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第52話 黒蝶の翹望

       -52-

 

 清らかな水気が立ち込める不可侵の領域。

 緑に囲まれた聖域は眠るように静まり返っていた。


 雨の宮、翠雨宮の最奥に翡翠ひすい殿でんを望む。

 ハルと笛はついに辿り着いた。


 横山尚仁が、さあ、どうぞといって目的の場所に向かって手を差し出す。

 ハルの傍らで笛がそっと息を吸って止めた。

 口を結び、黒鬼の宝重である太刀を握り締める彼女を蛙と蝶が促した。


「これで最後だ、行こうか」

 微笑みかけて笛の肩を押す。笛は、後ろに控えていた銀の猫を見た後、ハルの目を見つめてコクリと頷いた。


 鮮やかな朱色の鳥居をくぐると翡翠色に塗られた小さな堂の格子戸が開いた。

 暗がりに光線が差し込むその場所に時を止めた人形が現れる。

 黒の長髪、透き通るような白肌、儚げに微笑む口元。器は膝の上に手を重ね椅子に座して主を待っていた。


 恐る恐る足を運ぶ笛。蛙が太刀をといって手を出すと、笛は慌てるように「ああ、そうね」といって苦笑いを浮かべた。


 高一の夏の終わりに起きた事件。

 千三百年もの長きに渡り重ね塗られてきた遺恨も遂に果てた。雲華の水鏡はハルの手により再び宝珠と鏡に分けられた。白龍、瑤華の宝珠は夫と白雪を伴い天に戻った。竜王に夫の復元を願い出るのだという。


 竜の親子は去った。それでもこれで最後ということはない。白雪と名付けられた小夜はハルが生きているうちは現世に縛れているので、いずれこちらに帰ってくることになるからだ。

 だから淋しさなどはない。――といいながら、実は一つ、危惧していることがあった。内心には少しの戸惑いとドキドキ感がある。ハルの身体はまだ白雪の腹の中に収まっていた。ちゃんと返してくれるとよいのだが。


「蒼樹ハルよ、此度のこと、言い尽くせぬほどに感謝している。ありがとう」

 銀の猫が頭を下げた。


「黄櫨さん、まだ終わっていませんよ。それに……」


「それに?」


「感謝するのは僕の方です」

 黄櫨が仙里の身体に入ったのには理由がある。事件の後、そのことを驟雨に教えられた。


「あなたは、仙里さまを命がけで守ってくれたのですね。あなたがその身体に入ることによって仙里様は害されずに済んだと、そう、聞かされています」


「驟雨も余計な事を、そのようなことは話さずとも良いのに」

 黄櫨がフッと笑みをこぼした。


 一連の事を画策したのは黄櫨と驟雨だった。

 藤十郎にハルの居場所を伝えたのは驟雨。黄櫨は頃合いを測り緋花を宿らせた笙子を送り込んだ。そうしてまんまと、因果律を集めた場所に冨夜を誘き寄せることに成功する。その巡り合わせは図らずもその場に鬼屋敷笛と揚羽を呼び込むのだが、その成り行きも、ハルが真に束ねる者ならば必然であるのだと黄櫨は語った。


「あなたが望むなら、この銀の梨を依代として残ることも出来るのですよ」

 ハルは異界から持ち帰った銀の梨を手に、断られることを承知で尋ねた。


「ありがとう、優しいの子よ。しかしながら、私にはもう、この世に思い残すことはないのです。それに」


「それに?」


「もう墓を用意してしまっているのです」

 黄櫨は微笑む。穏やかに後始末を語った。


「……黄櫨さん」

 ハルは蛙が手にする小烏丸を見た。


 その昔、揚羽は冨夜に害されてしまう。雨の陰陽師、秋霖は呪によって命を奪われそうになった娘を惜しみ太刀に封じた。それはやむを得ないことだった。彼女を救う為には心と身体を切り離す必要があったのだと黄櫨は話した。 


