ディムへの道
トーヤは乗合馬車の中で無言のまま自分の荷物を抱え込む。
魔道学院に入学して以来、ディクサシオンを離れるのは初めてだった。それなりに長い期間滞在し続け、「第二の故郷」とまではいかないがそれなりの愛着を抱き始めていた街の城壁をじっと睨みつける。
「…………」
どことなく空気が重かった。ディムへと向かう馬車はガラガラで、今の客はトーヤとそれにもう2人だけであった。
1人はトーヤを心配して付いてきたコニー。
「……トーヤ、大丈夫? なんか顔色悪いよ?」
マリーから話を聞いた途端、ギルドを飛び出し旅支度を始めたトーヤ。常とは違うその鬼気迫った形相に、コニーも学院を休んで付いてくることにしたのだ。
「……いや、大丈夫。ありがとう、コニー……ちょっと考え事をしていただけだから」
トーヤは徐々に小さくなる城壁から目を離し、もう一人の客に目を向ける。
「……で、貴方は何をしているんですか、ザイヤーさん」
ニヤニヤと笑いながら愛用の槍を丁寧に手入れしているのは、中年の戦士、ザイヤーだった。
「うん? たまたまディムへ行く用事があったから馬車に乗っただけだよ、トーヤ君。まさか君たちがいるなんて想像もしていなかったねぇ」
白々しいザイヤーの物言いに、トーヤだけでなくコニーの目つきも険しくなる。
「……アンタ、トーヤを邪魔する気?」
「まさか。君とトーヤ君の関係を邪魔する気などないよ。そんな野暮ったいことはしないさ」
「な……! 私はそんな意味で言ったんじゃなくて!」
「?」
あたふたしてザイヤーに詰め寄るコニーを、トーヤは不思議そうな顔で見ていた。それからまだニヤニヤ笑いを続けるザイヤーに諦めのため息を吐く。
「……まぁ何を言ったって貴方が帰るわけもないでしょうし、別にいいですけどね」
「あぁ、それがいい。トラブルは受け入れて諦めてしまえば意外と何とかなるものだよ、トーヤ君」
「……自分がトラブルだって認識はあるんですね」
トーヤの冷たい突っ込みにザイヤーはガハガハと笑うばかりだった。
「おーい、お客さん。お喋りするのはいいが、あんまりうるさくしないでくれよ。馬が驚く」
「あ、すいません……」
御者の小言にトーヤは素直に謝罪する。ちなみにこの御者、トーヤがディクサシオンを訪れた時に乗せてもらった乗合馬車の御者であった虎の獣人であった。トーヤは奇妙な巡り合わせに驚いたものだった。
「にしても、ディムに何の用があるんだい? まだまだあそこの復興には時間がかかるぞ?」
御者が不思議そうに首を傾げる。実際、この馬車のガラガラっぷりを見れば、今時ディムに用がある者がそうそういない事実はすぐにわかる。
「そうね、私もそれは聞きたかった……リャーマンとかいう名前を聞いた途端にディクサシオンを飛び出すなんて、何があったの?」
「……正直俺にも上手く説明できないんだけど……確かめに行きたかったから、かな」
トーヤは言葉を濁す。実際、「リャーマン」という宗教組織がどの程度危険なのかはトーヤには判別できないのだ。希望的観測を言うなら、ルーカス率いるあの村が特別おかしかっただけで、他のメンバーはごく穏やかな宗教人であるという可能性もなくはない。聞いた噂では、復興支援などに真面目に励んでいるらしいし、決してあり得ない話ではないだろう。
「実際に俺の目で他のリャーマンの信者を見てみたい。それをせずに判断を下すのは……むしろ危ないだろうな、って思ったんだ」
トーヤが望もうと、恐らくルーカスとの因縁が切れることはない。なんとなくトーヤはそう確信じみた思いを抱いていた。問題なのは、それがルーカスという狂信者だけの意思なのか、リャーマンの信徒すべてに言えることなのか、ということだ。前者なら、むしろリャーマンを味方に付けることは有益である。後者なら……敵は極めて組織だった存在である、という事実を知ることができるわけでそれはそれで無益ではない。
(ま、理論づけるならこんな感じかな……)
