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第33話 喪失

       -33-

 

 朱の鳥居を抜けて辿り着いたのは異界と呼ばれる怪異の世界だった。


 この世界は、四神、四神の長を奉じる十二の王によって治められているという。

 笛ら一行が足を踏み入れたのは西南西に位置する金気の地、十二支の国の一つでさるの国、文字通り猿の王が治める国である。人界とも天界とも隔絶されたここは想像を遥かに超えた怪異の世界だった。


 見渡す限り雑木が生い茂る樹海。道なき道を彷徨うように歩いて三日が過ぎていたが一向に目的地に到着する気配がない。道のりを尋ねると雨声は決まって「じきに到着する」としか答えなかった。

 黒蝶は黙したままヒラヒラと舞うだけ。雨声の言動は相変わらずの軽率。こいつらは本当に道を知っているのだろうかと疑いたくもなってくる。


 すぐ目先の木の上でギィと何かが鳴いた。瞬時に目を凝らす。小烏丸の鞘を持ち上げ柄に手を掛ける。これはもう慣れた動作となっていた。 

 とはいえ無力。現状を憂えば嘆きたくなる。刀を振るえば児戯のごとくであり、ならば術はと言うとこれも形ばかりで威力が乗らない。笛は実力の半分も発揮できなかった。


 ――しかも、未だ裸身を晒している。


 今はもう無理なく肉体と覚しき状態を保てるようになっていた。身体は先の幽鬼体のようなあやふやなものではなく元の姿に随分と近付いた。だが、衣服まではどうにもならず、見た目は実体に近い分だけ生々しい。


 笛は臍をかむ。――一刻も早く身体を手に入れてあちらに戻らなければ。


 以前なら、このような羞恥心で身をよじるほどの屈辱には耐えられなかっただろう。今、こうして動けているのは、未知の土地で切迫した情況に晒されているからである。妖怪が野生生物のように跋扈する世界では昼夜を問わず気を抜くことなど許されない。馬鹿カエルの視線になど構っていられない。死にたくなければ割り切るしかなかった。


 これも、全て笙子を救う為だ。このようなことには、もう慣れたと……、言いたかったが笛は首を振った。結局のところ、そういうふうに自身に言い聞かせ、嘯くしかなかった。

 鳴き声が遠くに去ったことを確認し、笛は太刀を収めた。連れのカエルに目をやると呆れた眼がこちらを見ていた。


「何か?」

 空いた手でそれとなく胸を隠して目を細める。カエルは笛を見上げて溜め息を一つ返した。


「そんなに気張らなくてもよい。小物など放って置いても大丈夫じゃ」


「でも……」


「揚羽が側に居る限りは何者も我らを襲ってきたりはせぬ。それよりもどうじゃ?」

 雨声がフンと鼻を鳴らし胸を逸らす。


「え? 何がですか?」


「太刀じゃ、その小烏丸のことじゃ。お前は、肉体を介せず直に妖力と太刀を触れさせている。少しは馴染んだかと聞いておるのじゃ」


「あ、ああ」


「嗚呼ではない。こちらに来て既に三日も経つというのに、まだ意のままにならぬのか、困った娘じゃのう」

 悪態が刺さる。雨声は腕を組みウムと低く唸って小首を傾げていた。


「すみません。わざわざこちらまで運んで頂きながら」

 申し訳ないと思いながら目を伏せる。何やら消化できない気分が肩を重くするようだった。雨声の言いたいことは理解できる。それでも……笛は神器を扱えないことに疑念を持っていた。


「何をしておる。行くぞ」

 先に進んだカエルが振り返って急かす。わかっています、と言い返して口を尖らせる。笛は、いいように振り回されていることを情けなく思い、皮肉を足下に吐き捨てた。


「――そもそも、私は成りたくてなったわけじゃない」

 再び、ひらひらと舞う黒蝶と跳ねるカエルの後を追うように歩き始めた。


 草木までもが妖気を醸し出す異様。裸足の足裏は否が応でも異界の不気味を感知させた。それでも、雨声らと行く旅路は平和だった。道々に何度も化け物を見つけたが命の危機を感じることはなかった。


 茂る草木を見回す。見た目だけならばあちらと比べても変わりがないな、と笛は父と歩いた山道を思い出した。


「……父様」


 森の中にあの日追った父の背中を見ると同時に、笛は与えられた使命を思い起こす。一族の名誉回復と右方の復権。これは父の悲願でもあり笛にとっても責務といえた。勿論そこには弔いという意味も含まれている。


 漫然と歩みを進めながら考えた。あの日、あの校庭での出来事から取り巻く事態は一変していた。これまで笛は、次代の雨が雨一族の中から現れることを当然のように思っていた。

