儀式
トーヤはその夜、ギターを片手に集会所をプラリと抜け出していた。剣と弓を忘れず身に付けている。魔獣はびこる森の中で野宿を重ねた経験のせいで、武器が手元にないと不安なのだ。
ユキは夕方になってどこか晴れ晴れとした表情で戻って来た。そして、トーヤの目標を応援すると言ってくれた。トーヤは急にユキが考えを変えたことに驚いたが、ルーカスに相談したのだと聞いて納得した。あのリザードマンはどことなく人を安心させる空気を持っている。
村から少し離れたところに、一本の巨木を見つける。実に堂々とした枝ぶりだ。これなら丁度いいだろう、とトーヤは足をぐっとたわめる。
数瞬後、足に溜めた魔力でトーヤの体は軽々と巨木の枝まで打ち上げられた。ふわりと浮きながら、がっしりした枝を選び、そっと足を乗せる。飛翔魔法を維持したまま体重をかけて、これなら大丈夫そうだと確信できたら完全に魔法を解除する。
一瞬枝がしなるが、巨木の枝はしっかりとトーヤの体重を受け止めていた。
ふぅっと息を吐き、トーヤは幹に背を預けて腰を下ろす。そして満月を見ながらギターを爪弾き始めた。
トーヤは一度ぐらい「月を見ながら木の上で一人ギターを弾く」というのをやってみたかったのだ。
そして実際にやってみて……自分にはあまりこんな気取った行動は似合わない、と実感した。
苦笑しながらギターの演奏を止める。今度は何もしないままぼんやりと月を眺めた。
この世界の月はトーヤの前世の世界より、かなり大きく見える。表面に浮かぶ模様も全く違う。それでもどこか郷愁が漂うのはなぜだろうか。
じっと月を見ながら、これから先のことを考える。
ワイマー一座とは別れなければならないだろう。それは寂しいけれど必要なことだ。互いに互いの道を応援しながら別れるのがきっと正しいことなのだ。
だけれど……トーヤにしても、理屈ではそうわかっても感情がなかなか追いつかなかった。ただ、トーヤには前世の16年の経験とドワーフとしての14年の経験があり、ユキよりはほんの少し自分をだますのが上手かっただけである。
「……飲み込まなければいけないんだろうけどね……」
別れも悲しみも、そっと心にしまって人生の糧にしなければいけないのだろう。だが……今ぐらいは感傷に浸りたい。
トーヤはしばらくの間、樹の上で月と向かい合っていた。
トーヤがようやく樹から下りた頃には月はすっかり中天に昇り切っていた。
明日も早いので、しっかり睡眠を取らなければいけないだろう。魔法の灯りを浮かべてトーヤは村への道を急ぐ。
「……ん?」
闇に沈んだ村が視界に収まり始めた頃、トーヤは気づいた。ゆらりと揺れるあの灯りは……松明だろうか? すごい数だ。村中の人間が松明を持っているのではないだろうか。
松明を持った村人の姿を認めた瞬間、トーヤは迷わず魔法の灯りを消し去り飛翔魔法を使って手近な家の屋根に飛び乗った。
突然いなくなった自分を探しに村人たちが山探しをしているのかもしれない、と言う可能性は考えなかった。それなら……松明の灯りの下、抜身の剣などぶら下げてはいないだろう。
「何が起きたって言うんだ……」
盗賊団や魔物に襲われて武装して起き出したなら、もっと大騒ぎしているはずだ。村人たちの行動は統制されており、まるでこれが予定された行動のようだった。
気配を殺して、そっと屋根を伝い集会所に急ぐ。一座の皆の無事を確認しなければいけない。
できれば、村人たちの謎の行動の原因が一座でなければ良いのだが、というトーヤの願いは虚しくも届かなかったらしい。
集会所の扉は大きく開け放たれており、人の気配は全くない。村の中心の広場に多くの人々が集まっているようだ。
トーヤはこっそりと広場の端の屋根から、松明が無数に灯り静かに人々が集まる広場の様子を窺う。
村人たちは皆揃いのデザインの服を纏い、恍惚とした表情で広場の中心にそびえる不可思議なオブジェを見つめている。オブジェの前にはやはり巨躯を揃いの服に包んだルーカスと……
(ユキ!?)
