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動乱

「やぁようこそ、旅芸人の皆さん。私はこの村のまとめ役のルーカスと言います。皆さんを心の底から歓迎いたしますよ」

「はぁ……どうもありがとうございます……」

 世慣れたワイマーですらそう答えるのが精いっぱいだった。他のメンバーは一様に言葉を失っている。

「……おや? リザードマンを見るのは初めてですかな? 確かにこの辺りではなかなか同胞には会いませんでな」

 ギールと別れた翌日、次の村にたどり着いたワイマー一座を迎えたのは、2メートルを超える長身を、鋼のような筋肉と分厚い鱗で覆ったリザードマンだった。大陸中を回った一座のメンバーでも、リザードマンに会った経験はほとんどなく、その威圧感満点の風貌に絶句するばかりだ。

 ただ、その取って食われそうな外見に反してルーカスは親切な性分らしい。今もにこやかに―若干表情が分かりづらいが、多分にこやかに―一行を村の中に案内している。


「……まとめ役とは……つまり村長さんですか?」

 トーヤがようやく落ち着きを取り戻し、歩きながらルーカスに尋ねる。

「いやいや、そう呼ばないでくれるとありがたいですな。我らが神、『リャーマン』の前では種族、年齢、性別その他問わず万人が平等であるとするのが教えでしてな、皆平等に立場の違いもなく暮らしておるのですよ。ただ、それでは物事がスムーズに進まんので、会議の進行役や仲裁役として私のようなまとめ人が必要と言うだけなのです」

 その言葉に一行は村の中を見渡す。立ち並ぶ家は質素だが、その間を行きかう人々の顔には笑顔が溢れている。ルーカスの言う通り、それらの人々はヒューマン、ドワーフ、エルフ、肌の色の違う異大陸人など、実に多様だ。しかし通り過ぎる一座に穏やかに頭を下げるその姿には、多様な種族が集まる不安のようなものは見受けられない。

「……いい村ね。本当にみんな幸せそう」

 ユキがしみじみと言う。トーヤは詳細を聞いていないが、彼女にも今までの人生経験から何かしら思うところがあるのだろう。

「今はまだ我らの神の教えはごく一部に留まっておりますが……その教えに引かれてこれだけの人々が集まってくれました。我らはこの村から、国中、そして世界中に『リャーマン』の名が広がることを目標としているのです」

 ルーカスはとても楽しげだ。自分たちの神の名を他人に教えることができるのが嬉しいのだろう。そんなことを話しながらルーカスに先導されて一行は歩く。


「……何分新しい村でしてな、宿屋はないので……集会所で寝泊まりしていただけますかな?」

 ルーカスがようやく目的地に到着したのか、一件の大きめの建物を指し示す。

「ありがたい話です。いや、旅の空ともなれば壁と天井のある場所で休めるだけでも、十分ですよ」

 ワイマーが言う。実際旅の途中はテントを張って寝ることになるので、しっかしした建物で寝られるのはそれだけで贅沢なのだ。

「それは良かった……それで、公演はどのような日程で?」

「今日は休ませていただいて準備をして……明日が本公演、それで明後日には旅立ちます」

「もっとゆっくりしてくださってもいいのですよ?」

 ルーカスは少し残念そうだったが、あまり一所に留まるわけにもいかないワイマー一座の事情もわかっているのだろう。強くは言わなかった。



 一座はルーカスと別れると、早速与えられた集会所の一室に腰を落ち着け、公演について話し合いを始めた。

「さて……トーヤ」

 ワイマーが口火を切る。

「はい」

「今回は君にも出演してもらおう」

「はい……え?」

 流れのまま返事をしたトーヤだったが、意味を理解し、焦る。

「えぇー! まだ人前で演奏する自信なんてありませんよ!」

 ワイマー一座として旅を始めて2月弱。一応ギターはそれなりに弾けるようになっていたが、それでも一流の芸人とは言えないだろう。ワイマーたちとの芸と比べたらレベルが違いすぎる。


