予兆
実はドワーフ族に本職の戦士はさほど多くはない。
が、これは決して彼らの戦闘力が低いことを示していない。ドワーフには他のどの種族にも劣らぬ腕力と勇気がある。いざ戦いとなれば、普段は他の職に就いている者でもためらわず武器を取り、最前線で戦うのだ。
特に鍛冶師は日頃から体を鍛え上げているので、戦場では極めて頼りになる存在と認められている。
なので、若手の鍛冶師であっても、ギエンは並のヒューマンの戦士などとは比べ物にならないほど強い。それは決して自惚れではない。
そう、ギエンは決して臆病でもなんでもない、勇猛な戦士なのだが……
ヒュカッ!
鉱山へと続く山道で、魔物に遭遇し駆け出そうとしたギエンの背後から、鋭い矢羽の音が聞こえる。ギエンが気づいたときには、前方の魔物は苦しげに顔を背けているところだった。慌てて駆け寄ろうとするが、それよりも早く姿勢を低くした黒い塊が信じられないスピードで魔物に近寄り、抱えた斧を振りぬく。
ギエンが何をする暇もなく、魔物はゴウジに首を断ち切られ息絶えていた。
「……フォレストタートルだね。こんなところに現れるなんて珍しい」
魔物の死体を検分していたトーヤが呟く。
森の生活に適応した肉食性の大亀だ。一般的な亀のプロポーションに比べ首や足が長く、素早く動いて獲物を捕らえる。全身が緑がかっているので、森の中では不意打ちを食らうことがありかなり危険な魔物だ。
「ネズミ出現だけだと思っていたが……何かもっとヤバイことでも起きてんのか?」
ゴウジが警戒を崩さず、言葉を放つ。当然のことだが、毎日のように鉱夫が通るこの道に、フォレストタートルのような比較的危険度の高い魔物が現れることは滅多にない。何かしら異常が起きて、森の魔物の生存域に異変が起きていると疑うのは自然だ。
「かもしれないね……一度山を降りて、本格的に戦士団を結成してもらおうか?」
戦士団は、実戦経験豊富なドワーフをリーダーに、村人たちを選りすぐって構成される戦闘集団である。魔物の群れや野盗が出没し、大規模な戦力が必要だと判断された際に結成され、問題が解決したら解散する。
ゴウジとトーヤが話し合っているが、ギエンは口を挟めなかった。
(クソッ、これが本職の戦士との力量差だってのかよ!)
ギエンが苛立たしげに使う暇のなかった斧を肩に担ぐ。ギエンとゴウジは共に皮鎧にバトルアックスという、平均的なドワーフの戦闘装束だ。
それに対して、 トーヤの恰好はいささか変わっている。
鎧じゃ動きにくいから、と訓練用の胴着を着て、同じく扱いやすいから、という理由でショートソードを腰に佩き、短弓と矢筒を背負ったその姿は、ヒゲのない童顔と種族特有の低身長が相まって、ドワーフというより、がっしりしたホビットか何かにも見える。
いずれにせよ、その一般的なドワーフの枠から大きく逸脱したトーヤが、自分よりも大きな手柄を上げていることがギエンには不満だった。
ゴウジに負けるのは仕方ない……ギエンが鍛冶をしているその時間に訓練を怠らない専業の戦士であり、実戦経験もギエンより遥かに豊富なゴウジがギエンに負けるようでは、その方が問題だ。
が、「ヒゲなし」のトーヤが、ギエンよりも強いことがギエンは納得いかなかった。魔物と遭遇したギエンが慌てて斧を構えるその暇に、冷静に矢を射ち込んでみせたその腕前を認めないわけにはいかない。だが、それでも己のプライドがトーヤの活躍をやっかみ、否定したがっているのだ。
「……何馬鹿言ってんだよ、これだから臆病な『ヒゲなし』は……魔物の出現なんて偶然だろうが。ここいらだって絶対安全ってわけじゃねーんだ。そんなもんにいちいち怯えて『戦士団作ってくださーい』なんて言ってみるのか? 鼻で笑われるだろうな。ハッ!」
トーヤの言葉を否定して、ギエンは鉱山の入り口に向けてさっさと歩き出す。
勝手な行動を取ってゴウジにどやされるかと思ったが……結局2人とも特に反論はせず素直についてくる。
(そうだよ、これでいいんだ。ようやくコイツらも、俺のリーダーシップに気付いた、ってことか)
それについてギエンは都合よく解釈する。……実態としては、「放置して帰るわけにもいかないし、とりあえず気が済むまで付き合うか」という生暖かい同情であったのだが。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
鉱山の入り口にたどり着く。噂のネズミがちょろちょろと出入りしているのが目にとれる。
「……何だろうね。本当にネズミが大量発生している……」
「理由なんざ、どーだっていいんだよ。とっとと餌撒いて帰ろーぜ」
