53:死都へと赴くダンジョンマスター
時と、そして場所を移そう。
そこは悲鳴と怒号、阿鼻叫喚の中心。
そう――
「ひ〜や〜っ、壁、壁、壁が迫ってますぅ〜〜〜!!!」
「おおおぉぉぉっ! 減速っ、減速だろっ!?」
「ぶくぶくぶく・・・・」
「ああああっ、掴んで、掴んで、白目をむいたカミュー様を誰か掴んで〜っ!!」
――トーマスが操る魔法の絨毯の上だ。
「ヒャッハー!!」
ただ1人、過去最高にハイになって、そして過去最高の速度を維持したまま、比喩ではなく、壁を走りながらコーナーを曲がりきるトーマス。
「きたきたきたきたきましたよーっ!! あれに見えるは外の光ですっ!!」
耳元では轟々と風が巻いている。
無機質な白の光の奥の奥に、沈みかけの夕日を映す、赤い光が見える。
それは福音か、はたまた血塗れた悪夢の始まりか。
「最後の直線は飛ばしますよーっ!!」
「ちょ、おま――」
ギースが止めるまもなく、絨毯は今までのさらに1.5倍は加速。
「はい、階段です。ちょっと揺れますっ!!」
『!”#$%&’くぁwせdrftgyふじこlp――――っ!!!???』
あっという間に直線の終端へ。
赤い光に包まれ、ちょっとどころじゃないくらい揺れながら――
「おや?」
――つまり、階段の急傾斜をありえない速度で駆け上がった結果。
「やぁ、飛んでますなぁ〜」
慣性の赴くままに、絨毯は、すぽん、と大空へと舞い上がったのだ。
***
ワナジーマは辺境にふさわしく、質実剛健な城下町だった。
ハクウ台地での農耕と、水源でもある、大瀑布となってニフヌ大湖に流れ落ちるトリーデ川での漁。
それらに食を支えられながら、それら恵みの許す範囲で人口が増え、隣国ラコウとの国境線を守るだけの戦力が常駐し、そして、越境特権を持つ両国の商人たちと交易をする機能が付加された町。
その町が今、沈みゆく夕日に照らされながら、赤く、そして紅く燃えていた。
「ああ〜、家が、俺達の家が〜」
「家はまた建てればいいの。命があるだけめっけもんって思わなきゃ」
「ママー、ママー」
「はいはい、大丈夫よ〜。怪物は騎士様がやっつけてくれるからね〜」
さして広くもない城の中庭。
建物内に入りきらない領民が、憔悴した表情で腰を下ろし、黒煙を上げる町をそれぞれの思いで見つめている。
「町を犠牲にし、ようやく五分か」
それは天守にて指揮を執る辺境伯領主ゲオルグとて同じ。
ゾンビを城下に入れ、建物に火を放つことによってその数を大きく減らす。あらかじめ描いていた策ではあったが、想定することと、実行することの、その落差は大きかった。
「今は五分ですが、長引けば長引くほど・・・」
「分かっておるわ」
ゾンビは疲れない。ゾンビは恐れない。そして何より、ゾンビは増える。
前線で何が起きたのか。
その細部までは伝わらなくとも、腕の立つもや分隊長クラスが、あたかも選ばれたかのようにゾンビに変じたことはゲオルグの耳にも届いている。
ゆえに、この期に及んで、思うように騎士団の士気が上がらないのだ。
「頃合いよな」
ゲオルグが呟く。
「い、いけませんっ! もしあなたがゾンビ化してしまったらワナジーマは終わりなのですよっ!!」
大剣を手に立ち上がるゲオルグを側近が止める。
「今は五分なのだろう? ここで俺を含めた近衛の戦力をつぎ込んで、少しでも戦局を此方側に傾けるのだ」
「し、しかしっ、貴方様に万が一のことがあれば――」
「――くくっ」
しかしゲオルグは自嘲気味に笑った。
「そうなれば、国王は大喜びだろうよ」
「ゲオルグ様・・・」
「王家の穢を集めたこの身が潰えるのだ。誰がそれを悲しもう?」
「こ、皇太子殿下なら――」
側近のその言葉に、ゲオルグの顔が歪む。
確かに、あの方なら悲しむかもしれない。
しかし。
「俺はあの方に背いたのだ」
己にそんな資格は一片たりともない。
「で、では、カミュー様は」
「カミュー、か」
己が後継者の名を聞き、ゲオルグは透き通った笑顔を見せた。
脳裏に浮かんだのは《遠見の水晶球》を用いた最後の通信。つながった瞬間の、ほんのひとときではあったが、あれほど和らいだ娘を見るのはどれだけぶりの事だったか。
奇しくも。
「では、行くとするか。万が一にでも俺がゾンビ化したら、躊躇わず切り捨てよ」
「ゲオルグ様――」
主を思いとどまらせようとする忠臣の言葉は、ゲオルグの迷いを綺麗に打ち払ってしまったのだ。
***
「頃合いじゃのぅ」
そして奇しくも。
死者たちの主も、ワナジーマ辺境伯と同じ思いを抱いていた。
