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瑞花に沈む  作者: 百瀬ゆかり
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1 招いたもの招かれたもの

白雪が台所に桶を持ち込んだ姿に違和感を感じたカヨはこれは珍しいと言った目で覗いてきた。


「おや────“招き入れた”のかね」


「……まぁ、そんな感じ」


いつもと違う様子にカヨは驚く。

普段は感情の起伏が見られない彼女が言葉を濁し恥ずかしそうにはにかんだのだからだ。


「形は似ようと性質の違うもの同士。

……果たして結末は、どちらに転ぶのやら」


少女を白雪と呼ぶのは、はめられた双眸の紅以外はすべて白塗られてなお新雪のように見えることからそう呼ぶ。


「どちらに転ぶかなんて────それはまだわからない、でもようやく手の内に転がってきたのだから。うまく立ち回りたいわ」


釜戸で熱した湯を水を入れた桶に入れる。

湯気が立ち昇るものと氷が張ってもおかしくないくらいの冷水が混ざり合うとそれは人間にとって心地よさを生む温度へ姿を変える。


「“約束の刻”が近いからね……」


薪をくべ、ふいごを一定間隔で動かしぽたぽたと流れてくる汗を拭いながらそんなことを言う。含み笑いはどんな者が浮かべても違和感を持つものだ。


「後で茶を持っていくといい。

こちらは招き入れた方だが客人の方は“招かれた”とも言うし“迷い込んだ”とも言えるし客人は────どう受け取るのかな」


カヨは不安を煽るのがうまい。

これがこの屋敷一の料理人だがどうせなら煽るのは食欲だけにとどめて欲しいものだ。


「────チハヤ様は」


「そっちの方は大丈夫。ただお前がなれるかどうかによって分霊にも影響が及ぶのを気に留めておいてくれ。刻を迎える間近で分霊たちの力も不安定だからくれぐれも、気をつけて」


カヨは元“人間”だった。

チハヤ様が彼女を拾い“真名”を奪うことで消失の道はまのがれた代わりに人の理から外れ“(あやかし)”になった。妖になってからは“カヨ”という名を与えられた。


「……それじゃ、私は急ぐわ」


若干重くなった桶を腕に抱え、厨を後にする。後から聞こえてくるのはくべた薪が弾ける音だった。



***



「戻ってきたかい」


一度抜けてきた白雪が戻ってきた。

足音がしないように教育されたせいか気づけば彼女は“そこにいる”のが日常だった。


「ここに来る前に怪我を負ったみたい。

右腕が満足に動かないようだった」


「ほう?妖となってからは呪混じりでなければ永久的に修復される身体になったが人間の身体はそうじゃない……」


「人間の身体は非常に脆いものだとは聞いていましたがそんなに、柔いものとは」


白雪がなぜ胸を痛めているのだろう。

人ではないのだから、心を砕く必要なんてないのに。慈愛を注ぐこともなくただ、自分のことに意識を向けてしまえばチハヤ様を悩ませることがないことになぜ気づかないのだろう。


「湯はまだ余っているから使うといい。

ほうじ茶か番茶か、緑茶の方がいいのか迷ったからそこに置いておいたから選んでくれ」


ちょっとした暇ができた時に彼女の手の届く範囲に揃えておいた。茶菓子は箱の中に入れてあるから勘のいい彼女のことだからすぐに気づくだろうし。


「うん、そうさせてもらう」


音はないが気配はする。まさに滑るように移動するためにたまにぶつかりそうになって時折危ない。


「おや、番茶か。懐かしい香りだ」


番茶は人間の生活に常にあることからそう言われるようになったと小耳に挟んだことはあるが、もう遠い過去だから詳しいことは書籍を漁るしか方法は無さそうだ。


「それじゃ行ってくるわ」


彼女が選んだ茶菓子は淡い色合いで椿の形をした落雁(らくがん)だった。


「行ってらっしゃい」


白い彼女がひとたび雪の広がる世界に出てしまったとしたら、その瞳を開かない限り真っ白な雪に隠れてしまうだろう。


「周囲の者は皆、白雪の“神格化”を望むけど果たして彼女はそう望むのだろうか」


それは今回来た客人のさじ加減次第なのだろう。

実に歯痒い。嗚呼、実に歯痒い。

分霊たちが騒ぎ立てている。

刻が近い、刻が近い。神になるのも時間の問題だと。


もしも白雪の心を踏みにじる人間だったのならば、私がすぐに3枚に捌いて人間界に捨てられるのに。

嗚呼。まだ、歯車が回っていない。


やっと揃ったのだ。

早く回っておくれ、噛み合ってくれ。


不安定な彼女が消えるのだけはいやだ。





気を落ち着けようと口に含んだ番茶は彼女が入れる温度より高く、舌が焼けるかと思うくらいに入れたてで熱かった。



***



「八重菊様は────どのような方なのですか」


八重菊は多少猫舌気味の方のようだった。

最初の一杯を召し上がってからすぐに番茶を湯呑みに注ぐと他愛のない雑談をしつつ適温にする仕草が見られた。


「んー……そうだなぁ、庭師ってところかな」


「……庭師って庭園でお仕事をする職人のことでしょうか」


「まぁ、そんな感じかな」


これ以上は聞けそうにもなかった。

あやふやな返答は、探られたくないという遠まわしの意思表示ともいうし。

焦ってはいけない。まだ時間は残されている。


「なり損ないの話は────素面(しらふ)では話しづらいものだから今度、月見か花見酒の時にでも……お話しましょうか」


どこか虚ろで憂うような眼。

どれほど、傷が深いと言えるのだろうか。


「白雪さんが気に病むことじゃない。

ただ、まだ過去にしたばかりの出来事だからすぐに言葉にして話すにはまとまっていないだけだから。そう俯かずに顔をあげて」


大きくも少しざらつきのある乾燥気味の手のひらは、自分以外に触れられたことない頬を優しく包む。


「……あなたの紅の双眸は、感情が高ぶる時に色彩が鮮やかになりますね。磨き上げた柘榴石に光を当てた時に起こる現象にそっくりだ」


────甘い。

なんで、こんなにも甘く言えるのだろうか。


好奇心旺盛なこどものように覗き込むこの男性の瞳はどこか深みのある緑、私が触れたことのない季節を思わす不思議な色合いだった。


「白雪さんと話せるのがとても楽しい。

お暇な時にこうして会いに来てくださったら大変、嬉しいです」


額を重ね、なお。瞳を覗き込むこの男性は自身がこの部屋から出られないことに気づいているようだ。チハヤ様がこの屋敷を仕切っているというのも一因だがまだここに来て浅い者が派手に動こうとする意思を察すると強制的に力を奪うように機能するこの生ける屋敷は大きな保護膜のようなものだ。


「夕餉の準備が整いましたら起こしますので隣の部屋に移りましょう、お布団はもう敷いてありますのでどうぞお休みください」


こればかりは時間を割くのが望ましくないと思い、分霊たちに力を借りて私が台所に向かっている間に敷いてもらった。部屋の中心にぽつり、と。一つだけ、鎮座している。


「では、お言葉に甘えて。仮眠を取らせていただきます」


おやすみなさい。と八重菊が微笑むのを確認してから客間と寝室を隔てる襖を静かに閉める。







「……おやすみなさい、八重菊様」









八重菊様。あなたは、この先“人間”として生きていくことに執着はあるのでしょうか。



もしも、もしも。

無いのでしたら、私はその魂魄(こんぱく)を。












────頂戴、できないのでしょうか。








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