リップハンター
この作品は弥生祐さん主催、第三回・五分企画の参加作品です。
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届いたばかりのメールをチェックすると千秋は素早く口紅のスティックを回した。くり出したローズピンクを唇に直に乗せ、クリアのグロスを少し乱暴に馴染ませる。お上品にブラシに乗せている暇なんて無い。
チークは? ハイライトは? ネックレスにピアスは?
今日はアイメイクに時間をかけ過ぎた。でもその甲斐あってマスカラで倍以上に伸びたまつげとアイホールの淡い紫のグラデーションが目元の印象を強くしている。
ジャケットを羽織ってバッグを手にし、買ったばかりの白のミュールを履いて、玄関の鏡で全身を確認すると急いで一人暮らしの部屋を後にした。
千秋がエレベーターを降りるとマンションのエントランスに彼氏の潤が待っていた。
年の差六つの恋。社会人の千秋と大学三年生の潤の接点は千秋の弟・祐介だった。祐介に呼び出されて行った先に同級生の潤も来ていたのが初めての対面だった。
それから休日に何度かランチをしたり、メールや電話でやりとりをするうちに近づき、つい先日潤からの告白で付き合うことになった。
大学時代なんて遥か昔に思える千秋にとって二十歳の潤は瑞々しい以外に表現の言葉が見当たらない。さわやかな笑顔はピチピチと音が聞こえそうに弾け、顔を突き合わせて笑うと自分の肌が若い気を得ているような感覚に陥る。高額なスチームの美顔器よりきっと効果は高い。
「食事どこに行こっか」
千秋はこの近くにある海鮮パスタの美味しいイタリアンの店を浮かべながら言った。
「この先の創作居酒屋予約してあるんだ。焼き鳥がすごい旨くてね」
居酒屋。想定外の潤の一言に千秋の表情は一瞬固まり、慌てて口を開いた。
「私、実は鳥料理が苦手なのよ。昔、家で鶏を飼ってたから愛着あるし、自分の干支も酉だから共食いになるでしょ」
熱帯魚にエサをやりながらししゃもを頭からかじるような女がよく言う。明らかに怪しい嘘に潤は首をかしげた。
「居酒屋嫌い?」
「ううん、そうじゃないんだけど、焼き鳥がメインじゃね」
「ふーん……でも大丈夫、一品料理もいろいろ旨いし」
千秋は顔が引きつりそうなのを必死で抑え、そうなんだ、と笑顔で返した。
千秋が苦手なのは鳥料理でも居酒屋でも無い。お酒だ。いや、お酒だってむしろ大好物なのだが酒癖が悪い。酔うとキス魔になる。これまでもこの癖で失敗したことが数回。
最初の失敗は当時働いていた会社の田中という上司だった。仕事終わりに告白をするとOKをくれてその日は一緒に食事に出かけた。自分の酒癖なんて把握できていない千秋は勧められるままにグラスを空けた。すっかり酔いが回った千秋は周りなど眼中に無く、カウンターで腕に絡み付いて田中に甘えた。ニコニコ話しかけているところまでは許されたが、後に無理矢理キスを迫る始末。
翌日、出社すると丁重にふられた。
その次は合コンで知り合ったタカシ。最初は田中とのことがあり下戸を通した。タカシに告白されたのは同じメンツでの三度目の飲みの時。ありがちだが場所は居酒屋のトイレの前だった。
戻ってからは隣同士に座り、片時も離そうとしないタカシの視線が恥ずかしくて、千秋はついお酒に手を伸ばした。
それからは酷いものだった。キス魔と化した千秋はその場にいた全員の唇を奪った。もちろん男女問わず。つい三十分前に付き合い始めた彼氏の前で。
その日の内にタカシと別れた。一応三時間程は付き合っていたけど、無かったことにして欲しい、と言われた。
さらに失敗を重ねた千秋は彼氏の前では絶対に飲まないと自分に誓いを立てたのだ。
もちろん今回も下戸を通すつもりでいた。
「千秋さんってかなりの飲めるよね。祐介からよく聞くよ」
出鼻はあっさりくじかれた。祐介め……。千秋は心の中でそう呟きつつ、困ったような顔を作った。
「うーん、でも今日は体調悪いみたいだから控えようかな」
我ながらナイスな切り替えし。千秋は思わず拳を握った。
しかし潤は少し吹き出した。
「体調悪い日こそ飲んでるらしいね。高熱が出て薬は効かないのに酒飲んだら一発で治ったって話は面白かったな」
祐介、何でもペラペラと……帰ったらまず絞めてやる! そんな思いは微塵も見せないように千秋は合わせて笑った。
どうしよう、絶対にお酒を飲むわけにはいかない。
「千秋さん着いたよ」
飲まずに済む方法を考えている内に店に着いてしまった。
「私やっぱり……」
千秋が一歩引くと潤は顔をしかめた。
「今日おかしいよ。だいたいこの前行った店ではチキン南蛮も地鶏のタタキも食べてたのに、今日は鳥が食べられないなんて言うし。俺といるのが嫌なの?」
不安そうな潤に千秋は首を振る。
「じゃあ何なの?」
千秋は覚悟を決めた。誤解されたりあの醜態を晒すより正直に話した方が断然マシだ。
「実は私、お酒飲むと制御利かなくなっちゃって……キス魔になるの」
「なんだ、それなら知ってるよ」
カミングアウトのつもりだったのに、潤の軽い返事に拍子抜けした。
「なんで?」
「前に祐介に親族の宴会ビデオを観せられたから」
親族の宴会ビデオ、その言葉に千秋は血の気が引いた。
そのビデオに映る千秋はすっかり出来上がっていた。小学校に上がり立ての従兄弟がかわいくてたまらず、頬にキスをしまくっていた。最初は照れていた従兄弟だが次第に嫌がり始め、ついには泣き叫び、それでも千秋は止めなかった。潤はそんな千秋の消したい過去を鑑賞済みだった。
「あのビデオ観てから千秋さんのこと気になりだしたんだよね。好きなものにキスをするって素直でかわいいなって。そりゃ他の男とキスされるのは嫌だけど、俺相手ならいくらでもしてもらって構わないし」
脳裏に浮かぶあの映像と恥ずかしい言葉に千秋は顔を真っ赤に染めた。
「それに俺は酔ってなくてもキス魔だよ。彼女限定だけど」
潤がそう言うと千秋の唇に柔らかく体温が重なった。
離れると潤はしたり顔で笑った。
結局、二人は居酒屋に入らずに焼き鳥はテイクアウトした。いきなりのキャンセルは店に悪いが、酔って他の客に迷惑をかける事を思うとこの判断は賢明だろう。
さてさて、これから二人は千秋の部屋で飲む訳だが、酔うとキス魔の千秋とシラフでもキス魔の潤のことだ。どうなるかなんて言うまでも無い。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
感想等頂けるとキス魔の葵がチューしに行きます。
ウソです(笑)