「惜しげも無く町を犠牲にするとは、敵もなかなかやりおるわ」
チラと、老人は朽ちた令嬢に目をやる。
《死霊術師》。
祈祷師の上位派生職であるそれは、不死系のダンジョンの多いラコウでは尊敬の眼差しを向けられる職位である。
墓守たちの頂点に立つ彼らは、死者の安眠を守護するとともに、不幸にも目覚めてしまった死者から人々を守護するのだ。
「このままでは押し負けそうじゃ」
彼らの能力は、大きく3つ。
彼らは「死」という概念を有する法術を操る。
彼らは低ランクの不死系ユニットに敵対されない。
彼らは己の力量に応じた不死系ユニットを手駒とする。
「致し方あるまい。アンナローゼよ、交代じゃ」
ラコウの《死霊術師》。
彼らのトップに立ち、首都を世界四大迷宮の一つである冥界宮から守護する老人は、己の手駒を入れ替える。
朽ちた令嬢は優雅な一礼とともに掻き消える。
老人の足元には、黒き巨大な召喚陣が書き上がる。
そこから現れるは――
「さて、屍腐真竜よ、久しぶりに大暴れを許そうぞ」
――そして。
「ば、ばかな、竜のゾンビだとっ!?」
近衛を引き連れ城門より打って出たゲオルグ。
「いかんっ、城に近づけさせるなっ! 我らであれを止めるぞ!!」
――そして。
「ほうっ! うまい具合に城壁を飛び越えましたね」
「いーやーっ!! 飛んでる、これ、飛んでるよーっ!!??」
「ご心配なく。あとは落ちるだけですから」
「ぶくぶくぶく・・・・」
「ああああっ、カミュー様っ、カミュー様がまた白目に〜っ!!」
「おいおいおいおいっ!? 落ちる場所は選べるんだろうなっ!? このコースだとあの腐ったデカブツに一直線だっ!!」
「場所、ですか」
ギースの問に、トーマスはちらと屍腐真竜をみやる。
「努力――、はしてみましょうか」
そしてそっと目をそらすのだった。
***
震えが走る。
それは《武技の賦与者》の効果時間が切れたことにも起因するのだろう。
そして、目の前で力を失い、ズルリと倒れ伏したグレコー。
何が起きたのか?
そんな表情のままで、事切れている。
「――んぅ」
耳元で、サツキの苦痛の呻き。
それくらい、彼女を抱きしめる左腕に力がこもり――
「タツキ様」
「・・・あ、ああ、ごめん。送還すればいいんだよ」
幸せそうに目を回しているチェリをルートに預けたエルローネが、握りしめすぎて白くなったタツキの指を、一本一本、ダンシングソードから剥がしてくれる。
「いいえ。殿方が戦うのなら、その心を護るのは女の仕事です」
そして、「女が戦ったときは、男が護ってあげるんですよ」と、エルローネは穏やかに笑う。
「鎮まれ、水面のごとく――《静心の祈り》」
やがて、静かに染みこむウォルフの祈り。
タツキの手から離れ、自由を得てふわりと舞ったダンシングソードがエリキシルに還っていく。
「ダンナ、すまん。詰めが甘かった」
珍しく、落胆した様子でロベルトが戻ってくる。
その姿を認めたタツキは、
「――はぁー」
と、大きく息をついて、
「仲間が居るって、良いな」
と微笑んだ。
「ダンナ・・・、俺はダンナを危険に――」
しかし、ロベルトは、片膝をつき頭を垂れる。
「俺も、相手に専用魔技があることを伝えてなかった」
「いや――、今回は下手すりゃ、ダンナが殺される危険すらあった」
罰せよ、とでも言うのだろうか、顔をあげようともしない。
確かにロベルトはタツキに剣を捧げ、タツキの騎士となった。
だが、現代に生きたはずのタツキはこのような場面でいかに振る舞えば良いのかわからない。
「うーん」
エルローネに目をやるも、彼女は目を伏せ首を振る。
「ロベルト――」
だから、タツキはちょうど良い、と思ったのだ。
強大なユニットは、強大なエリキシルを放つ。
故に、ここにいる誰よりも早く、タツキは屍腐真竜の存在を感じ取り、カータヴェルが全幅の信頼を置き、ゲオルグが戦慄し、トーマスが着地点に悩むその死したる大竜に「良い時に出てきてくれた!」以上の感想を抱かなかったのだ。
「――俺と一緒にあれを沈めるぞ」
「は?」
と、ロベルトはここで初めて顔を上げ、主が指差す方を見る。
すると、謀ったかのように、崩れかけた城壁の高さを超え、朽ちたる竜が鎌首をもたげ咆哮する。
「今度は、完璧に護ってくれるよな?」
「ダンナ・・・」
ロベルトが唖然とし、次いで苦笑する。
そして、何かが伝わったのか、いい顔で笑うと――
「このロベルト、しかと拝命いたしました!」
そう言って大剣を掲げたのだった。