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第9話 因と縁

       -9-


 見渡しているのは、誰一人の気配も感じられない学校の、しかも古ぼけたフォトグラフのように彩色を失った情景。敵と対峙して立つグラウンドがやけに広く感じられていた。


 男は()(はら)(とう)(じゅう)(ろう)と名乗った。

 不意に目の前に現れ、一方的に命を取ると宣告した武人は、奇襲を潔しとせず他者を巻き込むことを避けた。藤十郎はあくまでもハルと差し向かいで勝負することを望んだ。


 律儀なことだと感心するとともに、ハルはこの人型の妖怪も何事かやんごとなき事情を抱えているのではないかと思い見た。


 勿論その推測は手前勝手な思い込みでしかないが、それでも相手の意図を汲むことで無用な戦いをせずに済むかも知れない。


 ハルは一計を案じる。意を決して地べたに座り込み、陽炎のようなものを背負って立つ男を見上げた。後日の果たし合いを承諾させ、この場を凌ぐ。暗殺を企てる者に、はったりが通用するかどうかは分からないが、潔癖さを思わせる相手ならば何とかなるかも知れない。


「なんのつもりか?」

 怪訝に眉根を寄せて藤十郎が問うた。


「きっとあなたにも何か事情があるのでしょう」


「初見の妖者にも忖度するとは。余裕か、それとも潔く身を捨てたか」


「死ぬつもりなんてありませんよ」

 ハルは死に恐怖を感じない。それが、一度に全ての家族を失うという悲劇を経た為なのか、黒鬼事件の際に何度も死線を乗り越えてきた経験値によるものなのか、今となっては分からなくなっていた。


「ほう、なかなかの胆力をみせる」


「話し合いましょう。あなたの事情を聞かせてください」


「そのことなら先に言った。聞かせたところで死にゆくお前の身に変わりは無い。意味は無いと」


「どうあっても聞き分けてはもらえないと」


「くどい」

 吐き捨てると、藤十郎は右手に槍を呼んだ。


 浅葱色の瞳が鈍い光を放つと無表情の中で僅かに口角だけが上がる。藤十郎は、持ち上げた武器を頭上でクルリと回転させてから穂先をハルに向けた。合わせて彼の全身から闘気が立ち上る。正面から威風を受けてハルの前髪が揺れた。


「正々堂々、というわりには二対一ですか」

 たじろぐこと無く感じたことを口に出した。そうして、座り込むハルの眼は睨み上げながら藤十郎を透過して彼の後ろを見た。


「ほう、これに気付いたとはな」


「誰だって気付くでしょう。そもそも、一番初めの声とあなたの低い男の声は違う。それに何より、後ろのそれは尋常の者ではない」


「声?」

 束の間、十郎が思案するように首を傾げる。だが直ぐに気を取り直してハルを見定め言葉を続けた。


「それは謙遜だぞ、蒼樹ハル。よくぞ気付いたと褒めてやる。それと、安心するが良い、お前の命はこの俺が手ずから刈り取る。後ろの者には手出しはさせぬ」


「そうですか」


「さあ、もう良いだろう、立て。立って死合いをしよう」 

 藤十郎の鋭い気勢に押される。取り付く島もない。


 僅かにも事態打開の取っ掛かりを掴んだと思えたのだが、さてどうしたものか。

 ハルは腕を組んだまま唸った。これは、困ったことになった。場を切り抜ける手立てを再検討するも、為す術もなければ妙案など浮かぶはずもない。さあ、と声を掛けられても、殺し合いをしようと誘われても、ハルは対抗するべき手札を持ち得ていなかった。


「あの、藤十郎さん。ちょっといいですか?」


「なんだ? まだ何かあるのか」

 藤十郎が僅かに気合いを緩ませ困惑した。


「あなたはなかなかの武人であると見受けました。殺すことが目的なら不意打ちすれば簡単だったのに、こうして場を整え、一対一の情況で正面から向き合っている」


「だから何だ」


「その様なあなたは、そのような立派な武器を見せ、正々堂々と立ち会おうとしているのだけど――」


「それがどうしたというのだ。この際に口上で延命を図るとは見苦しい。些か失望したぞ。抗いもせず命乞いとはいい加減にしろ。お前も『雨』と言われる男だろう」

 藤十郎は呆れた様子で槍の穂先を揺らし決闘を促してきた。


「不公平です」


「何がだ」


「あなたには武器があるのに、僕には無い」


「…………。はあ?」

 藤十郎が思いも寄らなかったといった具合に拍子抜けした。


「だから、僕は丸腰なんですよ。これってあなたの流儀には反することになりませんか?」


「――お前……。『雨』だよな?」


「まぁ、不承不承ですが、一応、そうなっているようです」


「お前には二刀があるだろう」


「いやだなぁ、ここは学校ですよ。そんな物騒なものここには持って来ていませんよ」


「ならば呼ぶが良い。あれはお前に従っている。求めれば直ちに姿を現すだろう」


「すみません、やり方が分かりません」


「…………」

 当惑しながら額に手を当てると、藤十郎はげんなりとして肩を落とした。


「ボクは逃げません。約束します。そういうことで、果たし合いは次の機会に」

 いつしか藤十郎の殺意が薄れていた。おそらく、ハルの言葉が藤十郎の武人としての矜持に上手く作用したのだろう。これでとりあえずは急場を凌ぐことが出来る。


 相手はハルの命を狙ってここまで来た。ならばこの先もまた自分の前に現れるに違いない。その時には戦うことになるのかもしれないが、この場は何とか収めたい。事情も分からずに殺し合うことはしたくなかった。