 それなのに……、笛の認識は無知からくる思い込みでしかなかった。


 血脈による継承、それは嘘である、と雨の眷属たる雨声は断言した。カエル風情が知っていることを雨一族が知らないはずはない。

 長く続く諍いも、事の発端を聞けば馬鹿馬鹿しいことで、曰くは痴話喧嘩の延長に過ぎなかった。


「私はいま、何のために、誰の為に動いているのか」

 当初の目的は、蒼樹ハルから二刀を取り上げ、これを雨一族に還すこと。一心に願っていたのは他者の幸福だった。笙子のため、黒の一族のため、雨一族のため、ひいては世人の安寧のために笛は身を捧げようと決めていた。 


 ――私は、どこで間違えたのだろう。


 元より保身などない。我が身より利他を最優先に行動していたはずである。それなのに、今は祭り上げられる立場を強要されている。


 これではまるで傀儡ではないか、ひとりでに溢して苦笑する。笛は因果に翻弄される自身の愚かさを嗤った。笙子こそが唯一黒の姫である。長年の思いはそう簡単に切り替えられるものではない。自分が黒の姫であることなどとても肯定できない。


「なぜこのようなことに」

 決して望んでいたことではないのに、と考えた時、フッと脳裏に蘇る少年の面影。


 ――もしかすると彼も、いまの自分と同じように押しつけられた理不尽により倦んでいたのではないだろうか。


 蒼樹ハルは、自身が雨の二刀に見定められていることを承知した上で、その事実を簡単に手放そうとしていた。あげく、彼は惜しげもなくその命を差し出した。何の作意も無く刃の前に身をさらす。死を選んだ彼が望んだのは……。


『――緋花も黒のお姫様を救いたいと思って僕を訪ねてきている。だから無碍に扱わないで欲しい。そして出来るなら二人で力を合わせてお姫様を救ってあげて、それと――』


 彼の言葉を思い出す。頭の中に偽物と向かい合った場面が蘇った。

 誰かを救いたがっていた。

 取った行動は、その一切が利他的だった。

 本気だった。真剣だった。救いたかったのは……黒の姫と、大百足……。

 他者のために軽々と命を投げ捨てる。何故、そんなことが出来るのだろうか。

 両者とも行きずりでしかない。それでも目の前にある苦悩に彼は応えようとした。

 笛には蒼樹ハルの心中が理解出来なかった。他者のために命を捨てる。行おうとしたことは人助けとはいえあまりに短絡的な行為である。


「――馬鹿みたい」

 ポツリと呆れ言葉が口を突く。


 己の非力の穴埋めに命を投げ出すなどあり得ない。その突飛な行動を愚かだとも思う。それでも、あの時は何故だか訳もなく肯定してしまった。いや、自然と受け入れてしまったと言うべきか。人として生きてきた笛にとって初めての人間殺しではあったが躊躇はなかった。だがそれは使命感が成させたことではないだろう。きっとそうだ。今なら分かる気がする。さも当然のように刃を向けさせたのは相手の力によるものだ。