見たことのない綺麗な服装を着せられ、ぐったりとしたユキが椅子に座らされていた。
(他の皆は……)
急いで広場を確認する。……いた。広場の端に、手足を縛られて転がされている。村人たちは儀式に集中しており、一座の周囲には剣を持った見張りが1人立っているだけだ。助けなければならないが……そのためには、あの見張りをどうにかしなければいけない。
トーヤはそっと屋根を降りる。……人間相手の実戦は初めてだ。足が震えそうになるが、「一座を救えるのは自分しかいない」と叱咤する。
もはや、村人たちが敵であることは疑う余地もないだろう。最悪……殺さねばならないかもしれない。
ゴクリ、と唾を呑むと、己の手の内で輝くミスリルの剣の輝きが不意に恐ろしくなる。全てを投げ出して逃げたくなるが……
(もう逃げないって決めたんだ!)
ここで逃げれば、前世と同じ臆病者としてしか生きられなくなる。そうなるぐらいなら……覚悟を決めねばならないだろう。
トーヤは一座の見張りにそっと忍び寄った。
胸に向けて背後から一思いに……剣を突き立てる。無言のうちに中年のヒューマンの男は息絶えた。
思ったよりもあっさりと、人1人の命を奪えてしまったことに、トーヤは驚愕した。
(旅をしていれば、人だって殺さなきゃいけないこともあるさ……)
心の底で謝罪しながら、男の死体を家の陰に引っ張る。その様を、一座のメンバーはびっくりしながら見ていたが誰も声を上げなかった。
やがて、男の持っていた剣を片手にトーヤが縛られたメンバーの背後に歩み寄る。
「……ショーン。絶対に声を上げないで話を聞いて。わかったらゆっくりと一度だけ頷いてほしい」
トーヤはショーンにだけ声をかける。この先もっとも頼りになるのは、戦闘経験の豊富なショーンだ。ショーンの先導で逃走してもらわなければならない。
ショーンがゆっくりと首を動かすのを見て、トーヤは囁く。
「……今から縄を切る。だけど動かないで欲しい。全員の縄を切ったら、俺が広場の中心で騒ぎを起こしてユキを助ける。騒ぎに乗じてユキを連れてとにかく逃げて。俺が陽動を務める」
ショーンがゆっくり首を横に振る。見ると周りのメンバーも不審げだ。「トーヤはどうするのか」と聞いているのだろう。
「俺は何とか逃げる。……みんなは絶対に待たないで欲しい。何とか1人でもディクサシオンを目指すから……そこで落ち合おう」
囁きながら次々と縄を切る。全員微動だにしないままトーヤに縄を切ってもらい、切られた後も縛られた振りを続けていた。芸人だけあり全員演技はお手の物だ。
「じゃ……急ぐから」
ショーンの手の届くところに見張りの剣をそっと置き、トーヤは駆け出した。
ダン、と一瞬だけ足に飛翔魔法をかけて飛び上がりつつ、最高点で広範囲に向けて火炎魔法を撃ちだす。狙いもろくに付けず、さらにはほとんど集中されずに放たれた魔法に殺傷力はほとんどなかったが、神のオブジェに集中していた村人たちをパニックに陥れるには十分だった。
「何だ、あの子供は!」
「旅芸人の最後の奴だ! 見張りは何をしていた!」
村の外周部にいたのは、やはりトーヤを待ち伏せていた見張りだったのだ。ノコノコ近づいたら酷い目に会っていただろう。
そんなことを思いつつ、神のオブジェの前にスタッとトーヤは着地する。
「ウィンド・ストーム!」
駆け寄る村人たちをまとめて広範囲風魔法でなぎ倒した。将棋倒しになった村人たちはうめき声を上げている。
