56:世界に戸惑うダンジョンマスター
凄まじい数の白い何かが落着し、膨大な光とともにあたりを静寂が支配する。
「一体・・・何が?」
「――み、みんな、見て! ゾンビが、ゾンビが消えてる!!」
その閃光は、領主の居城、その中庭に避難した住民たちにも目撃される。
彼らを護るため、剣を構え、しかし、相対する者がいなくなって呆然とする騎士たち。
なけなしのエリキシルを火球や聖光に変換し、しかし、それをぶつけるものがいなくなって、慌ててあたりを見回す法術師たち。
「天使様・・・」
「何だって!?」
「見たんだ。俺、見たんだよ! さっきの閃光が天使様の形をしていたんだっ!!」
その、すべての意思あるものが呆けてしまった一瞬を切り裂く、誰かの叫び。
それは水面を走る波紋のようにその周囲に伝播し、
「天使様っ! 見たっ、俺も見たぞっ!」
「・・・わ、私もっ!」
「言われてみれば・・・天使様・・・」
中庭の領民たちは、ともに逃げてきた家族と、恋人と、近所の仲間たちと、その閃光の話題をぶつけあう。
会話は熱を帯び、見ていない者すら己は天使を見たと思い込み、中には光を浴びたことで持病が治ったと叫ぶ者までがでてくる。
極限状態が生み出した、集団催眠的な熱狂。
そして、
「なぁ? ――ひょっとして、俺たち、救われた・・・のかな?」
誰かがその堰を切った。
「すく、われた?」
「そうだっ、もう、ゾンビはどこにもいないっ!!」
「助かったっ! 助かったんだよっ! 俺たちは生き延びたんだっ!!」
「「「おおおおおおおおっ!!!」」」
それは、夕日が完全に沈みきる直前の快哉であり、ロベルトとギースが屍腐真竜の首を断ち落とした瞬間の絶叫だった。
***
そして。
「目が、目が〜っ!!」
中庭の領民たちとは違い、薄闇での戦闘に慣れた目で、かつ、至近で光を受けたルイーゼは両手で瞳を押さえて、瓦礫の中を器用にくるくる回転する。
「ぐっ」
「カミュー様、ご無事ですかっ!?」
「「カミュー様っ!!」」
同じく視覚を奪われた主従は声を掛け合いそれぞれの位置を把握し、
「カミューだとっ!? どこだっ!? 何故ワナジーマにいるっ!?」
その声が、奇しくも同じ戦場に立った父娘を結びつける。
「そ、そのお声はゲオルグ様!?」
「ち、父上!? 何故こんな前線にっ!? 皆は、領民は生き延びておりますか!?」
「どこだっ、カミュー!」
「父上っ、私はここです」
声のかけ合い。
それは長くは続かず、やがて伸ばされた手と手が触れ合い、父娘は再開を果たす。
「おお、カミュー。まずはお前との再会が叶ったことを神に感謝しよう――」
ここへ来て初めて、ゲオルグの表情が和らぐ。
王都の穢を一身に集める一族の長は大きく息をつくと、その巌のような体躯にふさわしい、苦労とそして苦悩の刻まれた己の顔をひと撫でする。
「そして領民だったな。――安心するがいい。大半が無事だ」
カミューの青を濃くしたような、群青の髪。
その鋭い目元は、娘のそれとよく似ている。
「大暴走がワナジーマに近づいた際、城に避難させた。入りきらなかった者も中庭にいるはずだ。ただ、ゾンビが門を破った際、戦う意志を示した男どもが騎士団と共に打って出ている。その被害はまだ分かっていない」
「そうですか――」
少し安堵した表情で、カミューも頷く。
己が選んだ戦いで命を落とすことは、まだ許容できる。辺境の歴史はそうやって作られてきたのだから。
戦う力のないものが、戦いに蹂躙されてしまわないように。
「さて、次はお前のことだ。カミューよ、何故ワナジーマにいる?」
「それは、父上が意味深な通信をするから慌てて――」
「――そこよ」
閃光に焼かれた目が徐々に癒えてくる。
赤き夕闇は、群青の夜に役割を譲り、ダリアが共通法術である《持続光》を打ち上げる。
くるくる回っていたルイーゼは、とうとうどこかで蹴躓いたのか瓦礫に頭を突っ込んでジタバタしている。
「通信をしたのは昨夜だ。にも関わらず、お前はここにいる。一体どんな移動手段を取ったのだ」
「――うっ?」
サァー、っと彼女の顔から血の気が失せる。
「い、移動・・・手段?」
「どうした? 顔色が優れないようだな。疲れが出たのか?」
それは暴走絨毯。
父の言葉でまざまざと思い出し、カミューは三度白目をむきそうになる。
「い、一直線の地下通路を・・・ですね、み、み、緑の悪魔が操作する魔法の絨毯に乗って・・・」
「カミュー?」
「ご、ご領主様、その辺りで――」
「ダリア?」
生まれたての子鹿のようにプルプルし始めたカミュー。やや青い顔となったダリアがゲオルグを止める。
「お前たちまで」
隣を見れば、姉妹の戦士、アンナとショーナも、まるで勝てない宿敵に出会ったような顔をしているのだった。