「いいじゃないか。お前も一回や二回ぐらい人前で芸を見せる経験はあっていいって」

「そうね。最後の思い出になるわ……きっといい経験よ」

 ショーンとアリアが次々に賛同する。ユキ以外のメンバーには、昨夜のうちにこっそりとディクサシオンで分かれることを打ち明けていたトーヤだった。しかし、そんなことを知らないユキは2人のその言葉に戸惑った。

「え? 最後って……トーヤ、どういうこと?」

「……ユキ。お前も察しなさい。トーヤはいつまでも芸人として生きるわけにはいかないんだ。……ディクサシオンで彼は一座から離れる」

「……!」

 ユキは衝撃を受けている。その様に腹を決めたトーヤは、今ここで別れの時を明かすことにした。

「……黙っていてゴメン、ユキ……だけど、ワイマーさんの言う通り……俺にもやりたいことが見えてきたんだ。一座にいるのは楽しいけど、それだけじゃきっと俺のやりたいことはできない。楽しいだけに甘えていちゃいけないんだ」

 それはトーヤの心の底からの思いだった。一緒に旅をしているうちに気付いたが、「芸を見せて旅をする」という生活はトーヤが想像するほど楽なものではなく、一座の誰もが己の芸に真正面から向き合っていた。そしてそんな姿を見て自分の心を振り返り、「自分は彼らほど真剣に、人生を賭けて芸の道に臨めるか?」と自問自答した。

 そしてその結論は……

「俺はユキたちみたいに、芸だけを磨いて生きていくことはできない。だから……ディクサシオンで俺は自分のできることを探そうと思う。この一座はとても暖かったけど……その温もりに埋もれるばかりじゃいけなかったんだ」

 トーヤは真正面からユキの目を見ながら言う。自分とワイマー一座はきっと生きる道が全く異なるのだ。たまたま今だけ混じり合っているが……別れの時を迷っていては、双方にとって不幸になる。

 それは生来怠惰なトーヤが、己から世間の寒風の中に歩み出そうと心を決めた、彼の人生にとって大きなターニングポイントだったのだが……その言葉を受けたユキの方はそんなことは知ったことではなかった。

