダメもとに聞いてみた。


「歳が一回り離れている男性はダメか?」

「そうですねー。流石に一回りは厳しいかも」


 二十三歳の真冬と34歳の俺は11歳しか離れていない。ということは、ギリ大丈夫かもしれない。


「俺はひとまわ……」

「あっ! 先輩も似たような歳の差なんで、無理ですからね」


 ……くっ、俺が言い終わる前に拒否された。彼女は駅前でビラ配りの受け取りを拒否するように、片方の腕を伸ばし俺に(てのひら)を向けていた。これには俺も心が折れたので、薄手のよれた黒いコートを羽織り、真冬と目的の現場に向かうことにした。


 ◇◇◇


 渋谷駅周辺は相変わらず人が多い。先輩は人込みが平気なのか平然としていた。私は人が多いと酔いそうになるから嫌いだった。

 仕事じゃないと来るのを躊躇(ためら)う程に人が溢れかえっている。私達はスクランブル交差点を渡り、道玄坂を上った先で一人の少女が男たちにからまれているのが見えた。私は堪らず少女のそばに駈け出していた。少女は泣きそうな顔で必死に彼らに訴えている。それを見たら心の底から怒りが込み上げてきた。

 彼女に寄り添いながら、男たちを睨みつけた。


「あなた達! この子が嫌がっているでしょ! これ以上しつこいと警察呼ぶわよ」


 二人組のチャラそうな男たちが私の全身を舐めまわすように見てくる。寒気がしてきて凄く嫌な気分だった。そして一人がニヤニヤしながら話し掛けてきた。


「お姉さんが俺らに付き合ってくれたらいいぜ。ちょっと、そこの奥にある建物に入ろうぜ」


 男が指差した方角はラブホテルが立ち並ぶ場所だ。

 彼らを精いっぱいに睨みつけると、狼狽えるように顔色が一変した。てっきり、私の凄味が伝わったと思っていたら、先輩が後ろから睨みを利かせていたからだった。

 この時ばかりは先輩を見直してしまう。まあ、惚れる事はないけどね。

 彼らが走り去って行くのを確認してから女の子に優しく声を掛けた。


「大丈夫だった?」

「……はい。助かりました」


 不安がっている彼女に鞄から名刺取り出して手渡した。


「私は雑誌記者をしているから、何か困ったら言ってね」


 彼女は名刺を受取ると、それをまじまじと見つめてから、切羽詰まった様子で助けを求めてきた。


「お願いします。あたしを助けてください」


 いきなり言われてビックリしたが、取り乱している彼女を落ち着かせると、お互いの自己紹介をした。

 彼女はT高校に通う女子高生で神城風香さんという名前だった。

 彼女の相談に乗る為に落ち着いた雰囲気の喫茶店に入った。とりあえず、注文を済ませると緊張感が漂った雰囲気の中で彼女が話を切り出してきた。


「シセンってアプリを知っていますか?」

「ええ、若い年代に人気なのよね」

「そうです。ネットには存在しなくて、誰かに直接インストールして貰わないといけないアプリ……。もしかして既に持っていますか?」

「いいえ、知り合いにいなかったので持っていないわ」


 先輩は一人だけ知らなかったみたいで、私たちの話には加わらずに無言でスマフォで検索している。私にはその様子が嬉しかった。いつも仕事を教えてもらっている先輩にちょっとだけ勝った気がして優越感に浸ってしまう。

 店員さんが注文の品を次々とテーブルに運んできた。私と先輩はコーヒーで風香ちゃんはココア。それからミックスサンドイッチと私用の大盛りカレーライスだ。

 カレーの風味が胃袋を刺激し、堪らずスプーン一杯に乗せたカレーがしみ込んだライスを口に運ぶ。その様子に風香ちゃんは驚いているが、お構いなしに私は卵サンドを手に取りパクリとかぶりつく。堪えきれない先輩が嫌味な一言を呟いた。


「真冬ちゃんは、相変わらずの大食いだな」

「えへへ、先に言いますね。先輩、ご馳走さまです」

「…………っ! また俺の奢りなのか……、仕方がない。お兄さんがご馳走しましょう」


 風香ちゃんは申し訳ない感じでぺこりと頭を下げる。私は先輩のお兄さん発言をスルーしてカレーを食べた。

 五分足らずでカレーライスとミックスサンドイッチを平らげると、大事な事を思い出した。アプリとの関係性を風香ちゃんから聞かないといけない。


「それで、シセンと関係あるの?」

「あれは悪魔のアプリなんです。友達が二人も亡くなりました。いつかあたしも死ぬかもしれないんです」


 死ぬという言葉は相手に強烈な印象を与える。現に私もそれを聞いた途端に緊張して手汗を掻いていた。それと同時に興奮していた。少しは記者としての自覚が芽生えたのかもしれない。


「お友達のお名前を聞いてもいいかしら?」

「はい、森繁蓮美と田端結衣です」

「…………っ!」


 思わず先輩とお互いに顔を見合わせた。

 それは会社で先輩に説明していた子達だったからだ。まさか風香ちゃんのお友達だったなんて運命に思ってしまう。


「なんで悪魔のアプリなのかしら?」

「あたし達は卒業旅行を計画していました。蓮美が一番楽しみにしていたのに、自殺するなんて考えられない。それに結衣は合コンを楽しみにしていました。蓮美が進めてきたシセンを入れてから悪い事ばかり起きています。私の勘ですが、このアプリには何かあります!」


