46:虎尾を踏み折るダンジョンマスター
「これが噂に名高い《天使の羽》と《天使の粉》、か」
戦いに身を置く者としての格の違い。
今、タツキはそれを痛感し、己に対し劣等感を抱いている。
グレコーから漏れ出る《感動》から、それらドロップアイテムが、ラコウにおいては随分と貴重なものであるということが伺える。
にも関わらず、タツキはそこに一切の隙を伺うことができない。
「――ダンシングソード、俺を守れ」
手中のユニットへの起動命令も、出し抜いたというより、目溢しを受けたように感じてしまう。
――これは、もしかして、これが「詰み」ってやつか?
人生というものは、全くの予測も、準備も、そして、心構えることすらも許さずに、あるとき唐突にその方向を変えることがあることを、タツキは経験上――その輪郭は失われているが――理解している。
そして、その時に感じたであろう、みぞおちの辺りと、鼻の奥がジリジリする感覚。
近い言葉で表現するなら「焦燥感」と「無力感」を、今まさに、味わっているのだ。
「こんな時でも、やっぱり言葉は出ないんだな――」
それら2つの抵抗しがたい感情は、タツキを苛み、その心を折ろうとしている。
しかし心は、無意識の防御機構でそれに対抗し、タツキに一連の記憶を喚起させる。
「――鼻が長くて、顔の赤いあれだよ。まぁ、要するに、いい気になってたんだ」
エリキシルさえ許せば、何だって出来た。
《ダンジョンマスターの本能》には、すべてを閲覧するには夜を徹するほどのユニットが書き込まれ、ランクの上昇とともにそれらは増えていった。
地中を自在に掘削できた。
銭湯を生み出し、商館を建て、果ては集合住宅まで作り上げた。
冒険者を退け、盗賊団を懐柔し、ギルド重鎮にすら土をつけた。
いつの間にか自分は。
ネイハムと初めて対峙した、あの緊張感と臆病さを、どこかに置き忘れてしまっていたのではなかろうか。
「ネイハム――、か」
記憶が、次なる記憶を喚起する。
「――せっかく生き残った俺がこんな様じゃ、あいつに申し訳ないな」
彼は無様に足掻いた。最後まで足掻いたのだ。
魔技を繰り出し、僅かな隙をも手繰り寄せ、タツキ最後の罠であった「姿見」にまでたどり着いたのだ。
ほう、とタツキは息をつく。
「俺、いい気になって、カッコつけてたんだ。あいつにすら、100回殺されてたじゃないか」
グノーメの視点で首を飛ばされ、ゴブリンの視点で腹を貫かれ、オークの視点でなます切りにされた。
思い出したら、1周回って笑えてきた。
まだ「詰み」ではない。せいぜい「詰みかけ」だ。
両者の間には、無限の可能性が横たわっているに違いない。
タツキは、ダンシングソードをしっかりと握りこむと、壁に背を預ける。
「だったら――、ひとつ格好悪く足掻いてみるとしよう」
***
ユニット憑依→ダンシングソード。
それによって、使用可能となる魔技は《武技の賦与者》。
ダンシングソード自体がDランクモンスターであるため、賦与される武技などお察しレベルではあるが、その瞬間、ズブの素人だったタツキの剣術は、厳しい訓練を受けた一般兵レベルに高まる。
ユニット憑依→リビングアーマー。
更にタツキは、ゾンビの接近を阻む鎧の1体に憑依先を変更。
流石に立て続けの魔技発動は見逃されず、グレコーからカウンターの投げナイフが飛ぶが、もう1体のリビングアーマーの視点でそれを捉え、ダンシングソードの視点で更に補足し、憑依した鎧の左腕を伸ばせば――。
ギインッ、と甲高い音。
――3次元で補足した飛来物など、いともたやすく撃ち落とすことができる。
鎧の中で、タツキは溜息をつく。
『これは、相当ビビッてたってことだよな』
視野が、広い。
改めて戦場を見回せば、迫り来るゾンビ数もそのピークは過ぎた模様。
そして、それはおそらく相手の鬼札の消滅を意味するはずだ。
『どこに切り込むべきかがわかる』
ダンシングソードが《武技の賦与者》によって一般兵レベルと成ったタツキの剣技は、ゾンビなどに遅れは取らない。
『――さらにっ』
同系統ユニットであるリビングアーマーの魔技も《武技の賦与者》。
二重起動。
力まかせにゾンビに叩きつける剣が、余った力を利用し、次なる行動につなげる剣に変わり――。
『そして来いっ!! ダンシングソードっ!』
タツキはリビングアーマーの剣を近くのゾンビに突き立て、飛来したダンシングソードを鎧の右腕でつかむのだった。
***
――どういうことだ? 己が剣を配下に渡した?