***
結局ダリアが簡潔にこれまでの経緯を説明。
「なっ・・・、ダンジョンマスターが己の迷宮から一直線のトンネルを掘っただとっ!?」
日常であれば、このような報告をする部下には暇をくれてやるところだ。
しかしゲオルグはミアズナ町長から迷宮都市と常識を逸したダンジョンマスターの報告を受けている身だ。
一笑に付すこともできず《持続光》の下で腕を組み、うむむと唸る。
「な、ならば、件のダンジョンマスターに会わざるを得まい。今、其奴はどこだ?」
そして、会わねば何も始まらぬ、という結論に達する。
「私達の最終合流地点はここワナジーマです。そして、おそらくもう到着していると思われます」
「――根拠は?」
「ゾンビを消し去った先ほどの閃光が、タツキ様の魔技である可能性が高いためです」
「なっ!?」
ゲオルグは絶句する。
あの閃光以降、剣戟の音や、法術の瞬きなど、戦闘継続を示唆する現象の一切が途絶えている。それはすなわち、屍腐真竜を含む、すべてのアンデッドが、あの閃光によって祓われたことを意味するのではないか。
「――それは、確かな情報なのか?」
このような広域に作用に作用し、かつ即効性を有する魔技をゲオルグは知らない。
かのダンジョンマスターが、そのように強大な力を有する存在であるならば、なおのこと、己が領主として対面し、その者の真意を見極めなければならない。
――さすがは、マオウの手先といったところか・・・。
ゲオルグが敵対的イメージを前提に、その眉間の皺を深くした所にしかし――
「いいえ、想像でしかありませんが、まず間違ってはいないでしょう」
――ダリアが、柔らかく微笑んだ。
「なにせ、あの方自身が理不尽のカタマリですから」
その笑顔はとてもマオウの手先に向けられるたぐいのものではない。
ゲオルグは反射的にアンナとショーナの姉妹を見やるが、驚くべきことに、ダンジョンマスターを父の敵とする二人の戦士も、顔を見合わせ苦笑している。
「それは一体、どういう――」
ゲオルグは、それ以上聞くことができなかった。
「あはははっ! そうだな、タツキ殿はそんなお方だ」
ダリアの言葉を受けて、愛娘が、今まで見せたことのないような鮮やかさで、花咲くように笑ったのだから。
***
「ならば! 俺はダンジョンマスターを探すぞ、是が非でも!」
領主としての責務と、父としての微妙な感情と、そして、自身にも表現できない某かの心の動きに突き動かされ、ゲオルグは宣言する。
「近衛どもっ!」
「はいっ!」
「生き残りに伝えろ。俺の沙汰があるまで城にて休息を取れっ! 食料庫を開いて領民にも夕飯を食わせろっ!!」
「「「はっ! 了解いたしました!」」」
そして近衛たちが、各自の手段で明かりを灯し、廃墟のようになってしまった町に散ってゆく。
「よし、我らも行くぞ」
焼け落ちてしまったとはいえ、そこは慣れ親しんだ町だ。
「まず間違いなく、タツキ様は騒ぎの中心でしょう」
「ならば、屍腐真竜の辺りということだな」
程なくして、タツキとロベルト、ギース、屋根の上の緑の悪魔とその主従、そして、見慣れぬ老爺を発見する。
あれほど巨大であった腐したる竜は、首を落とされ、燐光を上げながら、橙色に焼け落ちるように、エリキシルへと還元されゆく最中あった。
「タツ――キ?」
カミューの、喜びを孕んだ呼びかけ。
それは尻すぼみに消え、ダンジョンマスターには届かない。なぜなら。
「ご老人。今回のことは*******として警告させていただきます」
「なっ!?」
それは屋根の上から。
今何か。
とてつもなく場違いな単語を耳にしたという思いが。
タツキの血の気を一気に退かせたからだ。
「ロベルトっ! ――い、今、トーマスは、なんて言った?」
慌てて隣のロベルトに聞くも、
「ははっ、流石はコガネムシのダンナだ」
あまりに温度差の違う、いつもの返答。
「ネクロマンサーに説法とは肝が座ってんな。《商人としての警告》ってこたー、あいつの親父殿はラコウにまで手を広げてんのかねー?」
場違いな単語は、その場にあって違和感のない単語となって返される。
――なんだこれは!? 俺は確かに*******と・・・
そして、いつもどおり伏字される思考。
――くそっ!
混乱するタツキは、無意識のうちにチェリの手を握り、
「ひゃんっ!」
しかし当然ながらチェリはお留守番なので、そこにはいなくて、
「あれっ!? カミュー、いつの間に? あ、ああ、ご、ごめんなっ!」
「た、タツキっ」
慌てて手を離そうとしたら、
「どうしたんだ、こんなに冷たい手をして」
逆にカミューが離してくれないどころか、その手を両手で包まれてしまって、
「きききき、貴様がダンジョンマスターかっ!?」
ビキビキと青筋を立てるゲオルグが怒鳴りこんでくるのであった。