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その日

「ふわああぁぁぁぁぁ……」

「おい、少しは慎め。見つかったらどやされるぞ。ただでさえ、近頃魔物が増えてお偉方はピリピリしてんのに……」

 まもなく昼になろうかという頃合い、リムルの街の城壁で哨戒任務に当たっていた年かさの衛兵が、はばかることなくあくびをした後輩をたしなめる。


「だって、先輩……今日は随分静かじゃないですか、よしんば魔物が現れたって、犠牲になるのはどうせ貧乏人の傭兵だけでしょ? こんなんじゃ張り合いも出ませんて」

 若い衛兵は城壁の上からリムルの街を囲む見慣れた森を観察する。ここ最近は魔物が来て騒動になることが頻発していたが、今日はなぜかひっそりと静まり返っていた。


「ま、それもそうだがな」

 ある意味不謹慎ともとれる後輩の発言を、年かさの衛兵は特に咎めなかった。実際程度の差こそあれ、そのような認識は下級貴族出身のメンバー中心で構成されるリムルの衛兵には一般的なものだった。

 戦闘に命を賭けるのは、それしか賭ける物のない貧しい者の仕事。自分たちは適当に街を見回り、いざ戦闘となれば「指示」の名目で安全な街の中にある指揮所に引きこもってしまえばいいのだから、苦労などすることはない。


 そして、リムルには大抵の海賊なら追い払える程度の海軍力が常駐している(というよりエリシールでの海軍などここでしか必要ないのだが)。陸の方は延々と自国の領土で、来るのは食いっぱぐれた野盗か小物の魔物ぐらい、後は荒っぽい船乗りの喧嘩を仲裁するのが精々の仕事なのだから、陸を守る衛兵たちにやる気がないのは当たり前の話だと言えるだろう。


 ただ……恐らくこの2人はそんな考えでいたことを最後の瞬間に死ぬほど後悔したに違いなかった。


「あぁ、そうそう。それで今日の昼飯だがな……」

 ヒュカッ

「は?」

 訓練では何度も耳にしたその音に、年かさの衛兵は今まさに昼食の話題をぶつけようとしていた背後の後輩を見やる。

 きょとんとした彼の首筋には、太く、短い独特の矢……クロスボウに使われる(ボルト)が突き立っていた。

「あれ? どうしたんすか、先輩……」

 若い衛兵は目の前の先輩が異様な表情を浮かべていることにむしろ驚き、自分の首に手をやる。そして自らの頸動脈に刺さる凶器の存在にゆっくりと目を見開きながら、ドウっと倒れた。

(クロスボウ……? 一体どこから……)

 ある意味で悠長な年かさの衛兵の思考は、鋭く風を割いて飛んできたクロスボウの矢に永遠に断ち切られることになった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「クリアー。実に簡単だな」

「油断はしないように。この街には海軍もありますからね」

「なぁに、大丈夫ですよルーカスさん。このクロスボウさえあれば、ね……」

「すごいな……一応急所はチェインメイルで防御している衛兵なのに、あっさり一撃か。もっと量産すれば、怖いものなんてないだろうなぁ……」


 門の部分を外れた人気のない城壁の部分に梯子がかけられ、十数人の人影が城壁の上に姿を見せた。種族も装備もバラバラだが、幾人かは通常のクロスボウにいくつかパーツが付けられた異様な武器を手にしている。

「戦時でもなければやはりこの程度の防御ですか。魔物にばかり気を取られているからこうなるのですよ」

 一際大柄なリザードマンが、背負った大剣をいつでも抜けるよう手をかけながら呟く。

「さすがに完全武装で城門は通してくれやしませんからね。荒っぽいですが、こうして入るしかないでしょう」


 リムルの城壁の周辺は森に紛れて近づいてくる不審者を発見するため、広く森が切り開かれている。

 いくら衛兵たちが怠惰だとはいえ、普通にノコノコと森の中から忍び寄ろうとすれば容易く誰何されていたはずだ。

 そんな困難な状況を解決したのが……彼らの持っている新式のクロスボウ、風の魔術で矢を弾き飛ばす新兵器である。彼らはこれを「空穿弓(エアシューター)」と呼称していた。

 通常なら、森の中から飛び道具で城壁の上の衛兵を狙うなど不可能に近い。衛兵たちはしっかりと武装しており、距離を置いた飛び道具……弓であろうと魔法であろうと、それによる致命傷はまず受けない。大規模戦略魔法ならばできるが、そんな目立つ物を不意打ちに使う間抜けは世界のどこにもいない。

 だが、空穿弓は圧倒的な射程と破壊力に静音性を両立し、本来夢物語に過ぎない「完全武装の兵士を遠距離から一方的に打ち倒す」を可能にした。それは、この世界の軍事において革新的な出来事だったのだが……この場にいる誰もそれを認識していなかった。


