トーヤ、悩む
「あ、トーヤじゃん」
ある日、学院の廊下をトーヤが歩いているとコニーに行き会った。
「どうしたってのよ。合格おめでとうのパーティー以来、なんかふさぎ込んじゃって」
トーヤはマリーとコニーが主催してくれたパーティー……時間の都合を付けて、ヴァンやルーも顔を出してくれたそれを思い出し、ちょっと涙ぐむ。
(あぁ……あれは楽しかったなぁ……)
「ちょ、ちょっと……なんで泣いてんのよ!」
「ごめん、コニー……次授業あるから……」
フラッと頭を振って、精一杯元気な声を出してトーヤは歩き出す。それを不安そうにコニーは見送っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「で、なんなのよ。理由をキリキリ白状なさい」
「そうですよ、コニーさんだってこんなのでも心配しているんですから」
一日の授業を終えたトーヤは、コニーに捕まってギルドまで連行されていた。マリーもどことなく心配そうだった。
「……いじめっ子がいたんですよ」
トーヤは悔しそうに、渋々言う。
「ハァ!?」
コニーは素っ頓狂な声を上げる。当然だろう。
「馬鹿じゃないの、そいつ……」
「えぇえぇ、俺だってそんな大馬鹿がいるなんて想像もしませんでしたよ」
どこか投げやりにトーヤは言う。
学院は入学者について特に制限を設けていない。3月に一度と頻繁に試験を行っていることからもわかるとおり、学びたい者には広く門戸を開いているため、生徒の年齢の幅も極めて広い。
若者が多いとはいえ、トーヤの見た限り新入生には70代の老人までいた。
そんな学院で共通のカリキュラムなどありはしない。学生の年齢もレベルもあまりに幅がありすぎる。
つまり、学生は自分の取りたい授業を好きに取り、自分の満足するまで経験を積んだら勝手に学院を出て行ってもいいのだ。その辺りトーヤの感覚での学校とはだいぶ違う。
一応、「卒業試験」のようなものもあり、これに合格できれば「ディクサシオンの魔道学院の卒業生」として、それなりの名誉を得られる。そのためこれを目指す者もいるが、そんなものに興味がないなら学びたいことだけ学べばいいのである。
当たり前だが、「魔道具作成の参考にでもならないかな」程度の気分で入学したトーヤに卒業試験を見据えて勉強する気合などありはしない。
つまり、トーヤを蹴落としたところで、首席争いの試験で有利になったりすることなどない。そんなことをするぐらいなら、自分の勉強に集中した方が遥かにマシだろう。
「とりあえず、聞いてくださいよ。本当にくだらない話なんですけど……」
コニーたちに相談するのも馬鹿らしいと隠していたのだが、よほど鬱憤が溜まっていたのかトーヤの口は止まらなかった。
そしてトーヤは語りだす。そのろくでもないいじめのことを……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「そんじゃあ……実戦演習を行いまぁす」
やる気なさげな教官がそう言うと、生徒たちのざわつきがぴたりと止まる。
場所は入学試験も行われた中庭。生徒は新入生も含めて、40人ほどだった。血気盛んそうな若者が多いが、落ち着いた中年男性もいる。
「新入生もいるので、改めて説明しますと……まぁ説明するまでもありませんねぇ。魔法を使った実戦訓練の授業でぇす」
教官の投げやりっぷりとは対照的に、生徒たちのテンションはうなぎ登りだった。
生徒の間でも人気の高い授業の一つが、この実戦演習である。何せ、魔法を専門に使った戦闘訓練が行える場所など、国中探してもそうそうあるものではない。実質的にこの授業のためだけに学院に入学する腕自慢も、少なからずいるのだ。
無論、トーヤも参加していた。どんな危険に巻き込まれるかわからないというのに……具体的に言うなら、生きているらしきルーカスから逃げるためには、戦闘の経験値を積むのを怠るわけにはいかなかった。
「まずはぁ……レベルで組み分けしまぁす」
組み手をやるとなると、2人の実力が開きすぎているとお互いのためにならない。そのために、入学試験の結果と在学生はここまでの実戦演習の結果で、教官が組み合わせを決める。
「えぇっと……番号を言っていくのでぇ……同じ番号のぉ……人と組み手しまぁす。最初はぁ……」
教官が次々と番号を告げていく。基本的には新入生は新入生と組み合わせられているようだった。……が、トーヤの名前は一向に呼ばれない。不安を覚えるうちに、どんどんと番号は在学生へと進んでいく。
「21番。トーヤ」
ようやく呼ばれたのは最後の最後だった。残っているのは……
「21番。ザイヤーさん……お願いできますか?」
教官も敬語になってその表情を窺う、中年の大男だった。明らかに只者ではない。大男の方でも意外そうに傍らのトーヤを見下ろす。
「……あの、俺新入生なんですけど……」
こんな強そうな人と組まされる道理はない、言外にそうトーヤは告げるのだが……
「試験結果が良かったんでしょう? まぁ胸を借りるつもりでぇどーんと行きなさい、どーんと」
教官はまるで取り合わないまま、他の生徒に声をかけに行く。仕方ない、とトーヤは諦めてザイヤーを見る。
