55:剣を放つダンジョンマスター
竜。
それは一般の人々にとっては天災に近い生物だ。
多くは《獣族》系ダンジョン深部に鎮座し冒険者の挑戦を待っているのだが、過去の大暴走に乗じ、地上で生態系を構築した一群もあり、それらとの偶発的な遭遇は、多くの場合において死を意味する。
「いやぁ、死ぬかと思いましたよっ!」
ぷるぷる状態を脱したトーマスは、がばりと立ち上がると「ですがっ!」と、誰に対してであろうか指を突き出す。
「屍腐真竜と元最高ランク冒険者との一騎打ち! これを見ずして死ねるはずがありませんっ!!」
そしてトーマスは手近な瓦礫に腰掛けると、かぶりつきで観戦を始める。
「やややっ! ま、魔法陣ですっ! 黒いっ! 竜が己の周囲に無数の黒い魔法陣を展開していますっ! そこからいかにも触れたくないような暗雲が漂いだしたっ!! どうするギース殿っ!!」
「はいはい」「がんばってねー」的な表情を浮かべながら、双子が復活した主の左右に侍る。
「――なんとぉっ! ギース殿はまったく意に介さないっ! そのまま暗雲めがけて突っ込んだっ!! 何か策があるのかぁっ!!」
さらにマジックボックスからダンジョンマスターの飲料水と携帯食料を取り出し、もしゃもしゃぐびぐびやり始める。
「こ、これはぁっ!? ベールですっ! 美しいっ! 青い水のベールが球状にギース殿を覆っていますっ!! 暗雲を全く寄せ付けていないっ! そしてギース殿、悠然と2刀を構えたっ!!
対する屍腐真竜、竜とはいえ、やはり腐っているのでしょうかっ!? ギース殿に届くことのない暗雲を連発しているっ! 知性を感じられませんっ! ギース殿、刃を掲げ暗雲切り裂く蒼き流星のようにそれを突っ切り――」
食べかす散らかしながら叫んでいたトーマスは、ここではたと我に返る。
「――って、おや? 風向きが・・・。暗雲、こっちに流れてきましたか?」
慌ててあたりを見回すと、双子はさっさと退避しており、焼け残った建物の屋根に登り、「こっちこっち」「はやくはやく」と手招いている。
「リクっ、クウっ、私は君たちの主のはずなのですがっ!?」
ブレスの時も置き去りにされたトーマスは、涙目になりつつも慌てて柱にしがみつくのだった。
***
――残念だったな。
水女神の篭手が発する力場の後ろでギースが二刀を振りかぶる。眼前の巨大な赤黒いものは、竜、ではあるが、やはりゾンビなのだ。
魔力を感知し、その高い知能で戦略を紡げた生前とは、似て非なるもの。
本能のみで呪力の効かないギースに呪いをぶつけ、対竜と対不死の特攻剣を持つギースの一撃を、そのまま受け止めようとしている。
「図体がデカかろうが、ゾンビはゾンビ――っ!?」
ギースがその首元に叩きこもうとしていた剣はしかし、竜皮が岩石で鎧われることによって、硬い音とともに阻まれる。
「受動魔技だと!?」
その衝撃に、愚鈍に暗雲を連発していた竜は、思い出したようにその腐りかけた前肢をギースに叩きつける。
「遅ぇっ!! そんなものっ――、なにぃっ!?」
軽々と躱した黒い爪、一拍遅れて、全く同じ軌道を描いて、しかしその爪より二回りも大きな岩石の爪が降ってくる。
地が揺れ、地に積もっていた埃やら灰やらがもうもうと舞い上がる。
「地凰竜じゃよ――」
粉塵の向こうから、それをかろうじて回避したギースに老爺の声。
「――ふん、属性竜は死んでも属性持ちってことかよ」
「かかかっ。この状況で即答されるとはのぉ。隙も、動揺もないとは、お主、相当の使い手よな?」
粉塵の向こうからの声。
「じゃあ、一応聞いとくか。
――アンタ、どう見ても逃げ遅れた住人って感じじゃねぇな。この腐ったデカブツの関係者ってことでいいんだよな?」
声の主の登場とともに竜の動きが止まる。
ギースも呼吸を整え、魔技で適切な装備に換装する時間を稼ぐ。
「概ね正しいのぉ。じゃが、お主は良いことを言った。そこだけ解説を加えるとしようかの」
***
「儂は確かに《地凰竜のゾンビ》を眷属とした」
その声音は、敵対者のそれから、いつの間にか弟子に諭し聞かす師のそれとなる。
粉塵は風に払われ、夕闇に老爺のシルエットを浮かばせる。
「じゃがな、儂はそいつを不死系最大のダンジョン、冥界宮で手に入れたのよ」
――どうじゃ、これは示唆ぞ?
