12:ダンジョンマスターの邂逅
2階層。
階段を降りきってしまえば、フロアに明かりが戻っていた。
壁、床、天井とも、ザラザラとした暗褐色の石材。
それらがナイフ1本入らない、ぴっちりとしたつなぎ目で配置されており、不規則に配置された一部の石材が発光。不自然に明るい場所や薄暗い場所を作り出している。
モンスターはゴブリンにチラホラとオークが交じるようになってきた。この辺りは一般的なランク1ダンジョンの特徴に一致する。
しかし問題は、そのフロア構造だ。
右へ2度曲がる。モンスターのいる部屋を幾つか攻略し、そして左へ2度曲がる。するとまたモンスターのいる部屋が幾つか続く。
つまりは、いつ果てるとも知らないクランク構造。
「お前たちの相手はもう飽き飽きなんだよぉっ!」
この部屋も、ゴブリン3とオーク1。
さすがのネイハムも、破壊の快楽と、繰り返しの苦痛が拮抗しつつある。その剣技もやや精彩を欠いている印象だ。
「湧き出せ、泉のごとく――《活力の祈り》」
祈祷師の法術もここに来て初めて発動する。パーティーメンバーを体力持続回復[小]の状態にする初級魔技だ。
ネイハムの疲労を考え、ロベルトも抜剣しいつでも補佐に入れる体勢をとっている。
剣を振るう体力はこの法術でまかなえる。しかし、拭うことのできない精神的な疲労が、少しずつ、一向にこびりつき始めていた。
***
「ロベルトさんは、…なぜ、ネイハムさん…と、一緒に?」
幾度目かのモンスターとのバトル。
それを未だ危なげなく制し、奴隷が魔石を取り出す間、一行は小休止を行う。
「あん? どうした急に?」
「いえ…、立ち位置や、動き…などから…、かなりの力量を…お持ちでは ないのかと」
ロベルトは水筒を取り出し水を煽っているネイハムをちらりと見やる。
「まーな。オメーは新米だから知らねーかもしれねーが、オレにもいろいろあったんだよ」
「色々…ですか」
「ああ。いろいろさ。主にロクでもない色々だな」
ロベルトにその「色々」を語る気がないのを察したのだろうか。灰髪の祈祷師は話題の転換を図る。
「では…ネイハムさんは、仕えるに…値する…方ですか?」
「あん? んなもん見てりゃわかんだろ?」
ロベルトは肩をすくめる。
図らずともその質問の直後。
「無能がっ! いつまでグズグズやってんだよっ!?」
水を飲み終えたネイハムが、必死にオークの肉をえぐっている奴隷を蹴り飛ばす。職位持ちの一撃に、奴隷は甲高い悲鳴を上げ、壁際まで転った。
「まぁ、あんなもんだ」
はー。と、ロベルトが重い溜息を一つ。
「はいはい坊っちゃん、今結構本気で蹴ったでしょう?」
「無能に仕置をして何が悪いんだっ?」
「そこまでっすよ。そいつを壊したら誰が魔石を取るんですかい?」
肩をすくめながらヘラヘラと、しかしさりげなく、ロベルトは奴隷とネイハムとの間に割って入る。
「ちなみにオレは取らねっすよ。《契約》に入ってねーですからね」
ぎりり、とネイハムが歯を食いしばる音がする。
右手はロングソードの柄を触りかけるが、
「ちぃ」
そのままダンジョンの壁に打ち付けられる。
自身とロベルトの実力差を把握しているが故だ。
とりあえずは収まった。
ロベルトは、顔だけ陰気な祈祷師の方を向き、唇の動きで、
「な。最悪だろ?」
と、伝えてくる。
灰髪の祈祷師も、それに頷きで返すと、眉間にしわを寄せ、壁際まで飛ばされた奴隷の側に行く。
「癒せ、陽だまりのごとく――《治癒の祈り》」
そして、体をくの字に折って、倒れたまま起き上がれない奴隷に生命力持続回復[小]を施した。
「かはっ、あ、ありがとう、ございます」
初めて聞く声は、掠れてはいたが間違いなく女性のそれだった。
染色もされていない、最下級のローブ。今はそのフードが外れ彼女の容姿が伺える。こぼれ落ちている、汚れてはいるが美しい銀髪。
「すぐには…効きませんが、少しずつ…楽になっていく…はずです。…さあ、手を」
ロベルトはもちろん知っていた。
無意識的にガントレットに包まれている左手の甲を撫でる。
彼女がいずれ切り刻まれる運命にあることと、自身の《契約》。そして、もう一つの理由から、極力感情移入をしないよう心がけて来たのだから。
そのため、今、ロベルトは、客観視点。
冷静な第3者。
ゆえに、その違和感に気づいてしまった。
おいおい、ウォルフの奴、落ち着きすぎてねーか?
