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酒場にて

 港傍にあるにしては、随分と静かな酒場だった。京也に指定されたその酒場は、リムルにある中では比較的高級な一軒らしい。トーヤの懐事情では少々入るには躊躇せざるを得ない場所だったが……


「今日は俺が奢ろう。無理言って悪かったな……どうしても外せない用事だったんだ」

 日暮れと同時に酒場に入ったトーヤに少し遅れて入店してきた京也は、申し訳なさそうな顔でそう言った。

「構わないさ。俺も別に急いでいたわけじゃない」

 トーヤは軽く肩をすくめて京也に応じる。今この場にはトーヤと京也しかいなかった。コニーを信頼していないわけではなかったが……それでもあまり吹聴したい話でもない。とりあえず、ザイヤーと共に宿にいるよう言い含めてトーヤはこうして出向いてきたのである。


「ローカス酒。……あぁ水割りはしなくていい。そのままで。後腹に溜まりそうなつまみをいくつか」

「……酒、飲めるんだな」

 京也が注文したのは、ドワーフであっても普通は割って飲む強い酒だった。トーヤはドワーフにしては珍しく酒類は得意ではないので、それがどんな味かまでは知らないが。


「こっちの世界じゃ普通だろ? 確かに日本だと俺ぐらいの年齢の奴が酒飲むのは不自然かもしれないけどさ」

 トーヤの疑問を京也は「飲酒できる年齢ではないのに酒を飲んでいいのか」と解したらしい。別に訂正する必要も感じなかったトーヤは黙って自分が頼んだジュースを口に含む。


「……何かあったか?」

 どことなく疲れた風情の京也にトーヤは尋ねる。

「まぁ色々と……どこの世界に行っても、人間関係は難しいものだよな、って話」

「……そうか」

 トーヤは特にそれ以上尋ねようとはしなかった。きっとリーザがいないことと関係しているのだろうが……京也には京也なりの苦悩があるのだろう。向こうから相談してくるのでもなければ、過度に踏み込むのは気が引けた。……例えそれが自分自身だったとしても。


 それから2人はポツリポツリと互いに近況を報告しあった。双方ともあまり口が上手い方ではなかったので、わかりやすい話とは言えなかったが、トーヤは久しぶりに心穏やかな時間を過ごした。

 つまみが腹の中に消え、話題も一通り収まった頃、トーヤはぼんやりと目の前の自分自身を眺めながら思う。

(やっぱり……自分自身ってのは不思議と理解しやすいものなんだな)

「……不思議だな」

「え?」

 唐突な京也のつぶやきに、トーヤは軽く驚きの声を上げる。

「なんだか知らないが……トーヤ、アンタは他人とは思えない。不思議なほど、お互いの気持ちが理解し合える……打てば響くような、ってのはこういうのを言うんだろうか……」

「…………」

 まるで自分の思考を読んだかのような京也の言葉に、トーヤは黙り込む。


「……これは……アンタが同じ世界から来たから、なのか? それともそれ以上の何か、なのか?」

(……とうとう核心か)

 ここまでの会話の間、2人とも意識してかせずか、その周辺の話題には全くと言っていいほど触れようとはしなかった。

 トーヤをじっと見つめる彼の黒い瞳は、確かにかつてトーヤが持っていたものと同じだったが……日本で鏡の中で見たそれは、何の覚悟もない怠惰でおどおどとした物だったのに対し、今の京也の瞳には何かを決心したかのような煌めきが宿っていた。


(言うべき、か言わざるべき、か……難しいな)

 かつては一瞬の邂逅だったので、詳しい事情を語っている暇はなかった。今なら説明できる。「自分もまた京也だ」と。証明することも難しくはない。京也の暮らした街の名前、通っていた学校、好きなテレビ番組、そして叔母の名前……そんなことを言えば京也だって信じざるを得ないだろう。だが、それを言って果たしてどうなるのかと言えば……

(気まずいだけかなぁ。「単なる同郷の知人」とだけ思ってもらった方が俺としても付き合いやすいかもしれない)

「なぁ……アンタは……元の世界に帰りたい、って思わない、か?」

 トーヤが迷っていると、京也はぐいぐいと話を進めていく。


「……そりゃ思わなくもないさ。日本の生活を恋しく思ったことは一度や二度じゃない」

 なんとなく切り出す隙を見失ったトーヤは、4杯目のジュースを飲みながら応じる。


「……帰るためなら、こっちの世界で何を切り捨ててもいい、とかは……」

「え? 要するにこっちの世界での全てを捨てて向こうに帰れるか、ってことか?」

 トーヤが尋ねると、京也は一瞬迷った後コクリと頷いた。


「……それは……無理、かな。生まれ変わって……家族もできたし、大切な人たちとも出会えた。今更日本に帰っても、俺は『異邦人のドワーフ』にしかなれないよ。もう……俺の故郷はこっちだからさ。行ける機会があるなら、行ってみたいけれど……それでも、こっちでの生活を切り捨てるわけにはいかないよ」

