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第38話 進軍

       -38-


 息苦しさを伴った夜の森に光が差す。いよいよ空が白み始めた。

 色彩を帯びる木々の合間で空気に混じる水気を感じ取る。


 ――この水音は、


 猿鬼の軍勢は夜を越して森を抜け川の畔に達した。

 ハルは背筋を伸ばして眼を開いた。清涼な風が心地よく身体に染みる。幅広の川に水は少なく、浅瀬に出来た天然の堰を越える水流が所々で白銀色の水飛沫を上げていた。キラキラと朝陽を照り返す水面を見つめて目を細める。ハルは浅い呼吸の後に固く口を結んだ。鼓動が逸る。


 一糸乱れぬ兵が川岸に沿って隊列を並べる。猿鬼の一軍はハルを陣の中央に据え一様に遠くを見つめた。


 流血を目前に清浄な水気を嗅ぐ。水際に立ち対岸を望む。川向こうに更に続く樹海。その緑樹の中にポツリと突き出した岩山が猿鬼達の棲む根城である。


 軍勢の意気は上々。息一つ、物音一つ立てない獣の群れの、その静けさが不気味に士気を醸し出していた。決戦がいよいよ間近に迫ってきた。


 川の幅は凡そ百メートルで深場は見えなかった。

 ハルは目を閉じた。心を静めるためではない。敵の気配を探る為である。

 先の大軍との実戦を経て要領を掴んでいた。見渡す森林の中に殺気があればそれが即ち敵対する者である。


 伏兵を数える……一塊が三十あまりでそれが……十、ざっと三百か。

 徐に敵の数を口ずさむが、そこに悲壮感はない。双方の戦力を比較しての勘定は問題ではない。考えねばならないのは彼らの能力の方である。決して侮れないだろう。藤十郎と小夜のことは気にする必要は無いが、己の振る舞いには危惧がある。


 この時、自ら死地へと踏み込んだ覚悟がハルに舞台の様相を見せていた。

 ――誰が何の目的でこのようなことを行っているのか。

 腑に落ちる。対岸にある敵を見据え、その緊迫を読み取り悟った。真の敵は蜘蛛にあらず。

 そもそも異界の者は歴然とした差のある格上の者には手を出さない。それが異界における弱肉強食の決まり事だという。その不文律はおそらく猿だけではなく蜘蛛にしても同じ。


 ならばと思えば彼らにはハルらを襲う動機が見えない。そのような無動機の駒を動かすためには切欠が必要だ。動機とやらを作ってやらねばならない。――そうだろう。


 これは、まったくもって面倒なやり口だ。だが、だからこそである。そこからは確かに何者かの作意が窺えるというもの。蜘蛛の後ろには、きっと操る者がいるはずである。


 向かう先に真の敵の存在と動機がある。その上で考える。これはもっと別な、大きな潮流の中で起こっているのではないか。


 あの日、藤十郎は天の配剤と呟いたが、それは黒鬼の姫を巡るこの諍いに、もっといえば、雨の陰陽師に纏わる争いの渦中に何かを感じとってのことだ。猿鬼の襲撃が起こる間際に、藤十郎はこの時を待っていたと言ってほくそ笑んだ理由が、今は何となく分かる。


 天意の上に載せられていると話した藤十郎。これはおそらく、自分達のことも含めての言葉であろう。その上で、成り行きを図っていた。事態が流れ着く先に、小夜を救う手立てがあると踏んだのではなかろうか。……そうして思った通りに事が動き出す。猿鬼の襲撃を受けたときに、自分達を巻き込んだうねりが更に大きく動き出したことを悟った。読みは当たり、ついに悲願を成し遂げる筋道を見つけた。だから藤十郎は笑った。天意が動いていると確信したのだ。 


 ――筋書きを辿れば見えてくる。 

 舞台を盤上に置き換え、取るべきを雨の座、決め手を蒼樹ハルの死として見渡す。

 猿鬼の襲撃を追撃とする。この一連の出来事は何者の仕掛けか、真の敵は誰なのか。動機を蒼樹ハルの抹殺として考えれば、雨一族がもっとも怪しい存在となるのだが、ことはそう簡単では無い気がする。

 ハルは、順を追って登場してきた役者を並べた。

 緋花、藤十郎、小夜、次に……鬼屋敷笛、黒の姫、謎の男。黒の長、黄櫨。

 黒鬼の姫の救助を懇願されたことから始まり、小夜に掛けられている呪いを巻き込んで動くこの一連の出来事。雨一族と黒鬼一族、そして藤十郎と小夜。彼らを一本の糸で繋ぐ何かがあるはずだ。


 ハルは首筋を撫でた。気になるのはやはり、グラウンドで自分を射殺した陰陽師風の男だろう。黒鬼衆の鬼屋敷笛を使っていたようだが、果たしてあれは何処の手の者か。


「黒の差し金ではない。あれは、笙子を知らなかった。あの男が、雨一族が差し向けた刺客であるとすれば一番分かりが良い。黒と雨と僕、これは誰が雨を名乗るかと言う話だ。そして、おそらく小夜が、この事態の中心に大きく関わりを持っているはず」


