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トーヤとクズミ婆

 トーヤが村を出ようと決心しているのは、ギエンのような「ヒゲなし」を差別する輩がいるからだ。

 さすがにギエンほど露骨なのは珍しいが、トーヤに快くない感情を抱いている者が一定数いるのは彼自身も理解している。


 それは若くして、多様な方面に才能を見せているトーヤへのやっかみも含まれているのだろうが、やはりそのやっかみにも頭に「『ヒゲなし』のくせに」が付くことは否定できないだろう。

 村さえ出てヒューマンの街にでも行けば、「ヒゲなしだから」と差別されることはないはずだ。


 とはいえ、それだけなら村を捨てる理由にはならない。前世と同じくヘラヘラ笑いながら我慢してさえいればいいのだ。自分が我慢して解決する問題なら、村での平穏な暮らしを選ぶ程度にはトーヤは怠惰であり、そのためなら嫌いな鍛冶仕事で食っていく気もある。


 しかしそれは問題がトーヤ自身で留まる場合だ。

 今の彼には、彼自身よりも大事な存在がいる。家族だ。「ヒゲなしの家系」などと揶揄され続ければ、彼の家族はどうしたって肩身が狭くならざるを得ない。

 特に心配なのがミオリだ。こんなダメな兄を慕って付きまとっていれば、彼女の将来に良くない影響が出るのは必至だ。最悪「ヒゲなしを産む女」などと言われれば、結婚すらできないかもしれない。


 ドワーフの男女比を考えれば、結婚できないなどというのは杞憂かもしれない(ドワーフの男女比はおよそ8対2である)。だがトーヤは自分がいなくなる方が結婚の話を抜きにしても、妹の人生はよりよくなると確信している。

 ギエンという差別意識をむき出しにした馬鹿がいなくならない限り、ギエンがトーヤの一家にちょっかいをかける可能性はゼロではない。そして、村長の息子であるギエンの方が村から出ていく可能性は皆無だろうから、トーヤが旅に出る。実に合理的だ。

 だからその日を目指して、今日もトーヤは修行に明け暮れるのである。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「婆ちゃん! 本読ませてくれよ!」

 そう言いながらトーヤが小屋の扉を引き開ける。

 鹿肉パーティーが村中で催されたその晩、ゴウジと稽古場で汗を流してきたその足で、トーヤは村唯一の魔導士であるクズミ婆のところにいた。


 彼の師の一人でもあるクズミ婆は、もちろんトーヤの願いを知っている。ゴウジやハルと比べると、「行きたいなら行かせりゃいい」とでも言う、ある種放任的考えである。そのために、鍛冶職人としては不要とも言える戦闘用魔法についてもいくつか教授していた。


「……今日は何が知りたいんだい。今更何か教えることもないと思うがね……」

 しかし、ドワーフの魔導士としては並の腕(つまりヒューマンやエルフの魔導士と比べればかなり下級)のクズミ婆の攻撃魔法程度は、トーヤは瞬く間にマスターしていた。むしろ、最近はクズミ婆がついぞ習得できなかった魔法を覚えるために、蔵書を漁る日々だった。


 一般にドワーフと言うのは手先が器用で、力に長け、我慢強くて義理に厚いと讃えられる。

 無論、だからと言って欠点がないわけでもない。頑固で一度決めれば人の話を聞かないとか、ひたすら大酒を飲むとか、ガハガハ笑うので品性に欠けるとか、色々と短所はある。


 が、エルフやヒューマンと比べた場合に種族としてもっとも劣る点は何か? と尋ねるなら、それは魔法の扱いの下手さが挙げられるだろう。

 ドワーフの鍛冶師が魔法の技術を込めて作り上げる「魔道具」という独自の文化もあるので、一概に劣るばかりでもないが、それでもドワーフの魔導士で歴史に名を残すような人物は数えるほどしかいない。


 しかし、トーヤはクズミ婆から見ても、ドワーフとしては規格外に魔導士としての才があった。こんなはぐれ者の自分などではなく、キチンとした魔導士に師事すればそれこそエルフやヒューマンに劣らぬほどの魔導士になれるだろう、と確信するほどに。

 だからこそ、クズミ婆はトーヤを村に留めることにむしろ否定的なのかもしれない。彼はもっと大きな世界に飛び出すべき人材だ……と感じているのだ。


「今日はエルフの飛翔魔法ってのを研究してみたいんだ」

 トーヤが嬉しげに灯りの魔法……熱を発さない光球を浮かべつつ答える。蝋燭やランプの油は高価で、そうホイホイ使うわけにもいかないので、この魔法を習得するまでは勉強時間の確保に苦労した。

 ふと、前世ではろくに勉強などしていなかったのに、むしろ新しい知識を吸収したくてたまらない自分に気付く。なぜ今の勉強はこれほど楽しいのだろう、と一瞬悩むが、要はこの勉強が目的に直結していることが原因なのだろう、と結論付ける。


 初めて魔法を自分で発動できた時はとてもうれしかった。一人で旅立ったとしても、魔法と言う選択肢があれば飲み水の確保が容易だったり、簡単な傷を治せたりと便利だろうから……という理由で始めた魔法の修行だが、前世では魔法の「ま」の字もなかったので、使えるかは不安だったのだ。クズミ婆曰く、ドワーフは魔導士の適性が欠片もない者も珍しくないらしいので、トーヤに十分な魔法の才能があったのは幸運以外の何物でもないのだろう。


