10.神さま、再び
家に帰ると、真紀はすぐに、何か適当なものはないかと、机の周りを物色した。一年のときに使っていた国語のノートが、まだ半分も使われずに残っている。よし、これにしよう。ヤマブキがいつ来るかわからないから、急がなくちゃ。
ヤマブキは、今日真紀が返事をしたら、ヤマブキのことは全部忘れてしまう、と言っていた。それが、真紀には、とっても寂しい。だから、ヤマブキと会ったことを、書き留めておこうと思いついたのだ。
真紀は、ノートの一番後ろのページを開いた。急いでいるから、細かいことは書けない。ヤマブキという神さまが、恋愛成就の資格試験のために現れたことを、とりあえず書き留めた。
ヤマブキは、まだ来ない。
ヤマブキが来るまで、もう少し何か書いておこう。ふと思いついて、真紀は、ヤマブキの絵を描き始めた。なんでも平均の真紀だけど、実は、イラストを描くのは、ちょっぴり得意だ。
真紀は、ヤマブキを思い浮かべながら、ペンを走らせていく。しばらくして、まんがチックでかわいいヤマブキだけど、ちゃんとヤマブキらしい絵ができあがった。
真紀がペンを置いた、ちょうどそのとき……
「真紀はん、おじゃましまっせ」
後ろから、ヤマブキの声がした。そろそろ来るころだと思っていたけど、急に呼びかけられると、やっぱり、ちょっとビクッとしてしまう。真紀は、あわててノートを閉じて、後ろを振り向いた。
そこには、思いっきりのにこにこ顔のヤマブキ。三日前、ほんの少し会っただけなのに、なぜだか、なつかしくて、あったかい気持ちになる。
「あ、こんにちは」
真紀は、笑顔であいさつをする。
「こんにちは」
ヤマブキは、ニコニコと関西弁でこたえる。
「早速ですけど、恋愛成就の話、決まりましたかいな」
「はい」
「ほな、どなたさんにしはります?」
「あの、それなんですけど、その話、お断りしてもいいですか?」
「それは、もちろん、かまいまへんで。せやけど、真紀はん、好きなお人は、いてはりまへんの?」
「あの……」
真紀のほおが、赤くなる。
「います。だけど、その……」
ヤマブキが、ニタニタする。
「ははーん、なるほどなるほど。そのお人は、倉本健太はんですな」
真紀のほおが、さらに赤くなる。
「は、はい。それで、あの、ヤマブキさんがこの間言ってた、倉本くんがあたしのこと、あの、好きって、あれ本当ですか?」
「ほんまです。健太はんを除くのが試験の条件、いうことになってましたさかい」
その言葉を聞いて、真紀はホッとする。だけど、これは、あくまでも、人づてに、いや、神づてに聞いた倉本くんの気持ちだ。今度はちゃんと、自分で倉本くんに向き合わなくちゃ。
「さてと、真紀はんが、健太はんを選びはるんやったら、わての出番はありまへんな」
ヤマブキは、もう行ってしまうんだろうか。
「あ、あの」
真紀は、あわてて呼び止める。
「あの、ヤマブキさんが行ってしまったら、あたし、このこと全部忘れてしまうんですよね」
「そうですな」
「あの……あの、あたし、ヤマブキさんのこと、覚えていることはできませんか。ヤマブキさんのこと忘れてしまうのは、なんか寂しくて」
ヤマブキは、ちょっと切ない顔をして、また、にこっと微笑む。
「うれしいこと言うてくれはりますな。せやけど、人間さんが、こないなこと覚えてはったら、いろいろややこしいことになりますねん。こればっかりは、どうにもなりまへん」
「そうですか」
真紀は、ちらっとノートに目をやる。これだけでも、書き留めておいてよかった。
「あの、ヤマブキさん、いろいろありがとう」
「ハハ、わては何もしてまへんで。勝手にここに来て、試験のことお願いしたのは、わてのほうですさかい」
「あ、そうだった」
そうだけど、なんだかお礼を言いたくなったんだ。ヤマブキのおかげで、倉本くんのこと、好きになれた気がするから。
「さて、わては、そろそろ行きますよって」
「はい」
真紀の胸に熱いものがこみあげる。
「ほな、真紀はん、さいなら」
「さようなら」
最後にまた、ヤマブキは、にっこりと笑って、真紀の視界から、すうーっと消えていった。