ダンジョンマスターが魔技《ユニット憑依》を知る由もないグレコーは、当然ながら、ダンジョンに横たわる塹壕を挟んでの出来事を、正しく理解できていない。
それが故に、彼はタツキが敗北を感じるほど、圧倒的な立場にあるわけではなかった。
その理由は主に3つ。
一つは、彼の職位である密偵にある。
それは盗掘士の上位派生職ではあるが、別の分岐である暗殺者ほどの攻撃力を持たない。
Bランクである主天使をやすやすと退けたように見えたが《背面攻撃》に嵌める以外、対応のしようがなかったのだ。
二つは、任務の性質上タツキを殺せないという制約だ。
生け捕りは、殺害に比べると難度が跳ね上がる。
さらにここに三つめの理由としてとして、その殺せない相手が、全く未知なる存在であるということが加わる。
謎の魔技を連発するような存在を、殺さぬように戦うという苦難たるや、筆舌に尽くしがたい。
幸いは、かのダンジョンマスターが戦いの素人であったということか。
長く戦いに身を置いた者として、盗賊団の一員として初めて出会った時から、それは明白に感じ取っていた。
しかし、完全に素人というわけでもない。
一線――、すなわち《生命を奪うこと》を乗り越えている者特有の気迫は持っているように思えた。
――ここが引き際か?
完全に想定外の事態ではあったが、主天使を倒し貴重なドロップアイテムを手に入れた。
逆に言えば、タツキという意思あるダンジョンマスターは「神族を使役可能」という驚くべき情報を入手したのだ。密偵の本分は全うしたと言えよう。
密偵とは対象を「情報」に特化した盗掘士なのだ。
命の盗掘士たる暗殺者や、お宝の盗掘士である発掘士とは、その情熱の置き場が異なる。
社会というダンジョンに潜り、誰にも知られず――逆に言えば、知ってしまった者はすみやかに葬り去り――「情報」や、それに付随する証拠物品を持ち帰る存在なのだ。
それを――、偶然とはいえ2度までも、己を明るみに引きずり出すとは。
《羽》と《粉》。それら神族顕現の証拠物品の回収を終えたグレコーは、それなりに満たされた心で苦笑すると、己の判断を「撤退」の方向に傾ける。
だが――。
「なん、だと――?」
タツキから剣を受け取ったリビングアーマーの動きに、その目は釘付けとなってしまった。
そこには、未だグレコーの知らない「情報」が、眼を見張るような剣技でゾンビを殲滅しているのだった。
***
ダンシングソードの《武技の賦与者》。
リビングアーマーの《武技の賦与者》。
そして、ダンシングソードそのものを、リビングアーマーが武器とする。
「何だあれは? リビングアーマーではないのかっ?」
グレコーの驚きの叫びが聞こえる。
言いたかった。言ってやりたかった。
でも、この世界のルールが邪魔をして言えなかった。
なので、タツキはゾンビを、もはや紙でも切るかのごとく両断しながら、せめて心中で叫んだ。
――**とは違うのだよ、**とは!!
と。
「一体何をしたらああなるっ? あれは――、意思あるダンジョンマスターはどんな技を持っているというのだっ!?」
グレコーの叫び。
一言で回答すると、カードゲームにおける乗算の***だ。
タツキ的には緑色が青色、あるいは赤色の角付になった程度の認識。
しかし、実際にはギースと対峙したBランクユニット、黒砦兵を上回る動きを、Cランクのリビングアーマーが見せているのだ。
「まさか――、あれが名持ちモンスターだとでも言うのか!?」
グレコーは、冷静ながらも、どこか熱に浮かされれたような声で叫ぶ。
そして――、
『命令がなければ、本能を優先。バーサスモードを制するのは、私』
それぞれにボルテージを上げる2人以外にも、この戦場を見ている存在があることに、気づく者は皆無だった。