「……トーヤ君、だったかな? ホビットの戦士は私も初めてだが……」
「……俺はドワーフですよ」
「……これは失礼。そう言えば、噂にはなっていたな……入学試験でとんでもないことをやらかしたドワーフがいたとか。君のことだったか」
ニィッとザイヤーが笑う。人好きのする笑みだが……あれは肉食獣の笑みだ。トーヤに緊張が走る。
「まぁ、とにかく手合わせ願おうか」
結論から言えば、ザイヤーとの組み手はトーヤの敗北だった。構えるトーヤに、先手を打って放たれたザイヤーの風魔法が直撃し、トーヤはあっさりと負けを認めた。
だが、晴れ晴れとした表情で中庭を後にするトーヤに対し、ザイヤーはどこか不思議そうだった。
そんなザイヤーに声がかかる。
「ザイヤーさん、お見事でした! いやぁあのドワーフ野郎あっさり負けましたねぇ!」
ザイヤーの取り巻きのエルフである。ザイヤーの入学以来、彼の実力に惚れこんであれこれと付きまとっている。
「……まるで本気を出していなかったな、あのドワーフは」
「……は?」
「いや、本気は本気だったんだろうが……なんというか、慣れない場所で無理矢理戦わされているような……魚に空を飛べと命じているような違和感があった」
「…………」
ザイヤーは素人ではない。魂の高ぶりを求めて、長槍一本を頼りに戦場をいくつも駆け抜けた歴戦の戦士である。魔法の訓練もまた、己を高める自己修練であった。そんなザイヤーの経験が告げている。
(魔法だけで戦え、というのが無茶なのだろう? 腰の物はお飾りではあるまい、トーヤ君)
ザイヤーがニヤニヤと楽しげだったのを、取り巻きのエルフは面白くなさそうに眺めていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「やぁ、トーヤ君」
「……? はぁ、どうも……」
とある授業で、トーヤはいきなり見知らぬエルフ……否、実戦演習の授業でチラと顔を見た記憶はあるか…に声をかけられた。
「そんなに身構えなくていいとも。僕はダイン。君のことは実戦演習で見ていたよ……ザイヤーさん相手に見事なモノだった。そんな君に、先輩として少しばかりアドバイスをしようと思ってね」
「は、はぁ……」
にこやかに語るダインに、トーヤは警戒心を隠せない。大体ザイヤーとの手合わせは、トーヤが何もできずに吹っ飛ばされただけである。
「何、難しいことじゃあない……」
グイッとダインが顔を寄せる。
「あんまり調子に乗るんじゃねぇぞ、糞ドワーフが」
いきなり温厚な雰囲気を消し去り、汚らしい言葉を吐くダインにポカンとするトーヤ。
それを恐怖と勘違いしたのか、ダインは満足げにスゥッと離れる。
「……ザイヤーさんに手加減して、テメェ舐めてんじゃねぇぞ……生き残りたけりゃ、他人を馬鹿にすんのもほどほどにしとけ」
それだけ言うと急に雰囲気を元に戻す。
「……言いたいことはそれだけだ。邪魔したね、トーヤ君」
スタスタと歩み去るダインを、やはりトーヤはポカンとしたまま見送っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……何それ。本気で下らないじゃない! そのダインって奴!」
コニーは怒り心頭だ。じっと耳を傾けていたマリーも、我が事のように怒りを露わにしている。
「まぁそれから……参考書を探していたら図書館からその本が見つからなくなったり、いきなり魔法をぶつけられて転びかけたり、上から水が降ってきたり、どうでもいい嫌がらせがちょこちょこと……」
トーヤはハァっと溜息を吐く。まともに相手したら負けだ、とひたすら無視を決め込んでいたのだが、それがかえって相手の癪に障ったらしい。嫌がらせは悪戯の域を超えて殺意を帯び始めている。
犯人もハッキリしないので、どうにも身動きができないのが実情だ。十中八九ダインだとは思うが、だからと言って証拠もない。
「それでトーヤさん、ノイローゼ気味だったんですね」
「トーヤ。ボコボコにしてやりなさい。得意の不意打ちで」
「……だから人を卑怯者みたいに言うのは……」
実際、ここ最近はストレスで寝不足だ。とはいえ、単なる悪戯ぐらいなら別になんということもないのだが……
(結局どの世界に行こうが……人のやることは変わらないものか)
「学校という環境でいじめに遭う」と言う事実そのものが、前世でいじめられっ子だったトーヤの精神をすり減らしていた。故郷で受けていたギエンからの差別は、あれはあれでキツイ物があったが、気心の知れたギエンの苦しみもなんとなくわかっていた。……ギエンは「ヒゲなし」が嫌いなのではなく、「トーヤ」という一個人を受け入れがたかったのだ。ある意味それは、無二の親友だからこそ生まれたすれ違いだったのかもしれない、とトーヤは最近では思うようになっていた。
一方、ダインにトーヤを嫌う理由などさしてありはしないだろう。要は誰でも構わなかったのだ……ストレス発散のターゲットとして、地味に目立っていたトーヤは丁度良かったというだけで。
「とりあえず……何とかしますよ。今のところはそこまで酷くはないですし……そのうち飽きるかもしれませんから」
乾いた笑みを浮かべるトーヤを、2人は心配そうに見つめていた。




