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第45話 涅槃の虹

       -45-


 膠着状態に持ち込まれた戦場。下方の河川敷では棕櫚が蜘蛛と猿を指揮しながら善戦をみせていた。すでに偲化の姿はない。揚羽と雨声の気配は少し離れた所にあったが、彼らはハルの前に現れなかった。おそらく戦力にならぬとして潜んだのだろう。


「やけに嬉しそうに戦うんだね」


「そうか? 気のせいだろ」


「僕を殺しに来たときには、悲壮感があった」


「そうかもね」

 笛の声は弾む。彼女も戦いの最中の会話を愉しんでいるようだった。


 大刀を振るう合間に会話が出来るほどの余裕。ハルと笛は息の合った連携をみせていた。後ろを任すことが出来る同じ年頃の味方がいる。これは今までに経験の無い感覚であった。


「黒の一族は、長きに渡って雨一族から鍵を隠した。その理由は?」

 動きの拍子に背中を合わせハルは尋ねた。


「雨一族に奪われたくない何かがある。多分、そういうことだろう」

 同感だ、応じてハルは頷く。やはり翠雨宮には何かがあるのだろう。確信を深めてハルは次の敵に斬りかかった。


 軽やかに大刀が走る。それにしても敵の数がこんなに少なく思えるとは驚きだ。改めて黒髪の少女の技量に感心した。彼女は太刀を振る合間に術を挟む。巧みに風を操る笛の動きには大いに学ぶべきところがあった。


