05:ダンジョンマスターと浴室の少女
お約束な回です。
ダンジョンマスターの本能≫生命維持≫衛生管理
このカテゴリーに「石鹸」や「タオル」が格納されていたので、ありがたく浴室に置かせてもらった。今はチェリが入浴中で、遠くから幸せそうな鼻歌が聞こえている。
着替えも「生命維持」カテゴリーの「衣類」から取り出した。
男女各1種類だけ存在していたので、「貫頭衣(女)」をクリエイト。ワンピースな貫頭衣と腰紐が出てきたので脱衣所においておく。彼女がこれまで着ていた服はあまりにぼろぼろだったので、ダンジョンに吸収させて処分した。
なお、この吸収という行為がこそが、ダンジョンマスターにとって最も基本となるエリキシル回復法だったりする。
衣類といえば、困ったことに「下着」というカテゴリーが存在しない。**でも中世*****辺りまで存在しなかったらしいので、文化レベルの問題だろうとタツキは考える。
ただ、慣れるまでいろいろと意識してしまいそうで、知らぬが仏だったなぁ、とは思ったが。
「しかし、記憶は戻らんな」
リビング認定した大きな部屋の、床石を削り残して作った椅子に腰掛けながらタツキはひとりごちる。
戻らない、というのにも語弊があるかもしれない。記憶があるかのごとく、理論思考することはできるのだが、単語が、特に固有名詞がまだらに抜けているという状態なのだ。
例えば自分が生まれた国。
島国で、経済大国で、平和主義を掲げる国であるということは問題なく覚えているのだが、**という名前が出てこない。
さらに、自分自身のこととなるとさっぱりだ。
生まれた年代、そして学歴。職歴や、既婚だったのか、それとも未婚だったのか。
感覚としては問題なく知っている。しかし、表現することができないのだ。当然、何がきっかけでダンジョンマスターなる存在としてこの世界に居るのかなど、わかろうはずもない。
もしかすると、本来それらの記憶が入るべき領域に「ダンジョンマスターの本能」が上書きされてしまっているのかもしれないな、とタツキは思う。
ただ、自身について思うことは、チェリを見ていても「ときめき」よりも、ややもすると、娘を見るような「微笑ましさ」を感じるのだ。もしかするとタツキの年齢は少年ではなく青年、下手をすると壮年を超えているのかもしれない。
もちろん、ときめきも感じないことはない。
と、タツキは己の若さの証明と、チェリの名誉のために付け加えた。
***
浴室は特に力を入れて作った。
ここにチェリを案内し使い方を説明したタツキは、表情の乏しい顔にやや得意げな笑みを貼り付けてそういった。
「し、幸せぇ……」
ツルツルの石材で作られた湯船のへりに、桜色になった頬をひっつけながらチェリがとろける。
そのまま溶けてなくなってしまいそうなとろけっぷりだ。
適温の湯がなみなみと蓄えられた、小さな子どもなら泳げてしまいそうなサイズの湯船からは青い青い湖の水面が一望できる。ガラス、とタツキが呼んでいた透明の板がふんだんに使われている浴室は、春の午後の優しい光に満たされていた。
湯舟水面と、湖の水平線が一直線で重なって、まるで湖に浸かっているのではないかと錯覚する解放感だ。
「こんなに幸せで、私、今日死んじゃうんじゃないかしら。ううん、実はもう死んじゃってて、ここは銀の船の国だったりして」
村での生活を思い起こすと、そう思うのも仕方ない。
チェリの仕事は家畜を育てることだった。家畜を育て、牛ならば乳が出るようになると、鳥ならば卵を生むようになると、男たちが、湖で採れた魚とともに街までそれらを売りに行く。
けしてフードを取らぬよう。
けして家畜小屋から出ぬようチェリは言い含められていた。
だから、応えが返ってこない動物たちに話しかけ、冬は動物たちにくっつい暖を取り、家畜小屋の中で、村の家畜の一匹として今まで生きてきたのだ。
チェリは両親を知らない。
物心つく前に売られたのだと聞かされている。
