激闘・VSルーカス
「皆さんは手を出さないように。死を恐れないのと、自ら死に臨むのは全く違うものです。貴方たちにはこの世界ですべきことがあります。『リャーマン』の下に旅立つのはまだ早い」
ルーカスが周囲で怖々と2人を遠巻きにしている村人たちを諌める。どうにも村人たちの動きは素人臭く、トーヤの中に違和感が芽生える。
「この村の人々は戦いなど何も知らない人ばかりなんですよ」
そんなトーヤに気付いたのか、ルーカスがのんびりと説明する。しかし、その立ち振る舞いに隙は全く無く、トーヤの額をダラリと冷や汗が流れた。
「もともと、戦って蹴落として少しでも人より上に行くのを嫌うような優しい人々が、『リャーマン』の加護に縋って集まった村だと言うのに……貴方はそれをいけないことだと言うのですね」
ルーカスは悲しそうだ。
「……自分たちだけで勝手に信じているなら、こっちだって文句も言わないさ。だがユキを生贄にしようとしたのはどうしたって我慢できない」
「何がいけないのです。世界は間もなく全てが『リャーマン』の物になります。万人が『リャーマン』の下で平穏な暮らしを歩むのです。今ここで神の召使いとして旅立っても、『リャーマン』の下に行くのが、早いか遅いかの違いだけなのですよ」
……トーヤは理解した。この男は……本気で自分がしたことが善行だと思っている。会話をすることは不可能だ。
チャッと剣を構える。……背を向けて逃げる気にはならない。わずかでも隙を見せれば……躊躇わずあの大剣はトーヤに襲い来るだろう。
「……言葉はいらない、と言うことですか。悲しいですね。私は人を殺し続ける日々を虚しく思っていた頃、ようやく『リャーマン』の教えに出会って、言葉の大切さを知ったのに……己の殺した人々もちゃんと『リャーマン』の下で幸せに暮らしていると知って、嬉しく思ったのに……」
トーヤはその言葉からこの男の経歴を察する。元戦士……間違いない、それも凄腕だ。
「この世界で貴方を導けなかったのが残念ですが……心配することはありません。貴方も肉の体を捨て去れば、すぐに『リャーマン』の下にたどり着けますから」
本当に……心底嬉しそうにルーカスが大剣を構え……2人はぶつかり合った。
真上から何の策もなく振り下ろされる大剣。受ける気はない。トーヤは体を躱しつつすれ違いざまにルーカスの胴を薙ごうとして……悪寒を感じルーカスから全力で飛びのいた。
重力に任せて振り下ろされるだけだった大剣が、とてつもない怪力で強引に軌道を変えてトーヤを狙っていた。退かなければ間違いなく切り裂かれていただろう。
「気づいていますか? トーヤさん」
ルーカスが穏やかに語る。今しがたトーヤを殺そうとしたのに、その声に殺気は微塵もない。……否、彼にしてみれば「トーヤを殺そう」などとは思っていないのだろう。ただ「神の下に送る」だけなのだ。
「この戦い、私に負けはありません」
「……ずいぶん自信家だな」
「いえ、違いますよ。例え貴方に殺されたとしても、私は神の下にたどり着けますから。自殺はいけませんが、神への務めを果たす途中で死ぬなら……本望です」
嬉々とした声のまま、ルーカスが突如として踏み込んで来た。すさまじい速度で袈裟懸けに振られる大剣を、すれ違いつつトーヤは避ける。そしてその肩口に剣を立てるが……
(ッ! 退かないのかよ!)
むしろトーヤの剣に己から立ち向かうように、ルーカスが振り向きながら迫る。ローブのような服を容易く裂かれ、強固な鱗が何枚も弾け飛び、その下の肉が切り裂かれてもルーカスの動きは止まらない。
ブン。とてつもない風切り音と共に横に振るわれた大剣を、トーヤは矮躯を活かして身をかがめて躱す。そのまま姿勢を低くしてルーカスの足元に駆け寄る。相手の得物は巨大だ。懐に入り込むのが上策だろう。
しかし、ルーカスはトーヤの考えを容易く見抜いていた。迷わず重りにしかならない大剣を投げ捨て、身軽になったその勢いでトーヤに蹴りを叩き込もうとする。トーヤは慌てて体を丸め、剣を身体の正面に持ってくることでその勢いを殺そうとする。
全力でガードしたのに、とてつもない衝撃がトーヤの全身を襲った。軽々とトーヤの小さな体を蹴り飛ばしたルーカスは地面に投げ捨てた大剣を拾い、空中にいるトーヤを叩き斬ろうとする。
トーヤが剣しか使えないドワーフだったなら、その目論見は達せられていただろう。
「ファイア・ボール!」
空中で火球を放つ。全く集中していなかったので、火の粉と爆音が響いただけだったが、ルーカスの目を一瞬眩ませるには十分だった。その一瞬でトーヤは飛翔魔法を構成し落下の勢いを殺す。自在に空を飛ぶのは無理でもほんの僅かに滞空時間を延ばす程度なら、この短時間でも可能だ。
トーヤの真下を大剣が行き過ぎた。視界を奪われながらも、トーヤの軌道を予測して薙いできたのだ。トーヤの肝が冷える。火炎魔法と飛翔魔法どちらかだけだったら、間違いなく切られていた。
スタリ、とトーヤが地面に降り立つ。
「……素晴らしい。素晴らしいですよ、トーヤさん。その歳でそこまで戦えるとは」
ルーカスはトーヤが己の攻撃を凌いだことが、むしろ嬉しそうだ。
「ふむ……しかもその魂……この世界のものではありませんね?」
