47:彼岸を覗くダンジョンマスター
支配者が己の半径10メートルを出て規定時間が経過した。
再度、支配者が己の半径10メートルに出現するまで、ワタシは本能に従った行動を取ることが求められている。
現在の状況はバーサスモード。
被侵蝕率47%だが、エリキシル量は地上の人間の《恐怖》によってかなり回復してきている。
さらに、対戦相手が少数のユニットを引き連れ突出。
本能に従って、これを迎撃するものとする。
自動操縦なワタシたちにとって、その選択こそが本能。
>ユニット≫不死族≫腐種≫グール_ランクD
「・・・行って。本能のままに、食い殺すの」
「――おや? お嬢ちゃん、何か物申したか?」
丘の上の小さな本陣で死霊術師が鉄檻の中の少女に問いかける。
「――――。」
黒目黒髪の少女は、その焦点を感じさせない黒い瞳で、茫洋と老人を見返すのみ。
「ふむ」
ボロボロの黒ローブに、血を思わせる、深い赤のトーガ。
動物の頭骨を思わせるアミュレット。獣の牙を繋いで作ったと思しき腕輪。
それらをカラカラと弄びつつ、語る相手を持たない老人は、語る機能を持たないダンジョンマスターの少女へ言葉をつなぐ。
「見えるかの?」
額部分に宝玉の嵌った頭蓋骨。
それを先端に頂く杖で指示すは、半開きになった城門と、そこから染みこむように城壁内に侵入しようとしているゾンビの群れ。
「歯車が、ほんの少しずつ狂い続けた、その結果じゃよ」
ゾンビが――、老人の使役するゾンビマスターがために、少しだけ強かった。
戦友が――、突如としてゾンビになってしまったがために、撤退が乱れてしまった。
騎士団が――、組織だって撤退できなかったがために、法術師の魔術は最大の効率を発揮できなかった。
結果、少しだけ強かったゾンビはその多くが残存し、少しだけ乱れてしまった騎士団はその多くが逃げ遅れ、それらに起因する不安と焦りが、閉門のタイミングを少しだけ誤らせた。
そして、一体のゾンビが閉じきる前の城門に体を割りこませたところで、勝敗は決した。
雪崩を打って押し寄せるゾンビ。その圧に逆らって城門を閉める術はない。
そう判断したワナジーマ辺境伯ゲオルグは、当初の予定通り、城下を犠牲にした遊撃戦から、居城での籠城戦へとつなげることで残りのゾンビを排除し切ることを決断したのだ。
***
『リビングアーマー、俺の本体を守れ』
自身に近づくゾンビの排除。
それを命じていたリビングアーマーに対し、タツキは守護命令を上書きする。
このままでは、もう1体のリビングアーマーに憑依するタツキを守護されかねないためだ。
「どういうことだ? もしかしてタツキ君はそこに居るのか?」
そして、ギースもそうであったが、戦いに身を置く者達はタツキの居場所を正確に感知する。
「そうか――、そういうことか。それがダンジョンマスターの魔技で、名持ちの謎というわけだ!」
そして、情報を取り扱う専門家であるグレコーは、そこからギース以上のデータを引き出してみせた。
『答える義理はない』
的確な足さばき、手首の返し。2体、3体とゾンビを両断。
戦いながらも周囲を鮮明に把握できるタツキは、まるで散歩をするかの如くの何気なさで、一歩一歩、グレコーヘと距離を詰めてゆく。
「つれないな。順序は逆になってしまったが、私は君と交渉をしにきたんだよ」
グレコーも無造作に歩を詰め、塹壕の対岸に立つ。
『交渉だと?』
やや力がこもったその一撃は、まとめて3体のゾンビを切り倒す。
「そうさ。本当は、ワナジーマを人質にしてからと思っていたのだがね。全く人生は面白い。君との再開がこのような唐突なものになろうとはね」
『それは、脅迫じゃないのか?』
タツキが憑依したリビングアーマーもゾンビの駆逐を完了し、塹壕の岸に立つ。
「交渉だとも。我が諜報部伝統の、ね」
『――だったら、決裂だ』
塹壕の両岸に、両雄が立つ。
方や、多くの収納を無駄なく配置したレザーアーマーをまとった痩身の男。
方や、クラシックな全身鎧そのもの。
両者を隔てる塹壕の底には、潰されひしゃげ、登坂する能力を消失したゾンビたちが、ガサガサと蠢く地獄絵図。
「君の力、ラコウのために使ってはくれないかね?」
『決裂だと、言っただろう?』
グレコーはここがあたかも街角のカフェテラスであるかのように気安い。
対するタツキは、剣の切っ先をグレコーに向けて答える。
タツキの脳裏からは、まだ、首を落とされた青年のビジョンが消えない。グレコーを帰すということは、その光景をこれからも量産するということに、直結するのではなかろうか。
その、思考の隙を突かれたのかもしれない。
「ああ、うん。了解だ。こっちはイレギュラーがあってね、偶然阻まれてしまったが上だけで十分だったってわけだ。随分と拍子抜けなことだな」
いつの間に繋がっていたのか、手袋に仕込まれた《伝声の水晶球》で、グレコーが何者かと話している。
「ああ、タツキくん、失礼。どうにも条件が整いそうなんだ」
『どういうことだ?』
