13:ダンジョンマスターの殺意
その光景は本来、予定調和であるはずだった。
薄暗い通路。その先にいる中肉中背の男。
整いすぎていっそ無機質な顔。何の変哲もない、そのへんの村人が纏っているような衣服。
そして、黒目黒髪。
ダンジョンマスターだ。
彼らがこれまで9体、血祭りにあげてきた、生まれたばかりのダンジョンマスターに相違ない。
2階層まで侵攻し、生まれたてのダンジョンマスターを捕縛して陽光下に引きずり出す。
死肉喰獣商人が狩り映えのしない質問を投げかけるも、人形のように反応のないそれを、ネイハムが切り刻んで殺す。
そんな、9回続いた予定調和。
今回も、そうあるべきだったものが、
「さて、何から伝えようか」
瞳と声音に明確な意思をたたえ、1つ向こうの部屋から語りかけてきている。
ネイハム達とダンジョンマスターを隔てているものは、もはや通路の距離でしかない。
それも、大股で駆ければ5歩程度でなくなってしまう程度の距離。
大剣使いのロベルトであれば2歩も進めば間合いだろう。
これは脅威か? 契約に抵触するか? すなわち、速やかに殺るべきか?
「そうだな、先に警告をしておくべきか」
身じろぎをしたロベルトを制するように左手を上げ、ダンジョンマスターは先手を打った。あたかも舞台俳優のように、ダンジョンを照らす照明が様々な角度から彼を彩っている。
「話し合いはこの距離で行う。俺に向かってくる奴は敵とみなして容赦はしない」
ダンジョンマスターはそう言った。
複雑な光源が投げかける複雑な影を背負った少年。姿形は、彼らがこれまで9体、血祭りにあげてきた、生まれたばかりのダンジョンマスターに相違ない。
しかし、感じる雰囲気が圧倒的に違っていた。
無機質な表情には個性が伺えた。
そして、立ち居振る舞いには強い意志の介在が感じられた。
「俺はあなた方と積極的に殺し合いをしたいとは思っていないんだ」
さらに、その言葉には冷静に知性が。
「な? お、おまえ、お前は、何を言っているんだ? ダンジョンマスターは俺に殺されるためにいるんじゃないのかっ!?」
「坊っちゃん、今は不用意な発言は――」
「黙れっ! じゃあ俺は、なんのためにここまで来たんだよっ!? 足りないんだよっ! モンスターなんかじゃ、全然足りないんだよーっ!!」
ネイハムは血走った目でダンジョンマスターと、そして奴隷の双方を見やる。
ダンジョンマスターの前には距離が、そして、奴隷の前には二重に歩く者が立ちはだかっている。
「お、おまえは、俺のために殺されてくれるよな?」
ネイハムのその知性なき発言に、
「俺もこうやって生きてる以上、自衛の権利くらいはあると考えているが、構わないのか?」
ダンジョンマスターは真っ向から、しかし、しなやかに対立する。
ったく、これじゃどっちがモンスターかわかったもんじゃねぇな。
ナイフを再び左手に持ち替え、ロングソードを抜き放ったネイハムに、不承不承、ロベルトも両手剣を構えて追従する。
「坊っちゃん、行くなら行ってくださいな。オレは《契約》通り二重に歩く者を抑えますんで」
「はっはぁっ!」
場が、戦いの空気が徐々に整ってくる。
「ロベルトさん、そこまでその人に義理立てしなくてもいいでしょうに」
左利きなのだろうか。通路の向こうで、左手で頬をかいて、ダンジョンマスターが苦笑する。そんなところまで人間臭い。
「理解したぜ。オメーが二重に歩く者を操って、フォルフの奴を演じてたってわけだ。」
ダンジョンには、時折、規格外のモンスターが現れることがある。
「名持ち」と呼ばれるそれは、ダンジョンマスターが直接操っているモンスターであると噂されている。それが、真実であると証明された瞬間だ。
「俺は言いましたよ、少なくともあなたと、あの奴隷とは味方でありたいって」
「オレも言ったぜ、オレにも色々と事情があるってな」
***
「…その、……心配、なの…ですか?」
「心配だよっ! 心配に決まってるでしょ」
チェリの話し相手にでもなっていてくれ。
簀巻な現状は変わらないが、猿ぐつわだけは免除されたウルフが、ふかふかな部下椅子の上で膝を抱えて座るチェリにおずおずと問いかける。
どうしよう…。会話が続かない。
そして当然のごとく内気な祈祷師は言葉に詰まる。
しばしの沈黙。
その間、ぎこぎこと、木製の部下椅子が鳴リ続ける。
チェリが膝を抱えたまま前後に揺れているのだ。
揺れながら、そのほっぺたがぷくーっと膨らんでいく。
「行く」
「…は?」
ぼそり、とチェリが呟いた。