ギエンがやる気なさげに呟く。同僚たちは降って沸いた休みを謳歌しているのに、なんで自分は「ヒゲなし」なんぞに付き合ってこんな山にいるのか……と考えると少し虚しくなってしまう。
無論、その原因は自分から立候補したためなのだが、自業自得だと言っても、この苛立ちが消えたりはしない。
だったらさっさと帰るに限る。ギエンはそう結論付けた。
「……ちょっと待って、何かおかしな気配がする」
が、そんなギエンをトーヤが引き止める。
「……俺は何も感じんぞ。勘違いじゃないのか」
急に妙なことを言い出したトーヤに、歴戦の戦士であるゴウジが反論する。
「魔力の気配だから、魔法を使わない人にはわからないかも……何にせよ、坑道には入らない方がいい。下手に刺激したら……」
「あーもううるせーな! 何が魔力だ! かっこつけやがって! ドワーフなら、そんな胡散臭いもんじゃなくて、度胸と腕っぷしだけで勝負しやがれってんだ! だから『ヒゲなし』はドワーフの面汚しなんだよ!」
神妙な顔つきでトーヤの言葉を聞いていたゴウジの姿に、ギエンはとうとう不満を爆発させる。
そして、トーヤとゴウジには構うものかと言わんばかりの勢いでずんずんと坑道に立ち入っていく。毒餌はネズミの巣と思われる坑道の内に仕掛ける必要があるのだ。
「あ、おいギエン……」
ギエンを呼び止めようとしたトーヤの動きが止まる。突然ガバリと伏せ、大地に耳を当てる。
「どうした、トーヤ?」
トーヤの唐突な奇行に、ゴウジが訝しげに尋ねる。
「……ヤバイかも……」
それだけ呟くと、トーヤは短足のドワーフに許された最大限のスピードで坑道に駆け入る。一瞬後には、ギエンを捕らえて無理矢理引きずり出してきた。
「ゴウジ! 理由は後で説明する! とにかくこっちに来て!」
「『ヒゲなし』が俺に触れるな!」などと騒いでいるギエンの存在は無視して、トーヤが叫ぶ。その鬼気迫った様子に迷わずゴウジが従うと、トーヤはゴウジの腕をしっかり握った。
次の瞬間、ギエンとゴウジにも異変がはっきりとわかった。大地を震わせる衝撃に、暴れていたギエンの動きがぴたりと止まる。
「逃げるよ! 舌噛まないよう気を付けて!」
それだけ言うと、トーヤは短い足にグッと力を込める。まさかジャンプする気か、完全装備のドワーフを2人抱えて……とゴウジが驚いている間に、トーヤは蓄えた力を解き放った。
ゴウジの予測は外れていなかった。確かにトーヤは飛んだのだ。しかも、20メートル以上。
「おおぉおおおぉぉお!?」
「ひゃああぁぁああああ!?」
重力の軛から突如として解放されて、ゴウジとギエンが悲鳴を上げる。ジャンプしただけではない。その高度を保ったまま飛んでいる。これは筋力だけでなせる技ではない。魔法だ。
「お前……空飛べたのか」
感嘆の意を込めてゴウジがトーヤを見る。
「ああ。2人も抱えて飛ぶのは結構辛いんだけど……あれから逃げるには、他に選択肢はなかったからね」
本当に辛そうな表情でトーヤが返す。
「……あれ?」
その言葉に、ようやく地上を眺める余裕を取り戻したゴウジたちが先ほどまで自分たちがいた坑道の入り口付近を見る。
……見なければ良かった。
歴戦の勇士であり、自他ともに認める怖いもの知らずのゴウジにすらその念を抱かせるほど、それは禍々しかった。
まず目に付くのは無数の触手。木の根のように見えるそれは、すさまじい速度で鉱山周辺を蹂躙し、手に触れた動物を捕らえている。
触手は今も地下から湧き出しており、その総数がどれほどになるのかは数えたくもない。
中央に位置する巨大な球体が司令塔だろうか。そこには無数の牙が並ぶ大口が開いており、周囲の触手が捕らえた獲物をバリバリと貪っている。
植物とも動物ともつかぬ異形の魔物を確認し、ギエンもゴウジも言葉を失う。
「俺たちの匂いを嗅ぎつけて、獲物を求めて飛び出してきたか……ネズミは大量発生したんじゃなく、地下に住んでたのが、あれから逃げ出して地上に湧き出していたんだな、きっと」
唯一、冷静に状況を判断しているトーヤだけが言葉を紡げる。だが、声の調子までは平静とは言えず、所々震えていた。
「……おい! なんだってんだ、あの化け物は! なんであんなのが鉱山にいるんだよ!?」
ギエンが何が何やらわからぬと言った風に、トーヤを怒鳴りつける。
「……なんでいるのかは俺が聞きたい。だけど、本で読んだことはある。無数の触手を操り、手当たり次第に周囲の動物を食らう魔物。その名は……」
一度言葉を切ったトーヤは、まるでその先を言うのを恐れるようだ。大きく息を吸い、そして告げる。
「国喰らい」
重々しく、トーヤがその名を吐いた。