50:VS制するダンジョンマスター
ダンジョンマスターの少女――。
「アラート。侵蝕率95.8%に達しました。アラート。侵蝕率98.1%に上昇中」
その血色の失せた唇から発せられるのは、グレコーにとって異国異界の言葉だった。
「アラート? 侵食率? どういう意味だ? 何が起きている?」
常時無言な存在の不意打ちのような発言に、グレコーは反射的に問いかける。
「解答。バーサスモード下において、我々の敗北が決定づけられました」
「敗北だと!?」
この状態のどこが敗北だというのだ?
ワナジーマを見下ろす丘の上。
そのふもとから、踏み固められ、汚された草原が城門まで続いていく。
いまや3,000体を超えるゾンビの蹂躙は、城門を越え、城下へ至り、そのあちこちが黒煙を上げ、もはやワナジーマは陥落あるいは陥落寸前のような有様だ。
「アラート。侵蝕率99.9%に達しました。アラート。侵蝕率99.9%に達しました。」
「だから、何が起きているのかと聞いている!」
「解答。バーサスモード下において、我々は敗北いたしました」
再度、少女は淡々と「敗北」を宣言する。
「――くそっ、何がどうなっているというのだ」
それをたわごとと切って捨てることは容易い。
しかし《密偵》たるグレコーは、その「情報」に真実たる重みを感じてしまっていたのだ。
ならば「誰が」「何に」敗北したのか、情報の精度を高めなければなるまい。
「カータヴェル卿」
『なんじゃ?』
伝声の水晶球は、ゾンビマスターを従え、城下に潜む老ネクロマンサーの声を伝える。
「状況は?」
ふむ、と、一呼吸の沈黙の後、回答がある。
『市街戦は当初から想定されていたようだのぅ。民は避難済み。ゾンビが増えん。じゃが、既存の戦力で押し切ることは可能だろうて』
「順調、と取ってよろしいか?」
『散発的な抵抗が鬱陶しくはあるがのぅ。地の利は向こうにあるゆえ、仕方あるまい』
水晶球の向こうで、老ネクロマンサーはカカと笑う。
『なに。いざとなったら、ワシの手駒を出してでも押し切ってやるさ。坊主はいつもどおり高みの見物をしておれば良い』
「ありがとうございます」
年長者の気遣いに、グレコーは素直に礼を言う。
どうやらこの老人は、未だ「敗北」とは縁遠いようだ。
ならば、と周囲を見回しても、これといった異常は察知できない。
夕日の沈みかけた草原は、この惨劇にふさわしく、血のような紅に染められている。程なくして、死を象徴するかのような闇に飲まれることだろう。
ふぅ、とグレコーは息を吐く。
「――まぁ、どちらにせよ、頃合いか」
意思持つダンジョンマスターと邂逅し、その手の内の一端を把握できた。
その時点でラコウの目的は7割達成されているのだ。
加えて、ダンジョンマスターの使役実験に成功。屍生粉末の実地試験も上々の結果といえよう。
さらに、それらに加え、ワナジーマの陥落も成し遂げられるのであれば、戦果は十二分である。
「では――」
と、グレコーは水晶球に語りかける。
「ここから先は互いに《自由行動》といたしましょう。カータヴェル卿、大いに戦果を挙げられるがよろしい」
『――自由行動とな? さすがのお主でも、見極められぬ事態となったか。心得た』
老ネクロマンサーはその意味を正確に理解した上で、ふたつ返事で首肯した。
そして、プツ、と水晶球の接続が切れる。
「後はこれを処分し、指輪を回収。任務完了とするか」
要は、正体不明の「敗北」に見舞われる前に、すべてを終わらせてしまえばいいのだ。
通信を切ったグレコーは、無造作に愛用のショートソードを抜き放ち、それを檻の鉄枠の間から、ダンジョンマスターの少女の首に突き込もうとして――、はたと気づく。