 風香は悲壮感漂う表情で真冬に訴えかけた。

 ……ずっと一人で思い悩んできたのね。

 私は何とかしてあげたいと思った。特ダネをゲット出来るという打算的な思いも確かにあるけど、それ以上に彼女を救いたいと思っている。


「私のスマフォにもインストールお願い出来ないかしら?」

「いいんですか?」


 風香は申し訳ない顔をしていた。


「おい、大丈夫か? なんなら俺のスマフォでもいいんだぞ」


 先輩も心配してくれたけど、自分で解決したかった。


「大丈夫です。困ったら先輩にもインストールしますから」

「……そこまで言うなら止めないけど、危なくなったらちゃんと言えよ」


 先輩は納得していない表情だけど、一応了承してもらえた。


「わかっていますよ。……じゃあ風香ちゃん、お願いね」

「はい」


 あたしは風香ちゃんにスマフォを渡してシセンをインストールしてもらった。

 彼女の隣に座ってから操作を覗き込んで見ていると、インストール中の画面表示が出ている。ステータスバーに表示されている進捗率が100%になった後で、私のスマフォの画面上に梟のアイコンが表示されていた。

 ……ダイレクトインストールって凄いわね。何故こんな機能があるのかしら。


「悪いけど、私とグループ設定してもらえるかな?」

「いいですよ」


 彼女とチャットメッセージを送れるようにグループ設定をしてもらった。スマフォを受け取ってからシセンの設定画面を確認していると、彼女は急に何かを思い出したように呟いた。

「あの、今朝気づいたんですけど、シセンのタイトルバーの色が炎みたいに見えるんですよ。これって気味が悪くって……。何もしていないのに色が変わるってすごく不気味に感じるんです」

 そういえば、さっき立ち上げた時は灰色だったのに、グループ設定が完了したら黒背景に炎みたいな模様が浮かんでいる。いつの間に変わったんだろう……。

 一瞬、不気味な視線を感じて振り返ったが誰も見ていなかった。多分気のせいだろう。このままでは何も分からないので、今後も彼女から情報を提供してもらうためにお願いしてみた。


「そうね、これから色々と調べるから、何かあったら直ぐに連絡してね」

「はい。直ぐに連絡します」


 あたし達は風香ちゃんと別れてから一度会社に戻った。

 早速シセンについて調べたが大した情報は得られなかった。22時を過ぎた頃に先輩から無理するなと言われたので大人しく従って自宅に帰ったのだが、次の日に風香ちゃんから届いたメールを見た私は、その内容に恐怖した。


『友達の美鈴が焼死しました。私を助けて下さい』

 これは間違いなく事件だった。



 三月十三日 午前八時

 この時間帯の電車内は鬼混み状態で動く事もままならない。私は僅かなスペースを見つけてから、スマフォを操作し美鈴の事件を調べた。

『東京都品川区のアパートで焼死体の男女が発見された。二十歳の男性は自称フリーター、十八歳の女性は都内の高校生。警察は捜査を進めているが、詳しい情報はまだ発表されていない』

 スマフォで確認した内容では詳しい情報は書かれていない。


 シセンアプリをインストールした人間が次々を死ぬのは異常だ。出版社に勤める人間として先入観を持つのは危険だけど、私はそうに違いないと確信している。

 会社に着いた時は、軽く運動したみたいに背中に汗がじんわり掻いていた。通勤だけで体力の大半を使い果たしたが、先輩はまだ出社していなかった。とりあえず、トイレに行ってから汗拭きシートで汗を拭い、席に座って先輩を待ち続けた。結局、九時前にようやく姿を現したが、彼の元に駆け寄った時に目が合うと、私が声を掛けるよりも先に声を掛けられた。


「もしかして、真冬ちゃん。ついにOKしてくれるの?」

「いきなりなんの話ですか?」


 予想外の発言に戸惑い、考えがまとまらない状態で彼は更に問い詰めてくる。


「俺と付き合ってくれるんだろ?」

「全然違いますし、そんな気はミジンコ程の大きさもありません」


 いつも断るのに、何故こんなにもしつこいのだろう。私は恋よりも仕事がしたいと言っているのに。自分の考えに同調してくれない男性に惹かれる事なんてありえない。

 (こうべ)を垂れてションボリしている先輩を慰めることなく相談してみる。


「例のアプリを本格的に調べたいのですが、許可降りますかね?」

「うーん、難しいと思うけど、一緒に来るか?」

「はい、行きます」


 歯切れの悪い感じの先輩だったけど、編集長の説得に協力してくれるらしい。

 私たちは編集長のデスクまで向かうと、居室で一番汚い席に彼は座っていた。ペーパーレス化が進んでいるこのご時世に、こうも汚く出来るもんだと感心してしまう。無造作に積まれた雑誌類と良く分からない大量に積み重なった印刷物。彼の趣味であろうアニメのフィギュアが置いてあった。

 せめて食べ終わったカップ麺は捨てて欲しい。因みにそのカップ麺は先週発売されたばかりの新作味噌ラーメン明太子風味ですが、リサーチ済みの私はすでに食べていますから。一人で勝ち誇っていると、重苦しい雰囲気の中で先輩が口を開いた。