 隙を見てハルは立ち上がった。次は交渉だ。期日を約束すればきっと話に乗ってくるに違いない。そう見通して相手の方を向く。収拾を算段してハルが口を開こうとしたその時だった。突然、何かの刺激に反射するかのように藤十郎が顔を上げた。


「――雨様、後ろ!」

 危機を知らせる叫び声。あとを追ってきた緋花が、校舎の影から飛び出る。


 藤十郎は既にハルを見ていなかった。武人の厳しい視線が上方に向かう。間髪を入れずに藤十郎の背後から影が飛び出した。――なんだ?


 黒影が飛び出した先、その影の正体を認識するより早く、ハルは校舎の屋上にセーラー服の少女を見つける。


 不敵な笑みを浮かべ真っ直ぐにハルを見下ろす少女。風に戦ぐ短髪の、その黒髪の隙間から眼光鋭く獲物を捉える碧眼は敵意を剥き出しにしていた。


 藤十郎の後ろから飛び出した影は、空間を泳ぐように長い胴体をくねらせ校舎の屋上へと向かい少女に襲いかかった。刹那、迎え撃つ少女の瞳に力が籠もった。


「なにを間違える。お前の敵は、私では無いだろうに」

 いって少女が片手に取り出した数枚の紙が宙を舞うと、瞬く間に障壁をなし襲いかかった妖怪の体当たりを受け止めた。


 薄いガラスを張ったような障壁だが、妖怪の巨体を受けてもビクともしなかった。いや、それどころか、青の光を放つそれは軽々と相手の威力を抑えてなお押し返している。


(おお)()(かで)とは珍しい。このような伝説級の化け物を拝めるとは」

 少女は微笑みを浮かべ余裕を見せた。


「……オオムカデ? あれが、百足?」

 確かに一見して百足の姿をしているが、本質的には全く別の何かに見える。――なんだろう。


 ハルは目を凝らして百足の正体を見極めようとした。その眼前で鎌首を(もた)げた妖怪が一転して距離を取り雄叫びを上げ再び挑んだ。

 牙を剥き少女に襲いかかる妖怪。待ち受ける少女はフッと笑みをこぼすと、徐に印を組んで傍らに太刀を呼び出し妖怪を待ち受けた。


「……あれは、()(がらす)(まる)、何故あれがここに」

 ハルの傍らで緋花が疑義を溢した。


「コガラスマル?」


(きつさき)(もろ)()(づくり)、鋒が両刃となった独特の造り込みとなっているあの刀は、黒の里に伝来する宝重にして黒様の一刀……。しかし、あれが何故、ここに……。あの子供はいったい誰……」


 呟くように太刀の来歴を話ながら、緋花は必死に何かを思い出そうとするように目を閉じた。

 太刀を下段に構え切っ先を後方に下げると、校舎屋上から少女が飛び上がる。

 宙へ舞った少女が気合いの籠もった雄叫びを放つ。

 手に持つ太刀が無軌道に交差しながら妖怪へ叩き付けられた。

 鋼と鋼が打ち合うような甲高い金属音を聞く。

 澄んだ音色がまるで鐘の音のように周囲に響き渡った。


 少女の凄まじい連撃にハルは息を呑む。だが、攻撃を受けた妖怪を見ると、無数の太刀を浴びせられた大百足は造作も無いというような素振りで悠々と振る舞っていた。


「その外骨格、やはり神器クラスの玉鋼か」

 少女が含み笑い、独りごちる。


 ハルは混乱していた。いったい何が起こっているのか。戦いは既にハルの存在を無視して藤十郎らと少女のものとなっている。目の前で繰り広げられる戦闘は、これまで目にしてきたものとは次元が違っていた。


 藤十郎が見せる華麗な槍裁きに感嘆を漏らす。

 あの黒鬼事件が解決を見た日から、ハルもそれなりに鍛錬を積んできていた。

 剣の師は、鬼の呪いから解放された折りに付喪神となった武者で、名を(おお)(みね)(けん)()(ろう)(よし)(ちか)という。師は旧来、仙里の養い親であり、その昔には黒鬼の首領と渡り合って刺し違えたほどの猛者だった。


 ハルは、正真正銘の強者に教授を受け、多少なりとも心得が得られたと思っていた。だが、この日それが妄想に過ぎなかったことを思い知らされた。目にしている者達は明らかに格が違う。殊に、異常な戦闘力を有する化け物らを向こうに回して余裕を見せる少女は破格であった。