 笛が笙子の前まで進む。その後に蛙と蝶が続く。 

 いよいよか。平穏を祈りながらそっと目を閉じる。気を引き締めた。まだ終わりでは無い。最後の最後まで見届けなければならない。ハルは覚悟を決めて待った。


「――そんな、なんで……」

 心静かに待ち受ける耳が苦痛を伴う笛の呻き声を受け取る。


 これも仕方の無いことだとハルはきつく眉を寄せ感情を抑えた。

 ごめんよ、心の中で笛に謝り次の筋書きを待つ。

 何者かが、そろそろとこちらに近付いて来た。

 気配からその姿を認識しゆっくりと目を開く。

 ハルの前に跪く笙子の姿があった。


「戻ったのですか」


「はい、雨様」


「揚羽、これからどうされるおつもりですか? 今度は僕と戦うのですか」

 尋ねると揚羽は仄かに笑みを浮かべてからゆるりと首を横に振る。

 ゾクゾクと背筋が痺れるほどの美をみせる揚羽。彼女は愁眉を見せてハルに語った。


「私も、母上のようにしてあなた様のお側に」


「それは、僕の妻になるということですか?」


「はい」

 潤う瞳がハルを見つめた。 


「僕のことを好きだと?」


「はい、さようで」


「しかし、僕には既にこの銀の猫がおりますが」

 ハルは黄櫨を見た。


「それはもう叔母上、名を授かった者はいなくなりました」


「そう、ですか」

 揚羽は未だ仙里の無事に気付いていない。それと、ハルの正体にも。


 ハルは頷いて先にある翡翠堂をみた。――これからだ、まだ秋霖の思惑に辿り着いていない。あの場所にある封印の中に何があるのか、それを見極めるまでは終わらない。


「ところで、鬼屋敷笛は」

 視線を揚羽に戻す。意を得て揚羽が太刀をこちらにと雨声に促した。


 ホッと胸をなで下ろす。どうやら笛は太刀の中で無事のようだ。

 歴代の姫は、もともと揚羽の依代となるために誕生させられた器。月桂と黄櫨は、揚羽の肉体に緋花を宿らせ血を継承させてきた。


 いま、器である笙子に揚羽が入り、太刀に笛が宿った。これで全てが整った。これで封印が解かれる。そこで揚羽は何を見て何を話すのか。


 ――笛、ごめんよ。


 身体を明け渡し、太刀の魂となる。これが器として生を授かった娘達の役目だった。それはとても身勝手で残酷な話である。ハルは口を結び悲しみを堪えた。


「揚羽、雨様の封印を」


 促すと、揚羽がコクリと頷く。

 揚羽がいよいよと翡翠殿の奥に進み封印の前に立つ。小烏丸を構える。彼女は何の感慨も見せずにその封印を断ち切った。


 金色の光が放たれると封じられていた開かずの扉が開いた。

 中から豪華な調度品が現れる。先ず目に留まったのは檜扇だった。


「綺麗な扇だね」


「ハル殿、あの檜扇は、衵扇あこめおうぎと申して、宮廷女性が正装に用いるものです」

「……そうですか」


 故を聞いて心が沈む。封印の奥に収められていたのは揚羽の為にしつらえられたと思われる調度品。どうせその様なことだろうと予測は出来ていたのだが呆れかえった。


 なんてバカバカしい、親馬鹿にも程がある。やるせなさが深い溜め息をつかせた。

 扇の後ろを見ると、衣紋掛けに艶やかな衣装が掛けられていた。その他には錦の反物に蒔絵の施された塗り物、豪華な家具。どれもこれも目を見張るような逸品ばかり。 


「まるでこれは……」


 宮廷にあがるための調度品というよりは、嫁入りのために用意された物のように思えた。ハルは秋霖の意図に思いを馳せる。

 天神地祇免状でもなく偲化の封印でもなく。系譜の伝承からは凡そ想像出来ない代物。なぜこのようなものがと目を細めると、察して銀の猫が疑問に答えるように口を開いた。黄櫨はいった。これも秋霖の愛の形なのだと。ハルは悲しい気持ちで宝物を眺めた。


「これが封印されてまで守られてきたもの。こんなものを勿体ぶって、父上は何をなさりたかったのでしょう」


 喜ぶでも悲しむでもない。揚羽は無表情のまま首を傾げた。


「揚羽、これは君が愛されていたという証しではないの?」


「これが? 愛?」

 揚羽は、「こんなものが」と言い捨てた。まるで興味が無いと冷ややかに宝物を見下した。


「父親は君を愛した。それ以上に欲しいものがあるの?」

 重ねて尋ねると、氷のように冷徹な眼差しが向けられる。その後、揚羽は馬鹿な父親のおかげで酷い目にあったと視線を投げた。口元が醜く歪んでいた。


「これは全て君のもだ。これはきっと、一族の行く末を君に託すという意味なのだろう。現雨一族の頭首は既に『雨』を放棄した。後は尚仁さんとよく話をして決めると良い」


「……雨様」


「揚羽、言っただろう。雨は君が名乗れ。僕は雨じゃない」

 肩を落としたハルは別れを告げた。


 やはり黄櫨に聞いたとおりだったと落胆し苦い思いを噛み締める。元より己が罪と罰を認めて死を決めている黄櫨の言葉を疑うつもりはなかったが、それでも一縷の望みを抱いていた。それも、もう終わり。


 ハルは踵を返し、無防備に背を晒した。

 ――揚羽よ、これが終幕である。ハルは覚悟を決めた。


 一千三百年を一夏に、短い間ではあったが色々なことがあった。夏の始まりからこれまでのことを振り返りながら歩き始める。すると、予測どおりに後ろから太刀に貫かれた。激しい痛みを感じるとともに口から想いが零れる。……君を救いたかった。


