2 悪を断つ鋏
マイルド風味にしてますが、過激な表現を含んでいます。ご注意ください。
────嗚呼、それは焼けるように痛い。
まるで心臓が炎に炙られるように。
嫉妬の炎が、ちりちりと。
火花を散らし、心に小さな穴を空けていく。
────それは、刺すように痛い。
針のむしろにされているかのように刺さる小さな痛みが、何度も小さな刺激でも。回数が過ぎれば波のように大きな痛みに変わっていく。
────嗚呼、ああ、あぁ。
どうして離れてしまったのだろうか。
初めは愛用の革袋にいるはずの使い慣れた鋏が姿を消した。────炉の中から無残な姿に変わり果て、研いだ鋭い刃はドロドロに溶けて金属の塊になって使い物にならなくなっていた。
君に渡すために育てた名もなき青いバラの鉢がどうして、親友の手にあるのだろう。────隠れていそうな所を探してみると言ったあの顔は偽物だったと思うと今でも恨めしい。
姿を消したバラを探して滑車の下に身を屈んだ時に右腕に熱された鉄のようなもので焼かれてたかのような痛みが右腕に強く走り抜けた。────断末魔に近い叫びを上げていればよく見知った人間が寄ってきた。助けてくれ、と言った瞬間に見えた化けの皮が剥がれた瞬間が一番、恐怖になるとは思わなかったよ。
君の隣にいて、笑うのは僕だけのはずだったのに。────その柔らかな微笑はいつからか僕ではなく“僕の親友”に注がれている。
『君のために、青いバラを作ったんだ』
『まぁ……っ!』
『君に出会えたこともこの花言葉を借りるとするならばまさに“奇跡”さ!!』
────君のために作った青いバラ?
よく言うよ。それは僕が憂鬱気味だった彼女に気分転換を兼ねた贈り物にするために必死に、それこそ寝る間も惜しんで品種改良をしたものを。
横から奪って、自作発言なのか。
────なぜ、君は瞳を輝かせるの?
僕といるのがそんなに嫌になったの?
最初はあんなに笑ってくれたのに、いつから君は適当な理由をつけて会いに来てくれなくなったんだ。
とても────寂しかったよ。
────“奇跡”。
それは彼女に言うために準備していた言葉をどうしてお前がその口で紡いでいてその口から発せられた言葉に君はうっとりと微笑むんだ。
『なぜって?お前には勿体なかったからだ』
『口下手であっても、非凡の才。新しい品種を発表となればお前はここから出られる。貴族の御用達の庭師になるにはうってつけの職場だからな』
────親友だったやつは今まで見たこともない醜い表情を浮かべた気がする。頭脳明晰、眉目秀麗、社交的な性格。どれも僕にはない最高なものを持っているお前がどうしてこんなことをしたんだ。
『なぜって?当たり前だろ。
俺よりも優れたのが下から這い上がろうといするのならば摘み取るのは当たり前だろう。気に食わなかったんだよ、些細なことをしても堪えないお前に腹を立てた俺は、バラを隠すことにした』
あぁ、親友と思っていたのは僕だけだったのか。
予定のない剪定、出勤。買出し。
記憶の片隅を掘り起こしてみれば不自然なものが多かった気がする。
『だが、まんまと引っかかってくれると思わなかった。一瞬の魔が俺を悪魔にした。
最初はその腕が羨ましかった。
それだけはどんなに努力しても到底手に入らないものだった、そればかりはセンスだった』
ゆらり、ゆらり。左右にゆれる。
親友だった気持ちの悪く、黒よりも深い罪深い悪魔。
『あんなに天使のような彼女に一目惚れをしたのは初めてだった。どんなにアプローチしても傾きもしない彼女を洗脳をするのには苦労した……そろそろ、辻褄が合うものが増えてきたかね』
────突然のシフトチェンジ。
それはほとんど彼女と過ごす日に限って当てつけられていたような気がした。そうかアイツは彼女をストーカーしていたのか。憂鬱な表情を取ったのは、誰にも相談ができなかったからだったのか。
