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第32話 奈落

       -32-


 ぞろぞろと行進する甲冑が小気味の良い音を奏でる。血気盛んな猿鬼達は湯気が立つほどにいきり立っていた。周囲に立ち込める獣臭、そのむせるような精気の中で、群れの意志にせっつかれるようにして戦場を目指す。


 これでもう引き返せない。後は否が応でも事態に押し流されていくだけ。行く先にあるのは殺戮しかない。ハルは、行軍に紛れるようにして猿翁の宮城を後にした。


「キュキュ、ハキュ」

 肩に乗る小夜が耳元でハルの名を呼んだ。


 そっと手を差し伸べる。掌の上で首を擡げる小夜に笑顔を向けた。

 覗くように見てくる愛らしい双眸の色は紺碧。大海の水面の如き青色に吸い込まれるようにして目を合わせる。ハルは真白の鱗を纏った美しい蛇の姿を見ていた。


 蛇は五百年にしてみずちとなり、蛟は千年にして竜になるという。白龍の娘、小夜も真っ当に生きれば母と同じ竜としてその生涯を謳歌したに違いない。小夜は、如何にして大百足となったのか、どうすれば呪いを解除出来るのか、ハルは眉根を寄せる。


「キュキュッ?」


「あ、ああ、ごめん。なんでもないよ」

 焦点を小夜に戻す。壊れかけた作り笑顔を何とか取り繕った。

 ハルは虚ろな心をそのままに前を向いた。戦場は刻一刻と間近に迫ってくる。


「気を散じている場合ではないぞ。それとも余裕を見せているのか? 雨の陰陽師よ」


「……藤十郎さん」


「拘るな。今更だろう、お前も自覚したからこそそのような衣装を纏ったのではないのか」

 揶揄されて身なりを見回す。苦笑いが零れた。


 悪趣味と言って過言の無い雅やかな衣装。絹のような光沢を持つ織物でしつらえられた錦の着物は成金趣味を思わせる。


「それらしくなったではないか」

 藤十郎が笑うと、小夜も小躍りするように身体をくねらせる。


「黒鉄の武具と調和してくれるのは有り難い、一理あると思っただけです。好んでいる訳ではありませんよ」

 頭に乗せる黒帽を摩りながらハルは不機嫌を伝えた。


『よくお似合いだと思いますよ』

 腰に下げた騒速が揚々と褒める。


「どうでもいいけどね」

 不機嫌に呟く。ハルは大刀の柄を握って歪な笑みを噛みつぶした。


 ほうに烏帽子とはさも古の陰陽師と見紛うようで心地が悪かった。それでも防御力は猿翁のお墨付きであり、纏えば容姿の形成に使っていた妖力の節約になり、剥き身の妖力体を削られるよりは損耗を抑えられると教えられれば得が損を上回ると思える。


『異界の王が直々に御衣おんぞを下賜することなどそうはありますまい』

 一段と高い声色で騒速が話す。誇らしげに胸を張った彼女の姿を思い浮かべてハルは少しげんなりとした。


「白眉殿もえらく肩入れしたものだな。だが、額面通りに喜んでもおられまい。いったい何を企んでいるのか分かったものではないからな」


「藤十郎さん、それは? この衣装はただの厚意ではないのですか」


「あの者がそんなタマか。臆面も無く剥き出しの欲を見せられていることがかえって薄気味悪いというものだ。なぁ騒速よ」


『猿翁にどのような思惑があるのかは計れませんが、いまは有り難く頂戴しましょう。猿鬼達の根城に巣くった蜘蛛どもを退治するためにこうして一軍を差配されたことも厚意として受ければ良いかと』


「お人好しだな。蜘蛛ごときに手も足も出なかった者どもで軍勢をこしらえたとてどうにもなるまい。そこに俄の陰陽師を加えたとてどうなる。足手まといになるだけだ」


 勇ましく行進する猿鬼達を眺める。未だ見ぬ戦地に待ち構える敵の数は知れず姿も想像出来なかった。単体ならば強敵。数で押してくるならば難敵といったところだろうか。いずれにせよ、これだけの猿鬼を蹴散らし退散させたのだから相当の力を持った化け物であることには違いない。


 ――勝てるのだろうか。


 流血を思えば息が詰まりそうになる。先の藤十郎の言葉ではないが、手も足も出なかった者達の寄せ集めに非力な自分を加えてもどうなるものか。


 気持ちが揺らいだ。誰の為に、何のために殺すのか……。勿論、縄張りを侵された猿らを助けるためではあるのだが、でもだからといって、領地の奪還は戦の大儀になるのか。無為に猿鬼の命を散らしてもよいのだろうか、蜘蛛を始末しても良いのだろうか。


