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第14話 定めの順路

       -14-


 薄く白む空、明と暗の境界に滲むように差し込む群青。

 笛は、夜が明けきれぬ前に家を出た。


『八百年続く悪しき因果をその手で断ち切れ、それがお前の定めだ』

 頭の中で遺言を繰り還す。父の願いは黒鬼衆の滅びの回避だった。笛は、父の思いをただ一つの羅針盤として、取るべき行動を見定めた。


 手にしているのは父が残した皮表紙の手帳。

 よもやこのようなことが……。

 笛は、導きのように思えた記述に従って行動を起こしていた。


 目当ての場所は記憶に新しい。これも奇縁であろうか。

 父が残した道標、それは蒼樹ハルが通っていた学校の直ぐ側にあった。


 道すがら、笛は心の隙を突かれ上手く利用されたことを自戒していた。

 迂闊だった。黒一族の復権を許すという甘言にほだされ雨一族に従ってしまった。行いは黒鬼の長と一線を画していた父の意向に感化されての事とはいえ、浅慮であったことは否めない。


 今、何を成すべきかと問うたとき、自分が最も望んでいる事は笙子の救出だった。しかし、無策で対抗したとてどうにもならない。敵に回した相手は比類なき陰陽師どもである。


 笛は唇を噛んだ。先を思えば自然と拳に力が籠もる。残された時間は少ない。――だが、焦るな。焦燥を強引に押さえ込むと、笛は逸るその身に冷静を纏わせた。


「今は、これでいい。その先に笙子、きっとあなたを救い出してみせる」 


 先ずは鍵の奪還だ。次に乙女の所在を探る。見当は付いている。笙子が囚われているのは(すい)()(ぐう)に他ならない。仮に今、雨音女が存在しているとして、彼女が囲われているのも恐らくその場所で違うことはないだろう。


 雨一族の依拠――雨の本宮、翠雨宮も、表向きは一般的な神社と変わりが無い。鳥居を配した参道を抜けると手水舎があり、次に大鳥居が見え、その奥に拝殿、門、御本殿が続く。

 笛も、幾度となく参内していたので建物の配置や設備などは大凡把握ができていた。それでも、いざ笙子を救うとなると困難を強いられる。彼女が連れて行かれたのが普通の社ではなく裏に隠された本宮であるからだ。翠雨宮は(うつし)()に在りながら呪により世間から隔絶されている。通じる道も場内に一つしかないとくれば忍び込むことは容易でない。 


 ――よくもこのような場所を見つけ出したものだ。


 目的の場所に到着した笛は苦笑を溢した。位置を記した父の手帳には心情の記述がない。それでも笛は整然と並ぶ律儀な筆致から彼の執念のようなものを感じ取っていた。


 小山の裾から(こぶ)のように盛り上がる木々の群れ。(ふところ)に小さな社を抱く深い緑は鬱蒼としながら鎮まっていた。


 小さな鳥居の手前で一度立ち止まり奥を真っ直ぐに見据える。

 本来ならば聖域へ導くようにしてあるその路は何の手入れもされておらず、歪む石畳の上には枯れ葉や小枝が積もっていた。


 無人の社を目前に呼吸を整える。次に下腹に気を溜めてから、笛はそっと、片足を鎮守の森の中へと踏み入れた。


 笛は、息苦しさに首元を緩めた。辿り着いた場所は厳かというよりは重圧を感じさせる異空間だった。

 肌を舐める呪の威力。魑魅魍魎が跋扈していた時代ならともかく、今の世にこれ程の警戒をせねばならない理由が分からない。しかも行く先は超絶を謳われた者の子孫の居処である。


 幾重にも巡らされた結界が異分子を忌避し拒む。杜の空気は絶え間なく(けん)(えん)の情念を降らせていた。彼女の中に流れる血が向けられた意趣に反目して苛立つ。笛は、目には見えない壁を通り抜ける度に、背筋に不快を走らせた。


