決闘
トーヤはいじめられっ子である。
転生して、多少は根性も身に付いたかもしれないが……基本的には、大抵のいじめは「仕方ないさ」と諦めて流せてしまう人間性である。
無理に抵抗することの辛さを彼は身に染みて知っている。柳のように受け流すことが、比較的穏やかに人生を送る術であると思っている。
もう一度言う。トーヤはいじめられっ子である。
一通りのいじめを経験して育った彼にとって、いじめなどそうそう心を動かすものではなかった。心を動かすことが辛いと思っている、と言うべきか。
つまるところ……彼が心の底から激怒することなど、そうそうあるものではなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……もう一度言ってみろ、ダイン。今、なんて言った……?」
トーヤは静かな怒りを湛え、ダインを睨み付ける。真下からぶつけられるその視線にわずかにダインはたじろぐが、相手がトーヤであることを思い出し馬鹿にするように言い放つ。
「……ヒゲなしのドワーフは耳も遠いのか? あのあばずれのコニーが、ヒゲなしの劣等種と付き合っている、って噂を教えてやっただけじゃないか」
ニヤニヤと楽しそうにそう告げるダインに、トーヤは吐き気を催してきた。
「……振られたからって、下らん噂を流して嫌がらせか? 本気で大馬鹿だな……」
むしろトーヤに憐れむようにそう言われ、ダインはプライドを傷つけられ真っ赤になる。
「な! 何を言っているんだ! 目撃者だっているんだぞ! お前が夜な夜なコニーと一緒に……」
ガン! とトーヤが壁を思いっきり殴りつけた。すさまじい音が鳴り響き、遠巻きに場を窺っていた全員がビクリとする。
「……もういい。お前だって、チマチマつまらん嫌がらせ繰り返していたって面白くないだろう?」
「フン。何の事だかさっぱりわからんな。嫌がらせだと? 証拠を見せたまえ、証拠を」
トーヤは別にダインに嫌がらせを認めさせるつもりなどなかった。自分自身のことなど、どうでもいい……自分に協力してくれたがために、コニーに馬鹿げた噂を流されることが嫌だったのだ。
「……試合でもしよう。元はと言えば、俺が手を抜いているだのなんだの言ってお前が絡んで来たんだ……手加減抜きで勝負してやる。勝った方が負けた方に命令できる……それでどうだ?」
トーヤは心の底から腹を立てていた。普段の彼らしからぬそんな発言までするほどだった。
「……ほう。いいだろう。学院の流儀で決闘としゃれ込もうじゃないか」
ニタリ、とダインが自信ありげに微笑んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
決闘の噂は瞬く間に学院中に広まった。今や、2人が対峙する中庭の周囲には何人もの生徒が詰めかけていた。若者が多いが、中年や老境に差し掛かった生徒たちも眼を輝かせてそれを見つめている。
「ま、待ちなさい! 生徒同士での決闘など……ムグ」
「黙って見ていたまえ……面白くなってきたではないかね? 邪魔をするなど、無粋だ」
制止しようとした教師をザイヤーが押しとどめる。楽し気に微笑むザイヤーを前に、場を収めようという教師は誰もいなくなった。
「えー、賭けの受付はこちらー。現在のオッズー、ダイン1.2倍ー、トーヤ5.6倍ー」
賭けの胴元を始める生徒まで出る始末だった。
「えー、ダイン人気ー、ダイン人気でーす。トーヤ、トーヤに賭ける人は……うおぉ!?」
目の前にズイッと硬貨の詰まった袋を差し出されて、思わず胴元がたじろぐ。
「……トーヤに1000デルス」
「え!? ま、マジですかコニーさん……」
「とっとと受け付けなさいよ!」
「はい!」
問題の大本と思われるコニーが現れ、周囲の生徒たちはひそひそと囁き始める。
(やっぱり彼氏を応援しに来たのかしら……?)
(でも相手はダインだぜ? 止めてやるのがむしろ愛情じゃねえの?)
