45:失策悟るダンジョンマスター
それは明らかに失策だった。
「いや、驚いたな。シルヴィス教国の外で天使を目撃しようとは」
青年に対する義憤も、もちろんあったのだと思う。
「ますます欲しくなった」
しかし、後になって思い起こせば、己の不甲斐なさに対する怒りのほうが大きかったのではなかろうか。
「知る由もなかろうが、この任務、ワナジーマはついでさ。本命は――、君なんだよ」
故に、この殺戮の原因が自分にあると聞かされるやいなや、タツキは耐えられずに叫んでしまった。
「主天使っ! この男を殺せっ!!」
と。
「残念ながら、それは悪手だ」
主の怒りに呼応するように振り下ろされた大剣を、グレコーが苦笑を浮かべながらショートソードで受け流す。そして、そのまま大きく後ろに跳んで、再び押し寄せてきたゾンビの群れの中に紛れ込む。
「くっ、グレコーを第一目標としつつ、ゾンビを蹴散らせっ!」
タツキは舌打ちをこらえ主天使への命令を修正する。
グレコーの言うとおり、悪手だ。遅い。すべてが遅いのだ。
ダンジョンマスターとは「待つ者」なのだと痛感する。
それは、広大なダンジョンのその最奥で、あらゆる可能性に対策を立て、万全の状態で相手を待ち受ける者なのだ。
ダンジョンの侵攻状況をつぶさに観察し、熟慮の上に最上の一手を打つ者なのだ。
決して、単身で偵察を行っていい存在ではない。
迫り来るゾンビの群れ。
届かぬ、グレコーへの刃。
眼前の戦局は次々と移り変わる。
手札となる膨大なユニットから次に召喚すべきは何であろうか。
主天使を攻撃に回した以上、漏れたゾンビはタツキに押し寄せる。半端なユニットはゾンビの物量に圧倒され、やがて眷属にされてしまうだろう。半端ではないユニットの召喚にはエリキシルを凝縮するための、短くない準備時間を必要とする。
「日常の時間」においては万能であっても、瞬き程度の時間を積み重ねなければならない「戦いの時間」に対して、ダンジョンマスターの能力では、すべてに遅れを取ってしまう。
「――でも、いくらなんでもゾンビよりは速いっ!」
負け惜しみのセリフであることは重々承知だ。
しかし、それを成さねば、本当に負ける。
ガツン、とダンジョンが揺れ、タツキと、漏れ来るゾンビとの間に大きな溝が穿たれる。
落とし穴と呼べるにはエリキシルの凝縮が足りず、出来上がったのは深めの塹壕。
しかし、ボロボロとゾンビが落ちてゆき、貴重な時間を捻出することに成功する。
「10体、――いや、5体程度が限度か!?」
その間に、タツキは必死に赤い召喚陣を描いた。
***
>ユニット≫魔族≫異形種≫リビングアーマー_ランクC
コンセプトは己を守る前衛。
かつ、眷属化の影響を受けないユニット。
とはいえ、確証ではなく、ゲームを嗜んできたものとしての勘だ。
中身空っぽの鎧が、ゾンビになってたまるかっ!
という心の叫びでもある。
1体、2体と鈍色の鎧が結実してゆき――
「さすが、自我のあるダンジョンマスター。放置は悪手か」
「痛っ!?」
――塹壕内から閃く飛び道具に集中が乱され、3体目のエリキシル凝縮が半端に終わる。
「なっ!? なぜここにっ!?」
主天使は健在だ。しかし、その視界にはもはやゾンビしかおらず、タツキの命令に従って、それらを撃破しつつグレコーの元へ転進しようとしている。
「リビングアーマー、俺を――」
「命令はさせない」
「――くっ!」
タツキの左腕を傷つけ、そして今度は顔面付近に飛来した飛び道具――おそらくは投げナイフのたぐいを必死に回避する。
そう、これもダンジョンマスターの弱点だ。
幾つかの例外はあれど、命令、あるいは憑依のない低位ユニットは己の本能のままにしか動かない。
「グレコー、あんたは転移できるのか?」
ゾンビが、無様に塹壕から這い出てくる。
「密偵が、簡単に手の内をあかすとでも?」
それとは対象的に、一挙動でグレコーが飛び出し、ゆっくりと立ち上がったゾンビの肩に手を置いた。
「――っ!?」
そこに、タツキは見る。
紫の、卵塊――のようなエリキシルが、グレコーの手から生み出され、粘るかのようにゾンビに張り付くのを。
「まさか、マーキング――?」
と、タツキがつぶやいた瞬間、グレコーから《殺意》という感情が溢れ、タツキは飛び込み前転の要領でエリキシルが凝縮しかけた召喚陣へとダイブする。