じゃり、と、リビングアーマーの足が、砂を砕く。
訪ねてはみるものの「上だけで」という会話で容易に想像はつく。
「ワナジーマ城門は破られたよ。というわけで、どうだろう? 君の力、ラコウのために使ってはくれないかね?」
***
最初の失策。それがここまで響いてきた形だ。
そう、タツキは苦々しく思い起こす。
単騎偵察など行わず、ダンジョンマスターらしく、石橋を叩き壊すほど入念に準備をして、仲間を連れて駆け込めばよかったのだ。
『ここで俺が頷けば、ゾンビは退くのか?』
「頷くだけでは難しい。だが、誠意を見せてくれれば、退くとも」
『――誠意、だと?』
持続時間45秒の《武技の賦与者》がここで切れる。
冷却時間は90秒だ。
「誠意だよ」
そう言ってグレコーは左手を掲げ手袋を取る。
「これが何か、分かるかい?」
分かるかい? と問われれば、薬指にはまった豪奢なそれは「婚約指輪? おめでとう」と答えたくなるシロモノだ。
しかし、この非日常空間でそれはありえず、かつ、ダンジョンマスターの目には、その指輪に禍々しいエリキシルが凝って、何かを求めるように蠢いているのが見える。
もともと、何かと接続していて、今、それが絶たれているかのような――。
タツキが、グレコーの問いに対し、別の答えを掴みかけたその刹那に。
《・・・行って。本能のままに、食い殺すの》
キキキキンッ――
4つの召喚陣が壁にもたれかかるタツキ本体を赤々と照らし、事態は双方にとって未知なる方向へと動き出した。
***
『なっ!? グール? ――まさかっ、対戦相手かっ!!』
心を持たぬリビングアーマーは、事前の守護命令に従って、即座にグールと交戦状態となる。しかし、タツキという心を入れたリビングアーマーは、その「心」の動揺ゆえ動けない。
「何を勝手なことをっ!?」
一方のグレコーは、見せびらかしていた指輪に何かを念じるようなしぐさをし、
「――命令が通らないっ! 離れすぎたということかっ!?」
タツキの憑依したリビングアーマーと、この状況になってもピクリとも動かないタツキ本体を一瞥する。
そして、苦笑とも嘲笑ともつかない顔で笑うと、
「こんな所で死んでくれるなよ? 君を操るのは私なのだからなっ!」
随分と勝手な捨て台詞を残して、その姿をかき消した。
『冗談じゃないっ』
その間にも、残り3体のグールが召喚の混乱から脱しはじめる。
その本能において、付近に生者が居ることを認めると、タツキ本体に最も近い1体が喜び勇むかのように、タツキに躍りかかってきたのだ。
『くっ、ダンシングソードっ!!――』
悪寒とともにそれを理解したタツキは、リビングアーマーの手の中のダンシングソードを投擲。
「――俺の剣となれっ!!」
《ユニット憑依》を解き、自身が生身の腕で、命令と同時にそれを掴む。
一瞬にして視点が変化するも――
「食われて、たまるかーっ!!」
――今まさに自身に食らいつこうとしていたグールの首を叩き落とすことができた。
しかし「火事場の馬鹿力」はここまでだ。
腐敗することなく、青黒く干からび、変質した死体。
体毛が全て失われ、黄色く濁った瞳を爛々と輝かせ黒く長い爪を揺らす残り2体のグールが完全にタツキを認識する。
《武技の賦与者》の冷却期間は残り15秒。
しかし、この状態での15秒は絶望的に長い。
「ぐぅっ!」
その単純な初撃すらいなせず、グールの爪がタツキの右肩をえぐり、鮮血が吹き上がる。
痛みはない。
グールには麻痺毒があると、ユニット解説で読んだ記憶がある。傷口が麻痺し、痛みが遮断されているのだろう。
「くそっ、鎧すら着ていないなんて、俺はどんだけ脳天気だったんだ」
自嘲気味に呟けば、やたらと周囲がよく見えた。
自身は壁を背にし、麻痺が広がった右手がだらりと下がっている。
眼前には2体のグールが、タツキの鮮血に浮かされたように、黄色い膿のようなヨダレをボドボドと垂れ流している。
「なるほど、これが、本当の詰み、か」
走馬灯、なのだろうか。
あるいは、それこそが感情を糧とするダンジョンマスターの彼岸なのだろうか。
タツキの心中に、ビジョンに代わって、表現できない無数の感情の混合物がこみ上げてくる。
「ああ、でも、これなら分かるな」
最後に、その中で、ひときわ光り輝くものをタツキは拾い上げ、言葉にした。
「チェリ、ありがと――」
「タツキーっ!!!!」
「――う?」
その瞬間。
なにかモゴモゴとした巨大なカタマリが、2体のグールにぶち当たり、跳ね飛ばし、
「あれぇ、なんか跳ねましたかね?」
「タツキっ、タツキーっ!!」
暖かくて、優しくて、いい匂いのチェリがタツキに飛びついてくる。
「定員オーバー、速度超過。割増料金で《雑貨屋》は金貨398枚を要求します、って、大丈夫ですか、タツキ殿?」
魔法の絨毯。
としか言いようにないものに、仲間たちを詰め込んだトーマスが、とびっきりの営業スマイルを見せたのだった。
1年、続けることができました。
感謝感激です。