巻き起こる嵐の予感
「それじゃ、俺たちは行くよ」
「もう行くんですか? もう少しゆっくりしていっても……」
京也たちは訪れた翌朝にはもうガレオンの街を発つと宣言していた。ミオリは名残惜しそうに言う。単に「村を救った勇者」と言うだけでなく、京也にはどことなく安心感を感じていたミオリだった。
「いや、実は色々やらなきゃいけないことがあるんだ……あんまり一所に留まっているわけにもいかない。ディクサシオンを離れたのは、そういう理由もあってね……」
「京也さん」
唐突にリーザが水を差す。
「あまり余計なことは言わない方がいいです。ミオリさんたちを、私たちの事情に巻き込むわけにはいきませんから」
「……あ、そうだったな」
そこで京也は口をつぐんだ。
「……とりあえず、一度俺たちはディクサシオンに戻って、トーヤがたどり着いていないか見てくるよ。悪いけど、街道沿いの人里を一個ずつ調べるにはちょっと時間が足らないんだ……手伝いたいのはやまやまなんだけど」
「そんな! こんなに協力してもらって、こちらのほうこそ申し訳ないです!」
「いやぁ、ランが食べた大量のカレータダにしてもらったし、お互い様だよ」
京也が笑って言うが、ミオリはいつか必ず礼をしようと誓った。京也たちには、とても大きな恩が出来てしまった。カレーを御馳走したぐらいでは、とても追いつかないほどだ。
「じゃ、また。カレー懐かしかったよ」
京也がリーザとランの手を取り、転移の準備を始めるが……そこで急に思い立ったように口を止める。
「……ごめん。2人とも。1つだけミオリさんたちに聞いてもいいかな?」
「……オイ京也。言っただろうが。余計なことに巻き込ませるな、って」
「でもこれは聞いておかないと……知らないうちに近づいていたら……」
「あぁわかったわかった。教えようが教えまいが、どっちも危険には変わりねーか。だったらお前の好きにしろよ」
ランが諦めたように手を振る。リーザも、京也に従うようだ。京也は1つ頷くと、すっとミオリたちに歩み寄った。
「……みなさん。1つだけ聞いておきたいんですが……『リャーマン』という言葉を耳にしたことはありますか?」
「? なんだよそりゃ」
「聞いたことは無いのう……」
「探し物ですか? それなら、できるだけ気を付けて見つけるようにしますけど……」
3人ともそんな言葉を聞いたことは無かった。しかし、その様子に京也はほっと胸を撫で下ろしたようだ。
「……いいえ。探し物ではありません。詳細は教えられませんが……仮にどこかで『リャーマン』という単語を耳にしたら、『絶対に』その言葉を発した人間には近づかないでください」
「……詳しくは明かせないが、とにかく近づくな? なんだってんだ。そんなもん信じられっかよ。もう少し詳しく……」
ギエンが謎めいた言葉を吐いた京也に近づこうとした瞬間……風が切り裂かれた。
「……え?」
ギエンは己の立派な髭を剃り落とし、喉元に突き付けられた短剣にようやく気付く。
「オイ。そこのバカドワーフ」
短剣を突きつけた張本人……ランが何の感情も見せずに言う。
「これでもお前たちを気遣って京也が大幅に譲歩していることぐらい気づけ。『これ以上知ったら否応なしに死ぬ』ということすらわからんのか。それが理解できんなら……今ここで殺してやろうか?」
「あひぃ!」
ギエンが情けなく悲鳴を上げながら、ようやく自分が殺されかけたことを理解しのけぞる。その様を見つつ、京也がランを諌めるように言葉を放った。
「ラン、やり過ぎだよ……」
「だってコイツ、昨日からずっと疑いの視線向けてたんだぜ。いい加減ムカつくっつうの。いい薬だよ」
(ッ! ……気づかれてたか!)