 大きな目にジワリと涙を湛えて、トーヤをなじる。

「なんでよ! 芸人として生きるのもいいかも、って言ってたじゃない! 私たちと一緒にいつまでも旅をしましょうよ!」

「ユキ。いい加減弁えるんだよ。トーヤにもやりたいこと、やるべきことがあるんだ。私たちがそれを邪魔してどうするんだよ」

 イーザがユキを諌めるも、ユキの言葉は止まらない。

「そんなに私たちのことが嫌いなの! 私と一緒にいるのが嫌なの! 私は貴方のことが好きなのに!」

「そんなことはない! 俺だってユキのことは好きだよ! ……でも……だからこそ、俺なんかにこだわってユキに不幸になって欲しくない」

「好きな人を好きって思うのが不幸だって言うの、バカトーヤ! 私は貴方に会って幸せだったのに!」

「……ッ……ごめん……」

 女の子を泣かせた経験など皆無のトーヤには他に言葉が出なかった。

「もういい! そんなに一座を離れたいなら、好きにすればいいじゃない! トーヤなんて大っ嫌い!」

 バンと扉を開いてユキ集会所を駆け出して行った。誰もがその背中に声をかける機会を見失っていた。


 しばらくすると、ようやくトーヤが声を出す。

「……ワイマーさん、ギター貸してください。公演に出るなら練習しないと……」

「……おい、トーヤ。追いかけないのかよ」

 ショーンの言葉にゆっくりとトーヤはかぶりを振る。

「俺が追いかけたって事態がややこしくなるだけだよ……いっそ本当に嫌いになってくれればいいんだ……そうすれば後腐れなく……」

 トーヤは取り出したギターを爪弾きながら、後半部分は自分に言い聞かせるように言った。トーヤの言葉が本音でないことはその場の誰もが察していた。

 普段は陽気なトーヤのギターの音色が、なぜか物悲しく響いていた。



 ユキはいつの間にか、村の中心の広場まで飛び出していた。公演はここで行われる。今は人気がなく、彼らの信じる神の像だと言う木彫りのオブジェだけが鎮座していた。

 広場の隅にはぁっとため息を吐きながら腰を下ろす。

 ……理屈ではわかっているのだ。トーヤがいつまでも一座に残るわけにはいかないだろうと言うのは。笑って見送りたい気持ちもある。トーヤを除けば一番の新顔である彼女は経験していないが、かつて一座を離れたメンバーだって何人もいるのだ。ワイマーたちが彼らの思い出を懐かしそうに語るのを、何度も聞いたことがある。トーヤだってその1人に過ぎないのだが……。

 ……理屈でいくら誤魔化そうが、乙女の恋心は止まらなかった。トーヤはチビだが、顔だってそう悪くないし親切だ。これから先、トーヤほどの恋心を抱ける相手が出てくるとは思えない……

 ユキが思い悩んでいると、ふっと西日が遮られた。正面に誰か大きな影が立っている。

 顔を上げると、ユキの予想通りルーカスが立っていた。

「どうしました、お嬢さん? 散歩していて道に迷いましたか? 集会所はあちらですよ?」

「あ……いえ、ちょっと人間関係に悩んでいて……」

「ふむ……相談なら乗りますよ? 案外こういうのは第三者の方が的確な意見を出せるものです」

 ルーカスがユキの横に座り込みながら声をかける。

「……なら……聞いてもらえますか?」

 見た目は怖くても、ルーカスはとても親切だった。全くの他人ではあるが、打ち明けることに躊躇いはなかった。



 話し終えてユキはスッキリした。誰でもいいから、話を聞いてほしかったのかもしれない。

「なるほど……トーヤさんを送り出すことを理屈では納得しているのに……感情がどうしても邪魔してしまうと。さらに勢い任せに酷いことを言ってしまって帰るに帰れない、と……」

「はい、そうです……」

「率直に言いますが……浅慮ですね」

「うぐ」

 ルーカスの一言が心に突き刺さる。しかし、ルーカスは笑って言葉を続ける。

「あぁ非難しているわけではありません。若いうちの失敗は、むしろ将来への糧です。何の失敗もしていない人生というのは、意外と味気ないものですよ? 今回の間違いで貴女も何かしら学ぶことはできたでしょう」

「……あの……具体的なアドバイスとかは……?」

 ルーカスの物言いは、どこか曖昧だった。


「必要ですか?」

「いえ……話しただけでもスッキリしたんで、このまま戻ってトーヤに謝ろうかと」

「それは良かった。……トラブルなんて相談するだけで8割は解決に向かうものですよ? 話すことで、貴女の中で感情が整理されたでしょうし、そもそも相談するということは解決の意思があるということですから」

「な……なるほど」

 宗教人というのは、流石に話し上手で聞き上手なものだ。実際話しているうちに、「笑ってトーヤを見送るのが何より皆のためになる」ということがよくよく理解できた。恋心は思い出としてそっとしまっておけばいいのだ。

 スッとユキは立ち上がりルーカスに礼を言う。

「ありがとうございました、ルーカスさん……私、トーヤの夢を応援したいと思います。やっと自分の気持ちが定まりました」

「いえいえ、悩む人を助けるのは当たり前のことですよ。礼と言うなら、明日の公演で村の皆の心を楽しませてくれれば……」

「はい! 頑張ります!」

 ユキはクルリと踵を返して仲間の待つ集会所に駆けて行った。ルーカスはそれを微笑みながら見送る。


「良い心と生き様です。彼女には『神の召使い』になってもらいましょうか……」

 彼女の姿が見えなくなると、ユキに向けた笑顔と全く同じ表情のまま、ルーカスがポツリと呟いた。

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