 果たしてあの黒髪の少女は何者なのか。

 彼女は藤十郎の影に対して「敵は私では無いだろうに」と訝しんでいた。口調から察すれば、藤十郎らと少女が結託しているようには思えない。


 情況が分からない。……藤十郎の影は何故に彼女に向かっていったのだろうか。敵の敵を味方とするのなら、百足と少女の標的は揃ってハルということになるのに。

 呆然と立ち尽くして戦況を眺めていると、にわかに背に緊張が走った。


 予感――戦況が動く。

 戦いの最中、少女が太刀に口付けをした。その振る舞いにハルは目を凝らした。

 少女が大百足の頭上へ飛ぶ。高く、高く。以後、急降下した切っ先が大百足の眼を捉えた。途端に大百足がもんどりを打ちもだえた。


「大百足の弱点は人の唾液と聞く。伝承通りならば、これで決められたはずだ」

 着地した少女がハルらに背を向けて台詞を吐く。


「尋常の勝負に横やりを入れる無礼者が、ここまでやるとはな。腕は一流、だが、その卑怯極まりない所業は褒められたものではないな」

 傷ついた大百足を背に庇うようにして藤十郎がいった。


「何を言う。仕掛けてきたのはお前達の方だろう」

 振り向き、少女が目を細めた。


「何者だ? 何の故あって我らの邪魔をするのか。蒼樹ハルの助太刀とも思えぬが」


「私は、黒鬼衆、鬼屋敷清貞が一子、笛。父の遺言に従い、そこの似非(えせ)(もの)が奪った太刀をもらい受けにきた」


「……似非だと?」


「そうだ。そこの蒼樹ハルは断じて雨の陰陽師などではない」


「何故、そう言い切れるのか」

 藤十郎が尋ねると、笛はやれやれと溜め息をついた。


「お前達こそ何だ? その力量、並ではない。有象無象の物の怪ではないだろう。なぜ蒼樹ハルを襲った」


「我らは……」

 堂々と名乗った笛に素性を尋ねられ藤十郎は戸惑った。


「口ごもるか。おおかた、そこの蒼樹ハルを雨の陰陽師だと聞き及び、血肉を喰おうとして狙ったのだろう。物の怪の考えそうなことだ」笛は軽い調子で言って「――下賤のすることだな」と、最後に付け加えた。


「下賤だと」

 笛に毒づかれた途端、藤十郎は眉をつり上げ怒気を露わにして鬼屋敷笛を睨み付けた。

 彼は鬼のような形相で再び槍を構えた。何が彼の逆鱗に触れたのか。全身から発せられる闘気は先程を遥かに凌いでいた。


 察した鬼屋敷笛は、何も言わず静かに太刀を構え体勢を整えた。


「あなたは、何者ですか! その太刀は」

 間合いを取り合う猛者の間に割って入ったのは緋花だった。


「何者だ? 知った風なことを言うではないか。……そうか、その妖気には覚えがあるぞ。お前が緋花というやつか」

 チラリと視線を動かし笛は尋ねる。


「そうです。私は緋花、あなたは……あなたは何者? なんで、なんであなたが黒様の太刀を持っているのですか!」


「やれやれ、面倒な奴がまた一人増えたな」


「盗んだのですか! まさか、ボクイ様が……」


「ボクイ様の姿は、既に里には無かった。……笙子の、姿も」

 ハルは、語る笛の姿に束の間の悲哀を見る。


「あなたも黒の里の者でしょう。ならばここは一度引いて下さい。蒼樹ハル様は、まごうことなき雨さまです。黒の者が主を害することなど許されないわ」


「雨の陰陽師との縁は切られた。主従の関係も失せている。そしてそいつは、雨では無い」


「なんて石頭なの、この、分からず屋!」


「お前の方こそ、このような所にしゃしゃり出てくるな。ましてや、お前には黒や雨さまを語る資格など無いのだからな」


「私は……」


「お前は呪い。穢れた者だ」


「……私は」


「千数百年もの長きに渡って、黒を朱に染めてきたお前は、黒にとって忌むべき者だ」


「…………」

 緋花はジッとして押し黙ってしまった。


「お前は、笙子の精気を吸い取っていた化け物。いや、歴代の(おんな)達から妖力を吸い上げてきた。『カゴメ』は毒であり、穢れであり、呪いである」


「私が……呪い?」


「何故、お前が人の姿でここにいるのか、こちらが聞きたいくらいだ。私が里を訪れたとき、既に朱の花園は枯れていた。これはボクイ様の差し金なのか? それともお前が、お前の意志で里を滅ぼしてここにやって来ているのか?」


「私が……」

 緋花は崩れるようにその場に膝を落とした。落胆する緋花を、笛は疎ましげに見下ろし顔を歪めた。


「どちらにしても、穢れた化け物のことだ。お前も蒼樹ハルの命を狙ってきているのだろう」

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