「ウォルくんもついてくる!」
「…へ?」
そして、今度は明確に宣言し、部下椅子から飛び降りる。
「…ど…どちら…へ?」
青ざめたウォルフには目もくれず、チェリは、居間の台所スペースから彼の縛めを解くためのナイフを持ってくるのだった。
***
ダンジョン内に剣戟の遠が響き渡る。
「ぐあっ、たかがオークごときがぁっ!!」
タツキへと続く通路に躍り込もうとしていたネイハム。
それよりも早く、《ユニット憑依》によってタツキと意識を同調させたオークが割って入ってきたのだ。
オークとは、上半身裸の、棍棒を持った豚人間。
ネイハムにとっては、今まで、嫌になるくらい切り刻んできた相手だ。
ゆえに、今までと全く同じモーションで、大振りの棍棒をかいくぐってロングソードを突き立てようとした刹那、しかし、ネイハムは肩越しからのタックルを食らって吹っ飛んだ。間合いをそらされたロングソードは、オークの胸の脂肪を切り裂き、薄いオレンジの体液を滴らせるも致命傷には程遠い。
「なんだ? その程度か」
タツキは、ネイハムの意識がロベルトや、ドッペルゲンガーに守らせている女奴隷に向かないよう挑発する。
「ロベルトさんはこっちをよろしくお願いしますよ。このランクCの、オークより格上の二重に歩く者をね」
さらに憑依対象を一瞬だけドッペルゲンガーに切り替え、強者を強調した牽制の台詞を紡ぐ。当然、模倣対象はロベルトだ。ダンジョンマスターの操作がなくとも、この場で最も脅威である可能性が高い。
「くそがっ、くそがくそがくそがぁっ!!」
ネイハムが繰り出すは流れるような連撃の剣の舞。
二刀流を選択した軽戦士の基本魔技はしかし、棍棒を盾にゆっくりと後退するオークに耐え切られる。
「その技で18回殺された。流石に慣れたよ」
あちこち切り傷だらけのオークはしかし、その分厚い皮下脂肪が天然の鎧となっており未だ意気軒昂。これまで《ユニット視点》を用いてネイハムに殺され続けてきた、いわく《100回死んでみよう作戦》は確実にタツキの血肉となったのだ。
「お約束な台詞だが、今度はこっちの番だ」
タツキは強欲の化身の引き金を引く。それは、自身の身体能力を30秒間3割向上させるオーク専用の魔技。
「な、モンスターが魔技だとっ…!?」
目の前で、明らかに筋肉が一回りふくらんだオークに、ネイハムは視線だけロベルトの方を見る。
だが、強者となり替わった二重に歩く者と対峙するロベルトからは援護は望めそうもない。
一体どこで、そして何を間違えたのか。
産まれたてのダンジョンマスターを嬲るだけの、いつもと同じ、簡単な仕事だったはずだ。
「うっ…、ぐっ!」
唸りを上げて飛来する棍棒を紙一重でかわす。
敏捷度増加の魔技、翼の渡りを立ち上げ、床を蹴り、壁を蹴り、立体的な挙動でロングソードを度を振り下ろし、
「それも8回以上見た」
「ぐあぁっ!」
まるで羽虫を払うかのごとく振り回されたオークの左手で打ち払われ、ネイハムはダンジョンの壁にしたたかに体を打ちつける。
いよいよか。
すぐには起き上がれないネイハム。オークとその意識を同調しつつ、タツキは己の覚悟を構築する。
「くそがぁっ!」
見逃す、という選択肢はないはずだ。
こいつを見逃せば、自分とチェリの生活が危うくなる。
同じ人間に対する殺意。必要以上に高ぶったタツキの心は、ロングソードを杖に立ち上がろうとするネイハムに、やや大振りながら十分な威力の乗った一撃を繰り出し、
「タツキ様っ!!」
「ヒャッハァーッ!!」
***
チェリが見たものは、
「いやぁぁぁっ、タツキーっ!!」
喉元にロングソードが突き刺さったタツキの姿。頭がすっと冷えて、目の前が暗くなる。
一方、絶体絶命の危機だったネイハムは、オークの一瞬の硬直を見逃さなかった。
その隙を逃さず、蜘蛛のごとく足元を転がり駆け抜け、つきだしたロングソードはダンジョンマスターの細くて白い首に吸い込まれる。
「ひゃはは、やっぱり俺は持っているっ! やった、やったんだ、殺ってやったぞ…、ひゃはは、ひゃは?」
ただ、手応えがおかしい。
ガシャン、とガラスの砕ける音。カチリ、と、トラップのスイッチを踏み抜いた音。
見れば、自分の軸足は明らかに色の違う床の上。
>ダンジョン≫罠≫物理≫「落とし穴」トラップランクE
ばくん、と足元の床が左右に開いた。
「ひゃ、ひゃ…、ひゃはぁっ~ーーー――――」
奈落へと吸い込まれてゆくネイハムが、最後に目撃したものは、クモの巣状に罅が広がっていき、砕け散る等身大の鏡だった。