 一通りの考察を終え、その事を口に出して取りあえずの納得をする。

 ハルは瞳を開いた。その動作に呼応して太刀が震える。脳裏に騒速の声が届く――なるほど、そういう訳でございましたか。


「騒速?」


『ハル様、よくぞそこまでお気付きになりました』


「……もしかして、試したのかい?」


『いえ、決してその様なことはございません。ただ……』


「ただ? なんだい、騒速」


『驟雨殿が申すには、成り行きこそが天意を伴う道であると。試練あっての英雄譚であると』


「くそっ! またあいつは」


 ハルは歯がみして悔しがった。したり顔がはっきりと思い浮かぶほどに腹立たしい。またしても、あの馬鹿付喪神に乗せられているとは。


『あの……ハル様、最後に一つだけ宜しいですか?』


「あ、ああ、なんだい」


『驟雨殿より言付けを受けております』


「言付け?」


『小夜を救ってやってほしいと――』


 ここまで来て当たり前のことを当たり前のように言って寄越す。ハルは、騒速の話を遮るように、はいはいとおざなりに答えて目を細めた。だがその後、騒速が申し訳なさそうに語り出した物語を聞いて言葉を失ってしまう。


 騒速が語ったのは掻い摘まんだ話ではある。しかしそれはとても重要なことだった。

「つまり、あの百足の体は元々は竜王の五男、偲化のもので、それが藤十郎さんと入れ替わることで退治され、後に何故か分からないけど藤十郎さんと小夜が入れ替わった。瀧落こと冨夜は、父親が封じた偲化の怨念を使って小夜を手に入れようとしている、と、こういうこと?」


『左様でございます』


「それで? 冨夜は小夜を手に入れて何をしようとしているの?」


『それは分かりかねます。私は来るときに今の話をせよと言われただけでございますので』


 面目ないと、騒速の言葉は沈んだ。

 もう少し早く話してくれればもっと順調に事を進められたのではないかと思わぬでもない。だが騒速を責めることも出来ない。


「今更だよね、知ろうと思えば知ることは出来た。訳も何も、一番の当事者が側にいたのだから。それで聞けていないのではね」


 これは全て受け身で動いてきた自分の怠慢のせいだ。ハルは少し離れたところに佇む黒百足と藤十郎を見た。


「騒速、僕の考えは伝わっているね、ならば」


『承知しております』


「土蜘蛛を蹴散らして、主犯をあぶり出す。力を貸してくれるかい」


『無論のこと』


「先陣を切るよ、そしてそのまま最奥まで突っ込む」


『今のあなた様ならば出来るでしょう』


 騒速はハルの腹の底にある意を汲んでなお自信を見せる。彼女に頷きを返し覚悟を決めた。これは血で血を洗う戦争である。どのように上手く立ち回っても惨劇は避けられないだろう。ならば、やり遂げるより他はない。


「騒速、戦いは速度が明暗を分ける。一気に敵の大将を落とし、全軍の士気を絶つよ」


 双方の被害を最小限に抑えるためにはもう、これしか手段が思い浮かばない。この異界に於いては、圧倒的な力の差を見せつけるのが最も効果的に勝利を収める手立てとなる。 


 左手を鞘に置きゆっくり右手を天に突き上げる。

 数多の武具が一斉にガチリと音を奏でた。

 軍勢を鼓舞するように見渡すと猛るように闘気が沸き立った。

 今か今かと待ちきれぬ猿が次第に前傾していく。

 そのはち切れぬばかりのテンションを切る。

 ハルは挙げた右手を前方へ振り下ろした。


 ハルは風になる。波立つ怒声を置き去りにして。

 いち早く対岸に到着すると、遅れて猿の軍勢が津波の如く突撃を開始した。 


「いくよ!」


 一声を吐き、大刀を抜き去る。意を汲んだ騒速が黒雲を招いた。

 それは煌めきに瞬きするほどの短い時間だった。

 地を揺らす轟き。天から落ちる幾筋もの雷光が森に潜む伏兵を一気呵成に打ち抜いた。


「よし、上出来だ。伏兵はみな沈黙した」


「お見事でございます」


「取りあえずはね、でも、これからが本番だ。準備はいいかい?」


「了でございます」


 騒速は声を弾ませた。頼もしいことだ。

 ハルは後ろを振り返った。猿鬼の軍勢はまだ川の中程にいる。

 無抵抗の者は殺すなと伝えてあるが、それがどこまで実行されるのかは分からない。後のことは彼らの気持ち次第ということになる。自分には祈ることしか出来ない。


「出し惜しみは無しだ。付いてこい、騒速!」


 ハルは森の中に飛び込んだ。


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