 思いあぐねていると、不意に着物の裾を引かれた。足下に目を向けると小猿の無邪気が見えた。ちょっかいを出してきたのはハルの手で蘇った者の子供だった。

 角を生やした猿。異界の化け物だというがじゃれつく小猿の姿は愛らしかった。


「おいで」ハルが手を出すと、小猿がキッという声を出して喜び腕を駆け上がった。

 小猿は背に負ぶさったかと思えば頭の上に登るといった具合にはしゃいだ。


「ハル! ハル!」


「お前、人の言葉を話せるのか」

 感心して言うと、小猿がまたハルの名前を連呼してじゃれついた。


 束の間の遊戯にハルの心は解される。捕まえて脇を擽ると小猿はキャッキャッと笑いながら長い手足を伸び縮みさせた。ふわりとした毛皮の下には人と同じ体温があった。


「殺さなくて、本当に良かった」

 肩車に乗り頭にしがみつく小猿の毛並みを撫でながらハルは呟く。


「これから死地に赴く者の面ではないな、いっそ頼もしいと褒めてやろう」

 冷めた顔に笑みを浮かべる藤十郎が嫌味をいう。


「藤十郎さんこそ今日はやけに言葉数が多いじゃないですか」

 ハルはムッとして言い返すのだがそこではたと思った。もしかして藤十郎は高揚しているのか。気付いて変化の訳が知りたくなった。ハルは藤十郎の顔をマジマジと観察してしまう。


「なんだ?」

 藤十郎が片眉をピクリと持ち上げた。


「いえ、なんでもないです」

 ハルが言葉を濁して愛想笑いを返すと、藤十郎はフンと鼻を鳴らして前を向いた。


 慣れたものである。藤十郎とハルの関係は刺客と標的の間柄ではなくなっていた。

 異界で目覚めてからずっと、ハルと藤十郎は付かず離れずという距離にいた。異界を旅してきた間に馴染んだその距離感をもたらせていたのは小夜だった。小夜がハルに張り付いているとき藤十郎は必ず視界の中にいた。彼は、決して手を貸さぬが、見放すこともなかった。


 事態を注視しながら行く末を見守る態度、それは忘れかけていた親と子の関係性。ハルは厳格に振る舞う父性を藤十郎に見て在りし日の家族を思い出した。


 ――奈落に堕とされた親子を救う手立てを一刻も早く見つけなければ。


 呪いの正体には見当が付いている。百足の容貌そのものが、恐らくは呪いであろう。その昔、小夜は何らかの事情で百足の外骨格に閉じ込められた。その経緯が分かれば手立てを見つけられるかも知れない。


 小夜に血を浴びせることの意味は何なんだろう? ハルは藤十郎の行いの意味を考えた。当初はその行為で呪いが解けるものだと思っていたが、未だ小夜に変化は見られない。それどころか現状は、ハルの血を浴びて以降、百足の力が増したようにも思える。いま、大百足の体になにが起きているのか、肌に感じる感覚で、得体の知れぬ兆しのようなものは見て取れるが、その実態までは分からない。……小夜の腹の中にある、自分の身体に戻ることが出来れば何か掴めるのだろうか。


「キュキュ」

 どうかしたのか? と肩に乗る小夜が話しかけてきた。


 おいで、と呼んで小夜を手に乗せる。見つめて、百足の腹の中にある自分の身体を探すが、この時も何者かの強い意志によって阻まれた。――呪いが拒んでいるのでは無い。誰だ? 何者だ?

 嫌な感じはしない。むしろ守られているような気さえする。百足に消化されずに保持されている事とも矛盾しない。 


 藤十郎が、小夜にハルの身を喰わせたのにも意味があるはずである。藤十郎の思いは一心に小夜の解放に向いている。たとえものの試しであったとしても、その行為には何らかの思惑があってこそで無意味は無い。


『ハル様、大丈夫でございますよ』

 さも当然といった様子で騒速が話す。


「根拠もないのに、出来るなんて簡単に言うものではないよ」

 やれやれと呆れ声を溢す。思考を読み取った上で出来ると言ったのだろうが、彼女の自信はハルに何の勇気も与えなかった。


 死ぬことも許されない。永劫の時を歪んだままの姿で生きることを強いられている小夜。小夜を救うには生まれ変わるしかないと藤十郎は語った。

 死なぬ身体に生まれ変わりもなにも……待てよ。


 確かに小夜が己が体を痛めつけようとしたときには何も出来なかった。だがあの時、鬼屋敷笛と戦った時にはダメージを受けていた。――ならば。


「自害は無理でも殺されることはある、そういうことか……だけどそれではダメだ」


 黒百足の外骨格は強固であり易々と死ねる身体ではない。だが死ぬことは可能だ。

 ただし、完全に死んでしまえば生まれ変わりも何もない。藤十郎の話すところの生まれ変わりとはそういう事ではない気がする。藤十郎は何か知っているのだろうか。


『ハル様、その問いの答えはきっと行く先にあるのではないかと』


「行く先?」

 尋ねると騒速が山の向こうを見ろという。


『私達はこれから猿鬼の根城に向かいますが、その先には小夜と藤十郎にとって忌み地がありますれば、きっと解明に繋がる手掛かりもそこで知り得るのはでないかと』


「忌みのある土地……」

 そういえば、藤十郎はハルを竜門へ連れて行くといっていたが。


『先にあるのは竜門ではございませんよ』


「え?」


『その先にあるのは朱の花園と銀の梨の木』


「そうか、それが猿翁の言っていた妖の花園と花園の奥にあるという美味の梨」


『妖の花園に咲くは朱の花、その名を緋花と――』


「緋花だって!」


 黒百足の逸話と緋花が持ち込んだ黒の姫を巡る騒動。ある日突然目の前に現れた二つの因果の糸がハルの中で繋がろうとしていた。


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