「編集長、ちょっと宜しいですか?」


 先輩の一言に不機嫌な顔した編集長が顔だけ此方に向けた。体は机に背を向けて椅子の背もたれに全体重を預ける様に寄りかかり、両足を伸ばしダラシナイ格好をしている。その姿に威厳は微塵も感じられなかった。


「あのですね、ここ最近増えている若者達の自殺とシセンというスマフォアプリに関連性があるという情報を手に入れたので、本格的に調べたいのですが、宜しいでしょうか?」


 相変わらず、こちらには顔しか向けていない体勢に良い印象を持たないが、それ以上に私には彼の一挙一動が恐ろしい。


「それよりも例の件は終わったのか?」

「……まだです」


 何やら旗色が悪そうだ。私には先輩を心の中で応援する事しか出来ない。


「常にアンテナを張り巡らせる姿勢には感心するが、やる事を先に終わらせるのが社会人としての責任じゃないのか?」

「仰る通りですが、それ以上に特ダネになるかもしれないネタなんです」


 よくぞ言ってくれた。私は一回くらいならデートしてあげてもいい気がする。

 勿論、先輩の奢りで高級なお店でのお食事がついている事が理想ですけどね。

 そんな儚い期待は編集長の一言で(てのひら)に舞落ちた淡雪のように溶けて消えた。


「諦めて仕事しろ! この件は以上だ」

「失礼します」


 先輩は編集長に一礼してから、先輩の影に隠れるように立っていた私の肩をトントンと叩いて、二人して意気消沈したまま自分たちのデスクに戻った。


「すまないな、力になれなくて」


 先輩の顔を見たら、未熟な自分が情けなくなった。編集長に一言も言い返せなくて、先輩任せで見ているだけ。これでは事件の真相を探れるわけがない。

 俯いて棒立ち状態でいると、先輩が心配してくれた。


「そんなに落ち込むな。旨い飯でも食べに行くか?」

「……お昼ご飯ですか?」

「ああ、俺の奢りだ。どこに行きたい?」


 こんな単純な言葉で気持ちが救われる事があるのね。


「じゃあ、お昼にランチブッフェご馳走してください」

「それくらいならお安い御用だ」


 先輩は胸を張って言っているが、値段を確認しなくてもよいのだろうか。


「ちなみに品川駅近くのホテルで食べ放題ブッフェは一人四千円します」

「……っ、ちょっと高くないか?」


 想定外の値段に驚いている。でも私のビュッフェ心に火が点いたのでもう譲れない。


「先輩、男に二言は?」

「……ありません。分かったよ、奢りますよ」

「ご馳走さまです」


 若干納得していない先輩だけど、言質は取ったので大丈夫だろう。


 私たちはお昼までに仕事内容の確認を済ませることにする。さっさと片付けて風香ちゃんを助けたいし、編集長を見返したいから。

 私達が調査出来ない間にT高校には大勢のマスコミが詰めかけた。流石に生徒が3人も死んだのなら関係性を疑ってしまうのは当然の展開だろう。学校側の発表では虐めは確認できていないが、現在も調査中と回答している。学校としてもこれ以上の汚名を晒すわけにはいかないので、慎重に対応するのは当然の選択だ。私は風香ちゃんに確証が取れるまでは余計な発言はしない方がいいとメッセージを送っといた。これは自分の為ではなく、現場が混乱しない事とあの子が変な目で見られないようにする為の予防策といえる。


 ◇◇◇◇


 事前予約しておいたP店に入るなり驚きの連続だった。

 ネットでチェックしていたが、画像と実物の感動度合は乖離(かいり)している。

 スケールが違いすぎる広大な空間にお洒落にディスプレイされた食べ物がずらりと並んでいた。私はここにお腹を満たしに来たのに、心地よい音楽に耳が癒され、開放感あふれる天井はガラス張りの屋根になっており、その造形美に感動してしまう。店内中央に目を向けるとまさかの滝がある。それを見ただけで目も癒される。さすが予約が取れない店だけある。運よく予約が取れた私は幸運に違いない。

 六十種類に及ぶ様々な料理を目の前にしたら辛抱出来なくなっていた。

 限りある胃袋を有効活用するために、まずは肉料理から攻めた。ローストビーフや牛ステーキを取り分けてお皿に入れる。なんと伊勢海老のムニエルまで置いてあった。私は心行くまで堪能した。呆れている先輩には気にも留めず食べまくった。終わりを迎えた時に百二十分の制限時間がこんなにも短く感じるとは思いもよらなかった。


「満足したか?」


 夢見心地な私は現実に引き戻されたが構わない。まだ余韻に浸れるので素直になれる。


「はい。また行きましょうね」


 この店のファンになっている私は自腹でも来る気でいる。お給料が出たらお世話になっている先輩にご馳走してもいいかも。


「考えておくよ」

 先輩はまた奢らされることを警戒しているようね。ドキッとした表情で手に取るように分かるわ。

「ふふふ、次は私がご馳走しますよ」


 それを聞いた先輩は慌てている。


「い、いや別に新人のお前に出してもらわなくても……、それよりも仕事をさっさと終わらせるぞ」

「そうですね。頑張って終わらせましょう」


 会社にいる時に先輩と相談したのだが、ターゲットのAは先輩がマークし、浮気相手と噂れているタレントのSを私がマークする事にしている。私の方は恵比寿に住んでいるのでタクシーに乗って向かう事にした。


