76:この世の神話を、ダンジョンマスターは知る
タツキはダンジョンマスターであり、生息域はダンジョンである。ゆえに、ここの世界において空というものをまじまじと見る機会はなかった。短い遊覧飛行となる予定ではあるが、現在の視界は高性能天体望遠鏡である。その性能を駆使して、夜空を観察しない手はない。
人工物の少ないこの世界ではあるが、もしかすると、夜が、真なる闇に覆われることは少ないのではないか。
というのも、
「めちゃめちゃデカくて明るいのな」
この世界の月である。
タツキの記憶の月の10倍くらいはあるのではないだろうか。それが、今晩は煌煌と夜空に輝いているのだ。
「神々の…おわす、地ですからね…」
タツキのつぶやきをウォルフが拾う。
なんでも彼の祈祷師の職位は、僧侶や司祭に次いで宗教関係者に生えやすいそうで、ウォルフもその例にもれずシルヴィス教《助祭》の資格を持っているらしい。
信心深いタイプなのだろうか、喜びに似た穏やかな感情が漏れ出している。
「確かに、これだけ明るけりゃ信仰対象にもなるよなぁ」
人は本能的に闇を恐れる。だがこの月は、その闇の中から静謐な光を、静かに人々に与え続けているのだから。
「どれどれ、月面はどうなってるんだ?」
ダンジョンがあり、モンスターのいるファンタジーワールドだ。
ひょっとしてたら、ウサギでもいるかもしれない。
冗談半分にそんなことを考えながら、タツキの視界はイビル・アイの能力限界まで月面に肉薄する。
「ええ? んんん?」
そして首をかしげた。
そんなことをしても、何の意味もないのに、思わずタツキは自分の目をこする。
しかし、当然のごとく観測結果は変わらない。
見えたのは、ウサギなんかではなく、石だらけの地表でもなく。
「あれ、人工物…じゃね?」
グリッド状に仕切られた金属のような質感を持った表層だった。しかも、時折、その格子に沿うように光の流れが発生している。さらにはアンテナ状の突起が不規則に点在し、その先端は信号を発するように明滅している。
「それは…、そうでしょう。かの地こそが、神々がおわす…、銀の船の国なのですから」
なにいってんの、こいつ? な、ウォルフの返事。
「いや、俺、ダンジョンマスターだから、この世界の宗教には詳しくないんだが…」
だって、仕方ないだろ? な、タツキの返事。
「そう…でしたね。ついつい忘れてしまいがちですが、…言われてみれば、…タツキ様はダンジョンマスターでした」
ウォルフがうんうんと頷いて、くぴりとワインで口を湿らせる。
「つまり私は、マオウの手先に神の教えを広める機会に恵まれたというわけですね。これは聖職者冥利に尽きます」
「え?」
何か今、彼の雰囲気が確実に変わった。なんといっても、活舌が滑らかになり、スケルトンフェイスが生き生きとしてきている。
「あーあ」
そして、彼の隣で口元にエールの泡をつけて笑うボーイッシュな少女。
「お兄さん、酔っぱらうと、たまに助祭様になるから気をつけてね」
「どゆこと?」
「延々と説法をして、気づいたら寝ちゃってるの」
くすくすとルートが笑う。
なんてはた迷惑な。というか、気を付けるも何も、今この時が助祭様モードなのではなかろうか。
「でも、ちゃんと喋るとお兄さん、良い声で、かっこいいんだよ」
「シルヴィス教宣教録《旅行記》1章、――そこに、2つの星があった」
「あ、始まった」
タイトルを朗々と告げるウォルフの声は、確かに思わず耳を傾けてしまう魅力がある。
「我らが教えの核心。それは、この世界を遥か高みから見守り給う神々がおわす地、すなわち《銀の船の国》の存在にあります」
そして、そのまま経典をそらんずるのかと思いきや、彼は優しいイケボイスでその教義を語り始めたのだ。
「かつて、我々の祖先は、その神々がおわす《銀の船の国》より、この大地に降り立ちました」
「「「おいおい、向こうでなんか始まったぞ~」」」
娯楽の少ない世界においては、聖職者の説法も、心躍る夢物語である。
新たな催しに気づいたダンジョンタウンの面々が、酒や食べ物を持って、集まってくる。
「皆さま、空を見上げてごらんなさい。夜の闇を払い、煌々と世界を照らす、あの巨大な月を」
そしてめいめいに空を見上げると、
「あの月こそ、我々が《銀の船の国》と呼ぶ、神々がおわす地そのものに他なりません」
それぞれの所作で祈り始める。
「我々神学者たちの一派には、少しでも銀の船の国を知ろうと、天文学――夜空の観察にいそしむ者たちがおります。彼らは言いました。月は間違いなく船である、と。その表面は、荘厳な白銀素材が敷き詰められた船底に違いない、と」
ウォルフはタツキの方を見てにっこりとほほ笑む。
なるほど、タツキの観測結果は、すでにこの世界の常識であったというわけだ。
「ただいまー。ど~ん!」
「おわっと!?」
話を聞こうと集まってきた面々に混じって、あたたかくてやわらくて、落ち着く匂いのする何か――、というかチェリが、タツキをいきなり後ろから抱きしめる。冴え冴えとした月面に意識を持っていかれていたタツキは、そのぬくもりにほっと一息をつく。
「お屋形者まぁ、クロベニはぁ、みなとぉ、仲良くなりらしらぁ」
そして、Aランク上位モンスターの名持ちであるクロベニも、ずいぶんと酔っ払った雰囲気で帰ってくる。
モンスターベースなのに飲み食いできて、酔えるって、生理現象は人間ベースだと考えておいた方がいいのか? などとタツキが考えていると。
「おいおい!?」
クロベニも、そのまま前からタツキを抱きしめてくる。
てか、こいつら体温高いな。
「クロベニは、お屋形様とも、仲良くなりまするぅ…」
そして、即寝、である。
「あらあらぁ」
と、楽しげなエルローネのつぶやきと、
「おにぃ!」
いまだステーキを焼きながら、タツキに向けて中指立てるサツキ。
「モテモテだな、ダンナ」
それを肴にエールを空けるロベルト。
「寛容なる神々は家族の形を定めていません。たとえ妻が多くとも、あるいは夫が多くとも、子がいても、いなくとも、その子らが血縁にあろうとなかろうと、愛と絆をもって結ばれし集団であるならば、それは真に家族であり、神々よりの祝福がもたらされるでしょう」
そして、教義でこの状況を全肯定してくるウォルフ。
「神々の御心において、愛情と絆こそが、家族を家族たらしめる、ただ一つの真理なのです。」
それを聞いたサツキが、いい笑顔で「ふぅん?」とのたまったのは、どのような思惑があってのことだろうか。
「話が少し脱線しましたが、やあ…、これはこれは――、多くの皆様にお集まりいただき、神々もお喜びでしょう」
そして結局、ダンジョンタウンの全員が、酒肴を手にウォルフのもとに集まってきたのだった。