 クズミ婆はトーヤのご機嫌な返事にわずかに嘆息する。

「構わんが……ありゃドワーフに使えるようなものじゃなかったはずだよ。エルフだって、使いこなすのは難しいって話だし……」

 一応資料としては手元にあるが、本来ならドワーフに使えるような魔法ではない。

 しかし、そんなクズミ婆の懸念を、

「あ、大丈夫だよ。発現には成功したから。あとはコントロールをどうするかなんだけど……」

 トーヤは軽く笑いながら一蹴した。


「なんと! やはりお前は天才じゃのぅ……」

 クズミ婆は驚きを隠せなかった。飛翔魔法はかなりの高難度魔法だ。そう易々と発現できるものではない。

 だが、トーヤはクズミ婆が驚くほど大したことではないと言った風に笑うと、早速本を読み始めた。

 実際問題として飛翔魔法の習得など、クズミ婆に口を出せる範疇を超えているので、会話はなくなる。

 だが、魔法の師ではなく、人生の先達として、クズミ婆はトーヤに言っておかなければならないことがあった。


「……その様子じゃと、そろそろ本格的に旅立ちの準備は整いつつあるようじゃの……」

 クズミ婆がポツリと漏らした言葉に、本を読んではフンフンと頷いていたトーヤの動きが止まる。

 そして、決心したように返す。


「うん……キリもいいから、来月の14歳の誕生日辺りに出発しようかな、って」

 思えば6年前のあの日以来、やりたくもない鍛冶仕事を叩き込まれて、年下にすらヒゲが生えるのに自分だけ一向に生えず、鏡を見るたび肩身の狭い思いをしてきた。まぁ職業については自業自得以外の何物でもないので、そこに文句を付ける気はないが。


 なんとか時間を作って、旅立ちのために訓練を始めてからは早かった。目的意識ができると、とんとん拍子に腕前も上がっていき、今なら旅に出てもそうそう危険な目には合わないだろうと確信できる。

 皮肉なことに、ギエンの言う古い法律通りに自分は村を出ることになるだろう。もっとも、追放ではなく自発的な旅立ちではあるが。


「……家族には言ったのかい」

 クズミ婆が心配そうに言う。

「……まだ、だよ。ミオリのことも思うとなかなか踏ん切りが、ね」

 ミオリは純粋な憧れの目でトーヤを見ているが、父親は薄々感づいていると思う。先日も初めて父に酒に誘われた。ドワーフの好む強い酒は、トーヤの口には合わないが、その日は素直に盃を受けた。何を語り合うこともなかったが、あの眼はトーヤに問いかけていた。


 ――いいのか、と。

 だからトーヤも眼で答え返した。

 ――いいんだ、と。

 父と酒を酌み交わしたのはあれが最初で最後だが、「いい酒」というのはああいうのを言うのだろう。


 父と息子はそれで理解し合えたかもしれないが、兄と妹はそうもいかない。

 べったりとトーヤに依存しているミオリにどう旅立ちを伝えればいいのか、前世の経験まで含めても全くいい考えが浮かばない。


 いっそ、このまま黙って出て行ってしまおうか……

「何も言わずいなくなったら一生恨まれるよ」

「だよねぇー……」

 トーヤの考えを見透かすようなクズミ婆の言葉に、トーヤははぁっとため息を吐く。魔法の腕では師を超えたトーヤでも、こういった人生経験では当然のように全く及びもつかない。


 結局、結論も出ず、本に集中するような頭でもなくなったので、その晩はそのまま帰ってしまった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 トーヤはゆっくりと家路につきながら考える。なぜこうなったのだろう、と。


 ギエンだって、最初から険悪な関係だったわけではない。むしろ幼いころは無二の親友だった。同年代の子供の数が多くないドワーフの村という環境を加味しても、不思議と馬が合っていた。

 それが10歳を過ぎた辺りからだったか。トーヤに一向にヒゲが生える気配がなく、それでいながら鍛冶の腕前で親方に褒められることが増えた頃から、おかしくなってきたのだ。


 ギエンは必死だった。毎日仕事の合間を縫って、鍛冶の修行に明け暮れていた。トーヤは、鍛冶場の雰囲気になじめず、空いた時間はハル爺やクズミ婆に教えを乞うていた。

 ……それなのに、トーヤを上回ることがどうしてもできなかったある日、ギエンは決定的な一言を口にしたのだった。


 ――「ヒゲなし」が、調子にのってるんじゃねえ。

 

 その日からか。ギエンが差別意識をむき出しにして、トーヤに突っかかって来るようになったのは。

 親方やギエンの父である村長が、ギエンを諌めようとしないのは、その裏側にある感情が単なる差別ではないことを心得ているからだ。無理に押さえつけても解決するどころか、かえって問題を悪化させるだけだと、彼らは思っていた。


(俺がいなくなれば、ギエンも元に戻るかな……)

 トーヤはギエンの複雑な胸の内を理解できない。そもそも、鍛冶自体があまり好きではないので、褒められたところで別に嬉しくはなかった。一生懸命頑張っているギエンの方が、よほど凄いと思っていた。だから、ギエンの抱く原初の感情が「嫉妬」であることを知らないし、わからない。

 それでも、自分の存在がギエンを歪ませていることはなんとなく察していた。……彼が村を離れる理由に、かつての親友が含まれていることは疑う余地はないだろう。トーヤ本人はそれを認めたがらないだろうが。


 様々な感情を抱えながら、トーヤは明日の仕事と修行のため、さっさと家に帰ろうと足を速めた。

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