「……アンタにも……家族はいた、んだろう?」

 トーヤの返答に京也は一瞬悩んだ表情を見せた後、そう質問してきた。

「……いたさ。だけど、比べられるものじゃあない。こっちでの全てを捨ててまで会いに行くわけにはいかないね」

「……そうか。価値観は……人それぞれ、だからな」

 京也は残念そうなほっとしたような不思議な表情を見せた後、酒瓶を手に取ってトーヤのグラスに注ぐ。


「……少し飲めよ。ドワーフなんだろ? 飲めないなんて言わせないぞ?」

「……まぁ一杯だけなら」

 強い酒の当たり口に驚きながらも高級なそれをゆっくりと喉の奥に流し込む。


「おや、説得は失敗に終わりましたか」

 ……危うく口の中に含んだものを吐き出すところだった。そんな隙を見せている(・・・・・・・・・)暇はなかった(・・・・・・)

 トーヤは即座に口中の物体を嚥下し、腰に差した剣に手をかけいつでも抜き放てる体勢を取る。


「……ルーカスゥ!」

 トーヤがこの世界で最も危険視する男、リザードマンの狂信者がローブのフードを下ろしながらトーヤたちのテーブルの脇にいた。


初めまして(・・・・・)。コニー教授のお弟子さん。……そんな物騒な物は仕舞ってくださいな。見ての通り、貴方を害する意図はないのですから」

 大げさに、見せびらかすように両手を肩のところまで持ち上げるルーカスにトーヤは困惑し……そう言えば自分はコニーの弟子という設定で城門を潜ったことをようやく思い出した。


「……何のつもりだ、ルーカス? なぜお前がここにいる?」

「人がどこにいるか、などリャーマンのお導きに過ぎません。今この場で私たち3人が一堂に会したこともまた、運命の大いなる波の一節なのです」

 滔々と語るルーカスに……トーヤは訝し気な視線を投げつつもゆっくりと椅子に腰を下ろす。ゆったりとしたローブにルーカスの愛用の武器である大剣を隠すスペースはなさそうであった。あえてトーヤを偽の身分で呼んだことを含めると、今この場で命がけの戦いを起こす気はなさそうである、と判断を下す。


「……トーヤ。ルーカスさんにあまり無礼なことはしない方がいい。……彼は今、このリムルの街の総責任者なのだから」

「……そうか。アンタリャーマンのリーダーだったな、そう言えば」

「リーダーとは言わないでもらいたいですな」

 ルーカスの修正は無視してトーヤは京也に語る。

「京也。アンタは知らないかもしれないが、この男はとても危険だ。今すぐ縁を切った方がいい」

 トーヤの心からの忠告に京也は困ったように頬を掻く。

「……どうやらトーヤとは行き違いがあったみたいだけど……ルーカスさんはそんなに悪人じゃないよ。色々あって協力することになったんだ」

(善人? そりゃ善人に決まっているさ。この男ほど自分の正義を信じ切った奴もそうそういない……)

 トーヤは唾棄するような眼でルーカスを見る。


「京也さんは、我々の志に感服してくれまして……その力を私たちと共に振るってくれることを約束してくれたのです」

「トーヤ。アンタもエリシール国内を旅したなら……わかるだろう? この国が抱える歪さが。この国は今革命を欲している。そのためには、リムルの街と、そしてたくさんの同志が必要なんだ」

「俺はドワーフだ。ドワーフは国に縛られない。革命したいなら勝手にすればいいさ。だけど、俺は自分と自分の周りの大切な人を傷つけるようなら、それがエリシール王国だろうと解放軍だろうと区別せず火の粉を払うために動く、というだけだ。……そして俺は行き違いだろうがなんだろうがルーカスと一度殺し合っている。そんな相手を信頼することは到底できない」

 ばさりとそれ以上話を聞く気はないとばかりにトーヤは立ち上がる。


「京也、アンタが解放軍に協力するのは勝手だ。だけど、俺を巻き込まないでくれ。……そこのトカゲ男とは早急に縁を切ることを勧めるけどな」

「…………」

 京也は何か言おうと口を開き……結局何も言えず黙り込んでしまった。


「あぁ、そうそう。コニーのお弟子さん」

 店を出ようとしたトーヤの背中に、ルーカスが穏やかな声をかける。


「もし貴方が『ヒゲのないドワーフのトーヤ』という青年と行き会うことがあったら、教えてあげてください……『ワイマー一座はリムル北の青い海馬亭に滞在している』、と。まぁ信じるも信じないも自由ですが」

「…………」

 無視しようとして、結局ルーカスの言葉に振り向いてしまったトーヤは……苦々し気な表情を作った後、苛立ちも露に酒場を後にした。


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