旅立ちの前に
日は流れ、トーヤの誕生日が迫っていた。ゴウジ、ハル、クズミ婆の3人の師に旅立ちの日を告げ、他にトーヤは村の主だった人々にも伝えていた。村長や親方も無論それに含まれる。彼らは惜しみつつ、盛大な壮行会を開こうと言ってくれたが、「ヒゲなし」にそんなことをしてはかえってギエンらの反感を買うし、何よりミオリにバレてしまうと、トーヤは断っていた。結局、ミオリには何も言えないままで、トーヤは両親と師と村の首脳にだけ事情を伝え、こっそり旅立とうと思っていた。
(言おうが言うまいがどうせ恨まれるんだ、だったら目の前で泣かれない方がマシだ)
トーヤはそう割り切った。
師に伝え、村長らと話し、最後に、父と母にもその意思を述べた。
「父さん、母さん。ここまで育ててくれてありがとう。俺は……村を出ようと思う」
その言葉を予感していた父は重々しく頷くばかりだったが、母はそうもいかなかった。
「どうしてなの!? トーヤ! いじめられるなら、一緒に解決策を考えましょう! 何もあなたが村を出る必要なんて……」
そこで母はハッと気づいたように、父に視線を向ける。
「……そういえば、父さんはトーヤが『ヒゲなし』だってわかって以来、よそよそしかったわね……父さんが唆してトーヤを追い出そうと企んでんでしょ! 『ヒゲなし』は息子じゃないっていうのか! この外道が! 糞親父め、とっとと地獄に落ちやがれ!」
穏やかに見えても、ドワーフの女性である母の本性がとても過激なことを、トーヤは初めて知った。できれば、包丁を持ち出して父を突き刺そうとする前に知りたかったが。
鍛えたトーヤの腕力でなんとか押さえつけて、これはあくまで自分で考えた結論であることを何度も言い聞かせて、母親が包丁を取り落してワッと泣き崩れるという一連の修羅場など経験もしたくなかった。
その姿にトーヤの心は揺れ動いたが、父親はトーヤが動揺しているのを見て取ると、「男なら親が泣いたぐらいで、てめぇの決めた道諦めんな」と言い放った。
……その通りだ、と思った。既に自分のわがままで随分な人に迷惑をかけている。いまさらここで迷うことは、それらの人々にとても失礼な話なのだ。母親のフォローは父に任せ、トーヤは自身の旅立ちの決意を新たにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なんとも後味の悪い家族との話し合いから数日が経ち、トーヤの誕生日の3日前に事件は起きた。
「鉱山が?」
緊急集会があると言われて、集会所に集まった鍛冶師たちに告げられたのは、想定外の事態だった。
オウム返しに言葉を放つ親方に、上座に座った村長―ギエンの父だ―は頷く。
「うむ。数日前から鉱山になぜかネズミが大量発生しての。鉱夫の弁当を食い荒らしたり、時には噛み付いたりしおって仕事にならんのじゃよ」
当たり前だが、鍛冶の仕事は材料である鉱石と、燃料である薪があって初めて成り立つ。当然、村には木こりと鉱夫がおり、鉱夫は近くの山の鉱山に出向いて採掘をしているのである。
「なるほど……それは我らにとっても一大事だ」
親方は頭を抱える。鉱石がなければ鍛冶場は回らない。相手がネズミでは一匹二匹退治したところで意味はないし、毒餌でもばらまいて沈静化を待つしかないだろう。
「まぁそんなわけで、鍛冶場はしばらく休業じゃの。そこで……良い機会じゃ、ゴウジ。若手の鍛冶師を連れて鉱山の調査に出向いて、毒餌を撒いてきてくれんか? 危険があるかもしれんからお主に頼むのじゃ。くれぐれも腕の立つ者を選べよ?」
村長が鍛冶師でも鉱夫でもないのに、なぜか呼ばれていたゴウジに声をかける。そういう事情か、とゴウジが苦笑しながら立ち上がる。
(村長め、そこまでしてトーヤのための宴会を開きたいか)
村長が言ったのは建前だ……ネズミ退治に鍛冶師が行ったところで、さしたる役には立つまい。餌を撒くだけなら誰でもできるので、わざわざ鍛冶師に頼む理由はない。一応「やることがなくて暇である」「鉱山について知っておくことは鍛冶師にも良いことである」など言い訳はなくもないが、強引な感は否めない。
鉱山を調査し毒餌を撒き、特に問題なく帰還すれば、トラブルを解決したとして、トーヤを主賓に据えた宴会を開く口実になる。少々……いや、かなり無理矢理だが、根本的に宴会好きなドワーフたちだ。特に反対はすまい。無論、ゴウジも村長の案に乗ることにする。
「なるほど、そういう事情か。ではトーヤをお貸し願おうか。彼の腕っぷしは、既に俺に匹敵しているからな。弓や魔法も、ハルやクズミが絶賛するほどだ。問題はあるまい。いいな、親方」
猿芝居だが、筋は通っている。親方も頷こうとしたところで……
「待ってください!」
第三者が割り込んできた。その正体はギエンだ。
「……どうした、ギエン」
村長が訝しげな眼で息子を見る。
「鉱山の調査なら、俺も同行させてください! 鉱山が使えぬとは、村にとって極めて重大な事件です! 2人だけで行って、もしものことがあればどうするのですか!」
村長と親方とゴウジは、互いに顔を見合わせてどうしたものかと悩み始める。一応ギエンの言うことは間違ってはいない。……いないが、歩いて半刻(1時間)もかからないほどの裏山の鉱山に行って、ネズミ退治をするのにどれほどの危険があるというのか。
が、それを言うなら、そもそも「腕が立つから」なんて理由でトーヤを選ぶ意味もさしてあるわけではないのだ。
だからと言って、ギエンを連れていって、せっかく村長たちが計画した「ネズミ退治おめでとうの宴(実態はトーヤの壮行会)」に水を差すのもアレであるし……。
などと、首脳陣が頭を寄せ合って悩んでいると、意外なところから助け舟が現れた。
「俺は構いません。ここで話し合っている時間が無駄でしょう。ギエンと一緒にネズミ退治に向かいます」
トーヤだった。彼はそれだけ言うと、さっさと集会所を出ていってしまった。ゴウジは慌てて追いかける。
「おい、トーヤ。いいのか? どう見ても手柄横取りする気だぞ、ありゃ……」
「それこそ村を離れるってのに、今更な話だろ。ネズミ退治程度の手柄なら、くれてやって構わないさ。どうせなら、ゴウジとギエンだけで行ってくれてもいいよ」
師であり、歳の離れた友人でもあるゴウジ相手ではトーヤの口調も気安くなる。
「だからってだな、村長がお前のために宴を計画してるってのに……」
「あぁ、なんか強引だと思ったら、そんなこと企んでいたのか……厚意はありがたく受け取るけどさ、俺は宴の主役なんて柄じゃないって。ギエンの機嫌がそれで良くなるなら、主役の座ぐらいいくらでも譲り渡すさ……。それに、ギエンにはちょっと話したいこともあったしね。丁度いい機会だ」
トーヤはそう言うと、支度を整えるため自宅に帰って行った。
3人が支度を整え、村長から毒餌を受け取り鉱山に向けて出発したのは、それから1時間ほど後のことだった。