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「ヒゲなし」の決心

 前世から続く筋金入りの無気力かつ怠惰な性分であるトーヤが、なぜ「村を出て旅立つ」などという恐ろしく重大な決心をして、そのための努力を惜しまないかと言えば理由は2つある。


 ポジティブな理由としては純粋な好奇心だ。書物で読んで、この世界が前世における「ファンタジー」的世界であることは理解した。それなら、自らの目でそれらの存在を見てみたい。生まれた時からこの世界に暮らす人々には当たり前の存在でも、トーヤにとっては夢でしか見たことのない幻想だ。

 この村に来るのは行商人か旅芸人ぐらいで、それらは普通の人間……ヒューマンでしかないのでトーヤの好奇心は到底満たされなかった。旅芸人たちが音楽に乗せて語る、ヒューマンの暮らす壮大な王都や、森の番人と言われるエルフの物語は、実際に行ってみたり、会ってみたりしたいという情熱をかえって燃え上がらせた。


 だが、それだけの理由なら「やってみたいな」で終わり、自ら準備を万全に整えるほどにまでトーヤを奮わせることはできなかっただろう。観光したいだけなら、買い出しにでもくっついていけばいいので、全くチャンスがないわけでもないのだ(買い出しのお供の抽選は毎回激戦なので、トーヤは尻込みして中々参加できなかったが)。トーヤが旅立とうと決心したのには、もう一つネガティブな理由がある。

 その理由は……


「おいおい、『ヒゲなし』が何やら抱えて歩いているぞ」

 その理由の方からやってきた。


 トーヤがうんざりした目をそちらに向ける。トーヤと同い年、つまり当年きって14歳、ドワーフの基準ならそろそろ一人前として扱われる年齢の男のドワーフだ。

 名前はギエン。村長の息子である。そしてトーヤと同じく、鍛冶場で働いている。先程解放されたばかりなのか、全身汗塗れだ。


「おや、これは……ずいぶんと立派な鹿じゃないか。『ヒゲなし』が狩れるわけがないな。大方、人のいいハル爺をだまくらかして巻き上げたんだろう……素直に白状したらどうだ? え?」

 成年のドワーフに劣らぬほど、良く茂ったヒゲで覆われた顔をトーヤの方に自慢げに近づけつつ、嫌味を口にする。ハルとはまた違った意味で、豪快なドワーフらしからぬ人物であった。

 そんなギエンに心底嫌そうな顔を向けるトーヤには……ヒゲが一本も生えていなかった。


 一般的にドワーフの二次性徴は、ヒューマンよりもかなり早い。男子は平均して、8歳前後でヒゲが生え始めると言われている(これが8歳でその将来への意思を聞く風習の所以でもある)。遅い者でも10歳までにはヒゲが生え、12歳頃になって成人と同じヒゲを蓄えるようになると、技術や経験はともかくとして、見た目は成人とほとんど変わらなくなる(ドワーフの身長は二次性徴以降ほぼ伸びない。これはヒューマンと同じである)。


 そして、トーヤにとって重大なのは健常なドワーフ男子にとって「ヒゲ」とは単なる毛ではなく、己の誇りであり、男のシンボルであるということだ。

 刑罰の一つに「ヒゲを剃り落す」というものがある(いわゆる恥辱刑で、これをやられたドワーフは再び生えそろうまでまともに人前は歩けなくなる)ほど、ヒゲはドワーフ文化に密着しており、なくてはならない存在なのだ。


 さて、ではそんな社会で、なぜか14歳が近づいても全くヒゲの生える気配のない「ヒゲなし」として生まれてしまったトーヤは、どんな扱いを受けるのだろうか。

 結論から言えば……別に何が起きるということもない。「ヒゲなし」を一族挙げて蔑むのを、下品だと感じる程度には現在のドワーフの文化は成熟しており、稀に生まれる「ヒゲなし」を昔のように村八分にしてしまうなどということはない。


 ただし、それはあくまで「表立って排除はしない風潮である」というだけだ。

 どうしたって威厳が求められる職である、長老や親方になるには強い反発が必至だろうし、個人の感情レベルで言えば、このギエンのように「ヒゲなし」への差別意識を隠しもしない者も少なくないのだ。


「知っているか、トーヤ。先日親父の書斎で古い法典を調べていたら、こんな掟があったんだぜ。『14を過ぎてヒゲの生えぬ男子は、ドワーフではない。即刻村の外へ追放すべし』……ってね。そういえば、お前もそろそろ14じゃなかったか? 生えるといいな、その日までに」

 ニヤニヤ笑いながら、ギエンが無言で広場に向かうトーヤに付きまとう。とうの昔に有名無実化したカビの生えたような法を持ち出して、随分偉そうなことだ。もちろん彼だってそんな法でトーヤを追放できるなど思っていないだろう。つまり、これは純粋な嫌がらせで、トーヤを怒らせようとしているだけなのだ。


 いい加減うんざりしてきたトーヤはギエンを追い払おうと足を止める。嫌いなら放っておいてくれ、そうすればこちらから関わる気などないから……とつくづく思う。なんでいちいち突っかかってくるのか。