そんな思いが老爺の声に乗る。
どうにもやりにくい爺さんだ。
ギースにとって、それがカータヴェルの第一印象だった。
なんというか、その自分勝手さと、己の好奇心の赴くままの行動は、同じくやりにくいトーマスのそれに繋がるような気もする。
「ならば、もう一つ示唆を。――お主は、属性竜は死んでも属性持ち、と言ったのぉ?」
「はぁ? どう見てもその竜は腐って――っ、おいおい、それはひょっとして」
「かかかっ。至ったか。与えた示唆は二つ。まぁ、合格点じゃのぅ。
そうよ――、はたしてその《地凰竜のゾンビ》は、地凰竜で在ったことが、有ったのじゃろうか――、おおっと」
飄々とした、つかみどころのない言い回し。
それを言い終わることなく、老爺は己の眼前に死霊術師の法術、骸壁を瞬時に起立させる。
「危ないのぉ」
骨の壁を白く塗りつぶし、冷気を同心円上に散らすフロストノヴァ。
「トーマス!?」
それはどうにかこうにか屋根に登ったはずの、緑の商人からの援護射撃。
測ったかのように、ギースの手前で霧散する冷気の輪。
「ご老人――」
着膨れたコガネムシは、不機嫌な表情で使い切った魔石を握りつぶす。
振り仰いだギースには、彼の唇がこう音を紡いだように見えた。
「それは、ルール違反ですよ」
***
それら腐竜と、老人と、ギルド部長。そして緑色のコガネムシっぽい商人とのやり取りを、幾つかの瞳が注目していた。
「――ギルドだ。冒険者ギルドが来てくれたのだっ!!」
ゾンビの足並みが乱れ、屍腐真竜までが動きを止めた。
ゾンビを切り倒し、瓦礫を踏み分けながらもその事象の源流にたどり着いたゲオルグは、2刀を構えるかつての最強冒険者を前に快哉を叫ぶ。
「し、しかし、何故間に合ったのでしょう? 伝声の水晶球で救援を乞うたのが昨日ですよ。たとえ飛行騎乗を使ったとしても――」
「――ミアズナからならどうだ?」
「そっ、それならば飛行騎乗でニフヌ太湖を突っ切れば・・・、しかし、そんな都合よく――」
ゲオルグは、昨夜の《遠見の水晶球》越しに見た映像を思い出す。
それは、笑顔と活気に満ちた、村落の祭りのような風景だった。
呼びかけに応えた娘の顔は、憑き物が落ちたかのように、和らいでいた。完全武装の己を見ることで、すぐにこ強張らせてはしまったが。
「――ダンジョンタウン、か」
「は?」
己の口から漏れでた言葉に、己が驚いた。
「事実として――」
そんな戸惑いをはらませながら、ゲオルグは言葉を続ける。
「――そこでギース殿が戦っておられるのだ。我らも加勢するぞ。腐竜には及ばずとも、その戦いを脅かすゾンビの始末ぐらいはしないとな」
「はっ、はいっ!」
そして、ゲオルグとその参謀、彼らに付き従う少数の近衛が鬨の声を上げた、その瞬間。
彼らはすべからく、降臨する天使の群れを見たことだろう。
そして、そのシルエットを目に焼き付け、視界が純白に焼き切れる。
「ぐおっ!」
「何事だっ!?」
「来おったかっ!!」
「ほぅっ! すばらしいっ!!」
そして、幾つもの驚愕が木霊し、
「ダンナ、これ、俺が来る意味あったんすか?」
「え? あるよ。ゾンビは一掃できたけど、ほら、あのでっかいのが残ってる」
どことなく場違いなやり取りが交わされる。
「というわけで、トドメ刺してくれると嬉しい、俺の剣」
「へいへい、承りましたよ、我が主」
軽い返事だったが、ロベルトの灰色がかった瞳には熱が感じられ、
「おやっさんっ!! 俺に続いてくれっ!」
「――ロベルトの坊主かっ!」
ロベルトは、重武装とは思えぬ速度で地を駆け抜け、
「坊主っ! 俺の装備はっ!?」
「不死特攻二刀っ!!」
竜が展開する岩石の盾をロベルトがその折れぬ大剣で断ち割り、
「かかかっ、やりおった! やりおったわっ!!」
続くギースの閃きが駆け抜け、重く湿った音を立てて、竜の、その太い首が地に絶ち落ちるのだった。