不穏
「……ふーん、リムルの街が暴徒に襲われて占拠された、って……それ結構な一大事じゃないんですか?」
トーヤは暇つぶしにフラッと訪れたギルドの椅子に座り、マリーに質問する。以前の閑古鳥はどこへやら、周囲にはそれなりに腕の立ちそうな冒険者がたむろしている。景気が悪くても、彼らの仕事はそうそうなくならないので大きな街のギルドにはやっぱり冒険者は集まるのだ。
「大問題ですね。まず、塩の問題があります。基本的に、エリシール国内で流通している塩は、リムル周辺で作られているものばかりなので……」
「あ、そうか……この国、海に繋がっている場所あそこしかないんだった……」
山育ちのトーヤは、イマイチエリシール王国の地理に明るくない。もちろん地図なら何度も見たが、実体験として知っているわけではないので感覚として掴めていないのだ。
「あれ? リムルって割と新興の街だって習ったわよ? それ以前はこの国の人はどうやって塩を取っていたのよ?」
トーヤにくっついてやってきたコニーが鋭く尋ねる。流石に普段からぼけっとしているトーヤとは頭のめぐりが違う。
「バウゼンの方で岩塩が取れる、って聞きますよ。たぶんそれを輸入していたんじゃないですか? 国境通したらどうしたって高くなっちゃいますから、塩の値段の問題を解決するためにリムルを開拓した側面もあるんじゃないでしょうかね」
マリーはギルド職員らしく豊富な知識量を披露した。
「じゃあ、昔みたいに岩塩を輸入すれば塩が高騰することはないのかな」
「それは甘い見方ね、トーヤ」
コニーがピシリと言う。
「リムルの街が作られた頃と比べたら、エリシールの人口も塩の消費量も大幅に膨れ上がっているわ。それに、バウゼンだって売れない物作っても仕方ないから今は岩塩の採掘量は減らしているはずよ。いきなり『エリシールの人口分の塩を売ってくれ』なんて要求しても、そう簡単に通るとは思えないわね」
「……なるほど、色々大変なんだね」
言葉では感心しながらも、トーヤの口ぶりは他人事同然だった。今のところ別段生活に困ってもいないので、危機感がないのだろう。
一方でコニーとマリーは深刻そうに額を突き合わせる。
「今のところ買占めも起きてないけど……市民が集団心理からパニックになったら、暴騰するわよ」
「塩だけで済めばいいですが……他の輸入品も問題ですね。魚が食べられないぐらいなら、我慢すればいい話ですけど……」
「学院の教授連も研究資料が届かなくなるかも、って焦ってるわ。正直ここから何が起きるかなんて誰にもわからないわ」
「王都の判断を知りたいところですね。ディクサシオンには特に指示は来ていないみたいなんですけど……」
(今度は何を作ろうかな……)
二人がトーヤにとって関心の薄い話に没頭してしまい、やることがなくなったトーヤはミックスジュースのジョッキで口を湿らせながら思考を巡らせる。
そもそも、ドワーフ族と言うのは国家への帰属意識が薄い。一応エリシール国内ではあるはずだが、トーヤの故郷は国に税金を全く納めていなかった(その代わり国喰らいのような未曽有の危機でもなければ、騎士団を要請する権利も認められておらず、全て集落の自己責任で守らなければいなかったはずだが)。
ヴァンのような根っからの都会育ちのドワーフだとまた違うのかもしれないが、転生してこのかた辺境の集落で育ってきたトーヤからすればエリシールなどほとんど外国のようなものである。
だから、「みんな大変そうだな」だとは思うがそれ以上思考は発展しなかった。「ドライである」と言うより、自分の力でどうこうできる問題ではない、と最初から対処方法を考えていないまま見ていたと言うべきか。
「よう、邪魔するぜマリー。……おや、ドワーフとエルフのカップル……お二人さんもお揃いかい?」
「あ、ルーさん」
トーヤは思索を打ち切り、新たにギルド内に入って来た衛兵に顔を向ける。ルーはそれに返しながら適当な席に腰を下ろした。
「とりあえず、なんでもいいから酒」
「……仕事中じゃないんですか」
まだ日は高い。マリーが非難を込めながら軽くルーを睨み付ける。
「んじゃあジュースでいいや。トーヤと同じの」
「はいはい、っと……警邏中なんでしょう? 一杯だけですよ」
酒場も兼任しているギルドの職員であるマリーは、小言を言いながらも手早くジョッキをルーに渡す。そして再びコニーと真剣に話し始めた。
