カレーと勇者
「マズイわ……」
ミオリがガリッと筆をかじる。
「思ったより人件費が跳ね上がっている……やっぱりゴウジたちを帰すべきじゃなかったわね」
「んなこと言っても仕方ねーだろ」
ギエンが何をいまさら、とでも言うように大げさに手を広げる。
「本来なら買い出しのために来てんだから、一度村に戻らなけりゃならないってのはわかってただろーが。村長たちに今の状況を説明する必要もあるしよー……」
「それでも、荷物持ち2人は残しとくべきだったわ! あぁ失敗した!」
「……ゴウジ1人で村まで帰れってのかよ……」
「そっちに人雇ってその費用を村で持ってくれればよかったのよ!」
「あーはいはい、確かにそういう手もあったな。だけど、今更それ言ってもどうしようもないだろうが」
ギエンとミオリが何を話し合っているかと言えば、カレー屋の売り上げである。
カレーを売り出して早1月。借金の期限まで残り半分というこの時期に、ミオリたちは8万デルスを稼ぎ出していた。
無論、このままの利益なら余裕で間に合う……のだが、そううまくはいかなかった。
まず第一の問題は、人件費である。ゴウジと荷物持ち2人が、10日前に買い出しの荷物と共にガレオンの街を離れたため、その穴を埋めるべく人を雇わざるを得なかったのだ。
彼らはミオリ、ギエン、モイの3人だけを残していくことを心配していたが、既に本来の予定をかなりオーバーしていたので、一度村に帰る必要がどうしてもあった。
そしてもう一つの問題が……
「あ、お帰り。モイ爺ちゃん」
「で、どうだったんだよ、噂のカレーは」
しょんぼりした面持ちで帰ってきたのはモイだった。
「旨かった……」
いかにも悔しげにモイが呟く。
「ワシらが作るものよりも……数段味に深みがあった……やはりプロには敵わぬのか……」
席に着くなり、がっくりと頭を抱えてしまう。
彼は今しがたライバル店を偵察に行って来たのだ。
彼らを襲うもう一つのトラブルが、ライバル店の登場であった。
カレーがガレオン市民に受け入れられ始めて1月が過ぎたのだから、真似する者が現れるのはごく自然な流れであった。
「流石ね……毎日毎日飽きもせずよく食べに来るとは思っていたけど……1月で完璧にコピーするどころか、上回ってくるとは……」
ミオリは感心する。1人の客が毎日のようじっくり味わってカレーを食べて何事かメモしていたのはわかっていたが、それがガレオンの街のシェフだったとは思いもしなかった。
「値段なら向こうの方がわずかに上だけどな。ただ、味を求める客があっちに流れちまったのが痛いなぁ……」
モイの努力で安価に仕入れた食材を使っている「トーヤのカレー」に比べれば、ライバル店は味にこだわって高価な食材を使っているらしい。その分が値段に跳ね返っているのがミオリたちには救いではあるが……。
「とにかく、今までのように漫然と売っているだけじゃ、期限内に12万は無理よ」
ミオリがバンと売上表を叩く。
「……村に使いを出そうぜ。時間かければ12万は行けるんだろ。とりあえず村長たちに金を出してもらって、後で返すことにすれば……」
「それは最後の手段にしたいわね……」
ミオリが反対する。
「出させる金額が小さければ小さく、先の見通しが明るければ明るいほど説得は楽よ。村までとにかく急げば6日。往復と交渉の時間を考えて……15日前まで様子を見ましょう。今行ったら最低でも3万は引っ張ってこないと、いけないけど……それは難しいでしょう? 15日前までに得られた売上表を持って村に駆け帰って……そうすれば説得の労力は小さくなる」
「1万ぐらいならカンパで何とかなるんじゃねぇかな。俺の貯金も1000はあったし……」
意外と堅実派のギエンは、せこせこと金を貯めるのが楽しみだったりする。今回のカレー屋の経営も案外楽しんでいる1人だった。
「なんで持ってこないのよ、それ!」
「こんな長旅になるなんて思ってなかっただろうが!」
元々は、歩いて3日の村までトーヤに会いに行くだけのつもりだったのだ。それが勢い任せにガレオンでカレー屋を開く羽目になっているのである。ギエンは己の運命が不思議だった。
「……とにかく、ただカレー売っているだけじゃダメよ。新しい商品を売り出しましょう!」
「……何かあるのか?」
ギエンとモイは訝し気だ。というかその顔は「そんなもんあるなら最初から出せ」と雄弁に語っていた。