ロベルトにとって、このクソッタレなやり取りは日常茶飯事。
しかし、ウォルフにとってはそうではないだろう。
「その、ごめんなさい」
女奴隷はモンスターの体液に汚れた手を差し出すのに躊躇したようだが、件の祈祷師は躊躇することなくその手を掴み、さり気なく腰に手を回し彼女が立ち上がるのをサポートする。
おいおいおい!?
ロベルトは驚愕する。
あいつは童貞丸出しの坊主じゃなかったのか?
あるいは、これが本来のウォルフで、この修羅場でそのスイッチが入ったってのか?
ロベルトの頭脳は、やや混乱気味に回り始める。そして、いくらなんでもそれはないという結論を下す。
錆びつきかけてはいるが、これでも歴戦の猛者だったのだ。
脳内の、戦人の本能とでも言うべき部分が警鐘を鳴らしはじめる。
何よりも。
「すみません、お見苦しいものを…」
そそくさとフードをかぶり直した彼女の頭上には、狐のような、獣の耳があったのだ。
つまり、彼女は穢れ持ち。
しばらく行動をともにしているロベルトですら、直視するためには眉間にしわを寄せざるを得ないその《穢れ》を。あろうことか、奴はしばらく、微笑ましい物を見るような目で見つめていたのだ。
やはり普通じゃねぇ。
ロベルトの違和感はほぼ核心へと変わる。
《今の》奴は普通じゃねぇ。
だが、《ここまで来る間》の奴は全く普通だった。
となると――心当たりは…。
しかし。
「そいつは俺のなんだよっ! 勝手に仲良くするんじゃないよっ!!」
その思考はヒステリックにキーの上がったネイハムの叫びで中断される。
「ああ…これは、すみま…せん」
ヘコヘコと頭を下げ、へっぴり腰で帰ってくるウォルフ。
「オメー…。」
やはり間違いなく演技だ。
いつも演じているロベルトならばすぐに分かる。
なぜかといえば、目だ。
目に、これまでのウォルフでは持ち得なかった迫力がある。
「オメー、ホントは何者だ?」
躊躇なくロベルトは抜剣。
「俺の勘だがな、どこかで入れ替わってやしないか?」
危機感のギアを1段階上げて問いかける。
すると。
「さすが、ご名答です」
灰髪の祈祷師は今まで見せたことのないような、自信にあふれた笑みを浮かべた。口調すらも変わっている。
「ですが、何者だと問われれば、味方です、と答えましょう」
「味方だぁ?」
予想外の回答にロベルトは面食らう。
「はい。少なくともあなたと、あの奴隷とは味方でありたい、ああ、ついでこのスケルトンっぽい少年とも」
ウォルフと思しき存在は、底の知れない存在感をロベルトに植え付けるのだった。
***
気づいたロベルトが気づいていない真実。
それがタツキ達の作戦司令室の重厚なテーブルの上に転がっていた。やや涙目で。
「はいはい、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ~。タツキ様はイイモノのダンジョンマスターなんだから」
ぽむぽむとその灰色の髪をやさしく叩くのはチェリ。
涙目になりながらも、赤くなったり、でも青くなったりと色々忙しいのは、猿ぐつわをされ、ロッドを取り上げられ、ついでにぐるぐるとす巻きにされた祈祷師その人だった。
もちろんウォルフは、こんな状態にありながら、自分にニコニコ微笑みかけるチェリにドギマギする「童貞丸出しの坊主」であり、眼力なんてあったものではない。