 その裏には、将来親方となって鍛冶場を牛耳る夢を持つギエンが、ヘラヘラしているだけの「ヒゲなし」のトーヤに鍛冶の腕で負けた逆恨みもあるのだが、当然楽天的なトーヤは知る由もない。


 何か反論してやろうと口を開いたところで、

「こおぉらあぁぁぁ! バカギエン! あんたうちの兄貴に何やらかしてんのよおぉぉぉ!」

 舌ったらずな怒声が割り込んできた。その発生源は小柄なドワーフの少女。ヒューマンの女の子よりはやや骨太でがっちりしているが、男ドワーフほどヒューマンとの体格差は大きくない。基本的にはこの姿のまま成人を迎えるのが特徴である。

 彼女はトーヤを「兄」と呼んだことからもわかるように、トーヤの2歳年下の妹である。名はミオリ。兄の贔屓目抜きでも、なかなかの美少女だ。


 自分が「ヒゲなし」だとわかって以来、どうしたって家族との仲はぎくしゃくしっぱなしだ。父親は、目線を合わせることを避けるようになったし、仲良く遊んでいたはずの兄や弟たちは、「ヒゲなし」の関係者だとわかるのを恐れるようにトーヤから距離を取るようになった。

 一番つらかったのは、ある晩母親が泣きながら「満足な身体で産んであげられなくてごめんね」と抱きしめてきた時だった。

 そんなわけはない、五体満足に産んでくれただけで母親には感謝してもしきれない、ヒゲなんて管理の面倒なものはなくて結構だ……と言ってあげたかった。

 だが、そう思うのは自分が異世界出身で、ヒゲに特別価値を見出していないからだというのも分かったので、その場は母親を抱きしめ返すだけに留めた。


 そんなトーヤに唯一変わらず接してくれたのが、妹のミオリだった。トーヤの意見としては、自分などに関わってミオリの結婚に支障が出るような事態は避けたいので、何度かやんわり諭したこともある。

 しかし、彼女はそんなことは意にも介さずトーヤに構うのを辞めなかった。トーヤが狩りや剣の勉強を始めたことを知ると、むしろ尊敬の念を高めてきた感もある。


「あ……ミオリ……」

 ミオリの存在を確認すると、途端にギエンの動きが硬直する。実にわかりやすい。要はミオリに惚れているのだ。これもトーヤがギエンを嫌いな理由でもある。自分には差別意識を向けながら、その妹に恋慕するなど、どういう了見だ……ということである。

 が、そんなギエンを意にも介さず、ミオリはトーヤの元に歩み寄る。


「わ……すごい鹿じゃない! 兄貴! こんなの仕留めたの!? 早く村のみんなに分けようよ! バカギエンなんかに構ってないでさ!」

 ぐいぐいと鹿ごとトーヤを引っ張っていく。幼く見えても、ドワーフなのでその腕力はかなりのものだ。あっという間にギエンから引き離される。

 少し気になってトーヤが振り向くと、ギエンはすさまじい怨嗟の念を込めてこちらを見ていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 広場に突如として現れた大鹿に、村人たちは興味津々だった。その中には仕事を終えた親方たち鍛冶師も含まれている。

(これがあるから、強く言えねーんだよな……)

 親方は心の中で呟く。


 鍛冶師が鍛冶以外の仕事にかまけるなど、本来なら論外なのだ。鍛冶の才がないので、他の道を選んだ方が本人のため……などという例外はあるが、トーヤはそんな例外には当てはまらない。

 ならば、なぜこんな副業が許されているかと言えば、こうして時として本業のハルを上回りかねない獲物を仕留めてくるからだ。門外漢の親方から見ても、トーヤの狩りの腕前はすでに師であるハルに迫るか追い抜いているように思える。


(しかも、近接戦や魔法も練習してるんだっけか……)

 ゴウジやクズミ婆さんから聞いた話も総合すると、そうなるはずだ。しかも、当人たちがそれについてもトーヤを絶賛しているのだから、恐るべき多才っぷりである。 

 魔法に関していえば、ドワーフの十八番とも言える魔道具作りにも関わってくるので、鍛冶と無縁というわけではないのだが……それにしたってトーヤの若さならまず基本の鍛冶を修めるべき、と言われるはずだし親方も普通ならそう勧める。


 が、トーヤはそんな常識軽々無視し、「鍛冶は最低限」とでも言わんばかりのマルチタスクを発揮している。しかもその最低限である鍛冶ですら、並々ならぬ才を感じさせている。

 それだけに「何をそんなに一生懸命になっているのか」と親方は不安を覚えてしまう。


 親方とて、数多のドワーフ、かなりの数のヒューマン、極少数のエルフと関わってきた歴戦の鍛冶師である。トーヤが何か強い意志を持って、それらの作業……あるいは修行……をこなしているのは察している。

 あの若さで、それだけのことをやる原因など、1つしか思い当たらない。


(やっぱ『ヒゲなし』ってのはそんだけプレッシャーなのかね……)

 ごく普通の鍛冶師として順調な人生を送ってきた親方には、どうしてもトーヤの気持ちは完璧には理解できなかった。

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