(いや、あの冷たそうな表情……愛なんて欠片も……)
ダン! とコニーが地面に杖を突き立て、周囲の生徒がビクリと一斉に黙り込む。
「……一つ言っておくわ。あのバカドワーフが勝手に決闘を始めたことと、私は何の関係もないの。一応見届けておくのが礼儀だと思っただけ。決闘の結果がどうなろうが、アイツの自己責任よ」
「……じゃあ、なんでわざわざトーヤに賭けたんですか?」
胴元がおずおずと聞く。てっきりダイン人気が気に食わなくて金を出したものだと皆思っていたのだ。
「……あら、知らないの?」
地面からシュルリと生えだしてきた土の椅子に、女王のように腰掛けながら、コニーは小馬鹿にするように言う。
「お金を稼げるチャンスを不意にする奴はね……世間じゃ『間抜け』って呼ばれるのよ?」
そう言ったコニーの表情は、トーヤの勝ちをまるで疑っていなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
愛用の杖を一振りするダインの表情は自信に満ち溢れていた。
「一つ言っておくよ、トーヤ君……僕が勝ったら、君には学院……いや、ディクサシオンの街から出て行ってもらう。今なら土下座して謝れば、僕の視界の隅で這いつくばって生きる程度のことは許してあげるよ?」
傲慢にそう言い放つダインに、トーヤの心はむしろ冷え切っていた。
「俺が勝ったら、下らん噂を取り消してコニーに謝罪してもらう。それだけだ。お前のことなどどうでもいい」
「ほう!? 自信満々だねぇ……勝てるつもりでいるのかい?」
オッズは公正である。一般的な予測からすれば、トーヤに勝ち目など欠片もない。
魔道学院で昔から受け継がれている決闘法は……互いに正面から魔法を撃ちあい、相手を降参させるか魔法を使えなくさせるというシンプルなものである。魔法の威力も精度も、エルフであるダインにドワーフのトーヤが勝てる部分などほとんどないと言っていい。
「何なら、腰の剣を使っても構わないよ? それでも、僕の勝ちは揺るがないだろうけどねぇ!」
ゲラゲラと笑うダインに合わせ、観衆も期待にぎらつく。ダインを囃し立てるのは彼の取り巻きだろう。
トーヤはふぅと息を吐いた。
「……どうでもいい。とっとと始めるぞ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
審判役を買って出た生徒が、距離を離して対峙する二人の間に立つ。彼が下ろした手が振り上げられると同時に、決闘が始まるのだ。
もはや、騒ぎ立てる生徒は誰もいなかった。固唾を呑んで事の行く末を見守っている。
「……始め!」
審判が手を振り上げたその瞬間……勝負は終わっていた。
「……え?」
最初にそう間の抜けた声を零したのは審判役の生徒だった。もっとも近い距離で決闘を見ていた彼でも、状況を把握できていなかった。周囲の生徒も一様にポカンとしている。
例外は、フフンと自慢げなコニーと、興味深そうに何度も頷くザイヤーだけだった。
「……俺の勝ちだな」
地面に押し倒されたダインに馬乗りになったトーヤが、そう呟きながら立ち上がる。
状況を理解できていないのは、ダインも同じだった。が、身体を襲う痛みに徐々に自分の敗北を悟ったのだろう。みるみるうちにその顔と長耳が紅潮していく。
「ひ、卑怯だぞ! 魔法も使わずに、腕力に任せて無理矢理押し倒すなんて……反則じゃないか!」
ダインがそう叫ぶと同時に、周囲の生徒も一斉にブーイングを始める。やり直しを要求するのはまだいい方で、トーヤを反則負けにしろという声も強い。派手な魔法の撃ち合いを期待していた生徒たちからすれば、あまりにあっけない幕引きだったためだろう。一方でトーヤは平然としてた。
「見苦しいぞ、ダイン。公正な決闘で負けたのだから、素直にトーヤ君の言うことを聞きたまえ。それが男だろうが」
が、そんなブーイングも静かに放たれたザイヤーの一言であっという間に静まる。
「……ザイヤーさん! なんでこんな卑怯者をかばうんですか! 魔法も使わず……」
「魔法も使わずあの距離を一瞬で移動できると思っているのかね?」
ザイヤーの指摘に、ダインは黙り込む。確かに、魔法を撃ちあえるよう互いに大きく距離を離していた。どうやったのかは知らないが、試合開始直後にトーヤがその距離をあっという間に詰めてきたのは事実なのだ。
「トーヤ君がいつ魔法を使ったのかもわからないなら、結局君に勝ち目などなかった、ということだ。トーヤ君の命令には従うことだな。それが約束なのだろう?」
ダインへの説教はそれで終わったようだった。ザイヤーは今度はトーヤに向き直る。
「……どうやって勝ったのか、君の言葉で説明してもらってもいいかな?」
「ザイヤーさんはわかっているんでしょう?」
トーヤの指摘に茶目っ気を出しながらザイヤーは応じる。
「間違っていたら恥ずかしいじゃないか」
しれっとそう言うザイヤーに、トーヤは嘆息しながら説明する。
「……ダインの詠唱が終わって遠距離での魔法の撃ち合いになったら絶対に勝てませんから……それまでに勝負を付けようとしただけです。使った魔法は2つ。飛翔魔法と風魔法」
「しかし、あの短時間では、どちらも大した効果は生み出せまい?」
詠唱は試合開始の宣言より後に始めなければならない。一瞬で構築できる魔法では、できることはたかが知れている。
「えぇ……飛翔魔法は数瞬地面から浮き上がる程度、風魔法は足の裏で小さく爆発を起こす程度の規模しか作れませんでした。そして、それで十分です」
「……なるほど」
ザイヤーは得心が行ったように頷いているが、観衆は何が何だかわからないと言う表情だった。
トーヤがやろうとしたのは、先日の魔道式クロスボウの応用である。「できるだけ小さな魔術で最大の効果を得る」ということに腐心していたトーヤの行きついた、一つの解答であった。
飛翔魔法は重力の影響を遮断することができる。本来なら、トーヤの体躯を吹き飛ばすにも足りないような小さな規模の風魔術でも……一瞬だけ重力から解き放たれた肉体なら、軽々と弾き飛ばすことができる。その結果が、目にも止まらぬ速さの突進である。
ただし、細かな方向転換は無理なので、実戦で使うのは難しいだろうが……今回のような相手と正面から対峙した決闘の場なら十分な効果を得られるのだ。
と、そこに泡を食った教師が駆けこんでくる。
「……邪魔をするな、と言っただろう?」
ザイヤーが不愉快そうに睨み付け、若い教師はビクンとするが使命を果たすように告げる。
「ト、トーヤ君!」
「はい、なんですか?」
正直トーヤは決闘をした結果、退学になろうが構わないと思っていた。自分のやりたいようにやって、それで退学になるならそれまでの話だろう、と割り切っていたのだ。
「ティミー理事がお呼びです! 今すぐこちらへ!」
だからその用件はきっと退学処分の話だろうとトーヤは思った。
「……母様が?」
その会話を漏れ聞いていたコニーがピクリと耳を震わせたことに、トーヤは気付かなかった。




