57:奇縁に驚くダンジョンマスター
父親似の女の子は幸せになる。
そんな言葉が脳裏に浮かぶレベルで、ゲオルグにはカミューの面影が色濃く在った。
もともとカミューは男装の麗人がよく似合う少女なのだが、その父は、イケメンがそのまま歳を取りました的な、群青の髪の美丈夫なのだ。
ただ、辺境伯の領主というのはそれほどまでに苦悩が多いのか、髪には白いものが多くまじり、表情には深い皺が彫り込まれている。
「きききき、貴様がダンジョンマスターかっ!?」
いや、顔の皺はただ単に。
愛娘が慈愛の表情で、両手で包み込むようにその手を握るタツキに向けた、なんというか、娘大好き父的驚愕の産物である可能性が非常に高い。
「え? あの、そうですが、少々お待ちを。今はご覧のとおり緊急事態で・・・」
どすどすと足音を響かせながら、瓦礫の中をタツキに向かって猪突する辺境伯領主。
タツキにとって、もちろんこの男も重要人物ではあるのだが、それよりも今は、*******と発言したトーマスと、ネクロマンサーの老人の、ひどく奇妙な話を聞かなければいけない場面だ。
この世界で意識を得てから、これが初めてではないだろうか。
己の出自に繋がるかもしれない情報を、他者の口から聞いたのは。
なのに。
「ここここ、婚姻前の娘の手を握るなど、許さんっ! おおお、俺は断じて許さんぞっ!!」
ものすごい勢いで、タツキの話など全く聞かず、全力でそれを邪魔しに来る辺境伯領主が一人。
「ええと、握っているのは俺ではなく、その娘さんなのですが・・・」
しっとりと温かい両手。
少女らしくない、硬い、戦う者の手であるところが、カミューらしい。
頑張ってるんだな、と微笑ましい気持ちになる。
「タツキ、すまん。あんな父様で。その、私は穢れ女で、いままで、て、手を握ってくれる男など、いた試しがなくてな」
いや、だから、握っているのはあなたでしょうに――
その言葉をぐっと飲み込んで、はぁ、とタツキは溜息をつく。
そこに込められた哀愁は3つ。
ひとつ。なぜか娘に懐かれている。
ひとつ。いまだ親父がやかましい。
ひとつ。おかげでトーマスと、ネクロマンサーの老人がこちらに視線を向けている。
いくらなんでも、気づかれてしまったようだ。
***
「私としたことが、ダンジョンの話題でもないのに、少々熱くなってしまいましたね」
「構わんよ。儂も随分と長いこと生きてはおるが、*******殿に出会ったのは初めてじゃからのぅ」
まただ。
「音」として、聞こえる。
しかし、「意味」として伏字にされる。
音が、脳内で意味を成せないため、記憶として留めることができない。
それをベースに、思考することができない。
「タツキ? 一体どうしたというのだ!? 震えているじゃないか!?」
それは、相当な不快感。
カミューに触れる右手にも、微かな震えとなってそのストレスが伝わる。
ぎゅっと、握り直してくれるのが心強い。
「いや――、大丈夫だ。そのうち慣れる」
故に思考を、思考可能な事実へと、集約する。
まずは眼前の状況の整理からだ。
眼前には、侵略者側であるラコウの死霊術師。
その手駒であった屍腐真竜はエリキシルへと還った。
ゾンビは主天使が有する結合魔技により殲滅。
故に、大勢は決したと言って良い。
あとは、この侵略者たる老人にどのような処遇を与えるか、といった所だろう。
「それで爺さんよ」
トーマスと、死霊術師カータヴェル。
2人のやり取りが収束した所で、ギースが、チラとゲオルグに目をやってから言葉を継ぐ。
「俺たちは、これからアンタを捕らえなければならない。勝敗はついたと思うんだ。おとなしく従ってはくれんかね?」
その一言で、辺境伯領主は辺境伯領主の顔を取り戻す。
己が役割を思い起こさせてくれたギースに目礼をし、カータヴェルに歩み寄る。
しかし――
「それはできまいよ」
その、ゲオルグの歩みを遮るかのように老人は笑った。
「儂は冥界宮の調整役じゃからのぅ」
***
調整役。
それは、*****の**を発見し、それを正す者を指す。
そう、タツキの中の達己が囁く。
「それがどうしたというのだ? 貴様が調整役だというのなら、貴様を捕らえれば冥界宮は荒れる。それはラコウの国力低下に直結する。なおのこと、貴様に、しかるべき裁きを下してやるわ」
「かかかっ!」
一般的常識を、ゲオルグは説いたつもりであった。
しかし、それを老人は嘲笑でもって一蹴する。