「!」
トーヤが驚愕に包まれる。このリザードマンは……トーヤが異世界から転生した存在であることを言い当てた。
「驚くことはありません。今のは『リャーマン』の囁きです。『リャーマン』が面白い魂である貴方を求めています。私が導くので……旅立ちましょう」
「断る!」
トーヤにはこれ以上戦う意味がなかった。一座のメンバーはとうに逃げうせただろう。だったら、後は自分がこの鬼神から逃げ切るだけだ。
だが……ルーカスにそれを許す気はなさそうだった。
ゆらりとルーカスがトーヤに歩み寄る。とてもゆっくりしたその動きが、トーヤには近寄られる寸前まで全く見えなかった。ルーカスがいよいよ本気を出したことをトーヤは悟る。
巨大な剣を全く重さを感じない動きでフワリと振るう。トーヤは慌てて距離を取りながら、その剣をいなす。
一撃。二撃。鋼の塊が殺戮の嵐となってトーヤに襲い来る。
時に体を躱し、時に己の剣で受け流す。軽そうに見えてすさまじい重量がトーヤの剣にかかるが、全力を振り絞りこらえる。
大剣がトーヤの首を薙ごうとする。のけぞりながら距離を置こうとするも、大剣は重量を無視した変幻自在の動きで迫りくる。瞬時に回避を諦め、剣で受け流す。正面から受け止めれば、間違いなく剣を吹き飛ばされただろう衝撃が襲い来るが、何とか弾くことに成功した。
弾かれた大剣がそのままうねるようにトーヤに襲い掛かる。休む暇などありはしなかった。いなし、躱し、ルーカスに切りかかり、トーヤはその乱舞を何とか凌ごうとする。
舞い踊るようなルーカスの剣舞は唐突に終わりを告げた。どこか不思議そうな表情だ。トーヤは肩で息をしながら逃走のチャンスを窺う。
「……1つ聞きたいのですが……貴方の剣の師はどなたですか?」
「ドワーフのゴウジ。あんたなんか及びもつかない、俺の知る限り最強の戦士だ」
それはトーヤの強がりだった。本気でゴウジと殺し合いなどしたことはないが……目の前のリザードマンはきっとゴウジよりも強い。
「知らない名ですねぇ……まぁ覚えておきましょうか……」
トーヤはその言葉を最後まで言わせなかった。
「ウィンド・スプリットボム!」
会話を進めるうちに、こっそり唱えておいた呪文で、自身の使える最強の風魔術を解き放つ。
暴風が吹き荒れ、周囲にいた村人たちが何人も吹き飛ばされる。砂嵐で視界が全く効かない。
この程度で倒せるとは思っていない。こんなのは時間稼ぎだ。
後ろに飛びのきつつ剣を腰に納め、弓と矢を手に取る。ルーカスは予想通り、迷わず踏み込んで来た。
風が収まったその瞬間、ルーカスの顔面をめがけて、トーヤは矢を放った。
「グォアァァァ!」
野太い悲鳴が響き渡る。当たったのだろうが、構ってはいられない。手負いの剣豪ほど恐ろしい生き物はいない。今はルーカスの注意が途切れたことだけを祈り、この場から離れねば。
飛翔魔法を全力で解き放つ。ルーカスに注目した村人たちの隙を突き、家々を越し、街道に飛び出たところで、道に降り立つ。既に今日一日で、何度も魔法を使い魔力は枯渇寸前だ。
トーヤは全身全霊の剣戟を経て疲れ切った体に喝を入れ、街道をひた走った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ルーカスさん! 大丈夫ですか!」
村人の1人が悲鳴を上げたルーカスに駆け寄る。戦いの間手を出せなかった己を恥じているのだろう。その顔は悔し気だ。
「……大丈夫です。何とか目には当たりませんでした」
ルーカスは心配するな、とでも言うように立ち上がる。矢はかろうじて目を逸れて、ルーカスの頬を深く抉っただけに留まった。例え回復魔法を使っても、完全に傷を消すのは難しかろう。
だが、ルーカスはその傷を愛おしげに撫でる。
「……そうですね、我らの『リャーマン』。彼ほど強い魂は久しぶりです。貴方の下に必ず送り届けましょう。ですが、今は……」
独り言のようにブツブツと呟くルーカスを、村人たちは尊敬のまなざしで見つめる。「リャーマン」の声を聴くことができるルーカスは、いくら平等を謳う村人たちであっても一目置かざるを得ない存在だった。
「……みなさん、撤収準備を。この村は捨てます。新天地へ向かい、そこで『リャーマン』の教えをさらに広めましょう」
この村を通り過ぎる旅人を時折「神の召使い」としていたことが周辺の国の政府にバレれば、面倒なことになる。普段なら、複数人連れの旅人は全員「リャーマン」の下に送るので問題はないが、今回は逃げられてしまった。
将来「リャーマン」に導かれた平等かつ平穏な世界に至るまで、彼らはここで「リャーマン」を知らない者たちに殺されるわけにはいかないのだ。
旅芸人たちを追っていた村人たちも戻って来た。皆で協力して死体を処分し痕跡一つ残さずこの村を後にせねばならないだろう。早速働き始めた村人たちを、手当てを受けながら眺めつつルーカスは口を開く。
「トーヤさん、知っておきなさい。貴方がここで逃げたのも『リャーマン』の導きであることを。そしてより強くおなりなさい。貴方が『リャーマン』の幸せを知るために……」
ルーカスは己を傷つけたトーヤを、むしろ慈しむように呟いていた。