「鍵とは黒の姫と黒の宝重、それでいいのかな?」


「私は、間違いないと思っている」


「笛さんは――」


「笛でいいよ、猿太郎さん」

 笛は楽しげに笑った。


「黄櫨のことを聞いていいかい?」


「ああ」

 つかず離れず、呼吸を合わせて敵を討つ。その合間に聞かされた話を咀嚼する。


 笛の父親のこと。黒の隠れ里のこと。その里に咲き誇る朱の花園のこと。黒の姫は代々、緋花により身体と心を分けられ別々に隠されてきたという。


「緋花は黄櫨の命を受けて僕の所に来た。君はそれを知らなかった。笛とお父さんは、長と袂を分けていたの?」

 笛に疲れが見えないことを確認して話を続けた。


「どうだろう? 同じ方を向いていなかったことは否めないけど、だからといって反していたわけではないと思う」


「黄櫨は、隠し続けていた鍵を表に出した。その理由をどう考える?」


「さて、黄櫨様のお考えまでは。だが、八百年もの間、化け猫の内に封じられていた揚羽様が解放されたことが切欠になっているのだとは思うけど」


「……そうか、仙里様の中にあった黒の力と呼ばれていたものの正体が揚羽だったのか」


「仙狸? ……ああ、化け猫のことか」


「あ、ああ、そう。でも仙狸は種の名前で、呼び名が仙に里と書いて仙里センリ


「なんだそれ」


「僕が勘違いして、つい、うっかりと名付けちゃったというか……」


「あはは、何それ、……待って、それって」

 突然、笛が身を固めて立ち止まった。呟くように動く唇、何かを思いついた様子だった。


「どうしたの?」

 周囲の敵を払いのけて尋ねる。笛が難しい顔をしながら見つめてきた。


「月桂様の元の名を桂花という。月桂と名付けたのは雨様だ。もしかしたら、その名付けと雨音女には何か関連があるのかもしれない」


「名付けられた者が雨音女になる。そういうこと?」


「多分だけど、そうじゃないのかな」


「うーん、でも、仙里様は、不服そうに縛られているといっていたけど?」


「そうか! それだ」


「名を以て妖を縛る。縛るといってもそれは契約のこと。契約を交わした相手は気脈を通じさせる事が出来る。いわば一心同体のようになる。……やはり雨音女は」

 戦いをそっちのけで笛は考え込んだ。その様子を不思議に思いながらハルは見ていた。


「でもさ、それがどうかしたの? 別にそれは特別なことではないよ」


「……でも」


「紫陽と綺羅、彼女らも僕から名を受けているもの」


「紫陽? 綺羅?」


「雨の二刀のことだよ。右方の太刀、紫陽は朝露を受け輝いていた紫陽花から、綺羅はこちらにきて見上げた美しい星空を見て僕が名を付けたんだ」

 言ってハルは太刀を持ち上げて見せた。


「それは……神器、騒速」


「だから、今は綺羅だって」


「そうか、あなたは神器にも名を……。これでまた分からなくなってしまったか、雨音女とは何なのだろうね」


「雨音女なんて、ただの迷信だよ。雨だって諡号なんだろ? 雨の伝承が真実を語っているとは限らないよ」

 笛の様子に呆れて諭す。何故に雨に関わるものは伝承に拘るのか。これではまるで呪いと変わらないではないか。ハルは笛を見た。彼女は手にする小烏丸をジッと見つめていた。


「綺羅」

 太刀に呼びかけると直ぐに、委細承知いたしましたと同意が返る。そうして、綺羅が笛に言葉をかけた。「黒の娘よ」


 笛がハッと顔を上げてこちらに顔を向ける。ハルは笛に小烏丸を差し出すようにいった。

「何をするつもり?」

 ぼんやりとした笛の声を、ハルは微笑みで迎えて綺羅と小烏丸を交換する。笛の眼が驚きの色を浮かべて見開いた。


「黒の娘よ、私は綺羅、ハル様の右腕にして仇なす者を討ち果たす者。まずは見知りおきを」


「あ、ああ、はい」


「お慕いするハル様のお気持ちを汲んで、あなたに力を貸すことにいたします。私を振るうことを許しましょう。ハル様の為に存分に腕を振るうがいい」


「あ、綺羅、今の僕は猿太郎ね」


「こ、これは申し訳ございません」

 二人のやり取りを笛はポカリと口を半開きにして見つめていた。その後一言、これが蒼樹ハル、と名を口に出し、飄々としながら揺るぎなく、驕りも執着もなくと続けた。


「さて、そろそろこいつらをどうにかしないと」

 ハルは敵を見据えた。倒しても際限なく現れる屍どもをどうすれば一掃できるのか。


「あ、あの……、蒼、いや、猿太郎さん」


「ん? なに」


「あの、……その、私も願えば、その……名を受けられるのだろうか」


 請うように話す。直後、彼女は我に返る様子を見せ、慌てて手で口を塞いだ。何てことをと自戒する笛は頬を赤らめていた。

 


「必要ないだろ、お父さんが名付けてくれた大切な名は大事にしなきゃ」


「それは……それはそうなんだけど」

 口ごもる笛は、思い詰めるように俯いた。きっと心に葛藤があるのだろう。


「笛?」

 何が笛の心を突き動かしているのか。ハルはその心の内を感じ取ろうとした。もしかすると、彼女は雨音女の血筋。月桂の後継者としての責任を感じているのだろうか。


「わ、私が、正式に右方に納まることが出来たならば、父も喜ぶと……だから!」

 笛は、身体を強ばらせ引き締めた口元に決意を表した。


 真正面から真摯な眼差しを受けてハルは戸惑った。

 名は大切にするもの。名を付けろと言われて、はい分かりましたと安請け合いすることは出来ない。それは簡単なことではない。もちろん乏しい語彙力のこともあるが、笛の改名は彼女の歩んできた人生の否定にもなるだろう。捨てさせてはいけない気がしていた。


「頼む! いや、お願いします」


「笛、君は……」

 どうにか思いとどまらせなくてはと思い、頭に言葉を巡らせながら話しかけようとしたときだった。どこからともなく黒蝶が姿を見せる。


 もの言いたげに舞う蝶は、ハルの顔の前で滞空すると鼻先を掠め、誘うように飛び去った。その姿を追うと……、 


「猿太郎、どうしたの?」

 返事が出来なかった。あまりのことに言葉が出なくなっていた。


 ――あれは、なんだ!


 新たな危機が向かってくる。ハルは強烈な圧迫感を受けていた。正体は分からないが、これは不味いことになりそうだ。

 辺りを見回す。まだ誰も危機には気付いていない。急がなくては。


「いま、揚羽が危急を知らせにきた」


「危機? この戦場以外に危機なんて」

 笛は辺りをぐるりと見回した。


「笛、少しこの場を任せてもいいか」


「あ、ああ……構わないが」


「綺羅、あれが何か分かるかい?」


「あれと申しますと?」


「今から、意識を向こうに飛ばす。僕と一緒に見てくれ」

 いってハルは目を閉じ、迫りくる何者かの気配を探った。


 心の中に湧き上がる怖気おぞけ。その気配は、初めて猿鬼と対峙したときに彼らから受け取っていたものに似ていた。


 ――だが、これは段違いだ。


 ついで言葉が口を突く。

 食欲の塊、それも飢餓状態で貪り食うといった強烈な食欲が受け取れた。

 ハルは心の目を凝らした。

 それはこちらを目掛けてどんどんと近付いて来ていた。


「なんだ? 空を飛んで――あれは……鳥か? いや違う! 気配に覚えがある。あれはあの魚の……群れ?」

 ハルは思い出した。


 異界の森で、藤十郎に諭されたことがあった。一匹ではどうということもないが、血に酔った群れは手が付けられないほど凶暴になると教えられていた。

 暴食の群れが、こちらに向かってくる。


「そうか! 血か!」


 川を染めるほどに流れ出た妖怪の血を思い出し、記憶が巡る。一回目は猿鬼の襲来の時だ。ただし、あれはほんの一時のことであり、川の規模も小川程度だった。それが二回目は……。

 呼び水で魚を集め、次に大量の血で群れを一気に狂気に駆り立てる。まさかこれは用意周到に配された罠か――くそ! 填められたのか!


