58:領土を広げるダンジョンマスター
カオルコ。
四大迷宮は冥界宮の主であり、カータヴェルの眷属となったダンジョンマスター。
彼女は、どうなのだろうか。
ダンジョンマスターは――、少なくともタツキは、そして、あの時相対したサツキも、己を、己のダンジョンから切り離すことはできなかった。
**さんポーズ、もとい、豊かな黒髪をバッサリと垂らし、それが作る闇の向こうからこちらを睥睨していた彼女は、ゆっくりと起き上がり漆黒のドレスの淑女に戻る。
その彼女の足下では、未だに魔法陣が輝き、エリキシルが動いている。
つまりはそういうことなのだろう、とタツキは納得する。
タツキの足下。それは石畳。
ただし、ワナジーマの石畳ではない。
それは、タツキの生成した石畳であり、タツキのダンジョンの終端、すなわちワナジーマ=ミアズナ間の地下通路へと繋がる石畳である。
それは、自動生成される、ダンジョンとダンジョンマスターの接続経路。
それが途切れることはおそらく、ダンジョンとダンジョンマスターの死を意味する。
しかしながら。
それが途切れないことはすなわち、その経路が植物の地下茎であるかように、あるいは主根であるかのように、それを起点としてダンジョンを広げられるということも意味する。
「・・・そこのアナタぁ」
「――っ、な、なんでしょう?」
一行を睥睨していたカオルコの視線が、同族の所で止まる。
リアル**さんの印象に引きずられていたタツキは、思わず心臓を跳ね上がらせる。
しかし、ロベルトの、地面の踏みしめ方が変わり、カミューの、放つエリキシルが変れば、タツキの心に勇気が宿る。
「じっくりとお話したいところだけどぉ、カータヴェル様のご負担になるからぁ、一言だけ――」
彼女の表情は動かない。
はっきりとした眉。通った鼻筋。切れ長の瞳を、瞬きすれば音が出るのではないか、と思えるほど長く、美しいまつげが覆う。
瞳はダンジョンマスターの証として黒く、しかし時折、カータヴェルと同じ、赤を放つ。
白磁の肌と、それゆえに強調される、真紅の唇。
その唇が、笑みの形に歪められ、瞳が赤く感情を写し、彼女は告げた。
「――アナタぁ、落ち着いたらぁ、冥界宮に遊びにいらっしゃいねぇ」
と。
***
ふぅ――、と大きく息をつく音。
見やれば、カオルコの足下の召喚陣が、その存在感を薄くしてゆく。
カオルコも、それに比例し、夜の闇へと透き通っていき、
「それからぁ、大暴走には・・・気をつけるの・・・よぉ・・・」
その一言を残し、ワナジーマから消え去った。
しばし――。
一同は、カオルコの消えた空間を見つめるだけで、言葉を発することができない。
「――さて」
それを破ったのは、いつの間にか、再び老人へと変じたカータヴェル。
「証明は、これで十分じゃろう?」
証拠――、そう。
議論は、確か、カータヴェルの捕縛にあったはずなのだ。
「理解は・・・、した」
そう、苦々しく呟くのは被害者たる領主ゲオルグ。
「しかし、納得はできん。見よ、貴様の産んだこの惨状を――」
彼は両手を広げる。
魔光の白が照らしだすは、ゾンビとともに焼け落ちた辺境の都。
そして、白の範囲の外で、未だくすぶる炎の赤。
「――貴様はどう償うのか? 復興には莫大な資金と、少なくない時間がかかる。何より、失われた命は戻ってこないっ!」
「かかかかかっ!」
カータヴェルは嗤う。
体をくの字に折って嗤う。
「領主よ。償う必要など、どこにある?」
「なんだとっ!」
「力無き者が、力持つ者に蹂躙されただけのことではないのか?」
カサカサに乾いた肌。落ち窪んだ瞳。
老人は、豊かに蓄えた白いひげをしごきながら、さも当然であるかのごとく告げる。
「それが、この世界の理よな? 敗者が、勝者に都合良く扱われるのは歴史の常よな?」
