融解する温度
なんかテンションがおかしい。前半部分が書きたかっただけ。
小説家の「私」と、軍人で親友のササキ、その親友に紹介され結婚した美人でそつのない妻サキ子。
よく出来た妻に「私」はある疑心を抱く。
妻とササキはいわゆる幼馴染で童心の頃からのよしみだった。そんな二人が、長い間一緒にいた二人が何故お互いに惹かれ合うことなく結ばれもしなかったのだろうか、と。
二人がどこか魅力に欠ける人物なのかと言われるとまったく逆で、二人とも非常に懐深く人好きされる人間だった。だからこそ、なお「私」は二人が結ばれなかったことが不思議でならないのだ。
結婚する前、まだこんな疑心をかけらも抱いていなかった頃、ササキに聞いたことがある。
「ほんとうに俺がサキ子さんと結婚しても良いのか」
ササキは整った顔を笑みに歪めて快活に言った。
「嗚呼、幸せになれよ」と。
その笑みに邪気を感じ取ることはできなかった。「私」は親友の表情くらい見抜ける自信があった。だからその時も、その言葉が真実なのだと、疑うことなく受け入れたのだが。
ササキと相変わらずの交流を続けるなか、サキ子との幸せな新婚生活も始まった。
サキ子はほんとうによく出来た嫁で、飯は美味い、仕事の邪魔はしない、空気を読んで声をかけてくる、同居している両親…彼女にとっては舅姑という面倒な立場の二人にも親切で優しい。
すぐに近所でも「良い嫁を貰ったな」と評判になった。
そうするとだんだんと疑問に思うようになっていった。サキ子は何故、三拍子揃った美男子のササキではなく、鳴かず飛ばずのジリ貧作家である「私」を選んだのかと。
ササキは何故、「私」のような男に美人で器量好しの幼馴染を差し出したのかと。
「私」とササキは、大学校時代に出会った。
きっかけは定期試験の時である。定期試験は学部をごった混ぜにして行われていた。
「私」は文学がたいそう好きで、その文学への飽くなき情熱で大学校へと進学したのだが、「私」の周りには才気あふれる同窓ばかりで徐々に自信が減り、尽きぬ泉と思っていた情熱さえ翳りを感じ始めていた時期だった。
上手くいかないという思いは勉学にも影響した。
入学を果たしてからずっと維持し続けていた首席の地位も前回の試験にて他人に明け渡してしまっていた。
この試験を落とす訳にはいかないと、落とせば死と同義だと、のっぴきならない思いで「私」は教室へと入室したのだ。
初めはヤマが当たったためすらすら解けた。しかし文字列が急に姿を変え、まるで意味がわからない外国語のように見え始めた。
焦った「私」の視界の先に上を向いて惚けているオトコがいた。試験中になにを悠長なとも思ったが、もしかしたらあいつはああやって考える癖なのかもしれないと、今この時においてどうでもいいことを考えた。
いや、現実逃避していた。どうでもいいことを考えている頭の反対側で、私はヤマが当たったために有用になった小さな紙片のことを思い出していた。
お守りみたいなものだった。ヤマが外れたらただの紙ゴミになるそれ。試験官は遠いところを回っている。周りの学生は少なくそして皆、紙に夢中。
──今しかない。
「私」は袖を手繰り、隠していた紙片を取り出した。
後日、「私」は再び首席に返り咲いた。けれど「私」はちっとも喜べなかった。当たり前だ。「私」が勝ち取ったこの席はズルをして得たものなのだから。
「首位、おめでとう」
「私」から首位を奪い、奪われたそいつが話し掛けてきた。「私」はびくりと体を揺らす。後ろめたさからではない。疚しさからでもない。……恐怖からだった。
視線があった。気がした。
神聖な試験の場で、ズルをした「私」と。
遠くを惚けた目で見ていたオトコが。
オトコは何もかも見透かしたように笑った。
そいつが、今、目の前にいる。
「私」の背は冷たい汗でびっちょりと濡れていた。
オトコはササキと名乗った。奴と「私」はそれ以来の付き合いである。
ササキはカンニングのことを上辺にも出さなかった。そんなことなどなかったかのように振る舞うのだ。初めのうちはビクビクしていた「私」も、むしろそっちの方が不自然だと思い止めた。
気付いていないのだろうか、そう思ったこともある。だが、「私」とササキはあの時確かに視線を交わしたのだ。
後ろめたさに苛まれて神経が過敏になっていたからこそ、あれが勘違いなわけがない。
となれば、いつ切り出されるのか。そう思っていたがササキはお首にも出さなかった。そのうち大学を卒業し、「私」は文芸誌で佳作を取り、職業として小説家を始めるのだった。
結局ササキがカンニングについて何かを言ってくることはついぞなかった。
「ササキ、お前は幸せか?」
この国に戦争が近づいてきていた。遠くない未来にそれは現実となるだろう。ササキは徴兵されていた。「私」は重い喘息を患っていたため、不能扱いで徴兵を受けなかった。