「よく避けてくれた。咄嗟に本気で殺しにかかってしまったよ」
僅かに漏れ出る本気の《安堵》が、グレコーはタツキの死を望まない、――言い換えればタツキを捕らえ使役しようと考えていることを如実に示した。また、マーキング、というタツキの直感が正しかったということも。
「そして、1つ答えてくれないか? 私の専用魔技を見破ったのは、君がダンジョンマスターであるが故のイレギュラーということでよかったか?」
***
「あんたはマーキングした対象の直ぐ側に転移できるんだな?」
で、あるとすれば。
斬首された青年の背後に現れたこと、そして、突然塹壕の中に現れたことの説明がつく。
更には、ドミニオンの視点で見るゾンビの一団に、紫のマーキングを持つ個体がチラホラと伺える。
「私の専用魔技は《貴君後方》。詳しくは説明しないが、おおよそ、君の認識通りの能力だよ。まぁ、あきらかにしたところで――」
ふっ、とグレコーが掻き消える。
「――対策の取りようがないだろうという自負もあるがね」
そして、塹壕の向こう、別のゾンビの背後に現れる。
「それでも君は、私を捕らえられるかな?」
おそらくグレコーは、自分でも意識していないレベルで悔しかったのだ。
圧倒していたはずのダンジョンマスターに己の秘事たる専用魔技を看破されてしまった。
それ故、半ば無意識的に自身の専用魔技の有用性を披露し、後方へ転移という、明確な隙をタツキに与えてしまう。
「リビングアーマーっ、ゾンビを――」
「くどいっ、命令はさせぬと言ったはずだ」
タツキは、再びユニットへの命令を試み、グレコーはおそらく、カウンター系の魔技でそれを迎撃する。
所詮かつての2番煎じ。
グレコーの思惑は、2つの甲高い音によって打ち破られる。
一つは凝縮しかけだった召喚陣が、生み出す者のランクを下げることでその機能を果たした音。
>ユニット≫魔族≫異形種≫ダンシングソード_ランクD
もう一つは、生み出された「剣」を握ったタツキが、グレコーの投げナイフの起動を変えた音。
「――ゾンビを、俺に近づけさせるなっ!」
その結果、命令は成った。
ヴン、という音は起動音なのだろうか。
本能に従い、甲冑の偽装を続けていたリビングアーマーの瞳部分に赤い光が灯る。
2体の鎧は、タツキに最も近いゾンビをその剣でなぎ払うのだった。
***
表面上の拮抗は成った。
塹壕から這い出て、タツキに向かうゾンビを駆逐する2体の鎧。
グレコーを追いながら、進路上のゾンビを浄化してゆく主天使。それを避けるように、転移を繰り返すグレコー。
そして、ダンシングソードを握り、次の一手を模索するタツキ。
しかし、その思考は千々に乱れる。
必死であった時のほうがまだよかった。
直感に従うより他に手がないのだから。
今、拮抗により生まれた安堵と、それにより意識できるようになった多数の選択肢が、逆にタツキを苦しめる結果となる。
悪い意味で冷静になってしまったのだ。
ゲームを嗜んできた者としての最善手は、主天使再召喚からの《十字の審判》。再びゾンビを一掃し、2体の天使とリビングアーマーでグレコーを追い詰める。
しかし、それを、平和な現代**を生きてきたタツキの心が思いとどまらせてしまう。
途中、カウンター系の魔技が来るのではないか?
それを再び、自分は弾き返すことができるのだろうか。
あるいは。
今にもグレコーが、塹壕から這い出てきたマーキング済みゾンビに転移するのではないか?
リビングアーマーにはゾンビに対する命令しか出していない。自身とダンシングソードで、グレコーをいなすことができるのだろうか。
実時間にして僅か15秒程度の逡巡。
しかし、戦いに身を置いた者にとっての15秒は、戦局を変えるにあたって十分すぎるほどの停滞だったのだ。
《貴君後方》からの《背面攻撃》
グレコーは、マーキング済みゾンビが、その位置に来るよう誘導しながら戦っていた。
主天使の真後ろに転移したグレコーのショートソードが、魔技の条件を満たし、紫のエリキシルに覆われる。
タツキは、それがあたかも、死神の鎌のような形状に、膨れ上がるのを見た。
そして、かつての青年がそうであったように、主天使の首がごとりと落ちる。その瞬間、天使の両翼は一瞬にして無数の羽へと分解され、白磁の体は塩のようになって崩れ落ちたのだった。