そんな様をグビリと喉を鳴らしてジュースを飲みながら見て、ルーがトーヤに視線を向ける。
「……んで、あの2人は何をこの世の終わりみたいな顔してんだ?」
トーヤが頼んだ軽食を勝手につまみながら、ルーが尋ねる。
「なんかリムルの街が封鎖されたのが問題だからこれからどうしようか……って話しているみたいですよ。ルーさんは何か知ってます?」
職務中に酒場に立ち寄るような不真面目な男でも、一応公務員である。トーヤたちの知らない情報を聞いているかもしれない。
「んー、特にはねぇかな。『リムルに向かう旅人は止めろ』って指示がお偉方から出てるぐらいか。どうもあっちの地方は完全に放棄して、西側の地方だけを守る方針みたいだな」
ルーは特に秘密にするようにも命令されていなかったのか、あっさりと内部情報を明かす。もっとも、門を通る商人に聞けばすぐにわかる内容なので隠す意味もなかったのだろうが。
「即時決戦じゃないのね。てっきり全戦力を結集して一気呵成にリムルを取り戻すと思っていたのに」
コニーが意外そうに言う。
「……あー、こいつはあんまり話しちゃいけねぇんだがな……多分、それをやったら負けるんだろう、ってのが俺の上司の予測だな」
「……負ける? リムルを抑えている武装勢力ってのがどれぐらいの規模なのかわからないけど……エリシールの騎士団全部ぶつけてそれでも負けるって言うの?」
「あぁ……連中の背負っている看板が最大の問題でな……」
「リムルの占拠勢力……確か『解放軍』を名乗っているそうですね」
マリーがポツリと口にする。
「正解。それが原因だ」
ルーは面白くなさそうに呟いた。
「解放軍? どっかで聞いたことあるわね……」
「貴族制打倒を目指して各地で魔物を討伐して回ってる奇特な連中さ。まさか、こんな大胆なことしでかすとは思ってなかったがね。奴ら自分たちが助けた村に呼びかけて騎士団に協力しないよう要請しているらしい」
「つまり、リムル占拠はエリシール打破への第一歩?」
「そうなりますね。恐らくまずは経済の大動脈を絶って……」
「待てよ。ってことは連中の動きはこれで止まるわけじゃないってことかい?」
不真面目仲間のルーが来て話し相手になってくれるかと思ったら、彼もまた真剣に話し込み始めてしまったのでトーヤは再び暇を持て余してしまった。
「面白くないなぁ……」
トーヤは椅子にもたれかかって宙を見上げる。今のところ誰もトーヤと雑談を交わしてくれないのが、彼にとってリムル占拠による最大の被害であった。
漏れ聞こえる会話の中に、聞き覚えのある単語が紛れていなかったら、トーヤは退屈のあまりそのままフラッと学院に戻っていたかもしれない。
「後ね、思想的な支援として連中のバックにはリャーマンっていう宗教組織が……」
「ッ!」
ガタンと椅子を蹴倒して、トーヤは予想外の一言を放ったマリーを凝視する。突如鳴り響いた大きな音に、ギルド内の全員がトーヤの方を振り向いた。
トーヤから「リャーマン」の名を聞いていたルーの視線も鋭くなる。
「……マリーさん、その話詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
いきなり真剣な表情で問い詰めてくるトーヤにマリーは困惑する一方だった。
「え、えっと詳しくって言っても……解放軍と一緒に『リャーマン』って宗教が布教活動をしている……っていう話を聞いただけで……どんな宗教なのかも全然……」
「……そうですか」
「ん? リャーマン? アンタアレに興味あるのかい?」
と、トーヤを注視していた冒険者の中から声が上がる。
トーヤが見ると、中年の落ち着いた物腰の冒険者だった。
「俺ぁ近くのディムっていうそこそこの規模の町から来たんだけどよ。リャーマンって名乗る変な奴らがあそこで布教と復興支援をやってたぜ? 15日ぐらい前だから、今でもいるかは知らんけどよ……」
「……マリーさん」
「はい、ディムの町なら乗合馬車が出ています。魔物の襲撃で途絶えていましたが……再開していますね。今ならさほど時間をかけずに行けるはずです」
トーヤがなぜリャーマンの名に食い付いたかも聞かないまま、マリーはトーヤの知りたいことを教えてくれる。
グッと身を乗り出してマリーの話を聞くトーヤに、先ほどまでの怠惰な空気は欠片も残っていなかった。