「さてさて。お主は儂が冥界宮を調整し続けた歳月を、言い当てることができるかの?」
それは不吉な笑い。
トーマスの眉が、ピクリと動く。
「――どういう意味だ?」
「そうじゃのぉ、どう伝えるのが最も効果的かのぉ」
「ご老人、あなた、まさか――」
ゲオルグの疑問。トーマスの切迫。
「儂がいなくなれば、冥界宮は大暴走を引き起こす――、この表現が、一番わかり易いかの?」
「なおのこと、ラコウが弱っていいんじゃねーか?」
がしゃり、と金属鎧を鳴らし、ロベルトが首を傾げる。
「かかか。普通はそう聞こえるよの。じゃが、四大迷宮の大暴走ぞ? 若いお主は知らぬかもしれぬが――」
「――っ!」
ギースが身じろぐ。
「亜監獄――! だがっ!?」
食ってかかろうとするギースを、老人はすっと手を前にかざすことによって留める。
ボロボロの黒ローブから覗くその手は枯れ枝のように節ばり、爪は漆黒で、骨と毛髪で編まれた腕輪が、カラカラと音を出す。
「お主の言いたいことはよく分かる――。『大暴走が起きる証拠がない』、か?」
何故だろう、その声は若々しく。
節くれだった手が、粘土細工のよう波打ち、になめらかに、そして、白く。
漆黒だった爪は形を変え、艶を放ち、赤く、そして尖る。
「わ、若返っただとっ!」
「冒険者時代に――、誰かが言ってやがったな」
驚愕にゲオルグは一歩後退し、ギースの頬に一筋の汗が流れ落ちる。
「極まった死霊術師には、己を一時的にアンデッド化させる魔技が発現するらしい」
「かかかかっ! やはりこの中ではお主が一番見どころがあるのぉ。儂は――、おっと、すまん、老人の姿が長かったのでな。私はカータヴェル。お前は《武器庫》だな?」
「・・・ギースだ」
ボロボロの黒ローブすら、その魔技は変性させるのか。
今、目の前に居るのは白髪の、貴族然とした衣装を纏う、この煤煙る廃墟にはそぐわない優美な若者だった。
ダリアの魔法の光りに照らされているせいだろうか、その肌は病的なほどに白く、その目は血のように赤く――
「さて、大暴走が起きる証拠、だったな」
エリキシルが、若返ったカータヴェルの足下に集う。
「ダンナ――」
ロベルトが素早くタツキと、その手を握るカミューをカバーし、ギースは《武器庫》を準備し、ゲオルグが剣の柄に手をかける。
「害のある者ではないよ」
それら、臨戦態勢となった面々に若々しきカータヴェルは苦笑し、そして。
「ご主人様ぁ、お呼びですか〜?」
足下のエリキシルが形作った死霊術師の眷属召喚陣からは、間延びした台詞を纏って、しかし怜悧な雰囲気を持つ女性が吐き出されるのだった。
***
言葉を失う。
――とは、まさにこんな時のための言葉なのだろう。
誰ひとりとして、身じろぎすらできずにいるその空間で、注目を一身に集める女性とカータヴェルは見つめ合い、そして、見せつけるかのように口づけを交わす。
「黒目――、黒髪」
かろうじて言葉を発せたのは、己もその特徴を有するタツキと、
「ほうっ! ほほうっ!! そう来ますかっ!! あなたはそう来ますかっ!! これはなんとも興味深く、そして素晴らしい現象っ!!」
頭のネジがダンジョン方向にズレているトーマス。
「さぁ、挨拶をなさい」
「――はいっ、カータヴェル様」
彼女は、触れれば切れそうな雰囲気を纏いながら、甘く、甘く囁くように言葉を発する。
「私はぁ――、冥界宮のダンジョンマスター、カオルコ」
そして、纏うドレスと同じ、漆黒の髪をかきあげ、白いうなじを見せる。
そこにあるのは小さな赤い、2つの傷。
「――カータヴェル様の眷属にして、最愛のパートナーなのぉ〜」
カオルコはスカートの端をつまみ、深々と一礼をする。
長く豊かな彼女の黒髪。
艶のあるそれらが、さらさらと彼女の背を滑り落ち、バサリと前に垂れ下がる。
「だからぁ、私のカータヴェル様にちょっかいを出したりしたら――」
彼女はそのまま、顔だけをこちらに向ける。
黒髪に埋もれた美貌の奥で、赤い瞳が爛々と輝く。
「――ひぃっ!」
誰かが悲鳴を上げてくれなかったら。
あるいは、タツキの手を握るカミューがガタガタと震えていなかったら、タツキが叫んでいたかもしれない。
これは、まるであれだ、井戸の底で呪いの***を量産されておられた、**さん、そのダンジョンマスター版ではなかろうか。
「――ここら一帯を、アンデッドで蹂躙しちゃいますからね」
そう、彼女は艶やかな髪の向こうで艶然と宣言するのだった。