そしてそんな様を悲しげにルーカスが見ていた。
「……何事です、トーヤさん。神聖なる儀式を邪魔しないでもらえますか?」
「儀式? あんた等の信仰を馬鹿にするつもりはないさ。好きなだけ祈ってればいい……だけど、俺の仲間に手を出すのだけは許せないんだよ……!」
「何を悲しむのです。ユキさんは今から我らの神『リャーマン』の元に旅立つのです。彼女のような幸福に満ちた無垢なる若い魂を得て、『リャーマン』はさぞ喜ぶでしょう。ユキさんも最初は戸惑うかもしれませんが、神に仕える喜びをすぐに知るはずです」
「……生贄ってことかよ」
「肉の体を捨て去るだけです。それは死に見えるでしょうが、全く異なるものです」
ルーカスの口調は昼間の落ち着いたものと全く同じだった。それがトーヤには恐ろしかった。……が、恐怖はともかくユキを殺そうとしていることは理解できた。
背後から武器を手に襲い掛かる村人の胴を無意識のうちに薙いでいた。全身が警戒態勢にあり、魔物を殺すように冷静に身体が動いたが、自分のやったことに脳裏がヒヤリとする。
「……ほう? なかなかの腕前ですね」
ルーカスが感心するように言う。
「仲間が死んでなんで平然としてんだ、あんたは……」
殺したトーヤでも、手が震えているのに。目の前で命を奪われて全く動じていないルーカスを問い詰める。
「言ったでしょう? 生きる場所が変わるだけです。誰より先に神の元にたどり着いた彼が羨ましくも思えます」
「じゃあお前が生贄になればいいだろうが!」
遂にトーヤは激昂した。コイツらの身勝手極まりない言い分が、心の底から気に食わない。もはや恐怖も消えうせた。
「それはいけません。『リャーマン』の教えを広めることこそ、私の魂に課せられた試練ですから。試練を終えずに自ら神の元に行くなど、不信心の極みです」
既にトーヤに会話を続ける気はなかった。話しているだけで舌が腐りそうになる。それに……時間は十分に稼いだ。
遠巻きにルーカスとトーヤを窺っていた村人の一隅が突如として切り裂かれる。
「トーヤ!」
両手に剣を握ったショーンだった。
「任せた!」
ルーカスの気がそちらに取られた瞬間、トーヤはユキの元に歩み寄りその体を持ち上げる。ルーカスが振り向く。ショーンの元まで走る時間はない。
「ごめん、ユキ!」
乱暴だが、ドワーフの腕力に任せて思いっきり放り投げた。
「よしきた!」
細身に見えても、きっちり鍛え上げらえたショーンの腕がユキをしっかりと抱える。そしてそのまま群がる村人を片手でなぎ倒しながら広場の外まで駆けていった。
「……やれやれ、儀式は完全に失敗ですね、これは」
ルーカスが穏やかに呟く。
「それで……いい加減、その剣、離してくれませんか?」
ルーカスが振り上げた大剣の動きを、トーヤの剣が必死で留めていた。トーヤがユキを投げたその一瞬でルーカスは地面に置かれていた1メートル半はあろうかという抜身の大剣を手に取り、ショーンたちに切りかかろうとしてた。トーヤが押しとどめなければ、間違いなくショーンを切り裂いていただろう。
ルーカスがようやく力を緩め、トーヤは飛びのく。見た目に違わず、トーヤが重力を味方に付けて剣を抑え込んでいたというのに、そのまま持ち上げられそうな馬鹿力だった。
ブン、とルーカスが大剣を一つ振る。
「まぁ……それならそれで貴方を神の召使いにすれば良い話です」




