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瑞花に沈む  作者: 百瀬ゆかり
4/10

3 イバラ

しばらく過激な表現の連続描写が続きます!

落ちつくまで彼女に頭を撫でられることになった。この年にもなって恥ずかしいからやめて欲しいと懇願したが────ここで見ている者はいないでしょう、観念し大人しくしてくださいな。と軽くあしらわれてしまう。


「夕餉を運びましたのでご一緒にどうですか」


この世界に時計らしきものがない。そのことに今さら気づくとは慣れない環境での体内時間が変化しているのだと痛くも実感せざるを得ない。


「その後に晩酌したいね……。一輪でも良いから花を見ながらあなたと飲みたい」


「まぁ。では熱燗を準備しますね」


小さくもすらりと伸びる白魚の手は、とても滑らかなでひやりと冷たい。頬を撫でられるのはいつ以来だろう、もうほとんど覚えてもない。


「和食ですよ」


「えぇ。薄味で食材の味が楽しめる和食は特に好きですね」


「あら、それなら得意中の得意です。近いうちに煮物でも頼みましょうか」


出不精がふらっと旅に出て、失せていた食欲が急激に戻るとは思わなかった。


「煮物……あぁ、里芋の煮物が食べたい」


そう言った時に、腹の虫が鳴いた。

白雪は一瞬キョトンとしてから理解したのか身体を震わせて声を出すのを堪えるように口を手で押さえ始めた。


「ふふふ……では夕餉にしましょうか」


笑ったのはそれが原因だったらしい。

白雪に手を取られ客間の方に連れ出される。



「さぁ、頂きましょう。冷める前に」




いつかこの、右腕の痺れと心を包む濃霧と別れることはできるのかな。



***



「熱燗をどうぞ」


徳利からお猪口へ水のように澄んだ酒が注がれていく。


「生憎、すぐに飾れたのが椿でごめんなさい。分霊たちがどうか私を使って!と自己主張をするばかりに……」


一輪挿しには白い椿。

よく目を凝らしてみると、何か人型の何かがこちらを見ているのに気づいた。手のひらを差しのばしてみるとソレはちょこん、と手の内に正座してきた。


「……あなたが言う分霊とはこの子のような小さな子達を指すのでしょうか」


手のひらに乗る小さな人型を見せてみる。

彼女は華奢な指先を差し出すと赤と白混じりで斑の花びらを散らし、ソレは五歳くらいの幼児の姿に変わった。


「さぁ、そこで大人しくなさい。同席を許していますがくれぐれも粗相のないようにいなさいな」


────嫌われたら悲しいでしょう?

と麗白さんのように白に包まれたこどもはこくこくと縦に揺らしながら返事を返していた。



「私の分霊の一つです。一枝を折るだけで一時的に本体から離れて宿ることができるのです、もう少ししたら本体へ戻りますからご心配入りません」


紅い瞳はどこか慈愛を含んでいる。

────異なる存在なのに。でも、どこか人間臭い。


「おそらく過去の恐怖は今夜には現れるでしょう。あなたの意識はどちらかと言えば核が剥き出しになっている状態なので干渉を強く受けやすくなっています。ですので先ほど渡した鋏で」


────剪定してくださいね。

簡略的に、そう伝え終えると少なくなったお猪口へ徳利を傾け中身を追加される。


「最後の一つを剪定し終えた時、あなたの願いが無条件で叶えることができます。これも何かの縁だと思うのです。己を見つめ直してどうなりたいのか今一度考えてください」


無条件で願いが叶えられる。

……己の存在を生きてきた世界から完全抹消する。これが、終着点だ。



「そうですね、考えてきます」



そう返せば彼女は、やわらかく微笑んだ。

自分が今まで愛したあの女性(ヒト)とは違う造り、白に近い彩度の高い色彩。不思議な力を持つ少女。



「それでは私はお(いとま)します。──良い夢を」




何故だかわからないが、少しずつ彼女に惹かれてきている自分に違和感を抱きながら再び寝室の方へ足を向ける。


寝室の行灯は蜂蜜を溶かしたかのような優しい色合いを布団の横で生み出して僕が眠りに落ちるのを待っていた。



***



『どうして消えてしまったの』



聞いたことのある声だ。

夢の中なのに身体は軽くは感じない。

まるで、夢の中がある種の現実感を生み出しているようにしか思えない。



『あれは、仕方なかったことなのに……』



あぁ、この香りは。

現世で最も愛しい“彼女だった”匂い。



青いバラを胸に抱き、涙を流している。

栗色の睫毛から覗く新芽色の虹彩からは光は奪われどろりとしたインクが白眼だった場所を蝕んでいた。



『脅されていた。あなたを守るためには私が犠牲になるしかなかった。あんなに恐ろしいモノが側にいたというのに平静を保っていたあなたは本当に、すごいわ……』



足を一歩、越えれば届く距離。

そこには見えない壁があるかのように近づけなかった。



『あは、は……っ。あなたの腕が切られる瞬間はまるで糸で操られる人形の心地だった。糸を無理やり引っ張られるように目を開けさせられた。耳も塞がせてもらえなかった私は────耐えきれなくなって“壊れちゃった”』



