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第4話 終わりならざるもの

        -4-


 としのは数百歳の少女が、これまた数百の齢を数える少女を傍らに連れ、澄まし顔で山道を行く。吉報を胸に抱けば足取りも軽かった。


 以前にその土地を訪れてから十年が過ぎていた。

 小さかったあの女児も少しは成長しただろうか。仙里は歩みを進めながら回想の中に幼子の笑顔を思い浮かべた。


 ふと、足が止まる。


 ――定かではないが、年の頃は確か……今では十五、六ほどになっていると思うが……と、子供の年齢を数えたところでげんなりと肩を落とす。仙里は妖にあるまじき情を己の中に見つけて失笑を溢した。

 ――蒼樹ハル、あやつに関わってから碌なことがない。 


「よいのか紫陽(しよう)、雨の太刀であるお前が隷属する主の元を離れてこの様なところまで」

 仙里は、傍らを歩く少女に皮肉を言った。


「私は隷属している訳ではありませんよ。あなたとは違います」

 紫陽がキッパリと言い返してきた。


 舌打ちする仙里は、忌ま忌ましいと思いながらも反論せず、前を向き再び歩き始めた。

 紫陽――彼女は「()()の太刀」と呼ばれている。その昔、雨の陰陽師の太刀として邪を討ったという歴を持つ神器である。「抜けば玉散る……」と言われる妖刀村雨がよもや雨の太刀であったとは思いも寄らぬ事であった。


「にしても紫陽、その格好はなんとかならんのか」


「え? 何が、でございましょう」


「ヒラヒラとしたその格好、ドレスとやらは、とてもこのような場所にはそぐわない。山道を歩くには不向きではないかと」


「それを言うのならば、あなたのミニスカートもこの様な山奥には不適当であると思いますよ」

「これは存外に動きやすい。だからよいのだ」


「ふーん。でもそれ、ハル様が通われる学校の制服ですよね。仙狸さんも、なんだかんだと言ってもハル様の事が――」


「それ以上はやめろ、汚らわしい言葉を吐くな。私はあのような(うつ)け者のことなど知らん」

 胸に沸き立つ不快を払うように言って振り向くと、紫陽が紫色のツインテールを振るようにして首を傾げニンマリと笑う。


 仙里は目を細め「くだらぬ」と吐き捨て二度目の舌打ちをした。


「さてはともかくですが、仙狸さん、黒の隠れ里にはまだ着きませんの? もう随分と歩いておりますよ」


 生い茂る雑木、獣道ほどの細い山道を登る。仙里にとってここは勝手知ったる山である。単身で進むならば獣の姿の方が動きやすい。普段通りならとうに現地に着いている。


 辟易としながら目をやる。紫陽がせめて太刀の姿でいてくれるならば持ち運びは容易いのだが、何故かこの時ばかりは、彼女は他者に運ばれることを潔しとしなかった。


「じきに着く。だがそもそもはお前が悪いのだぞ」


「致し方なしです。私は人の形では人並みでしか歩めませぬのでね」


「まったく。要は村に着けばよいのだろう、形に拘るなど理解が出来ぬ」


「今更、それを言っても詮無きこと。その事については既に、出立時にご納得のはずですよ」


「納得な……」


 黒鬼の一件が片付いた後、紫陽は仙里に黒鬼ゆかりの地に案内するように頼んできた。仙里が黒鬼の縁者と知己であることをどのようにして知ったのかは分からない。

 おおかた、太刀の生みの親であるあの者にでも聞いたのであろうと予測はつく(あやつは異様に物知りであるからな)が子細には興味が無かった。


 便宜を図ってやる義理などないのだがなと思いつつ――どちらにしても一度は里を尋ねるつもりだった、と、仙里は些末事には目を瞑った。仙里には気に掛けていることがあった。突然の紫陽の頼み事も、思うその事に何かしら関係があるのではないかと妙な予感も抱いていた。


 自らの足で進むと言って聞かない紫陽。頑なに言い張る理由は分からない。人の形で歩くことについては「是非もない」と言うだけで後は語らない。やりたいようにやらせろということか。何にせよ、黒鬼と同じ雨の右方に属する彼女ならば今はなき彼の者と何か特別の縁を持っていても不思議ではない。同行の理由もそれ故の事だと予想は出来る。


「そろそろだ」 

 木立の向こうに日の光をみて言う。その先を抜ければ開けた土地が見えるはずである。


 ――しかし、


「仙狸さん、これは……」


「ああ、どうやら遅かったようだな」

 村はずれの(けい)(はん)に立ち一帯を眺める。傍らで口を引き結んだ紫陽が肩を振るわせ目を瞑る。


 一見してかつてと変わりない風景。点在する茅葺きの建物に損耗は見えない。集落の中央にある一際大きな長の屋敷も威風を保っていた。

 鳥は囀り、小川のせせらぎも回る水車もあの頃と同じ、虫も草も生を謳歌している。だが、そこに営みを感じさせるものは何もなかった。その牧歌的な景色の中には何者の気配も感じ取ることが出来なかった。