 ◇◇◇◇


 領収書を貰いタクシーから降り立つと、辺りが騒然としている。多少気にはなったが、事前に調べた住所に向かって歩き出した。近くに行くほど、騒音が大きくなっている。妙な胸騒ぎがしたので、私は足早に急いだ。

 目的のマンションには人だかりができており、警察官の姿も見える。何が起きたのか知りたくて、傍にいたおばさんに話を聞いてみた。


「あの~、すいません。何があったのでしょうか?」

「ああ、タレントのSさんが自殺したらしいのよ。噂では部屋中に血が飛び散っていたみたいよ」

「…………っ!」


 ……Sが自殺。痴話喧嘩のもつれなのか、それともシセン……なのか。

 都合のよい考えに比重が傾いてしまう。それを遮るようにおばさんが話を続けた。


「彼女、Aと噂があったの知っている?」

「なんかそうみたいですね」

「わたしはねえ、その辺が怪しいと思っているのよ。芸能人は大変よね」

「ええ、そうですね。どうもありがとうございました」


 永遠に話が終わらない予感がしたので、礼を言って早々に切り上げた。とにかく先輩に連絡する必要があるので、閑静な場所まで移動してから電話を掛けた。


「もしもし」

「あっ、先輩大変です。Sが自殺しました」

「……、マジかよ。一旦職場に戻ってから話をしよう。いいか?」

「はい、わかりました。今から向かいます」


 ◇◇◇◇


 居室に戻ると、編集長から声を掛けられた

「おう、蜷川、ちょっといいか?」

「はい」

「さっき、警察の記者クラブの連中から情報が入ったんだが、Sは自殺したみたいだ。それも出刃包丁で首の頸動脈を切り裂いたようだ。天井まで彼女の血が飛び散っていて、現場は大変らしいぞ」

 ……凄惨な内容に血の気がひいてしまう。Sは料理番組にも出ていたので出刃包丁を持っていても不思議ではないが、あまりにも悲惨な状況だ。


「自殺で間違いないのでしょうか?」

「そもそも争った形跡も無いし、防犯カメラにも不審者の姿は映っていない。隣近所の住民からの話では騒ぎ声もなかったみたいだ。それに部屋の鍵はオートロックだから簡単に侵入出来ない。マネージャーが見つけなければ腐るまで誰も気づかなかったかもな」

「…………、そうですか、ありがとうございます」

「お前らに記事書かせるかもしれないから、色々纏めておけよ」

「はい、分かりました」


 先輩が到着するまで時間があったので、Sの情報が調べてみる。タレントだからSNSに色々と近況情報を載せていることを期待してパソコンで検索したみた。彼女のブログを見つけたので直近に書かれている内容から順番に遡って調べた。


 他愛のない内容や写真が載っていた。私は彼女のファンじゃないので、どうでもいい内容をずーっと見ているのは拷問に近い。三か月くらい前まで調べてみたが、期待しているワードは無かった。諦めきれないので、その日の呟きなどを投稿する短文投稿用のSNSに切り替えた。


「…………っ!」


 書いてある内容に興奮を抑える事が出来なかった。待ち焦がれた恋人を見つけたように喜びに満ち溢れ、自分の考えの正しさを証明出来たことに酔いしれた。


『みなさーーん。遂に噂のあれを手にいれたよ~。知っている人には知っている。シセンってアプリです。おススメの機能があればその内に教えますねー。』


 ……やっぱり、彼女はシセンを持っていた。だとすると彼女の死は、痴話喧嘩ではなくアプリが関わっている筈だ。なんとしても真相を探らなくてはならない。


「きゃっ!」


 余りにも集中していたので、先輩が傍にいたことに気が付かなかった。彼が私の肩に手を置いた時にビックリしてしまい、思わず声が出てしまった。


「ちょっと、先輩! ビックリするじゃないですか」

「おお、すまん、すまん」


 先輩を軽く睨んだのだけど、彼は気にする素振りも見せない。これにはちょっと腹が立ったのでお仕置きする必要がありそうだ。


「セクハラで訴えますよ?」

「ちょっと、勘弁してくれよ。肩を触ったのは悪かったけど、真冬ちゃんに呼びかけても無視するからさ」


 彼の言い分が確かなら気づかなかった私も悪いのかもしれない。これ以上この件に時間を掛けるわけにもいかないので、話を変える事にした。


「まあ、いいですよ。それよりSもシセンを持っていました」

「マジか……、ますます怪しくなってきたな」


 先輩の表情は硬くなっている。もしかしたら私もそうなのかもしれない。


「ええ、そうですね。もっと調べないといけないので編集長を説得しますか?」

「そうだな。ここまで偶然が重なるのは見過ごせないしな。あの堅物が許してくれるといいけど」


 ブルブル、ブルブル

 机の上に置いてあるスマフォが小刻みに震えていた。手に取ってから見てみると風香ちゃんからのメッセージだった。


『佳澄の様子がおかしいんです。一緒に会ってもらえますか?』

 これは何としても急がなくてはならない。


「先輩、これを見てください」


 急いで先輩にメッセージを見せると、彼は唾を飲み込んで決意した目に変わっていた。私もスマフォを握る手が震えていた。緊張と恐怖で萎縮しているのかもしれない。


「よし、早く行こう」

「はい」


 私たちは編集長の元に急いだ。

 二人がかりで編集長を説得したが、彼は最後まで首を縦に振らなかった。頑なに拒む理由が私には到底理解出来ない。世の中の変化を敏感に感じ取って対応するのが、彼の立場ではないだろうか。そうでないなら透明なギブスで首を固定している筈だ。それ以外に明瞭な答えが思い浮かばない。あれほど先輩が熱く語った発言を軽く聞き流せるスキルはいったいどこに売っているのかご教示頂きたい。