「――その前に、タツキ君の安否くらいは確認しておくべきか」
グレコーは、最後まで気づくことはできなかった。
いや、気づけということは酷であろう。
この世界の住人の誰が、ダンジョンマスターに仲間が、友が、そして恋人がいるかもしれない、などと考えるだろうか。
そして、彼らが絶体絶命のタツキを助けに来るかもしれないなどという「気づき」に、誰が至ることができようか。
かつてグレコーが地下から進ませた鬼札。
それらと同じ手法で、それらと同じたぐいのものが――、いや、もっと少数ではあるがもっと騒々しく、ある意味凶悪な者たちが、彼らの足下で、方や爆走、方や疾走していることに、彼は気づく術を持ちようがなかったのだ。
***
恋人、である。
そして、公言はしていないが、勢い指輪を左薬指にはめ直してあげたため、もしかすると婚約者、ですら、あるのかもしれない。
しかし、疾駆するフライングマンタ上で、タツキの隣に微妙な距離をとって座り、未だ真っ赤な顔で、はうぅ〜、はうぅ〜、などとつぶやきながらあわあわしているチェリは、やっぱり、きゅ〜ん、きゅ〜ん、と鳴いている子犬に見えて仕方がない。
多分、まだ現実感がないんだろなぁ、とか、どんなふうに接すれば良いのか困ってるんだろうなぁ、とか、おっさんメンタルで余裕ぶっているフリをするタツキも、どうにもギクシャクしてしまい、尻のあたりのムズムズ感が半端ない。
「あ〜、チェリ」
「た、タツキ様」
「ど、どうした?」
「た、タツキ様こそ」
双方の問いかけがかぶり、見つめ合わざるをえない2人。
エリキシルは、もう一回ランクアップするのではないかという勢いでドバドバと流れ込んできている。
「――そ、その、わ、私、・・・こんなに幸せで、本当にいいのでしょうか?」
左薬指の《天使の光輪》を、胸元で、慈しむように右掌で包んで、チェリが、ほう、と熱い息をつく。
暁の薄衣、天使の光輪、聖痕の宝珠、そして聖女の銀剣を装備するチェリ。
今のタツキの、やや桃色がかった脳ミソを通して見ると、銀の花嫁衣装を纏っているかのように見えてしまう彼女を、
「ひゃぅっ!」
タツキは、ぐい、と引き寄せる。
「そんな端っこ行くと、落ちるぞ」
「ひゃ、その、でも」
途端に、ガンガンガンガン、と金属を乱打するような音が響く。
しかし、警戒には当たらない。
発生源は、こちらのやり取りをガン見しながら、いい感じに感極まってロベルトの板金鎧をポコポコ叩くエルローネなのだから。
次いで、ポコポコ叩かれるロベルトは、なんというか、生暖かい諦念とでも表現しようか、なんとも言えない表情で進行方向を見据えている。
この通路は、もはやランク6のダンジョンマスターであるタツキの支配領域なのだ。
その彼が、今度はいきあたりばったりではなく、あらゆる状況を想定しながら疾走している。
「相手ダンジョンコアまで敵影なし、か。予想通りだけど、あまりいい状況じゃないな」
偵察*よろしく、イビルアイを抱えたガーゴイルがタツキたちの先の映像を伝えてくる。
バーサスモードのステータスからは、対戦相手の生存は伺えるものの、彼女がどういう状況にあるのかまでは知ることができない。
あの時――、
タツキを4体のグールが取り囲んだ時、グレコーは動揺とともに掻き消えた。
それは、グレコーがタツキの死を望んでいなかったことの証左。
さらに、捨て台詞から推測すると、グレコーは、このタツキの対戦相手を操り、そして最終目標としてタツキを操りたいものと思われる。
ダンジョンマスターを操るアイテム――。
「――あの指輪、なんだろうな」
「ふぁい?」