「あれから僅か十年、ついこの間のことだろうに。それくらいの月日も越えられなんだとは」

 口惜しいことだった。



 ――日は傾き、空が茜に染まった。


 仙里と紫陽は、長の屋敷裏に拵えられていた墓標の前に立った。墓の背の方にはあの頃と変わらぬ眺めが広がっていた。


「さぞかし無念であったでしょうね」


「そうだな」

 簡素に答え、墓標の前に屈み彼岸に向かって手を合わせる紫陽の小さな背中をみつめた。仙里は、前々に見たか弱き者の笑う顔を思い出していた。

 あの稚児、丈夫では無いと聞かされていたが、やはり堪えきれなかったか……。


「紫陽よ――」


「時が移ろうのは詮無きことです。それでも、今生に、ついに束ねる者が現れたことを教えて差し上げたかった。長き呪縛からの解放を一目でも見せてあげたかった」


「……そうだな」

 永遠に叶わぬと思われた願い。しかし、潰えた希望といえども転じるときには呆気ないほど簡単に事態が動く。結果、呪いは解かれ黒は解放された。仙里も八百年の呪縛から解き放たれた。


「万事全て良しとはいかぬか、巡り合わせとは奇なるものだな、とはいえ残念だ」


「……間に合わなかった。ならばせめてこの場で始末だけでもお見せ致しましょう」

 いって紫陽は懐から小さな包みを取り出した。


「紫陽、それは?」


「黒水晶、朋友でございます」

 紫陽が微笑みに哀悼を混ぜていった。


「朋友、……そうであったか」

 よもや呪いの残滓がこのように結晶の形で残るとは思いも寄らなかった。


 紫陽が包みを解いて取り出した漆黒の六角柱、その石が醸し出す気配はよく知っている。仙里の内にあった頃は、人の魂と混在された魂魄のようなものであった。それは仙里の中に八百年の長きに渡り収められていた黒鬼の力と呼ばれていたものだった。


「ハル様によって、くびきを解かれた我が朋友の魂魄を此度、天へと」

 紫陽が願うように両手を持ち上げる。すると、天に掲げられた黒水晶が夕焼けの中で砕け散り、一匹の蝶が姿を現した。


「……黒蝶(くろちょう)

 羽ばたきは優雅だった。ひらひらと舞うが風に流されるような弱さは見えなかった。

 ――美しいものを見た。そう思いながら仙里は黙して舞う蝶の行く先を追った。


「さようなら、(あげ)()

 名残惜しげに舞った蝶は、やがて枯れた花園の向こうへと姿を消した。


「気は済んだか、紫陽」


「はい、ありがとうございました」


「礼には及ばぬ。私も、ここの者達のことが思い残りだったから。故郷とも言えるこの里で黒は解放された。これで全てが終わった。良い報告ができたと思う」


「やはりあなたは風変わりな化け物、いや、あなたは(せん)でしたね」


「フン、どちらでもいいさ」


「あら、拘らぬのですか? それはもしかするとハル様に縛られておるが故でござりまするか?」

「今は嫌な事を思い出させるな」


「嫌、なのでござりますか?」


「そうだな。嫌だな。しかし、雨たる陰陽師に縛られたとなれば逃げるわけにもゆかぬだろう。自力で脱する手段もないなら仕方なしでもある」


「仕方がない?」


「そうだな、仕方がないことだな。それでも悲嘆などはしておらぬ」


「あら、あの仙狸が、これはどういう心変わりか」


「不思議ではないよ。焦れることでもないだろう、と、これはそういうことだ。縛られたといっても相手は人間。人の寿命など知れている。どうせ直ぐに死んでしまう」 

 いって仙里は大と小の墓石に目を落とした。


「仙狸さん、大きい方がこの里の長のものだとして、傍らの小さいものは?」


「確たることは言えぬが、恐らくこれは一族の最後の希望が潰えた証しだろう」


「一族の希望?」


「十年前だ、ここにはまだ一人の女児がおった。墨衣はその子のことを消えゆく一族の最後の希望だと言っていた」


「女児?」


「黒の力を受け継ぐことが出来る器であると聞いている」


「器……でございますか……」


「違うのか? 先程の黒水晶、朋友と言ったが実際は魄ではない。あれは黒の力が封じられていたものだろう?」

 仙里が問うと、紫陽は束の間なにかしら思い巡らせるように目を閉じた。


「たしかに、あれは揚羽ならざるものであり往年の朋友そのものではありません。しかしながらあの黒水晶は力とやらを封じていたものでもありません」

 ゆっくりと紫陽が目を開く。仙里は首を傾げた。


「あれは先代が残した道標です。言うなれば、終わりならざるを告げるもの」


「おい……」

 聞いた仙里は唖然として紫陽を見た。


「あれは鍵、あれは導く者、英雄譚はこれから始まるのです。あなたは、そういう者と縁を持ったということです」

 紫陽は悪戯顔で含みのある笑みを返した。

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