ゆるふわな髪に隠れるチェリのエルフ耳にだって、全く気づかない程度の眼力だ。
痩せっぽちな骨太なので、ビジュアルだけは骸骨兵チックな迫力があったりするが。
「んー、獣耳さん以外、聞き取り調査は完了したことにしよう。そこの彼も害はなさそうだしな」
びくん、とそのウォルフが身じろぎし、よしよし、怖くないよー、とチェリがなだめる。
今まで半眼のまま趣味の悪い玉座にその身をうずめ、微動だにしなかった恐怖の象徴が突如として声を発したのだ。
「では、そろそろ種明かしだ。危ない兄さんの堪忍袋がいい感じにやばいしな」
タツキは静かに立ち上がる。
その決意を込めた低めの声に、簀巻のウォルフがいよいよプルプルし、チェリが「だいじょうぶですよー」と、ぽむぽむする。
「…しっかし、獣耳さん、美人だったなぁ」
「びじっ? タツキ様、それってどういうことですかっ?」
「が、ぐふっ」
ぽむぽむの1~2発が、ドムッ! ドムッ! に変化して、ウォルフは思わず悲鳴を上げるのだった。
***
それからは無言のまま。
一行はさらに5つの部屋を攻略する。
ウォルフのような「何か」。それは気になるが、主人であるネイハムに危害が及ばない限り、ロベルトは動かない。そういう契約だ。
そして打算もある。
契約に抵触しないやり方で、この胸糞悪い日常が変わるのであれば喜ばしい。すでに忠誠など、欠片も残っていないのだから。
「あー、くだんねぇ」
そのような打算が通じたのか、6つ目の部屋で、5つ目と同じ構成のモンスターパーティーを切り伏せたネイハムが切れた。
「くだんねぇくだんねぇくだんねぇくだんねぇくだんねぇっ!! 全部全部全部全部っ、くだんねぇんだよぅ!!」
音も立てずロングソードをしまい、左手の短剣を右手に持ち替え魔石をえぐり続ける奴隷へと踊りかかったのだ。
経験上こうなってしまったネイハムを止めることはできない。
そのことを知っているロベルトは深くため息をつき、すでに覚悟していたのだろうか、奴隷は静かに立ち上がった。
腹部のやわらかな肉を裂き、そして絹を裂くような悲鳴が響き渡る。
ネイハムにとっては甘やかな、心休まる唯一の瞬間はしかし、彼の妄想の中でしか訪れることがなかった。
「お前? おまえおまえおまえおまえおまえーっ!! 邪魔なんだよーっ!! どけよーっ!!! って、おまえ、だ、だだだだ誰だ? お前? …おま、お、おおお俺ぇ?」
その異常な光景に、しばらく、誰ひとりとしてその場を動くことができなかった。
あえて、ウォルフのような「何か」をフリーにしたロベルトさえ。
ネイハムを止めたのは、ネイハムだった。
もう少し正確に言いえば、ウォルフのような存在がネイハムを止め、その形状が粘土のように崩れてネイハムになった。
すなわち。
「二重に歩く者だと…っ!?」
ロベルトが戦慄する。
「い、いつからだっ!? い、いや、それ以前に、二重に歩く者ってのはもっと無機質な、ろくに会話もできない奴で……」
主を護ることも忘れ、ロベルトがまくし立て、しかし、目の前の事実に圧倒される。
「おまけに二重に歩く者はランクCだぜ…。ランク1ダンジョンにいていいモンス――、ぐわっ!?」
刹那、ダンジョンそのものがガツンと揺れた。
その衝撃で糸が切れたように奴隷がへたり込む。
「まぁ、そのへんはダンジョンマスターの魔技ってことで」
「なっ!?」
全員が、弾かれたように声の主の方を向いた。