「なんなのよ、あのダサメガネは!」


 席に戻っても怒りを抑えきれくて、編集長の黒縁メガネを思わずディスってしまった。前にブランド品だと自慢していたが、お洒落に気を遣う前に机周りを整理整頓して頂きたい。見た目の不衛生さで職場の空気までもが薄汚れている錯覚に陥る。


「真冬ちゃん、これでも飲んで落ち着けよ」

「あっ、どうも」


 紙コップに入った熱いコーヒーを手渡され、火傷しないように少しずつ口に含みゆっくり飲み込んだ。不思議とコーヒーに集中していたら、先ほどの怒りが薄れた感じがする。私を不憫に思ったのか先輩が気遣ってくれたようだ。


「俺が仕事やっておくから、お前は行ってこいよ」

「……! いいんですか?」

「ああ、そっちも大事だろ? ここは何とかしておくから」

「助かります」


 屈託のない笑顔で私を送り出そうとする先輩をいつもよりカッコいいと思った。心なしか皺だらけの白いYシャツもひたむきに仕事を頑張っている男性に思えて応援したくなる。そんな思いを知らない先輩は調子に乗って余計な一言を呟いた。


「でも、これで真冬ちゃんのハートを射止めたら俺も罪な男だよな。ねえ、真冬ちゃん」

「……は忙しいので、失礼します」


 やはり気のせいだ。落ち込んで気持ちが弱っていたので勘違いしていた。先輩のお寒いセリフのお陰か、多少温(ぬる)くなったコーヒーを一気に飲み干してからゴミ箱に投げ入れた。何か言いたそうにしている先輩を無視してから、風香ちゃんと連絡を取り合い、佳澄さんに会うことになった。


 ◇◇◇◇


 ファミリーレストランで待っていると、風香ちゃんに連れられて女の子の姿を捉えた。俯いた目をしているのは緊張しているのか、はたまた体調が悪いのかはっきりしないが、元気な印象は見受けられない。二人並んで席に着くと私は質問することにした。


「早速で悪いんだけど、最近身体の調子が悪いと思うことあるかな?」

「……ありません」


 肩まで伸ばした髪を両サイドでまとめている可愛い感じのおさげなのに、表情はどこか暗かった。もしかして亡くなった友人を引き摺っているのだろうか。


「お友達が急に亡くなったから悲しいのかな?」

「お友達? ああ、彼女達は残念でしたね」


 私の質問に顔を上げて淡々とした口調で語った。感情の無い言い方に驚いたが、私より風香ちゃんが先に反応した。


「ちょっと、残念って言い方はないんじゃないの! 蓮美、結衣、美鈴は大切な友達じゃん。私はまだ思い出すと泣いてしまうし、悔しいよ。死ぬ前に相談して欲しかった」

「そっか、そうだね」


 涙目になりながら風香ちゃんは必死に訴えたが、彼女の心には届いて無さそうだ。仕切り直して別の質問に切り替えてみた。


「シセンについてどう思う?」

「別に……、ただのアプリですよね?」

「私はそうは思わない。まだ分からないけど悪意が埋め込まれているような、邪悪な感じがするわ。佳澄さんは思わない?」


 心配している風香ちゃんを横目しながら首を捻り考えている素振りに見えるが、思考が読めないのがもどかしい。しばしの沈黙の後に彼女がやっと絞り出した答えは期待を裏切る内容だった。


「別に……、思わない」


 私は収穫がなくて落胆していた。少しでもシセンを解明するヒントをゲットする為に訪れた筈なのに。目の前に置いてある先ほど運ばれた鉄板焼ハンバーグを一口も食することなく見つめていると、微かな声が聞こえてきた。佳澄がスマフォを耳に当てて何か聞いている。私には違和感があるように感じたが、風香ちゃんは全く気にせずに平然としてソフトドリンクを飲んでいる。とにかく佳澄さんに聞いてみるしかない。


「それは何を聞いているのかな?」

「えっ? 占いですけど……」


 当たり前のように答えた彼女はどこかおかしい。違和感の正体が分からないので、このまま質問を続けた。


「占い好きなの?」

「好きじゃない」


 ……やっぱりだ。彼女を見たときから抱えていた違和感の正体は、感情の起伏がないロボットそっくりだ。洗脳か憑依かの切り分けは難しいが、ほぼ間違っていないだろう。


 安心したらお腹が空いてきた。私はハンバーグにロックオンすると、風香ちゃんが「私も占い好きじゃないかも。でも聞いちゃうよねー」と呟いたので焦った。まさか彼女も症状が悪化しているのか。残された時間は1秒も無駄に出来ない。私はハンバーグを急いで食べた。綺麗に完食したけどまだ物足りない思いを断ち切り、会社に戻る決意した。