 ハルは唇を噛んだ。蜘蛛と猿の戦いも、ハルらがこの戦場に引き込まれたのも、死人の軍勢も、笛らがこの場に合流することさえも全て計略のうちということか。


 仕組んだのは誰か、それはもう考えるまでもない。冨夜だろう。おそらく、彼はあの学校で起きた発端の事件からこれまでのことを仕組み、ハルらの行動を読み切って動いていた。いや、全てを操っていたのではないか。なんて化け物だ。

 ハルは慚愧の念を強く持った。うかうかとしていた己を責めた。


「填められたって? それに血とはなんだ?」


「全て雨の後嗣である冨夜の仕業だったんだ。奴はこの戦場に全ての者を集めた」


「……全て?」


「そう、彼は、雨の陰陽師の後継に関わりのある者をここに集めた。僕も、笛も、揚羽も。そうしてそれらの者を一気に始末する算段だ」


「一気に片付ける? だけど、何もかもって、そんなに上手く事が運ぶのか? その推理には少し無理があるのでは?」


「確かに、無理に辻褄を合わせていると言われればそれまでだけど」

 ハルは唸った。気付けば藤十郎を見ていた。


 藤十郎に慌てる気配は見られない。この場に危機が訪れるならば藤十郎らも危ない。だが彼は槍を抱くように腕を組んだままで動かない。


 藤十郎は、あの魚のことを知っていた。当然、一回目の流血にも気が付いていただろう。この事態は予測出来ていたはず。――分からない、どうしてこんなことに。


 彼は敵なのか味方なのか……。


 もしも、今の情況が藤十郎に誘導されてのことならば……、だが、このように騙し討ちのような姑息な手段を選ぶとは到底思えない。これまでも、手助けをしてくれたことは無かったが、それでも見放されたことも無かった。彼のこれまでの言動に嘘は無かった。


「藤十郎さん、気付いていないのか?」


「気付く? 気付くって何を」


「もうすぐ、この戦場は魚の群れに飲み込まれる。やつらは全てを喰らい尽くす暴食の化物。もちろん、妖気体となっている僕達も例外なく喰われてしまうだろう」


「魚の群れ? 何だよそれ、喰らい尽くすって、ここは丘の上だぞ、どうやって」


「妖魚の暴走、それは無慈悲なる鉄槌と呼ばれるもの。よもや、これが涅槃の虹か」

 呆然と綺羅が呟いた。


「まさか! それが異界の摂理か!」

 何に勘づいたのか、笛が声を上げた。


「五行は循環する。異界では一つの気が突出して大きくなる道理がない」


「綺羅、それは?」


「この戦は五行の道理を冒す行為とみなされたのです。道理が冒されたとき、異界は摂理を用いて均衡を図る。冒した者は摂理により粛正される」


「……これが、雨声の話した異界の粛正」


「ハル様!」


 空気の振動を肌に受ける。幾重にも重なる羽ばたきの音が津波のように押し寄せる。


「来た、凄い早さだ」


「これは、なんて美しい殺意……」

 声を震わせる笛。向こうの空に虹が見えた。朧気だった虹は瞬く間に色を濃くした。


「笛、これを、これはきっと君を守ってくれる。綺羅を頼むよ」

 いってハルは着ていた衣を笛に手渡そうとした。


「ハル様!」


「あなた、まさか、死ぬ気?」


「もう間に合わない、だから」

 ハルは察しの良いことだといって微笑む。せめて君だけでも助けさせてくれと頭を下げた。


「ばかやろう! 死んで何かが出来るものか! お前は雨なんだろう」

 笛がハルの胸ぐらに掴みかかった。


「僕は、雨じゃない」

 吐き捨てるように言って、ハルは笛から目をそらした。


「なに言ってんだよ、今更」


「じきに皆死ぬ。棕櫚も、小猿も。僕はまた助けることが出来なかった。命が手水のように手からこぼれ落ちていく。そうして皆が死んだ後にひとり残されて涙を流すんだ。そんな涙に意味など無い」


「だからって、あなたが死んで私が生き残ってそれで、その世界で、雨様のいなくなった世界で私は何をすれば」


「笛、雨などまやかし、虚ろな幻想。雨など降らないし、そもそもいない」


「そんな……」

 胸にしがみついていた細腕が剥がれた。笛は地に崩れた。

 ハルは、呆然と虚空を眺める少女の肩に猿王の御衣を羽織らせた。


「笛、聞いて。僕はここで消えるかも知れないけど、だからといってまだ完全に死を迎える訳ではないんだ」


「え?」

 笛は虚ろに染まった顔を上げた。彼女の頬に手を当て微笑む。


 ――僕は……、言いかけて口を噤む。これはまるで見通しのない賭けのようなもの。これから先に何が起こるのか、それとも何も起こらないのか。


「笛、約束だ。必ず生き残れ!」


 最後の言葉を残す。ただし、無駄に死ぬつもりは毛頭なかった。

 手にした黒鬼の太刀を掲げると、その刀身を切っ先まで眺めてから天に向ける。

 天意など信じない。雨など降らない。だが敢えて言おう、お前を雨の陰陽師にはさせない。


「――最後に笑うのは僕とお前、果たしてどちらだろうな」 

 ハルの戦場は虹に飲み込まれた。

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