青いバラはパサりと足元に落ちて。

美しい栗色の髪がみるみる間に真っ白に変わり、服装も高貴な服なのにどこかボロボロの雰囲気をまとったものに変化した。



『最期のお願い────あなたの握るその鋏で私を、剪定してくれる?』



両腕を痛々しく広げる彼女を包むように地面から黒い茨が細い身体を拘束し縛り付けるかのように細い四肢に絡まっていく。



『ここから解放してほしいだなんてあまりにも身勝手だというのは承知のこと。だけど最期は────心から愛した人に見届けられたいの』



太い幹は緩むことなく、ゆっくりと彼女を逃がすまいと絞め上げていく。さっき踏み出せなかった一歩はいとも簡単に踏み出せた。



『────。またいつか会いましょう』



ジャキン。はじめに切ったものとは違う音。

これは重みのある断罪の音。

絡め取られた彼女を解放を証明する音。



切り離した瞬間にもう名前も思い出せない彼女が淡い光に包まれていくのを感じる。



『ありがとう────』



夢の中にいるはずなのに。

どうして、こんなにも心が痛いのだろう。







『あなたもどうか────幸せに』







名前も思い出せなくなった相手に残された未来を想えるくらいに、自分の心境が変わっていくのを感じた。



***



目を開ければ、外は朝だった。

夢の中で使った鋏には黒い茨の葉の欠片がついていたことから、自分が夢の中を干渉できるようになったのが明らかだった。


「……おや、これはどういうことだ」


痺れていたはずの右腕にはもう違和感なんてなくなっていた。握力も戻っている。

満足に動かせる。どうしてだ。


「八重菊様、おはようございます」


寝室からは少し遠く聞こえたが、間違いなく白雪が起こしにきたのだった。


「はい、着替えますので待っててください」


夢うつつの頭をなんとか働かせ、服に着替えてしまおうと思っていた時に木製洋式の衣装入れに手をかけた時に愕然とした。


「……あれ」


先日着込みまくっていた服をハンガーにかけて詰めたはずだったのだが、そこにあったのは洋式のスキニーパンツとワイシャツ、それと少しボロボロになってきたマフラーだけだった。


「まぁ、いいや。シャツの上に着物を一着羽織ってしまえば動きやすい」


自分が生きてきた世界で着こなせれば一風変わってかっこいいとか言われたのだろうが自分にはそんなセンスが無かった。シャツとジーパンあるいはジャケットがあればどうでも良かった人種だった訳でオシャレとは無縁だったのだから仕方ない。