 お会計した後に彼女達にお礼を言ってから、タクシーに乗り込み会社に向かった。


 ◇◇◇◇


 職場に戻ると、頭をボリボリかきながら仕事している先輩の姿が見えた。どうやら順調ではなく悪戦苦闘しているようだ。


「はい、どうぞ」


 途中で買ってきたタイ焼きを紙袋から取り出して先輩に手渡した。


「おっ、すまない」

「お茶もどうぞ」


 ペットボトルに入った緑茶を渡すと、私は隣の席に腰掛けた。こし餡かカスタードクリームで迷ったけど、オジサンの先輩はこし餡で私は両方にした。やっぱり差別は良くないもんね。暫くタイ焼きを堪能し食べ終わると、これまで仕入れた情報から私が考えた内容を聞いてもらう事にする。


「私の考察を聞いて貰えますか?」

「いいけど、その後ちょっと付き合え」

「分かりました」


 どことなく緊張した面持ちな先輩に私まで緊張してしまった。何処に向かうのか知らないが、今は私の考察を聞いてもらうのが先だ。


「シセンを使う事でマインドコントロールに陥っていると思います。佳澄さんや風香ちゃんからはシセンへの依存症のように感じました。きっかけも理由も分かりませんが、早急にシセンを解明した方が良さそうです」

「依存症……か、霊的な感じはしたか?」


 先輩の言いたい事は分かる。人が簡単に死ぬなんて怨霊に取りつかれてる方が自然の流れかもしれない。でも血色は良かったから違うと思う。


「それはなんとも言えませんが、佳澄さんからは感情が無くなっている感じがしました」

「元々そういう子じゃないのか?」

「会うと実感出来ますが、心ここにあらずな状態に見受けられました」

「なるほどな。良くやったじゃないか」


 仕事の成果を認められるのは素直に嬉しい。少しは一人前に近づけたかな。私の話は終わったから次は先輩の番だ。


「先輩の件はなんですか?」

「ああ、初デートは何処行く?」

「はい?」


 この人は唐突に何を言い出すんだ?

 話の展開についていけず固まっていると、ニヤリとしたドヤ顔の先輩は嬉しそうにしている。


「さっき付き合えってお願いしたら、了承したじゃないか。言質(げんち)は取っているからな」

「……なっ!」


 それはミスリードじゃないか。汚いやり方に怒りがふつふつと沸き上がる。そうとも知らずに能天気な先輩は饒舌だ。


「社内恋愛だけど仲良くやろうな」

「…………ます」

「えっ? 聞こえなかったからもう一度頼む」

「別れます。復縁は絶対しないんで、もう金輪際近寄らないで下さい。チームも解散しましょう」


 顔も見たくないほどに先輩の事が嫌いになった。冗談も時と場合によるが、今回は最悪ケースに該当する。


「俺が悪かった。騙すような事をしてしまって……。もうしないから解散は勘弁して欲しい。今度高級寿司でもご馳走するから」


 心の中にこびりついて離れなかった怒りが高級寿司という魔法の単語で剥がれ落ちていく。自分は単純な人間ではないが、生涯に高級寿司を食べる機会などそうそうないだろう。今回だけは彼を許そう。


「まだ怒っていますが、高級寿司に罪はないので許しましょう。当面は下らない会話をしないで下さいよ。でないと、破産するまで奢らせますからね」

「分かった。本当に申し訳ない」


 毅然とした態度に先輩も下手を打てず、ただ謝るしか出来なかった。なんか微妙に気まずくなっていたが、真面目な顔した彼は予想外の発言をする。


「俺もシセンについて調べた事あるから、今から会議室に行かないか? ホワイトボードに色々書き出して分析したい」

「分かりました。宜しくお願いします」


 私達は会議室に出向いた。

 この時点で私は致命的なミスをしていた。何も持たずに会議室に行った事で、鞄に入れたままのスマフォに新着メッセージが届いていたのを気付けなかった。

 次の事件を未然に防げたかもしれないのに……。


 会議室に入るなり先輩が部屋の電気を消したので少々焦った。どうやらプロジェクターを使用するみたいだ。起動するまでの間にプロジェクターの本体と先輩が持ち込んだノートPCをHDMIケーブルで接続していた。その間私は椅子に座り暇を持て余していたけれど、静かな部屋でファンが回り始める音が聞こえだすと部屋の壁に光が当たりだした。


 出所を探すとプロジェクターのレンズ部分から出ているようだ。先輩がキーボードをカチャカチャ操作するのに連動して、映像が映し出された。そこにはシセンアプリのアイコンの梟が映っていた。デフォルメされた梟を今では畏怖している。可愛い描写に油断させといて、人間の魂に狙いを定めるハンターのように息を殺し待ち続けているようだ。


「ちょっと、俺が軽く箇条書きでまとめた内容で申し訳ないが、お互いの認識を一致させる為にも一通り話をするからな。ただしネットで調べた内容なんで、間違っていたら指摘してくれ」

「はい、お願いします」


 プレゼンテーションで良く使われるパワーポイントで作成した資料のようだ。彼が仕事で優秀なのは何事も手を抜かないできちんとしているからだろう。そういう所を吸収していかないと、一人前と呼ばれないのかもしれない。ノートすら持ち込まなかった自分が恥ずかしい。

「まず、シセンは多機能アプリというだけあって豊富な機能が揃っている。大きく分類すると9つの機能がある」


 画面上には箇条書きにした機能が表示されていた。


 ・テキストチャット機能

 ・インターネット電話

 ・ネット検索

 ・目覚まし

 ・動画・静止画再生

 ・カメラ撮影

 ・音声占い

 ・自動翻訳

 ・ダイレクトインストール


「まず、テキストチャットだけど、これはよくあるSNSの一般的な機能だろう。予約送信もあり、記念日とかに予め設定しておけるのは芸が細かいと思う。ただし、企業が提供しているのは簡単に画像などをスタンプで押すように貼り付けたり出来る。そういう面ではかなり劣っていると思う」