 彼らにしてみれば、自分たちのやるべきことを淡々とこなすだけだ。

「こんな面倒なことしなくても、ティミーさんに街の中まで送ってもらえば良かったんじゃないですか? ルーカスさんはそうやって来たんでしょう?」

 折り畳み式の梯子を引き上げながら若いエルフが言う。

「残念ながらそれは不可能です。転移魔法はかなりの魔力を食いますからね……これだけの人数を送り込むとなると、何日もかかりますから。それに……いつまでも彼女に頼っているわけにもいかないのですよ」

 いつ飽きてフラッといなくなるかわからないから、という本音をルーカスは覆い隠した。ティミーはルーカスたちの思想信条に共感して協力しているわけではなく、ただ単に「面白そうだから」手を貸しているだけである。もし飽きてしまえば、一瞬も躊躇わず敵に回るだろう。そういう理由から、急を要する場合を除いて彼女の力を当てにした戦略を立てるのをルーカスは意図的に避けていた。

 だが、若手の教団員と解放軍のメンバーたちは、素直にルーカスの言葉に感銘を受けたようだった。

「そ、そうですよね……私たちが自分の脚で歩くこと、それがリャーマンの導き……私は根本的なことを忘れていたようです」

「わかったなら、さっさと仕事を終わらせましょう。犠牲は少なく、です」

 2人の衛兵たちが迷わずリャーマンの下へ旅立てるように短く黙祷してから、ルーカスは城壁を駆け下りた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 リムルの街を国王から直々に任されている総督、ダフム・リベロンにとって、間違いなくその日は人生最悪の厄日であった。

 ダフムはいつも通り総督府の一室で書類仕事をこなしていた。景気の悪化による物価の向上、頻発する魔物の出没に対抗するための傭兵への賞金、さらには各地で暗躍する反政府組織の噂もチラホラと流れてきていると来て、頭の痛くなる問題ばかりが山積していた。

 フゥ、と息を吐いて窓の外を見やりながら秘書たちに声をかける。

「……いつの間にか昼も過ぎているな、だいぶ遅くなったが昼休憩にするか」

 その言葉を耳にするとともに、秘書たちはペンを置き、一瞬で張りつめた空気がほどける。彼らとて休憩が遅くなっていることに文句一つ言わず仕事をこなしていたが、不満がないわけではなかったのだろう。


 と、その時総督府の階下からドタドタという何かをひっくり返すような音と、人の騒ぐ声が聞こえてきた。

「?」

 普段から人の出入りはそれなりにあるとはいえ、ただならぬ物音にダフムたちは一斉に動きを止める。


 シュパッ


 実戦経験などないダフムにその瞬間の音を正確に聞き取ることはできなかった。だが、それが間違いなく圧倒的暴力を伴って放たれたという単純な事実だけは生物の本能として察することができた。

 分厚い樫造りの扉が、中央部分から横一文字に切り裂かれ、ゆっくりと部屋の内側に倒れ込んでくる。

「初めまして、リベロン提督。手荒な挨拶となって大変申し訳なく思います」

 廊下に立つリザードマンの大男は……振り切った大剣を片手に本当にすまなさそうにそう言った。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 リムルの街の接収は迅速、かつ極力犠牲を出さずに進められた。

 眼前に十数人の武装集団が存在することを認識した瞬間、ダフムは降伏を宣言した。それはわが身可愛さもあるが……例え自分が抵抗しようが犠牲が増えるだけで、ここから逆転することは絶対に不可能だと確信したからだ。

 現在リムルの街において実戦経験のある優秀な兵士たちは、そのほとんどが周辺の森への魔物討伐に出掛けている。そこに油断があったと後悔しても遅かった。リムルに残っているのはやる気も経験もない衛兵ばかりである。一般的な治安維持ならそれだけでも十分だったろうが、総督府が占拠されるという異常事態に対応できるとは到底思えなかった。

 ならば頼りになるのは海軍だけ、であるが海軍というのは海上戦闘の訓練こそ積んでいるが人数は大したことがない。そもそもリムルに攻め込む海賊を追い払えればよい、程度の防備なので陸から攻め込むまとまった武装集団というのは完全な想定外であった。


 そして、魔物討伐隊が帰って来たとしても、状況は好転するどころかかえって悪化するとダフムは睨んでいた。討伐隊の中核はリムルには縁もゆかりもない傭兵たちである。雇い主であるダフムに義理立てなどしまい。……彼は自分が安い賃金で命がけの魔物討伐を傭兵たちにさせていて、恨まれているだろう事実を認識できる程度には賢かった。


 結果、ダフムは「自分たちを含めた市民を不当に傷つけないこと」を条件に衛兵と海軍の武装解除、そしてルーカスへの統治権移譲に応じたのであった。


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