ぐっ、っとゲオルグは言葉に詰まる。
「な、ならば、俺が貴様を――っ!!」
そして、己が大剣に手をかけて、黒き淑女を脳裏に描き、そのままの体勢で固まる。
「かかかっ。そういうことよ。学ぶということは尊いのぉ。つまりお主らも等しく敗者であり、儂を討つ力を持てぬ者たちという訳じゃ」
***
ゲオルグが、怒りに震えながらも動きを止め、カータヴェルが満足そうに講釈をたれ、そして、訪れたしばしの沈黙。
「爺さんよ」
それを、ギースが破る。
「ならば聞くが――、あんたの目的はなんだ? すでに冥界宮を従えたあんただ。今更ワナジーマに侵略する、その意図が読めねぇ」
クワナズーマは冒険者ギルド、ダンジョン管理課長ギース。
彼がその職責と、そして己が好奇心において尋ねる。
「なに、顔見せじゃよ――」
そう、カータヴェルはその節くれだった手で一人の人物を指す。
「――カオルコが、そこな少年と、ここにはおらぬ少女に興味を示したのでなぁ」
その少年とは当然。
「ダンジョンマスターっ! 貴様かっ!! 貴様のせいでワナジーマが――」
タツキ、その人に目を剥いて、叫んだゲオルグを、
「お主は沸点が低いのぉ。逆じゃ。此奴の力でワナジーマは救われるのじゃ」
カータヴェルがやんわりと制する。
「それ故、儂も顔を見せざるをえなんだ」
「どういう、意味だ?」
「気づかぬのか? お主の娘はとうに気づいているというのに」
「――タツキ、ダメだっ、無理はっ――ひゃぁぅ!??」
カミューが、タツキに叫んだその瞬間。
大地が、激しく振動した
***
もやもやしていたのだ。
決断できなかった、と言ってもいい。
理由としては、そんなところだろうと思う。
『力無き者が、力持つ者に蹂躙されただけのことではないのか?』
しかし、カータヴェルその言葉は、ゲオルグを透過して、そんな、悩めるタツキ自身に向けられているような気がしたのだ。
『それが、この世界の理よな? 敗者が、勝者に都合良く扱われるのは歴史の常よな?』
悲しいことに、正しい。
この世界も、タツキの記憶にある伏せ字だらけの世界も、それは理であり、歴史の常であった。
それが故に、――吹っ切れた。
タツキもその可能性を考えていたのだ。
ただ、他人様の領地を好き勝手していいものか、という思いがタツキを縛っていたのだ。
――なら、いいか。
タツキは己と、己のダンジョンとの接続経路に意識を向ける。
それを地下茎のように、それが主根であるかのように、地中で分化させ、分岐させ、分裂させ、ワナジーマを、地下から繭のように包み込む。
『ダンジョンマスターっ! 貴様かっ!! 貴様のせいでワナジーマが――』
その通り。
と、タツキは心のなかで頷く。
俺はこの世界において――、少なくとも、今、このシーンにおいて『力持つ者』であるはずだ。
ゆえに、俺の責任でワナジーマが――
『此奴の力でワナジーマは救われるのじゃ』
――そう。
なにせ、俺はイイモノのダンジョンマスターだからな。
『――タツキ、ダメだっ、無理はっ』
イメージ、展開。
これまでの、街道に続く中央通りは地下をくぐって、再び城前にて地上に上がる。
交易都市でもある以上、傾斜は、馬車が通っても問題ない程度に抑える。
トリーデ川へのアクセスのため、北側にも出入り口を作る。
川の氾濫にもそなえ、ニフヌ大湖へ直結する排水口を整備する。
光は、ダンジョン・タウンで実証済みの水晶を用いた機構をそのまま複写する。
――町並みの詳細は、今は城に避難している人たちに聞けばいいだろう。
タツキはそう考えると、忘れずに天井にサブコアを配置し、その下準備を終える。
「イメージ、具現化せよ!!」
かくして大地は激しく振動し、ダンジョンマスターは新たな領土を手にしたのだった。