「そうですね。グループ内でチャットは可能ですが、それだけに着目すると企業が提供しているアプリの方が優秀ですね」


 改めて説明されると、多機能は便利だけど、一つ一つの機能で比べると、もっと優秀なアプリが存在するので、ショッピングモールみたいに一回で済ませたいユーザー層向けなのかもしれない。色々とインストールするのが面倒な人もいるし、画面上がアイコンで埋まるのを嫌う人は少なからず存在するので需要はあるだろう。


「インターネット電話は一般的なインターネット回線を利用して通話出来る機能だが、このアプリはシセンアプリを通さないと出来ないので、普及率が少ない点から顔見知り限定かもな」

「チャットか電話の選択が出来る点はユーザー側からすると便利ですけどね。その辺は別のアプリでもあるので珍しくはないですが」

「そういう意味ではネット検索、動画・静止画再生、カメラ撮影も同様だよな。シンプルで使いかもしれないが、一度でも使ってみたか?」

「すいません、気軽に使うのは怖くてまだです」


 この事件を追っている立場なのに、全然使っていないのは致命的なのかもしれない。だけど死にたくないので躊躇していたのは事実だ。もしかして咎められるのかと思い内心ヒヤヒヤしていたが、そんなことは杞憂に終わる。


「忠告するのを忘れていたので後悔していたが、真冬ちゃんの選択は間違っていない。いくら仕事とはいえリスク過多な事はやらなくてよい。労災にならない可能性だってあるし、やるだけ損だからな」

「あ、ありがとうございます」


 私は仕事のやり方に対する引き出しが圧倒的に少ない。もうすぐ丸一年になるが、先輩の補助があって成り立っているし、まだ記事を任されていない。先輩はまず私の自由にさせてくれる。その上で間違っていると指導してくれる。今回は死ぬ可能性があるので言い忘れた事に後悔していたらしい。本当に面倒見がいい人だ。


「ここから本題に入るが、目覚ましと占いは結構凄い機能だ。登録した声を分析してまるで本人が話したように喋るらしい。記事を読むと本人と錯覚するくらい流暢に話せると書いてあった。世に浸透している機能はまだイントネーションの点は改善の余地があるので、思わず感嘆の声が出てしまう」

「ちょっと分析する上で聞いてみたくなりますね。目覚める時の声が好きな人なら尚更使いたい機能ですね」

「ああ、だけど俺は疑問に思った事がある」


 私の向かいの席に座っている先輩はプロジェクターからの光に照らされて顔に陰影が出来ており、普段のおちゃらけた様子は微塵もない。私には分からなかった疑問点に対する欲求を抑えられなくて催促してみた。


「疑問点とはなんでしょうか?」

「声の登録画面が占い機能側だけにしか存在しない。これって変だよな?」

「……っ! 言われてみればそうです」

「俺は作者が占い機能を使って欲しくて推しているように思える。人によっては占いに全く興味がない者もいるだろう。でも声を登録した後に占いも試してみたくなるじゃないか」

「女性は割かし占いに興味ありますが、男性なら女性程多くないかもしれませんね。でも声を登録出来たら一回くらいは試すと思います」


 これがベテラン記者の実力なのか、先輩が優秀なのか定かではないけど、その洞察力には舌を巻いてしまう。それと同時に嫌という程、自分が半人前だと認識させられる瞬間でもあった。


「次にダイレクトインストールだけど、これは凄い機能なんだ。仕組みが分かるか?」

「すいません、そういうのに疎くて良く分かりませんが、無線通信でやり取りするんですよね?」

「使う側からすると、わざわざダウンロードしなくても知り合いに入れて貰えるから便利機能だけど、これはNFCと呼ばれる近距離無線通信を利用している」

 聞き馴染みがないフレーズが飛び出した。スマフォを買う時に各社のスペック一覧にその名前が載っていたような気もするが、そもそも気にしていなかった。

「これはNear Field Communicationの略だけど、約十センチの距離で無線通信出来る機能だ。欠点もあって通信速度が106~424Kbpsで非常に遅い。だから作者はNFCを起点としてデータ送受信の速いBluetooth(ブルートュース)で通信させているんだ」

「へー、話を聞くと凄い事やっているんですね」

「ああ、でもなんでここまでする必要があるだろう。元々QRコードを表示して相手にダウンロードさせる機能もあるみたいだけど、これは既にネット上に存在していないので、Not Foundと表示される」


 用意周到と言えば聞こえはいいけど、そこまでサポートする必要があったのかは疑問に残るわね。思考を巡らせていると、部屋の明かりがぱっとついた。暗闇から急に明るくなってので眩しくて視界がチカチカしている。目頭を押さえていると先輩がホワイトボードに何かを書き始めた。


「先輩、ノート取りに行ってきますね」

「ああ、俺は書き出しておくから、ついでにコーヒー持ってきてくれるか?」

「わかりました」


 先輩は財布から三百円を取り出して渡してくれた。自販機で一杯百三十円だから私の分もあるみたいだ。このさり気無い気配りがあれば彼女なんて出来そうだけど、たぶんあの口が災いしているのだろう。少々うっとおしいの口調は否定出来ないものがある。