ひとたび、軍人となれば『お国』のために死ぬのが大儀である。生きて帰ってくるは兵士の恥、だと「私」はそうは思わないけれど、そういう風潮であることは間違いない。
大学出のササキはおそらく尉官か左官の位を得ているはずだが、それだって死の可能性はゼロではない。
だから「私」は尋ねた。お前は幸せかと。家族を持たず、恋人も作らず、うだつのあがらない「私」くらいしか友人もおらず、国に命を捧げるササキ。
問われたササキは「私」の予想しなかった顔で笑った。
「俺は、幸せだ。お前のようなやつに出会えて、大層幸せだ」
大仰なやつだと思った。でも本心だということもよくよくわかった。目尻に二本シワのできる笑い方はササキの本当の笑顔だと「私」は知っていた。
それから幾許もしないうちに戦の火蓋は切って落とされ、「私」はサキ子と子供と両親を連れ疎開をした。ササキとは連絡がつかなくなってしまった。
長かったような短かったような、戦争が終息し「私」たちは元の家戻るつもりだった。しかし「私」は持病の喘息が悪化し、そう長くないとお医者に言われてしまった。
作家として大成することなく、道半ばで倒れるのか。こんなところばかり大物の作家のようである必要はないのに。「私」たちは空気の良い疎開先に残ることにした。
ある日、「私」宛に書簡が届いた。何の便りかと開くと、そこにはササキが戦死したことが書かれていた。遠い疎開先では戦の話はなかなかやってこない。それでも「私」はササキはどこかで生きていると信じていた。あいつは気障な見た目に反してしぶといからきっと大丈夫だと、そう思っていた。
ササキの幼なじみであるサキ子にもその知らせを見せた。サキ子はほろりとひと粒涙を零すと、それ以上は何も言わず、そっと仕事に戻っていった。
あまり悲しまないその様子に、「私」はサキ子がこうなることを予感していたのだと悟る。二人は付き合いが長い分、お互いのことをよくわかっていたのだ。
夏が過ぎ秋が来て、雪がちらつき始めた、そのとき。終焉は唐突に訪れた。「私」の魂は眠るように、その体を離れた。
結局、「私」の疑問は解けることはなかった。それもササキが死ぬまでのこと。あいつが死んだと知った時に「私」のささやかな疑念は融解して消えた。なんであれ、「私」も幸せだったのだ。ササキという親友とサキ子という掛け替えのない二人に出会えたのだから。
「私」の物語は、こうして幕を閉じた。
────はずだった。
私は思い出していた。私が私である前の、「私」であった時のことを。
「おはよう、雪歩」
ベッドの脇から爽やかな声がする。とても聴き馴染みのある、どこか懐かしい声だ。今ならわかる、その理由が。
「ササキ、……おはよう」
「名字で呼ぶなんて他人行儀だなぁ。まあそれはそれでおいしいけど」
嘘だ、信じられない信じたくない。「私」の憧れでもあったササキがこんなこんな…!
「どうしたのボーッとして。目覚めのキスでもしてほしいの?」
「こんなのササキじゃなぁぁあああい!!!」
こんなチャラさ百パーセントみたいなの、あのササキじゃない!あいつはもっと硬派で男前で潔くてかっこよかった!
こんな女を口説いてヘラヘラしてるような男じゃなかった!!
「朝っぱらからうるさいよー。何騒いでんの?」
「サ、サキ、……いや、お姉ちゃん!!!」
なんてこった。「私」の愛しい愛しい妻が、まさか、実の姉なんて!
そして一番信じられないのが、
「うーん。見事に育ってるねぇ」
ぽよよんと跳ねるこの胸部の、膨らみ……。
「私」、女になってるぅぅう!!!
私に生まれ変わった「私」は、突然思い出した前世の記憶と、今の記憶、そして変わってしまった性別と、変わってしまったかつての友、そして最愛の妻だった姉。
そんなカオス(主に私の記憶が)な状況に順応するため、必死に受け止めようとする試行錯誤の日々が始まるのであった。
そして、「私」の融解した疑問は、私によって解けるのであった。すべてを知った私は「私」のときに疑問が融解してしまってよかったと思ったのだった。
ネタバレあらすじ。
ササキは「私」が好きで、サキ子はササキが好きだった。サキ子はササキの嗜好を知っておりササキはバレていることを知らない。好きな男から好きな男の好きな男を紹介されたサキ子は正しくその意味を理解し「私」と結婚した。
ササキは自分が好きな相手つまり「私」と結ばれることはないと知っていた。だから自分のよく知る相手サキ子と結婚してもらいその側で幸せを見守ることにした。
サキ子は初めは「私」のことなど何とも思っていなかったけれど、一緒に暮らすうちに愛着が湧きいつしか愛に変わった。
その後起きた戦争によりササキは死に、持病で徴兵を逃れた「私」
もサキ子を残し死ぬ。
サキ子は残された子どもを立派に育て上げ寿命を全うする。
そして。再び。
彼らは相見えることとなる。
サキ子はそのまま女に、ササキもそのまま男に、しかし「私」は女に、生まれ変わり…。