「ふふふ……兄貴はこう言っていたわ! 『カレーには小麦粉の麺も合う』って! 試しに作ったのがこれよ!」
どん、と出されたその皿には……でろんとした麺がカレーにまみれて乗っかっていた。
恐る恐るギエンとモイがその物体を口に運ぶ。
「……予想通りの味だな」
「別に言うほど旨くもないと思うが……」
「ぐぬぅぅぅ……」
トーヤが「カレーうどん」の開発を諦めたのは、出汁と醤油の調達がどうしても無理だったからである。そんなことを知らないミオリには、なぜイマイチうまくいかないのかわからなかった。
そんなこんなで「トーヤのカレー」の客足が徐々に鈍り始めた矢先の出来事であった。
「もしもし、少しお尋ねしたいのですが……」
昼下がりになってほとんどの客がはけた頃合い、店番をしていたミオリに何者かが声をかけた。
「はい?」
「この辺りに『トーヤのカレー』なる料理を出す店があると聞いたのですが……」
真っ白で豪奢な服をまとい、複雑な形をした錫杖を握った金髪の少女であった。ミオリがおもわずたじろぐほど高貴なオーラを放っている。
「あ、それならうちですけど……」
応答しつつ、ミオリの頭は高速で回転していた。
(このオーラ……間違いない! 貴族、それも超一流貴族の娘ね!)
「まぁそうですか。それなら、食べさせてもらってもいいでしょうか?」
「はい! もちろんです! こちらへどうぞ!」
少女を促しつつ、ミオリは考える。
(気に入ってもらえたら……何とか名前を聞き出して……『あの超有名貴族お墨付き!』の広告を打ち出して……)
「京也さん、こっちです、こっち。この店で間違っていなかったようです」
「あ、やっぱりそっちか。カレー出す店がもう一軒あるって聞いて迷ってたよ」
「どうでもいいから早く食おうぜ。もう腹ペコだよ」
と、少女が外に向けて声をかける。それに応じて現れたのは2人の人物。
片方は黒髪に中肉中背の青年……少年だろうか? 背にロングソードを背負っているところを見ると護衛らしいが、護衛に不可欠な威圧感と言った物に欠けた、のほほんとした雰囲気の人物である。
もう1人は頭にピンと立った猫耳を備えた少女。いかにも気が強そうな目をしている。腰には両側に短剣を備え、すばしっこそうである。
(どういうグループなんだろう……)
ミオリは少し不思議だったが、気にせず席に案内する。
「ご注文はカレー3つでよろしいですか?」
「あ、うん。それで……ってえぇぇ!?」
そこでようやくミオリの顔をまじまじと見た青年が、いきなり大声を上げた。
「君……良かった、生きてたんだね! あの後確認している暇がなかったから、ずっと心配してたんだ!」
青年は何やら1人で納得している。
「いやぁ、それにしても『トーヤ』って聞いて彼の関係者だろうとは思っていたけど、まさか君だったとはね……それでトーヤは元気にしているかい?」
「あ……あの、すいません、話が全然見えてこないんですけど……」
ミオリが嬉しそうに話しかけてくる青年を慌てて引き止める。何せ初対面でこんな親しげに声をかけられるなど、ミオリには未経験の出来事である。
「あ……あれ? あ、そうか。あの時君は気絶していたんだっけ……」
「京也さん。一体どなたですか?」
「またオメェは女の子と仲良くなっているのかよ」
「ほら、あれ。こないだの『国喰らい』討伐の時に一緒に助けた子」
「……あぁ、そういえばそんなこともありましたね。『京也さんが1人で私たちを置いて突っ走ったこと』が」
「うぐ」
「あったあった。『女の子2人で無数の触手の中に置いてきぼりにされてメチャクチャ不安だったこと』が」
「い……いや、君たち強いんだからさ、そんなに心配することも……信頼の証なんだから……」
「「また余計なライバルが増えることが嫌なんです(だ)!」」
いきなり漫才を始めた3人を、ミオリはポカンと眺めていた。そして漏れ聞こえた会話から大体の事情を察した。
「あ! 兄貴が言ってたっていう『国喰らいを倒してくれて私の怪我を治してくれた勇者様』ですか!」
トーヤが村人に伝え、村人からミオリに伝えられた又聞きの話だが、そう聞いている。
「勇者様って言われるとちょっと恥ずかしいな」
青年が照れくさそうに言う。
「京也っていう名前で呼んでくれると嬉しいかな」