 部屋を飛び出てから席にたどり着いた時にふと思う。ノートの他にシセンをインストールしているスマフォが必要じゃないかな。スマフォを鞄の中に忘れていた事に気づいた。新着メッセージが届いており、開いてみると思わず凝視してから先輩の元に駆け寄った。そこには以下の内容が書かれていた。


『真冬さん、佳澄と連絡とれずに行方不明なんです。あたしどうしたらいいのか分かりません。連絡待っています』


 会議室のドアを少々勢いよく開けると、いきなり押し寄せた私に先輩は目をパチクリさせていた。

「先輩これを見てください。佳澄さんが失踪したそうです」


 スマフォを見せると先輩は言葉を失ったように立ち尽くしていた。先輩からの返事を待っていると、コンコンとドアをノックされて誰かが部屋に入ってきた。編集長だった。私が慌てていたので、追ってきたのかもしれない。二人して固まっていると彼が口を開いた。


「お前ら何しているんだ?」

「えっと……、ですね」


 上手く伝えきれない私にやきもきしたのか、先輩が代わりに答えてくれた。


「シセンについて協議していました」

「例のやつか、……っで、何か分かったのか?」


 てっきり勝手に業務外の事をして叱られると思っていたが、そうでは無い様子だ。先輩がこれまで起きたことや現段階で分かっている点を説明していると、途中で相槌を打ちながらも真剣に聞いていた。時折質問を交えていたが先輩は丁寧に答えていた。私は一刻も早く立ち去りたいので、ダメもとでお願いしてみる。


「編集長お願いがあります。シセン解明の許可をお願いします。その上で佳澄さんの失踪に協力したいので外出する許可を下さい」

「俺からもお願いします」


 私が頭を下げると、一緒に先輩も下げてくれた。今度こそは許可してもらうように心の中で念じながら頭を下げ続けていると、ため息が聞こえてきた。声の主は方角からして編集長で間違いがない。


「分かったよ、お前らの情熱には負けた。ただし他社よりも先にうちがスクープ頂くからな。哲平、この前の仕事は別の奴に回すからお前らはシセンを追え」

「「はい!」」


 私たちは大井町駅の改札前で風香ちゃんと待ち合わせをした。時刻は18時に差し掛かる時に、無事に彼女と再会できた。ここの駅は改札口が複数あり、東急線だと別改札なんで間違っていないかとハラハラしたが、どうやら取り越し苦労だったようだ。彼女は私たちに会うなりお礼を言ってきた。


「真冬さん、長谷川さんありがとうございます。とりあえず、学校に向かいたいので歩きながら話しますね」

「ええ」


 先輩に渡されたICレコーダーをポケット中で作動させたが、喧噪したこの場所ではたしてうまく声を拾って録音出来るのか心配になる。後で検証する為にも必要なのだが、そこは高性能に期待を寄せるとしよう。先輩も手帳を手に持ちいつでもメモが取れる準備は出来ている。


 私から質問するけど、佳澄さんが不在になってどれくらい立つの?」

「分かりません。あの後彼女とも別れたんですが、家に帰ってから電話すると繋がらなくて佳澄の実家に掛けたら戻ってきていないと言われました。その後何回か電話してたのですが、その度に帰っていないと言われて……」


 顔面蒼白な様子が手に取るように伝わってくる。友人を次々に亡くしているから最悪を想定しているのだろう。風香ちゃんは喜怒哀楽がはっきりしているので症状は軽いのかもしれない。佳澄さんも心配だが、彼女にも気をつけておかないと。


 しばらく歩いていると彼女らが通っているT高校が見えたので風香ちゃんは学校に入っていった。部外者の私たちは外で待機している事しか出来ない。校庭では部活動に励んでいる学生達の元気な声が聞こえてくる。


「先輩は佳澄さんが既に亡くなっていると思いますか?」

「んー、これまでの経緯からその可能性は高いだろう。ただ失踪したと分かったのが早いから助ける事も可能かもしれない」

「見つかるといいですよね」


 三十分程待っていると風香ちゃんが戻ってきた。一人だったので彼女はここには居なかったらしい。学校捜索は空振りに終わった。新たな情報をゲットしている感じにも見受けられないので、進展はなさそうだ。


「真冬さん、佳澄は来てないみたいです」

「他に心当たりないの?」

「あの子、本好きだから本屋とか図書館にいるかもしれないけど」


 学校に来ている思惑が外れ、すっかり自信喪失しているようだ。風香ちゃんによれば佳澄さんはインドア派なので家にいる事が多いそうだ。それが居ないのなら探し出すのは並大抵のことではない。


 私たちは彼女の考えられる場所を手当たり次第に訪れてみたが、全部空振りに終わった。時刻が二十時を回ったところで一旦お開きにして明日捜索を再開する事にした。


 次の日に彼女を見つける事に成功するのだが、発見したのは早朝に犬の散歩をしていた主婦だった。多摩川の河川敷に20名くらいの水死体が浮かんでいた。その中の一人が佳澄だったのだ。結局、私たちは彼女を助け出すことは叶わなかった。


 私は思い出したかのようにスマフォを取り出してシセンアプリを起動させた。タイトルバーは水色に水滴のような模様が浮かんでいる。私は確信した。これは死を予兆させていたのだ。今回の失態を肝に銘じこれ以上は遅れを取らないように心に誓いを立てた。

 それが実現する筈もない幻想だと知らずに。

 


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