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第42話 異界の摂理

     -42-


 色なき瞳に心は見えず、薄い唇に情を見せず、佇む男は置物のように微笑みを浮かべていた。


「……冨夜様」


 破笠が男の名を呼ぶ。強く握り込んだ拳がおののく。彼は、風に吹かれる炎の、その光と影の狭間で揺らされながら厳しく眉根を寄せる。篝火に照らされた赤鬼の顔は困惑するように歪んでいた。

 そんな破笠を見て、男は無言のまま何も言うなと首を振る。


「亡霊か」


 雨の陰陽師の長子、こいつはもはや人では無い、茜は懐に差し込む手に呪符を掴んだまま呟いた。無論、悠久の時を思えば考えるまでもないことだ。人の寿命が時代を超えて長らえることは無いのだから。それでも、戸惑う。それは目の前に居る男が、雨の後嗣のイメージから凡そかけ離れた風体をしていたから、人としての情を欠片ほども感じ取れなかったからだ。


 冨夜に殺気はない。敵意も、僅かの害意さえも向けられていなかった。だが、警戒を解くわけにはいかない。目にしているのは諸悪の根源なのだから。


「冨夜様、今宵は何故にこちらへ」


 破笠の声は萎縮していた。相手はそれ程に恐ろしい者なのか、茜は試しに殺気を込めて睨み付けた。しかし、気迫はサラサラと涼風のように冨夜を透過するように流れていく。まるで手応えがなかった。


「じゃじゃ馬よの」

 一言、呟くように冨夜が言った。その声、柔風の如く。優しげな音は背筋を擽るように甘美な響きを伴っていた。悍ましさに吐き気を催すと動悸が胸を打った。鬼面の下に汗が流れる。父に授けられたこの鬼面がなければ意識を根こそぎ持っていかれたかも知れない。


「冨夜よ、今生、ついに束ねる者が現れた。雨の号は既に彼のもの、諦めなさい」


 小刻みに震える手を無理矢理に押さえ込む。足下が覚束なくなり景色も揺れはじめた。

 威圧されているわけではない。受け取るこの感覚は、恐怖か。

 怖い、ただただ怖い。どうしたらこうなるのか。化け物になったとはいえ元は雨の嫡子。ならば、慈雨の如しといわれた父の面影を少しくらいは覗かせてもよいものなのに。


 茜は量った。――大きな力だ。だが、ハルちゃんとは明確に違う。

 闇色の眼に引きつけられる。寒い。その瞳からは微塵も体温が感じ取れなかった。

 俄に冨夜の闇に吸い込まれていくような錯覚に陥る。四肢から力が抜けていく。

 このままではいけない呑まれてしまう――。


「冨夜様、酒呑の姫の申すとおりにございます」


 遠くに聞こえた破笠の声はどこか苦く重々しかった。それでも、続いて小声で囁かれた言葉は耳元で気力を注いだ。「しっかりと、お気を保ちくだされ」神器に気を込めるのです。

 茜は我を取り戻す。肩を捕まえる手、赤鬼の五指が力強く茜の身体を包み込んでいた。


「ああ、破笠」

 茜は膝に力を込めた。


「――雨か、そうか雨が降ったか」

 いって冨夜が天に微笑を向ける。


「冨夜様」

 再び、破笠が話かけた。だが、冨夜はゆったりと構えたまま天を眺め続けた。


「亡霊よ、去れ。去らねばこの酒呑童子の血と名にかけてお前を倒す」

 茜は呪符を取り出した。このような化け物をハルに近づけるわけにはいかない。どこまでやれるのかは分からないが、差し違えても止めねばならない。


 茜は、肩に置かれた破笠の手に自分の手を重ねて礼をいった。その後、破笠の手を剥がし依頼する。先に進み、蒼樹ハルを手助けして欲しいと。


「なりませぬ! それだけは」

 驚きの声、破笠は眉をつり上げた。


「お二方とも、慌てるでないよ」

 ゆっくりとした所作で振り向いた冨夜が、すうっと腕を持ち上げ指を指した。

 途端に指差す先にあった篝火の炎が大きくなった。


「これは!」


「なんだ!?」


「父上は仰った、雨など降らぬと。にもかかわらず皆は出現を待ち望んだ」

 今生、ついに雨が降ったと界隈が騒ぐ。ならば、その正体を一緒に拝もうではないか、冨夜が言うなり、篝火の中に映像が浮かび上がる。紅炎の光の中に次々と映し出される森の景色。


「ハルちゃん! やはり生きていた」


 茜は見つけた。森の中には百足と藤十郎、そして魚と戯れるハルがいた。やがてハルは猿鬼と戦い、後に猿の王の宮城に招かれる。その翌日か、騒速を手にした猿面の男が猿鬼を率いて出陣した。行軍の最中、別の景色に映し出された一行を見せられ茜は首を傾げた。すると、蛙と少女と蝶を見た破笠が、まさか、と驚き表情を強ばらせた。


「白眉も乙なことをしますね。しかし猿回しとは上手い言い回し、だが、残念です」


「冨夜様、残念とは」


「何をどのように行っても、悪行は見逃されぬ、といっているのですよ」


「冨夜、あなたは何を企てているのですか!」


「……企て? いいえ、これは言わば天の罰というもの」


「天罰って? お前――」


「赤き汚辱で川が穢れた。異界の摂理は、彼の者どもの悪行を決して許さないでしょう。これは粛正というもの」


「冨夜様、まさか! あの魚どもを遣って」


「魚? 魚ってなんだ! 破笠っ!」


「ハル様が戯れていたあの魚……」


「あの飛んでたやつがどうかしたのか?」


「あれは人でも化け物でも何でも喰らう暴食。勿論、一匹ではどうということはありません。しかし……血に酔った群れは……水魔と化す。荒れ狂い見境なく喰らい尽くす」


「さあ、そろそろ、夜明け」

 しっとりと日が昇り始めると、冨夜の輪郭がハッキリと浮かび上がった。涼しげな目元、物憂げな唇、色白の美丈夫は古の大陰陽師を想起させた。茜は意図せず見取れてしまった。この時初めて冨夜に感情をみていた。


 ぼんやりと立ち尽くしたまま辺りが徐々に明るくなる。森の木々の隙間から赤い太陽が姿を覗かせたときだった。突然、空気が震えた。茜の耳が音を捉える。


「羽ばたき? 鳥か? いや、なんだこれは!」


 上空に虹が架かると、瞬く間に空を覆い尽くした虹が流れていく。

 虹の正体はハルと戯れていたあの魚だった。七色に輝く魚が群れを成して飛んでいく。


「……よもや、あれが涅槃ねはんの虹というものか」

 破笠の声が怯えていた。


「美しいでしょう、その美が穢れた者どもを食らい尽くすのです」


「冨夜様、あなたは異界の摂理さえも弄ぶのですか」


「弄ぶ? 違いますよ、破笠。これも善行、積善なのですよ」

 冨夜はハハと声を出して笑った。まるで気持ちのこもらない乾いた笑い声だった。


「破笠、そして酒呑の娘よ、参りましょうか。彼の地、赤き血の花園へ。全ての因果に終止符を打つために」


「全て、でござりますか」


「そうです。これで全てが終わります。猿マネをしている者を始め、蝶と成り果ててなお、翹望を捨てきれず彷徨う女もこれで終い」


 冨夜が背を見せる。悠々と歩みを進める。

 何をどうしても間に合わないことは明白だった。

 絶望が茜を覆った。身体中から力が抜けるとそのまま地面の上に崩れ落ちた。


「……ハルちゃん」

 もう祈るしか手立てがなかった。


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