トーヤとハル
トーヤは機嫌よく村の中を歩いていた。ドワーフの村は、村人たちが「ヒューマンの街じゃ王都にだってこんな立派なのはあるわけない」と自慢する巨大な鍛冶場が一際目立つが、それ以外は全体的に建物が小ぶりなだけのごく普通の村だ。
通いなれた道を通り、門にたどり着く。門番であり、村一番の戦士であるゴウジに挨拶しながら村の外に広がる森へとトーヤは踏み入れた。
森の中には、魔物が現れることもあるので、油断なく腰の剣に手を置きつつ目的地を目指す。幸い特にトラブルなくトーヤは目指す場所にたどり着いた。
(良かった、ここにいた)
森を流れる小川でのんびりと釣り糸を垂らすドワーフの老人がいる。元々小さい背丈は年を経てさらに縮み、髪とヒゲは真っ白な上互いに混ざり合って、顔を覆い尽くしている。名はハル。森の中で動物を狩ったり、魚を捕らえたりして生計を立てる「狩人」のドワーフだ。
トーヤは一切の気配を殺し、大石を椅子にして川面を眺めるハル老人に背後から近づく。あと数歩でハルの背中に手がかかる、と言ったところで、
「やぁトーヤ。今日は随分早かったな」
ハルは川面から目を離さず声をかける。不意打ちが失敗したことを悟り、トーヤは気恥ずかしさに頭をかきつつ、返事をする。
「うん、今日は簡単な作業ばかりだったからね。それにしても爺ちゃんには全然敵わないなぁ」
ハルは独身のドワーフなので、トーヤとは血縁関係はない。それでも、親しみを込めて爺ちゃんと呼ぶのは、トーヤにとってそう呼ばせるだけの恩義があったからだ。
「動物相手ならトーヤの隠形も十分通用するさ……だが、これでも私は君の師匠だからね。そう易々と抜かれやしないさ」
ハルが穏やかに笑いながら答える。豪放磊落なキャラクターの多いドワーフの中では、落ち着き払ったハルの人柄は割と珍しい方である。
だが、それゆえに鍛冶場の人間関係に中々なじめないトーヤにとっては、一緒にいて安心できる相手でもあった。
後ろから眺めていると、ハルの釣竿がピクリと動く。トーヤは思わず声をかけたくなるが、じっと我慢する。
ハルは釣竿の動きなどまるで気付いていないように座っているだけだ。トーヤはどうしても不安を覚えるが、師匠を邪魔してはならぬと、己に言い聞かせる。
一度、二度、三度……
釣竿の動きが次第に激しくなり、もっとも強く引いたところで、
「……!」
ハルは老いたと言え、なお隆々としたドワーフの筋力を全霊で放ち、一挙に釣竿を引き上げる。
静から動へ、見続けていなければその居住まいの切り替わりに気づくことさえ難しかったと思えるほど、自然な流れだった。
当然のように釣り糸の先には丸々と太った川魚が暴れている。ハルは手慣れた動きで釣り針を外すと、魚籠に放り込む。トーヤが見ると、既に魚籠には何匹もの魚が収まっていた。
「さて、釣りは終わりにするかな」
ハルは道具を片付けつつ呟く。
「次は君の修行を兼ねて、狩りでもしようか」
そう続けるハルに、トーヤは素直に従った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ガッ!
トーヤの弓から放たれた矢が狙い違わず、鹿の眉間を射抜く。
「ほー。トーヤも随分と熟達したもんだ。あの距離から木々を縫って、眉間を射抜くなんて、エルフでも難しいんじゃないかな」
「あんまり褒めないでくれよ、爺ちゃん。自分の力を過信しちゃう」
そう答えつつも、嬉しさを隠し切れないトーヤの口元がピクピクと震えている。
そんな弟子にハルは苦笑しつつも、
「いやいや、私は正直に自分の感想を言っているさ。あれだけのことができるってことは相当練習したんだろ?」
そして、その練習の目的を知っている故に何とも複雑な気分だ。
「……やっぱり諦めていないのかい?」
「その話何度目だよ爺ちゃん。言っているだろ? まだはっきり決めちゃいないけど、そうする可能性があるなら、準備はしておくべきだって」
「だが……無理にそうしなくとも……」
弟子の成長を見守る師の顔から、孫の行く末を案じる祖父のような顔になって、ハルが思いとどまらせようとする。
トーヤはハルの心配を嬉しく思うが、それでも決心をひっくり返す気にはなれなかった。
「……いや、爺ちゃんが何と言おうと、俺は決めたんだ。このままの状況が続くぐらいならいっそ……」
そこで言葉を切ったトーヤは自分に言い聞かせるように続ける。
「俺は村を出る」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
仕留めた鹿を抱えて村に戻る。力自慢のドワーフであってもなお重くのしかかるその重量に、思わずトーヤは舌なめずりする。大物を持って帰還したハルとトーヤを見て、ゴウジが驚いていた。
そんなゴウジにトーヤは手を挙げて挨拶しつつ、声をかける。
「この鹿をみんなに配ったら時間ができるからさ、後で稽古付けてくれない?」
「そりゃ構わんが……」
ゴウジはハルをちらりと見る。彼もまた、ハルと同じくトーヤの密やかな計画を知る一人だった。
ハルは諦めたように目を伏せるばかりだった。好きにさせてやれ、という合図だろう。
「……そんなら、後で稽古場に来い。ちゃんと動きやすい服装に着替えるんだぞ」
「了解!」
ハルは飛び跳ねるように、大きな鹿を担ぎ上げて村の中心の広場に駆けていく。あそこで鹿を解体して、村人に配るのだ。
消えていくトーヤをハルとゴウジは心配そうに見つめていた。
「別にこの村で暮らし続けることもできるだろうに……何を思って村を出るなどと言い出すのやら」
ゴウジが不安そうに呟く。見ていればわかる。あれは冒険や栄達などより、平穏な人生を好む人物だ。好き好んで危険に身を晒すタイプではない。
「あの子にとって、この村で生きていくのは、外に出る以上に辛いということなのだろう。わかってやらねばならんのだろうが……」
ハルは理屈ではわかっても、どうしても心が納得いかないと言った風情で言葉を紡ぐ。何よりその原因がわかりすぎるぐらいわかってしまうので、余計説得しづらいのだ。
「そんなに辛いのかね……『ヒゲなし』ってのは……」
「……そう思ってしまうことが、あの子にとっての重荷なんだよ」
珍しく咎めるようにハルが呟く。自分の倍以上の時を生きた老ドワーフの言葉に、ゴウジはそれ以上何も言えなくなった。