緊張はもういいのか、ぴっとりとタツキにくっつくチェリが顔を上げる。
風を切り進む中、そこだけがじんわりと温かい。
「ごめん、ひとりごとだよ」
ダンジョンマスターの本能への問い合わせ。
しかしそのような指輪は、ランク6となったタツキの褒章リストからも見つけ出すことはできなかった。
***
そして一行はダンジョンコアの間へとたどり着く。
「もぬけの殻、か」
「タツキ様はチェリが守ります」
タツキの纏う空気。それが変わったことを察したのか、チェリが半歩、タツキの前に立つ。
「ダンナを最初に守るのは、俺の役目だぜ。俺が倒れたら頼んますよ、チェリ様」
その二人の前に、ロベルトの大きな影が割り込む。
「ありがとう。ここは大丈夫だよ」
正直、タツキはこのルートで戦闘が起こるとは考えてはいなかった。
ゆえに、チェリ、エルローネ、ルートの3人の非戦闘員をこちらに割り振ったのだ。結果、カップルだらけになってしまったのは余談だが。
目の前には、やや赤みがかったエリキシルを、3分の1ほど残すコアがある。
そして、その部屋を守るものも、その部屋に住まうものも、そこには誰ひとりとして存在しない。
すべてをエリキシルから生み出し、そして、悪食の床にて還すダンジョンマスター。その、生活の痕跡はどこにも見当たらない。
いや――、
「――ダンナ、これは? なにか彫ってある?」
「紋様? あるいは文字、でしょうか?」
ロベルトとエルローネがダンジョンコアの台座に何かを見つける。
「なんだ。これは、ひらがな――っ、ぐあっ!?」
「た、タツキっ!? タツキーっ!!」
何気なく覗き込んだタツキは、頭が割れるかのような激痛に襲われうずくまる。
「だ、ダンナっ! まずいっ、トラップだったのかっ!?」
「タツキ様っ!!」
「い、癒せ、陽だまりのごとく――《治癒の祈り》」
ロベルトとエルローネによってダンジョンコアから引き剥がされ、タツキの頭痛はウォルフの法術によって少しずつ落ち着いていく。
「――あ、ああ・・・大丈夫。・・・大丈夫だ」
「え、えええ!? 大丈夫じゃないよ! こんなに震えて、青い顔で!!」
「薬、飲むか?」
すがりつくようにタツキを抱きしめるチェリ。
鮮やかな、いかにも飲みたくない緑色の液体の入った瓶を掲げるルート。
その2人を制し、やや重い声音でタツキは周囲に問いかける。
「それより、俺、さっきなんて呟いた――?」
チェリ、ロベルト、エルローネ、ウォルフ、ルート。
順に視線を送るも、
「わりぃ、ダンナが苦しみだしたのに驚いて、覚えてねぇ」
「聞き覚えのない、言葉。だから、もう一度言うのは、無理」
回答は、2人からのみ。
「そうか――」
タツキはふらつきながらも立ち上がり、再びコアの前に立つ。
そこには、見間違いようもなく、****が刻まれている。
文面は、
『おとうさん、おかあさん、おにいちゃん――、たすけて・・・』
タツキの中の****は、あの頭痛とともに削り取られてしまった。
その文字を見て、心が喚起するのは、いくばくかの寂寥と、圧倒的な義憤のみ。
「タツキ、本当に大丈夫?」
タツキはうなずいて、チェリの髪をもふもふした。この怒りに任せて動けば、あの時の二の舞いだからだ。
ほう、と深く息を吐いて、強い瞳でダンジョンコアへと向き合う。
「大丈夫」
そう頷くと、振り返って仲間たちを、チェリを見る。
「俺はここで生きるって、もう決めたから」
そして、ダンジョンコアに手を触れると、バーサスモードから制圧コマンドを実行した。
***
その瞬間だったのだ。
ダンジョンマスターの少女が、
「解答。バーサスモード下において、我々は敗北いたしました」
そう、グレコーに宣言したのは。