6.迷いの火曜日
翌日、火曜日。
朝、真紀は、いつものように夏美と待ち合わせて、学校に向かっていた。
上田夏美は、小学校からの真紀の親友だ。夏美は小柄で、平均くらいの身長の真紀でも、立っているときは、見下ろす感じになる。夏美は歌が好きで、夏美に誘われて、真紀も一緒に合唱部に入った。
学校に向かいながら、真紀と夏美は、いつものように他愛のない話をした。だれかのうわさ話とか、芸能人のこととか。
夏美とは、佐伯くんてカッコイイよね、とかいう話を何度かしたことはあるけど、真紀が、佐伯くんのことを意識するようになったことは、まだ話していない。まだ、気持ちが定まっていなかったし、佐伯くんとの釣り合いを考えると、夏美にでも、打ち明けるのは恥ずかしい。
今は、恋愛成就のことを相談したかったけど、ヤマブキと他言無用の約束をしている。話しても、信じてくれるかどうかわからないけど。
真紀は、半分、上の空で話をしながら歩いていた。
校門手前まできたときだ。反対方向から、佐伯くんが歩いてくるのが見えた。一緒にいるのは、倉本くん。真紀の胸が、ちょっとドキッとする。佐伯くんたちは、真紀たちとほとんど同時に、校門に着いた。
朝、ここで佐伯くんと倉本くんに会うことは、たまにある。そんなとき、真紀はつい、佐伯くんを見てしまう。佐伯くんを意識するようになってからもそうだけど、その前も、やっぱり佐伯くんに目が行っていた。だって、あんな美形だもの、つい見てしまうでしょ。もちろん、じろじろは見られないから、すぐに目をそらすけど。
ところが、今日は、佐伯くんではなく、倉本くんに目が行った。いつもは、佐伯くんに気をとられて、一緒にいることすら気にしたことはないのに。しかも、目が合った。内心、慌ててしまった真紀は、一瞬目をそらすのが遅れた。すると、
「おはよ」
倉本くんが、あいさつをしてきた。
「あ、おはよ」
真紀が、こたえる。それにつられて、
「おはよ」
「おはよ」
佐伯くんと夏美もあいさつをする。
夏美が、うれしそうな顔を真紀に向けた。たぶん、思いがけず、佐伯くんとあいさつをしたからだ。みんなのアイドル、佐伯くんと。
以前の真紀なら、夏美と同じように、素直に喜んだだろうけど、今は複雑な気分だ。
あたしは、いったいどうしたいんだろう。佐伯くんのことが好きなはずなのに、倉本くんのことも気になる。ヤマブキに、倉本くんは、あたしのことが好きだって聞いただけで、心が揺れている。しかも、なにかの間違いのはずなのに。
真紀は、モヤモヤした気持ちのまま一日を過ごした。
授業中も休み時間も、倉本くんのことが気になって、つい倉本くんのほうを見てしまう。何度か目が合った。だめだ、気をつけないと、誤解されちゃう。
放課後、部活が終わって、夏美と一緒に帰る途中、夏美が、ちょっと興奮したようすで切り出した。真紀に話す機会を待ってたみたいだ。
「ねえねえ、聞いた? 佐伯くんのこと」
「えっ、何?」
真紀が興味を引かれたのを確認して、周りにだれもいないのに夏美がちょっと声を落とす。
「佐伯くん、若松さんと付き合ってるんだって」
「えっ、うそ!」
真紀の驚いた様子に、夏美は満足そうだ。
「ほんとらしいよ。うちのクラスの前田さんたちが話してたもん。まだ、付き合いたてホヤホヤらしいけど」
夏美は佐伯くんのクラスメートで、前田さんたちというのは、夏美のクラスの情報通の女子グループだ。そして、佐伯くんの新しいカノジョ、若松春花さんは、真紀のクラスメート。
真紀は、動揺して、すぐに言葉が出てこない。夏美に動揺を悟られまいと、言葉をさがす。
「そうなんだ。若松さんて、勇気あるね」
「えっ?」
「告白したんでしょ?」
「ちがうちがう。佐伯くんが告白したんだって」
「えっ?」
「意外だよね。あたしも、最初若松さんから告白したって思ったもん。なんて言うか、若松さんて、そんなに美人じゃないし。佐伯くんからっていうのは、意外だった」
夏美は、はっきり言う。
「あ、美人じゃないとかじゃないけど、佐伯くんがイケメンすぎるから」
夏美は、言い過ぎたと思って言い訳を始めたけど、真紀にも、夏美の言いたいことはわかる。
真紀の基準で言うと、真紀のクラスには、別格の美人がふたりいる。若松さんは、そのふたりのどちらでもない。見た目だけでいうと、佐伯くんに釣り合うのは、そのふたりのうちどちらかだ。
若松さんは、クラスの中では成績はいいほうだけど、運動は苦手だし、真紀が言うのもなんだけど、それほど目立つ存在ではない。
その若松さんに、学年一のイケメン、佐伯くんが告白したと聞けば、意外だ、というのが正直な感想なんだ。
「あー、でも、ショックだよね。学校中の女子がショックなんじゃない」
夏美は、残念そうに言う。たしかに、夏美はショックを受けているだろうけど、実は夏美には、山本翔平くんという、本命の想い人がいる。まだ、片思いだけど。たぶん、女子の多くが、夏美と同じだ。学校のアイドルにカノジョができて、ショックだろうけど、本命は他にいるという女子は多い。
真紀にとっては、もちろんショックだ。佐伯くんにカノジョができたなんて。
そして、心は、ますます複雑になる。その日の晩、真紀は、いろいろと考えていたら、なかなか眠れなかった。
もし、佐伯くんのカノジョが、ものすごく美人だったら、もうスッパリあきらめていたかもしれない。だけど、若松さんだったことで、あたしでもいいんじゃない、って思いが浮かんできてしまったんだ。
ヤマブキは、カノジョ有りでもいいって言っていたし。横取りなんて酷いって思ってたけど、もしかしたら、あたしのほうが相性がいいってこともある。いや、そんなことはないかもしれないけど、それならそれで、どうせ恋愛成就は失敗で終わるだけ。(ヤマブキ、ごめんなさい) イチかバチかで、このチャンスにかけてみてもいいんじゃない? だって、こんなチャンス、二度とないんだし。
思考は巡る。
そして、その隙間をついて……
『おはよ』と、ニコニコ笑いかけてくる倉本くんが、真紀の頭に浮かんでくる。