「お待たせしました」


客間の方へ顔を出すとそこには朝食の膳を並べ終えた白雪が綺麗な姿勢で座っていた。


「おはようございます、八重菊様。昨夜はよく眠れましたか」


「えぇ。あの鋏は不思議ですね。昨夜は黒い茨を切ったのですが、目覚めてからそれで……痺れが残っていた右腕が嘘のように軽くて驚きました」


右腕が軽くなった、そう聞いた時の彼女の虹彩が少しの間だけ明度が上がったように見えたがそれは幻のように消え去り確認するにはタイミングが遅すぎた。


「因果が、断ち切れているのです。

右腕の痺れはおそらく夢に出てきた人物の思念が大きかったのでしょう。それが切れたことにより、枷が外れたのでしょう」


赤味噌が溶かれたわかめと豆腐の味噌汁は寝起きの身体に優しく染み渡っていく。

ごぼうきんぴらなんて久しくて堪らない。

他にはたくあんと株の漬物。黄身の色が濃いだし巻き卵。隣には大根おろしが小さな山になっていた。

それに焼き鮭。食欲をそそる香ばしいにおいは極上の香りだった。


「いただきます」


そう唱えれば、隣からどうぞ召し上がれ、と合いの手の如く声をかけられる。


「美味しい」


と答えれば彼女はそれは良かったです、と優しく微笑んでくれる。なんだか今の時間だけは古き良き日本の食卓のように思えてくる。


「腕が動かせるようになったのでしたら、あなたにお任せしたいお仕事があるのですがお引き受け願いますか」


「仕事、ですか?」


白飯と塩鮭のハーモニーを楽しんでいた時に言われ、口元を押さえつつ返事をする。


「えぇ。あなたにうってつけ、かと私は思っていますよ」


隣で漬物をカリカリと咀嚼する音がする。

箸の持ち方がとても綺麗だな。


「後ほど、お話しだけでも聞いていただけたら幸いです」


そう言われると、なんとも聞きたくなる。

彼女は言葉を控えめにすることで相手が話しに食いつくのを待っているかのようにも思えてくる。好奇心を誘うように心をうまく突いてくるのだ。


「では、食事を終えて胃が落ち着いた時にお話しを聞いてもよろしいですか」


そう訊くと彼女ははい、わかりました。と白く長い睫毛を小刻みに揺らしながら答えるのだった。



***



「え?庭にある木の剪定ですか」


「はい。最近、分霊たちを自由気ままに過ごさせたら枝がまとまりなく外や隣の木の領域に侵入してしまって木々同士が怪我しないうちに整えて欲しいのです」


白雪が言う分霊ってあの、小さなこどもみたいな子達を指しているのだろうな。


「剪定するのは構いませんがその、彼女たちは枝を切られたら痛くないのですか」


昨夜の一輪挿しの時とは訳が違うだろう。

そこは、あくまでも予想だった。

もしも分霊とはいえ痛覚を持ち合わせているのなら先に意思の疎通を取れないものだろうかと思ったのも一理あった。


「ふふふ。八重菊様は大変、慈愛が溢れる方なのですね、えぇ。あの子達の宿っている木には痛覚もちょっとした人間っぽい感情も持っています」


「……人間っぽい感情、ですね」


「でもお気を付けてくださいな。あの子達が私の分霊だからといって無条件に優しいとは限りませんからね、ふふふ」


待って。無条件に優しいとは限らないってなんですか。まずあちらに気に入られないと剪定すら間にならないかもしれないと遠まわしに言われても。困りますよ……。


「冗談が少しばかりきついのでは?」


はぐらかせたい、この空気。


「いえ。冗談と片付けられたら楽なことこの上なし、です」


期待などせず一定の線まで諦めてから剪定に望んでください、と言われると胸中に何か刺さる感じがある。笑顔で投石してくるとは恐れ入った。


「頑張ってください♪」


空になった器を下げ、唯一の訪問者でもある彼女も部屋から去ってしまえば。慣れない空間の中で僕はまた一人になる。


茨の黒い葉が絡みついた鋏を手に取る。

じわり、と手に吸い付いてくるかのような感覚は。やはり一度、炉でドロドロに溶かされてしまった愛用の鋏によく似ている。


剪定させてくれるのかな。

まず、規模を聞いてないから今日中に終わるかどうかってのが先になりそうだ。




朝と昼の境目。時計という概念がないこの場所のせいか唯一狂っていた体内時計というものは着実に整えられていくのを感じる。


布に包んだ鋏を手に取ると布越しなのに馴染む感覚。本当にこれはなんなんだろう。


「さて、襖は開くのだろうか」


まだ出たことのないこの世界の部屋の外へ。



***



初日は部屋から出なくてはならないという義務感に近い感情は存在しなかった。なんというかそのような感情がわくことが無かったからでもある。

敵意を向けられたら流石に脱出を考えるものだがそれどころか招き入れられたものの、保護された感が大きかったからだろう。


「……季節は山と同じく冬、か」


しんしんと粉砂糖のような雪が舞い、低木樹の青々とした葉に鮮烈な紅は雪によって消えてしまう。


「でも、なんで白雪は剪定なんて頼んだのだろう。どう見ても」


剪定すべき枝なんて、見つからなかった。

中庭に群生するように植えられた木々は既に整えられている気がする。

もしかしたら雪をかぶっているだけで、木本来の姿は隠されてしまっているのもありえた。


「……もし、白雪の分霊の方々」


彼女の言う剪定とはどういう意味か。

それを読み解かない限り、話しどころか自分が置かれる状況に変化があってもおかしくない。


「……もし、花の分霊の方々」


次で反応が無いならどうなることやら。

そう思いつつ声をかけ続けると目の前でポップコーンが弾けるかのような音とともに複数の親指サイズの少女が姿を現した。


『居ることくらいわかってますよ』


ムスッとした表情はどこか不機嫌だ。

白雪によく似た色彩の彼女たちはこちらを品定めするかのように観察してくるが……よくよく考えてみれば精霊類を目の当たりにしている時点でもう現実味とかへったくれも言えないよな。


「彼女に剪定を頼まれたのだけど、どこも乱れているように見えない。それは何故か教えてくれないだろうか」


『剪定、ですね……。まったく白雪様は本当に不器用なお方だ』


意味深長な眼差し。ふぅ、と小さくため息をついてから分霊の一人が何かを思いついたのかニヤリと口元を歪めた。


『あぁ、白雪様の思惑、その理由がわかりました……知りたいですか八重菊様』


悪戯めいた目は紅椿のように紅い。

親指サイズが差し出した手のひらにちょこんと乗る。


『白雪様の狙いが知りたいのなら取引をしましょう。八重菊様の真名をいただきたい』


「は?」


釣り合わない取引。第一、僕の真名を渡してしまったとしたら一生絡め取られる……それだけはどうにかしてでも避けなければならない。


「残念ですが……それは難しいですね。白雪さんの狙いはなんとか自分で探ってみますからこの話は無かったことにしてください」


手のひらに乗る分霊を葉の上に乗せてから与えられた自室へ戻ろうと雪の地を踏みしめる。粉のような雪は少し経っただけでもそれなりに積もるらしい。


さっきつけた足跡なんて残っていやしない。


さくさくと踏みしめる。

幼い頃もおそらくこうして踏みしめて────と考えていると突然、視点が右へ傾き右全体に衝撃。ひやりとした雪が体温に溶けて余計に冷たい、なんで。



『大変!白雪様を呼ばなくちゃ!!』



さっきの分霊の一人が慌てる声音が聞こえる。霞んでいく視界に見えたのは木の隙間から覗く真っ白な────。

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