17:ダンジョンマスターは交易を志す
「きょ、今日のところはだな」
ロベルトが腰に固定されていた幾つかの小物入れから携帯食料をテーブルに並べ始める。
塩気の効いてそうな干し肉、布にくるまれたものを開けば、立派なチーズ。そして、ナッツのような木の実類にドライフルーツ。こう見えてマメな男なのだろうか、意外にバリエーションが多い。
「素晴らしいつまみだっ! ――って、そうじゃなくて」
再びロベルトとハイタッチしそうになり、タツキは思いとどまる。今日のところはこれで十分。しかしタツキたちの生活は今日以降もずっと続いていく。
「いいか、俺は食料はこれしか出せないの。つまり、何もせずダンジョンに篭っている限り、食べ物はこれしかないってことなんだ。それから――」
タツキは続ける。
ポーションのたぐいは出せるが、その用途は主にモンスターがもたらす状態異常の回復に特化されている。通常の風邪や腹痛、病に効きそうなものは今のランクでは見当たらない。
ゆえに、医者に類する者――こんな世界だから魔法で治るのかもしれないが――に来てもらわなければならない。将来的に病気に効くポーションが生み出せるようになったとしても、人口が増えてゆけばそれに頼り切りでは破綻してしまう。
ほかにも、机やベッド等、ダンジョンから持ち出せないようなサイズの家具も、ダンジョンマスターは創りだすことができない。いつまでも岩のベッドで寝るわけにはいかないので、大工は大歓迎だ。
髪が伸びれば床屋が要るだろう。
陽光が取り込まれたのだから、ダンジョン内で農業が可能かもしれない。
家畜を飼えば乳や皮、そして肉が、安定的に入手できるだろう。
「俺がみんなに共有しておきたいことの最後。3つ目は、人間が人間らしく生きていくためには多様な人材が必要、ってことだ」
だから。
「どうすればこのダンジョンに人が集い、村ができ、そして街になって、ゆくゆくは国になる事ができるのかを考えてほしい」
皆の顔を見回す。
チェリは、相変わらずいい顔でニコニコしている。視線が時折ロベルトの前に並べられている携帯食に向けられるのはご愛嬌か。
ロベルトは顎に手を当てうなずいてくれる。生真面目なウォルフは、もう何かを考え始めているのだろうか、肉付きの薄い眉間にしわを寄せている。
そしてエルローネは、酒樽をうっとり眺めていて、トーマスはひたすら栄養バーを食べている。
タツキは苦笑する。
「なんにせよ、まずは食糧問題だ。満足な飯がないところには、だれだって来たくはないだろうからな」
***
もっしゃもっしゃもっしゃもっしゃ。ほうほう。もっしゃもっしゃ。ふむふむ。
「でしたらタツキ殿、交易でもしませんか?」
食べながらもしっかりと話しを聞いていたらしいトーマスが、参謀(仮)なウォルフを差し置いてそう提案する。
「…交易? 残念ながら俺はこの世界の価値観はわからんぞ。何を売るんだ?」
意外に大食漢なのか、彼の眼前には栄養バーの包装がうず高く積まれている。
トーマスは、口の中のものをむぐむぐ、ごくんと飲み込んで、腰の革袋から、何らかの液体ををあおった。
「ああ、ただの水ですよ。私、酒はからっきしダメなもので」
タツキの視線を感じたのか、彼は律儀に説明する。しかし、タツキがそれを注視していたのは全く別の、しかもちょっとズレた理由。
「そうそう、水も出しておかないと美味しい酒は飲めんよな」
曰く、やわらぎ水。
もっと言えばチェイサーだ。
早速アイテムクリエイトで作り出せば、透明で、弾性のある素材、つまるところ******に入った飲料水が人数分テーブルの上にせり出し、
ブーッ!!
「ちょ、おまっ、きたなっ!!」
それを眺めていたトーマスが、口の中の水を吹き出した。
「ああっ、こ、これは失礼。しかし、こんなものを隠していたタツキ殿のほうが失礼ですよっ」
「いや、こんなものって、ただの水なんだが」
「何をおっしゃいますかっ、この形に寸分の狂いもないっ!」
がっ、と水の入った容器を掴んだトーマスだが、掴んだものは当然ペコッと凹み、「なんとぉっ!?」驚いたトーマスはまるで、容器が灼熱でもしていたかのように慌てて手を引っ込める。
「いけませんっ」
その悲鳴はエルローネだろうか、トーマスが乱暴に触れたため、水の入った容器の1本がテーブルから落下し、ばよん、とはねて転がった。
「わ、割れないですとっ!? な、ななな、何なのですか、この素材はっ!?」
いや、******だし。
固有名詞が出てこないこと。それをもどかしく感じながらも心のなかでツッコミを入れ、タツキもはたと気づいた。
「なるほど、交易か」
このトーマスの驚きようから推測するに、おそらくこの世界には、「ダンジョンマスターの飲料水」は出回っていないのだろう。
この飲料水は「生命維持カテゴリー」に存在するアイテムで、もっと言えば「ただの水」だ。
そんなものをわざわざ宝箱に入れようという酔狂なダンジョンマスターは、この世界に存在していないものと思われる。そもそも本能に支配された《ワタシ》口調なダンジョンマスター達には「酔狂」なる概念すら、発生し得ないのだろう。
そして同じロジックで、栄養バーにも同様の価値があるということだ。
「トーマスさん、その容器入りの水も、栄養バーも、ほとんどエリキシルを消費しません。いくらでも出せますよ」