「この世に雨は一人しか要らぬ。これで終いじゃ、蒼樹ハル」

 これまで殊勝にしていた雨声が勝ち鬨きを上げた。


 目を落とし突き抜けた刀身を見つめる。太刀は寸分違わず心臓を貫いていた。

 傷みを堪えた口元から血が零れる。

 既に痛みには慣れていた。その傷の痛みは受けていた心の痛みに比べようもない。

 ハルは、太刀に貫かれたまま後ろの雨声に声をかけた。


「蒼樹ハルじゃない。言っただろう、僕は猿太郎だと」


「こいつ、心の臓を貫かれて何故に?」


「蛙の物の怪よ、自信があるのなら名乗れば良い、胸を張れよ。言えよ、主は雨だと。誰が何と言おうと雨だとね」

 憐れを思いながら空を見上げる。


「死ぬる奴が何をグタグタと」

 ほくそ笑む蛙を思い浮かべる。従僕を見れば自ずと主の器量も測れるというもの。

 ハルは、黒の後嗣、揚羽の翹望の全容をそこに見ていた。彼女の望みは一つ。彼女も長子の冨夜と同じように雨になろうとしていた。


 ――本当にくだらない。 


「永い時を待ち、望みを叶えた主のために敢えて言おう。この世に雨は降臨しない。秋霖は昔に死んだ。冨夜が話したとおり、秋霖以外に雨はおらず、後世にも現れない。揚羽もまた同じさ」


「猿太郎だの、雨は降らぬだのと、戯れ事を。往生際が悪いぞ、蒼樹ハル」

 さっさと逝け! 雨声が突き刺した太刀に捻りを加えた。

 更なる激痛がハルを襲う。


「残念だけど、こんなことでは僕は死なないよ」


「蒼樹ハル、お前……、よもや」


「僕は猿太郎だよ、蛙」


「世迷い言を、あのような芝居は誰が見ても――」


「忘れたの? 蒼樹ハルは猿翁の宮にいるって」


「まさか! いや、でもお前は、ここで血を流すお前は人間……、それに笛もお前を蒼樹ハルだと。いや待て、本当に、こいつは……」


「教えたよね。聞いていたよね、あの時」


「あの時?」


「裏の裏は表、その表が真だと誰にわかるのか。田原藤十郎にも、偲化にも冨夜にも、そして、揚羽にも、僕の真意は見抜けない」


「な、まさかお前は、この事態を読んで……」


「あの時、笛に名付けを頼まれたとき、揚羽はそれとなく名付けを妨害した。その時に僕は違和感を持った。もしかしたら、とね」

 言ってハルは黄櫨を見る。銀の猫が悲しげに瞳を伏せた。


「迷惑な兄妹喧嘩はもう止めにしよう」

 黄櫨の同意を受けてハルは最後を告げた。――これでいい。母親である月桂は、娘を生き返らせなかった。機会はいくらでもあっただろう。しかし愚を犯さなかった。その理由はおそらく、愛する人の子供達を、二度と争わせたくなかったからではないだろうか。


神具女かごめ、神具女、五芒星かごの中の鬼は、いついつ出遣る。夜明けの番人。つるかめが滑った。後ろにいるのは誰』


 どこからともなく童歌が聞こえてきた。


「な、なんじゃこれは!」

 蛙がキョロキョロと声の主を探す。ハルは振り向き揚羽を見た。つられて蛙が主の方を向く。


「あ、あれは! 朱の花、何故? 何故じゃ、朱は、竜の血は全て還ったはず」


「生まれはどうあれ、ひとたびこの世に生を受け、心を持った者は既に個なのさ。命は誰かの所有物では無い。そういうことだよ」


 緋花が揚羽を後ろからそっと抱きしめる。


「これまで犠牲となってきた数多の命。――繰り返してきたこれは、滅びよりもなお悍ましい悲劇。笙子と呼ばれるその娘にも、その前の者達にも何の罪もなかった。その身勝手の始末をつけて頂きます」


 神具女の呪いは未だ解かれていない。そのことを知っていたのか揚羽に抗う様子は見えなかった。ただ口惜しそうに美しい眉を八の字にして嗚呼と憂いを残すのみであった。


 地に崩れ落ちる笙子の肢体。揚羽と名を呼び駆け寄った蛙は膝を落とした後、折り重なるようにその場に倒れた。蛙の身体が縮んでいく。それは揚羽との契約が切れたことを表していた。


「さようなら、雨の子」


 ハルは、ただの蛙が跳ねて去る姿を見送りながら揚羽の最後を悼んだ。


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