京也たちが何の反応も示さなかったので、自分が疑っていることは感づかれていないとギエンは思っていた。それがまさか泳がされていただけだったとは……レベルの違いを示されたようで、ギエンは恐ろしくなる。
「……ギエンさん、すいませんでした。私からも謝罪いたします。ですが、『リャーマン』については尋ねないでください。……何よりも貴方たちのために。好奇心も抱かないでいてくれるのが嬉しいのですが……」
リーザが申し訳なさそうに床で震えていたギエンに言った。
「……わかりました。うちのバカギエンがご迷惑をおかけしました。ご忠告感謝します。件の『リャーマン』には決して近づかないよう、気を付けます」
ミオリがぺこりと京也に頭を下げる。
「……うむ。できるだけ広めん方がいいのじゃろう? それでも、できればうちの村の村長と長老たちには伝えたいのじゃが……いいじゃろうか?」
「……いいえ。この話は極力内密にお願いします。貴方たちは信頼できると思いましたが、だからこそ情報はそこで留めてください。ただ、周囲の人間が『リャーマン』に興味を示したら……引き止めてあげて欲しいです」
「心得た」
モイの質問に京也が応じる。
「では……今度こそ、お別れです。ミオリさん、また会える日を……楽しみにしているよ」
それだけ言って、京也は再度リーザとランの手を取る。今度は詠唱を止めず、数瞬後には3人の勇者一行の姿は店内から掻き消えていた。
しばらく誰も言葉を発さなかった。まるで京也たちなど、来てすらいなかったようにあっさりと行ってしまった。しかし、ミオリの手の中にある「バウゼン公国大公令嬢御用達」の証書が確かに彼らの存在を示していた。
少し経ち、ようやく皆がゆっくりと朝の開店準備を進める。この証書を使えばきっと道は開けるはずだ。そう思えば、ミオリたちの顔つきも明るくなる。
「……いい人たちだったね」
「うむ。村に来てくれれば、歓迎の宴を開くところじゃが……忙しいのであれば仕方ないのう……」
モイがミオリの言葉に残念そうに応じる。一方落ち着いてもいられなかったのがギエンである。
(あのガキ……ヒゲ切りやがった!)
「ヒゲなし」を差別する気などもうないとはいえ、それと自分のヒゲは別問題である。長いこと自慢の種であった立派なヒゲをばっさり切られて、ギエンは噴飯していた。
が、怒り以上に重要な問題は、
(カレーを「懐かしい」だと? やっぱり……トーヤと同じ世界から来たってのかよ)
京也がカレーを「懐かしい味」だと言ったことである。ミオリたちは「カレー」をトーヤが自分で考え出した料理のように思っているようだが、ギエンはおそらくトーヤが前世の記憶で作った物だろうと察していた。つまり、もとよりこの世界には存在しなかった料理なのである。その味を「懐かしめる」者は、トーヤと同じ世界から来たに違いあるまい。
「……なんかね、兄貴と同じ感じがするのよ。見た目全然違うけど、話してみるとどことなく雰囲気が……」
それはギエンも薄々感じていた。京也とトーヤは似ている。種族は全く異なる2人だが、話し方やちょっとした仕草が不思議と似通っているのだ。
(同じ人種だからなのか……?)
「京也」が向こうの世界でありがちな名前だったなら、単なる偶然の一致で済ませられる(京也がどのようにしてこの世界に来たのかは謎だが)。しかし、そうでないなら……もはやギエンの頭で処理できる問題ではない。
「また会いたいな……そんでゆっくり話したい……京也さんのこともっと知りたい……」
ミオリが熱に浮かされたように喋り続ける。その様子にギエンはややこしい問題を頭から消し飛ばし、泡を食って問い詰める。
「オイオイ、惚れたのかよ!? 相手はヒューマンだぞ!? しかも、あんな美人2人も連れてんだ! お前なんぞが相手にされるわけねーだろ!」
「何言ってんのよ、バカギエン! これは純粋な尊敬の気持ちよ!」
ミオリが慌てて否定するが、ギエンにはわかる。
(トーヤにどっか似ているからって……そんだけで飛びつくのかよ……)
ミオリのトーヤに対する気持ちは妹が兄に抱く憧れを飛び越して、女が男に惚れている気持ちに近いとギエンは思っていた。それでも、なんだかんだ言ってミオリには兄妹の一線を越えるつもりはなさそうだったので、ギエンも安心していたのだ。
それが、急に心置きなく恋心を抱ける兄に似た人物が現れて、ミオリは一発で参ってしまったのだろう。ギエンは焦った。
(恋のライバルでもあるのかよ、あんのクソ勇者……)
今度会ったら絶対ぶん殴る。そう心に決めつつ、ギエンは開店準備を進めた。