「拒むか、しかし、それくらいの分別はもっているさ、なにせ私は、謀反を起こした者の末裔だからな」


 小さな社殿の前に到着し、ようやく御前かと思うが歩いてきたのは僅か十数メートルに過ぎなかった。

 受ける敵愾心により雨一族の拒絶の一念を知る。だが、そのあざとさ故に見抜く。


「父様の示した通り、この社、手が入っていないように見えるがそうではない。ここは我ら黒を欺くように偽装されている。雨一族はこれ程に黒を憎むか」


 色褪せた鳥居と傾く建物を臨む。枯れ木のように白ボケした建具はいかにも廃墟を思わせた。

 一見すると老朽化したまま放置された社に見えるが、実はそうではない。

 笛は、色が抜け落ち切れ切れになったボロの幕を見てほくそ笑んだ。


 それは、ぱっと見の外観に重なるようにして在った。ホログラフィーのようにして虚像に重なる真実の姿。はためく五芒星は確かに雨一族の桔梗紋である。鮮やかな紫の地に白で抜かれた紋様を見て笛は確信する。宗家の宮に通じているこの社の機能は生きていると。


「必ず助ける。笙子、待っていてくれ」


 待ち受けていたのは更に強固な障害。笛はその場で胸元に手を差し込んだ。

 取り出したのは小さな木片。墨書きに朱印が押された呪符は父が残した切り札だった。


 この札がなければ到底辿り着くことは叶わなかっただろう。呪の効力が失せていないことを確かめホッとする。待ち受けていたのはそれほどに難儀な結界であった。


 笛は意を決して挑んだ。社殿の正面に立ち印を組み(のり)()を上げた。

 途端に、ぐにゃりと空間が歪む。笛は間口を更にこじ開けんとして父の手帳に記されていた呪文を唱えた。


 叩き付けられる威風。周囲では落ち葉や小枝が舞い、木々が騒然と鳴いた。

 ――やがて騒音が鳴り止むと、社殿の入り口付近の空中に人が一人通れるくらいの丸い入り口が開いた。


 その異空間を覗き込み、笛は息を呑んだ。

 穴の向こう側には、終わりを見せない回廊があった。

 命漲る草木の緑と威勢を放つ朱色が鮮烈なコントラストを形成する。整然と敷き詰められた石畳、路の両端に並ぶ石灯籠が奥へと誘う。数えきれぬほどの鳥居を配した路は、さながら朱のトンネルといった具合か。


 尋常ではない威圧を受け身の毛がよだつ。笛にはその道が無限回廊を模した迷路に見えていた。怖い、というのが正直な気持ち。自然と身構えた身体に震えを感じていた。引き返せ、と迷う心が退くことを勧める。


 ――弱いな。ここまで来て怖じ気づくのか。


 図らずも立ちはだかる難儀な道に尻込みしてしまって戸惑う。笛は震える腕を鷲掴みしながら朱の回廊を睨み付けた。


 これは迷いようのない一本道、簡単なことだ。行く先には雨の宮があると確信している。父の言葉を信じるならば辿り着けることは自明のことである。

 笛は踏み込んだ。踏み込んだのだがしかし、――歩みを進め上半身を潜り込ませた途端に激しい目眩に襲われた。意識を根こそぎ刈り取っていくような衝撃に思わず膝を突いてしまう。必死になって抗うが、四肢から力が抜けていくのを止めることが出来ない。とうとう笛は回廊を入ったところで倒れ込んでしまった。


 ――迂闊にも気を失ってしまった。


 目覚めて笛はしくじりを悔やむが、直ぐに重たい身体を起こして周囲に気を馳せた。


「……敵の気配はないか」

 謎の回廊に入り込み倒れるまでの記憶は確かだった。気付けば、その場に伏せた状態のまま身体は無事で痛みも感じない。察すれば、それは僅かの間だったに違いない。笛は胸をなで下ろした。――ところが。


「な、なんで」

 意図せず声を出してしまい狼狽する。だが、それもやむを得ない。何故だか笛の身体は衣服を脱ぎ捨て裸になっていた。しかもその上に薄らと透過していた。


 いったい自分の身に何が起こったのか。

 足下を見れば身につけていたはずの衣服が、まるで脱皮を行った後の抜け殻のように倒れた人型のままで落ちていた。


 笛は急ぎ衣服を掴もうとした。しかし、身体は物質をすり抜けるようになり薄地で作られたリボンさえも掴めない。透ける身体は意のままに動かせるのに、そこにある物体には干渉出来なかった。魂魄が抜け出たということならば説明も付けられたが、衣服と共に残されているはずの身体は何処にも無かった。


 まるで訳が分からない。笛は頭の中で、何故、と疑問を繰り還す。これでは探索どころの話ではないと、途方に暮れ始めたときだった。不意に傍らの草叢から笛に向かって声が掛けられた。