『俺は権力と莫大な金を使って彼女をやっと落とせた。お前に危害を加えられたくなければ大人しく花嫁になるように、と』
────心労の末に、彼女は。
壊れてしまったのか。
『だが、花嫁になる承諾を得たのがこのバラを隠した時だ。あの時、お前は気づかなかっただろう?腕を切られる瞬間を俺と、彼女が見届けていたことを。悲鳴をあげないように口には布を詰め、鼻を抑えた。最高だったよ……これで、これで……』
お前のすべてを壊せた────下卑た笑いを浮かべるのはただ人間という輪を外れた餓鬼、いや。とんだ畜生だ。
こんな、救いのない世界にいるくらいならばこの世界をお望み通りに去ってやろう。
そうだった。
僕はこの世界から“消える”ために雪山に入ったのだった。
***
「もし、もし」
鈴の転がるような愛らしい声音。
ああ、悪夢から逃れることができたのだと実感した瞬間に目尻に涙が伝うのを感じた。
「八重菊様、なぜ。涙を流されるのですか」
白雪のさらさらとした白金の髪が顔に落ちてくる。あぁ、瞳以外は白藤のような色合いでとても美しい。
「……悪夢を見た、恐ろしいもの。それこそ現実とは思いたくないくらいの最悪なものだった」
「……左様ですか、ご覧ください」
貴方様の隣に咲くのは一体、なんでございましょうか────と違和感のある方向へ首を向ければ赤と青と黄が混ざり斑になったバラがそこに狂い咲いていた。
「え、な、なんで」
「花言葉が関係しているのでしょう。
赤は愛、青は奇跡、黄は嫉妬。混ざりあって斑になったのはあなたの中にあった種が芽吹き花を開いた証……さぁ、これを」
彼女の手から渡されたのは非常に馴染む感覚のある剪定用の鋏だった。
「切ってしまいなさい、あなたの心の闇がもたらした害を切り落とすのです。庭師だったあなたなら簡単なことでしょう。剪定、切りそろえ美しくするのが──仕事なのでしょう」
過去と対峙し断ち切りなさい。
悪縁をこの花と共に裁ち切りなさい。
甲高い、シャキンという音。
花からは人によく似た断末魔が轟くのと共に青い炎に包まれてポツポツと黒く変色し最後は種子一つだけになった。
「おめでとうございます。これであなたの悪夢は切れました」
「悪夢……」
「さぁ、次はこちらです」
次は糸切り鋏だった。握力が怪しい右手でもサクサクと動くそれはとてもやわらかい。
「見えますでしょうか?種子から伸びる紫の糸を。
それは縁、あなたと過去を繋げるものです」
彼女に指摘されてから、白い指に乗る糸のようなものが見えてくる。紫色が怪しく光っている。
「切りなさい。その縁、八重菊様には必要ありませんから」
刃先を糸に触れさせ、シャキンと鳴らす。
切られた糸は蒸発するように静かに消えていった。
「さぁ、さっきのことは思い出せますか?」
白雪に視界を覆われる。
さっき見た悪夢の内容を思い出そうと想像を起こすがどうやってもモヤがかかった、あるいはそれは元々存在なんてしなかったと錯覚するくらいに思い出せなくなっていた。
「思い、出せないです」
「それで良いのですよ、八重菊様」
彼女の手が離れ、行灯の光が白雪の美しい顔が視界に広がった。
「このように八重菊様を苦しめるものがあなたが眠る中で種が割れ、芽吹いては蠱惑な花を咲かせるでしょう。私が渡したこの2つの鋏で裁ち切りなさい、あなたの悪夢の原因を根絶やしにするのです」
鋏はきらり、と行灯の光を反射して怪しく輝いた。
握っただけでわかった。
これは現実では有り得ない代物だってことを。
僕が迷い込んだのは、人ならざるものの世界だという事実が目に見える形で突き付けられるとなお、恐怖が増していくのを感じる。
「全てを根絶やしにした時、八重菊様はきっと救われることでしょう。私もお手伝いしますのであなたの心に埋まる悪の種を」
────根絶やしにしましょう?
そう微笑んだ彼女は、特別妖しく見えたのだ。