落っこちて転がった******を拾い上げ、ペコペコしてみたりニギニギしてみたり、さらにはもう一度落っことしてみたりしていたトーマスは、弾かれたようにタツキの方を振り返る。
「タツキ殿っ」
カツカツと靴音を鳴らしトーマスが歩み寄る。
「そ、それは本当なのですかっ!?」
「あ、ああ」
瞳が輝く、という形容詞を、間近に迫ったトーマスのそれで実感しながら、タツキはやや引き気味に肯定する。
「どうぞ私のことはトーマスと呼び捨てになさってください」
「お、おい?」
トーマスはいつぞやのロベルトよろしく、タツキの前に片膝をつく。
「どうか、私をタツキ殿のお抱え商人にしては頂けませんでしょうか?」
そして、恭しく礼をするのだった。
***
おいおいおいおい。
酒樽への興味も吹っ飛んで、ロベルトは眼前の光景に目を見開いた。
それは驚きが8割、この新しい主人への誇らしさら2割といったところか。
誇らしさの割合が少ないのは、まだタツキを主人と仰いで半日も経っていないためだが、どちらにせよ驚くべきことだ。
「やぁ、それは助かるな。俺はこの世界の商習慣も知らないし、常識もない」
トーマスの提案に、主たるタツキはやや面食らった顔をしていたが、すぐに破顔する。
「このダンジョンタウンでの商売は今後全面的にトーマスさ、…トーマスに任せられば心強い。ぜひ、お抱え商人になってくれ」
まぁ、ダンナならそう言うだろうな。
口の端が笑みの形に歪むのを止められない。同じく事情を知るエルローネもぽかんとした顔をしている。
「おお、ありがたき幸せ。いやぁ、これで道楽息子の汚名は返上、親父殿に一矢報いられます。そうと決まれば――」
善は急げと言わんばかりに、トーマスがテキパキと荷物をまとめ始める。
「タツキ殿、私は早速行商に出かけたく思います。つきましては水を300、携帯食料を2000ほど出してはいただけないでしょうか?」
「あれ、飲み食いしていかないのか? ってか、水は300も運べんだろう?」
タツキは酒樽とロベルトが並べた携帯食料を指すも、「いえ、先程もお伝えしたとおり私は下戸ですから」トーマスはかばんを肩にかけ、トレードマークの羽根つき帽子をかぶると、さっと深緑色の外套をはおってしまう。
そして、カバンの中から弁当箱ほどの大きさの鈍色の小箱を取り出すと、
「これぞ我がカーライル家秘伝のマジックボックスです。少なくとも、倉庫1棟分の品物を、重さ無しで運べます。水300くらい、その10倍でも楽勝ですよ」
恭しくその蓋を開いてみせた。
「マジックボックス…ね」
なんとなくその響きが引っかかったタツキは、素早く「ダンジョンマスターの本能」に格納される「褒章カテゴリー」をチェックしてみる。
「ああ、これか。生活雑貨の魔道具、ランクCだと(極小)ってやつが作れるな」
一同がぎょっとしてダンジョンコアを振り仰ぐ。いきなりエリキシルが、ボコボコと重い水音を立てて、目に見えて減少を始めたのだ。
「は、ははは、もう私は何があっても驚かないことにしました…」
「極小だけあって、トーマスのより小さいな」
「それでもこのテーブルにあふれるくらいの品物を収納できるはずです」
タツキの手のひらの上には、同じ鈍色のアイテムボックス。しかし、トーマスが持つそれが弁当箱なら、タツキのものは指輪ケース程度の大きさだ。
「って、どうして私に押し付けるんですかっ!? 小さなマジックボックスでも、売れば5年は遊んで暮らせる程度の価値があるんですよっ?」
「いや、とりあえずこれに食料を満載にして帰ってきてほしいな、と」
いかなマジックボックスといえど、このダンジョンタウンにおいては価値を持たない。
今、このダンジョンタウンにおいて最も価値ある品物は旨いつまみ、もとい、バリエーション豊かな食料なのだから。
「はぁー。了解です。承りました。とりあえず、食糧事情は深刻そうですから、1週間以内には戻ります」
トーマスはいろいろ諦めたため息を付いて、自身のマジックボックスをしまい、タツキに手渡された小さなマジックボックスに、水と栄養バーを詰め込んでいく。
「うわ、まるであれだな、青い、タヌキ型の・・・」
当然固有名詞は出てこないし、どこからも「ネコ型だ!」のツッコミも起きない。
しかしながら、小さなマジックボックスに、それより大きい容器入りの水がするすると吸い込まれていくさまは、まさにそのポケットのようだった。
「では、私はこれで」
「待て待て、護衛とかはいいのか?」
そのマジックボックスを懐に突っ込んで、軽く一礼するトーマスにタツキは問いかける。
ダンジョンの中とはいえモンスターのいる世界だ。この丸腰の商人をそのまま行かせて大丈夫か、少し不安になったのだ。
「はっはっは、ご心配ありがとうございます。上で何人か待たせておりますので、大丈夫ですよ」
冒険者ギルドの一団とともに、供の者も連れて来ていたのだとトーマスは言う。
「こう見えても長男ですので。うちの親父殿、過保護なんですよ」
そう言って、トーマスはこんどこそ出口へと向かっていく。
「ああ、いい忘れておりました」
そしてくるりと振り返ると、
「戻ってまいりましたらですね、私と何人かの使用人がここに住み込みますので、広場の一等地にそれは立派な商館を建てておいてくださいね」
とても良い笑顔でそう告げるのだった。