生まれて、穢れ持ちだとわかった瞬間に、殺されてしまうことも多い事を考えれば、まだマシな方だったのかもしれない。あるいは、生まれたての頃は、尖った耳はそれほど目立たなかったのかもしれない。
「村は、どうなったのかなぁ?」
湯船から上がると、わしゃわしゃと、タツキに教えてもらったとおり、石鹸をよく泡立てて髪を洗う。
「いい匂い…」
ほのかに香る、清潔な匂いにうっとりと目を細める。
かけ湯をして、泡を洗い流す。
栄養状態は良くないが、若く、きめ細やかな肌が水滴を弾く。
「冒険者、来きてくれたのかなぁ?」
ふるふると、頭を振って水滴を飛ばし、チェリは、はたと首を傾げた。
自分が生け贄に捧げられた時、村長はがなりたてていたはずだ。もう少しで冒険者が来てくれる、と。
冒険者が来たらどうなるのか。
当然、ダンジョンを探索し、それを潰すのだろう。
そうすれば、村はモンスターの襲撃に怯えることなく、変化のない、しかし平和な日常に戻ることができるはずだ。
「ダンジョンを、潰す?」
チェリはもう一度首を傾げる。
「あれ? ダンジョンって...、ダンジョンって、も、もしかして、ここ?」
あまりに心地よくて、ダンジョンと、タツキのいるこの場所がイコールで結びつかなくなっていた。
「ひゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
真っ青になったチェリは慌てて浴室から飛び出した。
***
ダンジョンマスターの本能≫生命維持≫食事
このカテゴリーに存在するのはたったの2つ。飲料水と栄養バーだ。
味も素っ気もないが、おそらくこの2種類の食事だけで、人に必要な栄養素はすべてまかなえるように作られているのだろう。
「昼飯はこれで我慢してもらうか」
夕飯は湖で魚でも釣ってみよう。石材からくりぬいて、磨き上げて作った皿。
そこに****などでよく見かけた黄色い箱の栄養機能食品、*******にしか見えない、四角く細長い焼き菓子状の食べ物を盛りつけていると、
「ひゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
とチェリのあられもない悲鳴。
そしてひたひた迫りくる切羽詰まった足音。
「どした? 変な虫でも…」
いたのか? と問いかけようとして、タツキはおもわず手の中の岩皿を取り落とす。
「たたたタツキ様っ!! 大変ですっ! たいへんなんですぅっ!!」
チェリがじたじたするたびに、支えるものも遮るものもないそれがぷるんぷるんと揺れる。
「阿呆っ! 大変なのはお前だっ!」
曰く、全裸。
眼福だなぁ、とか、やっぱり平均よりおっきいよなぁ、とか、髪の毛が栗色だと、栗色なんだなあ、とか、ゆうに5秒くらい考える余裕はあっただろうか。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
もっとあられのない悲鳴を、もとい、魂からの絶叫を上げ、チェリは元来た通路を駆け戻っていった。
そして15分後。
「ううううう。もうお嫁に行けません」
テンプレな台詞を吐いて、首まで真っ赤にして石のテーブルに突っ伏すチェリがいた。
「チェリがいろいろ残念な娘だってことはよくわかった」
よほどショックだったのか、チェリがなかなか再起動しなかったので、タツキもひとっ風呂浴びてきた。ほてった体にダンジョンで冷やされた風がつけるのは気持ちがいい。
「で、一体何だったんだ?」
よく冷えた***、はないようなので、エールでも飲みほしたい気分だ。
実は酒類は褒章カテゴリーから出せたりする。
「残念って、ううう。でも、凹んでる場合じゃないんです。タツキ様、大変です、一大事なんですよぉ!!」
「ああ、それはよく分かったから、中身を教えてくれ」
チェリはタツキを見つめ、やや恥ずかしそうに、しかし重大な事実を告げる。
遅くともあと3日後に、このダンジョンを潰すため冒険者の一団が攻めてくるのだ、と。
2015/10/18:1点表現を微調整しました。
いつも読んでいただきありがとうございます。