「やれやれ、死して剥き身を晒すとは情けないことじゃな」

 それは嗄れ声というよりは押しつぶされたようなダミ声。


「誰だ! 出て来い!」

 気勢を向けると。茂る草の間からぴょこりとカエルが跳ねて出た。

 そのカエルが舐めるように笛の身体を眺める。彼女は咄嗟に両手で裸身を隠した。


「この年になって、若い女の裸体を拝めるとは僥倖、じゃが幽鬼紛いではのう……。やはり実体でないとつまらぬ。モチッとした柔肌に触れてこその女体」

 喋るカエルの異常。普段何気に耳にする蛙の声も決して美しいとは思わないが、耳にした声は、これならば壊れたバイオリンの音色の方が余程マシとおもえるくらいの汚い声だった。


「お前は――」


「おお、これは失礼。先ずは名乗ろうかの、清貞の娘よ」


「き、清貞だと、お前――」


「わしの名は()(せい)。ここにこうして辿り着いたお前は、鬼屋敷清貞の一人娘の笛で間違いなかろう?」


「…………」


「なんじゃ、疑っておるのか? わしは怪しい者ではないぞ」

 喋るカエルが怪しくないわけがない。もっとも物の怪そのものが怪しき存在であるのだが。


「怪しい者ではない? どこに喋るカエルがいるというのだ。それにその()()()。まるで鳥獣戯画から抜け出てきたようなその出で立ちからして既に怪しいだろう」


「お前、相手を見た目で判断するのか? 器が小さいのう」


「なに!」


「わしはこれでも、雨の眷属ぞ。名もほれ、雨の一字を冠しておろう」


「……眷属? 雨さまの」


「如何にも」

 といったドヤ顔が、カエルのくせに腹立たしかった。


「お前が単身でここに来たと言うことは、清貞はもう」

 いってカエルは黒い目を潤ませた。


「父は、亡くなった。もう一年になる」


「……そうか」


「……そうだ」


「それで?」


「はい?」


「察しの悪い奴じゃのう。それでお前はここに何をしに来たと尋ねておるのだ」

 カエルは器用に黒い丸目の間に皺を作って見せた。


「雨乞いの儀式の鍵と言われる黒の頭首、笙子様が雨一族に囚われた。わたしは父の導きにより、彼女を助けるためにここに来た」 

 

 笛は掻い摘まんで事情を話した。聞いて相づちを返すカエルは話す内容に合わせてその表情を変えた。カエルは化け物のくせに妙に表情が豊かであった。


「ついに、今生に雨と目される者が現れ、三宝を得た、か」


「待ってカエル、雨一族はまだ何も揃えてはいない。それに雨音女はもう」

 と話したところで、カエルが笛の言葉を遮るように片手を突き出した。


「笛よ、年長者にはそれ相応の礼儀を用いて接せねばならぬ。父から学ばなかったのか? それにのう、わしはカエルという名ではない。『雨声』である。『雨声様』である。わしは雨の眷属。然らば言葉遣いには気をつけるが良い」


「……はぁ」


「はぁではない! はい、じゃ」


「あ、はい」


「まぁよかろう。さておき笛よ、ここで一つ、お前の勘違いを正すがの」


「勘違い?」


「そうじゃ、勘違いじゃ。先程お前は、黒を探すため翠雨宮に通じるこの場所に来たと言っておったが、ここは雨の宮には通じておらぬ」


「え?」


「正しく言えば、お前の路はまだ開いてはおらぬ。ということかの、残念であるが、今のお前では翠雨宮の最深部に進むことは叶わぬのじゃ。じゃがのう、この場所はお前の進む順路には違いはない。そして、これも巡り合わせであると心得よ」


「巡り、あわせ?」


「これも定めと言うておるのだ。お前はこれから雨巫女の悲しい物語に終止符を打たねばならない。それが黒殿の願いであり、先代、雨の陰陽師の願いでもある」


「……黒様と雨様の願い」

 皆までは話せぬといいながら道を示す。そうして雨声は、最後に一つの和歌を授けた。


『我が(こころ) 焼くも()れなり ()しきやし  君に恋ふるも 我がこころから』


 今はまだ、与えられた言葉の含意は知れなかった。しかしその歌は、どことなく笛の胸の内を悲しく濡らしていた。


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