 ――感化させられたのか。


 笛は気付いた。蒼樹ハルに特異性があることを認めざるを得なかった。

 今更ながらに底知れぬ畏怖を抱く。剛の者ではないが侮れぬと。

 しかし……蒼樹ハルは、死んだ。 

 記憶にぼんやりと残る蒼樹ハルの面影。初めて彼の内面に心を寄せて憐れを思う。

 救えぬ事の非力を嘆き己が身を捧げるとは、まるで月の兎のようではないか、――と、法話に思い至ったこの時、伝承の文言を想起し笛の思考が止まった。


『雨の陰陽師、清冽なる気をもちて邪を討ち、慈雨をもちて世に安寧をもたらせき』

 ハッとした。頭の中では慈悲行を行った兎と蒼樹ハルが重なっていた。 


「まさか、本物だった? ……いや、まさか」


 異界の木々がザワザワ葉を鳴らす。均衡を失った三半規管が景色を揺らす。地面に落ちた太刀がガシャリと音を立てた。

 意図せず漏らした台詞は冒した失態を気付かせるのに十分のものだった。


「おい! 笛よ、なにを突っ立っておるのじゃ」

 雨声の大声が耳元で響く。ビクリと肩を振るわせて正気を取り戻す。先を行っていた雨声が笛の側まで戻ってきて肩を怒らせていた。


「す、すみません。少し考え事を」

 咄嗟に出た言葉は何かを誤魔化すようにして出てきた。狼狽をかき消すように苦笑を浮かべる。雨声が訝しげに笛を覗き込んだ。


「お前は何も考えずに、己が使命を全うすれば良いのじゃ」

 毎度のことのように胸を張る雨声。カエル如きの不遜な態度に辟易として笛は言葉を発した。


「私が真に黒の姫だと話されましたが、私には実感がありません。使命などと言われても納得がいきません。分からないことが余りに多い。もう少し訳を話しては頂けませんか」


「訳のう」


「私は、いま、自分の行動の意義が見えなくなっています」


「意義か。鬼屋敷笛よ、お前は父の言葉を信じぬのか?」


「それは……」


「お前は、父の言葉の導きによりここに居るのではないのか?」


「それはそうですが、しかし」

 続けようとして口ごもる。父の言葉を疑ったことはないが現実を受け入れがたく思っていることも事実であった。故に迷った。


「お前の父は黒一族の再興への道を示した。それは他ならぬ娘の為であろう」


「ですが……」

 笛は迷いの先に踏み込む。その戸惑う様を読みカエルが煙たそうに目を細める。


「なんじゃ、言うてみよ」


「私には見えない」


「何がじゃ?」


「先が、この先が私には見えません。私は何を成すために何を行っているのか、未来が、いえ、目標が見えません」


「そのことならば初めに話したではないか、お前は黒の姫。お前はこれから黒一族の為に働くのだと。それに、目標が見えぬとは異なことを言うものじゃの。笙子なる姫の身体を取り戻すというのはお前が申したことではないか?」


「それはそうです。ですが」


 会話の流れのまま反する言葉だけを返したことで思い至る。笙子を取り返した先に何があるのか、身体を取り戻したとしてその先に何があるのか、黒一族の再興とは何をしてそういえるのか、その事を聞かねばならないと。


「我ら黒は何を持って再興を成したといえるのでしょうか。あなた自身は何を目的にしているのでしょうか」


 六年前に雨音女が死んだ。父はその事を酷く悲しんだ。それはきっと雨様再誕の道が閉ざされたことを嘆いたのだろう。だとすれば、父が目指したのは現世に顕現した雨の右方に収まることだったのではないのか。そのことによって再び黒一族を復興させようとしたのではないのか。


「雨声様、あなたは先にこう言った『ついに、今生に雨と目される者が現れたか』と」


「そうじゃな」


「つぎにあなたはこうも言った。『お前はこれから雨巫女の悲しい物語に終止符を打たねばならない。それが黒の者の願いであり、先代、雨の陰陽師の願いでもある』と」


「うむ」


「それは、つまりは私に黒を率いて新生雨の陰陽師を奉れとのことではないのですか? それが黒の復興であると示されたのではないのですか? ですが……」


「じゃがどうした」


「私が、未来が見えないと言ったのは……」


「なんじゃ、言いにくそうに。ハッキリと申せ」


「雨声様、雨様は……」


「ええい、まどろっこしいのう」


「……雨様は死にました。正確には、今生の雨様と目された者のことをいうのですが」


「そうか」


「え?」


「なんじゃ?」

 雨声の反応は、笛が想像する眷属の姿とはかけ離れていた。よもやこのように淡泊な反応が返ってくるとは思いもしなかった。


「あなたは自身で雨の眷属を名乗った。そしていま、先代の娘である揚羽様も行動を共にされている。それは一重に……」


「笛よ、蒼樹ハルのことならばもう揚羽に聞いた。死した者のことを振り返ったとてどうにもなるまい。お前は、自身のことだけを考えれば良い」


「ですが!」


「二刀が誰を選ぼうと、獣どもが誰に付こうとそれはあやつらの勝手である。言うたであろう。雨の伝承は、先代雨の陰陽師、秋霖しゅうりん様が辿られた道を語っただけであるとな」


「しかし、蒼樹ハルは雲華の水鏡と血盟を結んでいたとも聞かされております。やはり彼は本物だったのではないのですか。ならば我ら黒は彼の者に付き従うべきだったのではないですか」


「わしにとって、雨の陰陽師とは亡き秋霖様だけ。今生の者など知らぬ」


「雨声様、そんな……」


「くどいぞ、笛よ。差し当たり、蒼樹ハルが白龍の宝珠と結んだからといってそれが何じゃ。骨董の鏡など放っておけ。しかも蒼樹ハルは既に命を失しているという。それでは是非もなかろう。それに」

 心なしか尊大に構えているように見える雨声。笛は僅かに目を細め話の続きを待った。


「目指すは翠雨宮の最深部にある門、封印を解き先に進む。似非者のことなど忘れよ、なに、心配は無用、我らには揚羽がおるではないか」


 顎を突き出して威張る雨声。その顔は自信に満ちていた。

 言い知れぬ不安に襲われる。笛は胸の内で父に問うた。本当にこれで良いのでしょうかと。


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