実際トーヤ自身、ディクサシオンを飛び出した自分の感情を正確に説明できるわけではない。だが、あえて言葉にするなら「自分はリャーマンについてもう少し知っておくべきだろう」と急に思い立ったのが理由として挙げられる。
「……はー、ご苦労なこったな……まぁ俺は仕事だから金もらえばちゃんと運んでやるけどよ……」
虎の獣人は、トーヤのバックボーンを知っているわけでもないので、トーヤの語る事情を半分も理解していなかった。だが、「彼が何かしら思い詰めてディムを目指している」ということは理解したのだろう。それ以降は会話に加わることもなく、馬車のコントロールに集中し始める。
「……こう言うのもなんだけどよ、そこのおっさん……2人が心中しないよう気を付けてやってくれよ……」
トーヤとコニーの間に漂う不穏な雰囲気に何か感じたのか、馬の方を向き直る前にポツリとそんな言葉を投げつけたが。
その言葉の意味を理解した瞬間、ザイヤーは今までで最大級の大笑いを始め、コニーは真っ赤になって御者を罵倒した。
そんな同行者の様子を見て、トーヤの暗い表情も少しだけ綻んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ギエンは前方からガラガラと音を立てて近づいてくる馬車に気付いた。
ちょっと驚いて窓から外を見る。一瞬だけすれ違い、ギエンの馬車とは逆の方向に向けてその乗合馬車は走り去っていった。
「あれ? 今の馬車……」
ギエンは首を傾げる。
「どうしました、ギエンさん?」
「ギエンが無事にディクサシオンにたどり着くまでの案内人」として付いてきたマオが不思議そうに尋ねた。
「いや、馬車とすれ違うのは初めてだな、って思ってな。……ディムに向かうんだろ、今の。乗合馬車も来るってことは復興も順調みたいで結構じゃないか」
「えぇ、リャーマンの皆さんの献身的な務めがあってこそ、ですね。例え魔物の襲来という不幸があっても、リャーマンの導きあれば必ず全ては上手く行く……そういうことなのでしょう」
「…………」
嬉しそうにイムルから貰った「リャーマンのお言葉」と言う表題の本を何度も読み返すマオ。すっかりリャーマンの信者らしい言動を取るようになった彼を、ギエンは特に何も言わずに見つめていた。
(まぁ何を信じるかは個人の自由だけどよー……)
ギエンとしては、「いるかどうかもわからない神様拝むぐらいなら、自分の手で今日の飯を稼ぐ」方がよほど有意義なのだが、これは個人の価値観の問題でしかない。マオがそれで幸せなら、ギエンが口を出したところで良い結果は導かないだろう。
一般にドワーフ族は「神」に対してあまり関心がない。一応ギエンの故郷にも、「鍛冶と鉱石の神」だかなんだかを祀っている社はあったはずだが、祭の時ぐらいしかそこを訪れる者はいなかった。そして祭となればドワーフは一人残らず飯と酒におぼれるので、翌朝になれば祭で読み上げられる神官のありがたい祝詞など綺麗さっぱり忘れてしまうのである。
「……おい、じーさん。ディクサシオンはまだ遠いのか?」
なんとなく会話がなくなり、ギエンが御者を務める老人に尋ねる。この質問は出発して以来幾度もしたが、返ってくる答えは決まって「まだまだかかるよ」だった。
「んー、もうすぐだねぇ。さっきの馬車、アレディクサシオンを発ったばかりだよ」
そしてその時、初めて違う答えが返って来た。
「……へぇ、楽しみですね、ギエンさん。ディクサシオンってスゴイらしいですよ。街のど真ん中に魔道学院のでっかい尖塔が建っていてですね……」
興奮気味のマオの説明を聞き流しながら、遠くに小さな影として見えてきた街の影をギエンは見る。
(あの街に……トーヤがいる……のかね?)
確証は何もない。「たぶんそう動くのではないか」という予測だけでここまで突っ走ってきたが、全てが大外れでトーヤなど影も形もない可能性もある。
「ま、なるようになるか」
ギエンは豆粒のようなディクサシオンの城壁から目を離し、到着までの今しばらくの間一眠りすることにした。




