トーヤ遭難中/ミオリ商売中
「クソッ、人里はまだか!」
トーヤは何度目かもわからない愚痴を呟きつつ、襲い来る魔物を切り払う。転移魔法に引っかかってどことも知れない森に転送されてから5日、どこまで行っても見えるものは木、木、木。あと時々魔物。
一応日の差す方角を頼りに、一方向に進むようにはしているが、どこまで当てになっているのかは定かではない。今のところ気候は緩やかで、天候にも恵まれているので野宿もできているが、雨が来れば一気に体力を奪われるだろう。
危険極まりない森では寝ている最中も油断できず、疲れは溜まる一方だった。食料は魔物の肉と食べられそうなキノコを魔法で丸焼きにしただけのものである。
何より厳しいのは、飲み水の確保ができなかったことだ。手持ちの水筒は、遺跡の調査前提で大した容量ではなかった。2日目に泉を見つけた際は歓喜したものだったが、先に進まねばならない以上、そこを当てにし続けることはできなかった。
川でも見つかれば、とにかく川に沿って下り続けることでどこなりと人里に行くこともできるだろうし、飲み水にも困らないのだが。
「あぁ……日本の料理が懐かしいよ……カレー……ラーメン……とんかつ……恵まれていたんだなぁ、俺」
村では、日本の料理を再現しようと頑張っていたこともあった。中々うまくは行かなかったが、ドワーフの料理は普通に美味しくて量も多いので別に不満もなかった。しかし、今こうしてまともな食事にすら事欠くようになると、急激に前世の食事が恋しくなってくる。
水筒に詰めた泉の水もちびちび飲んでいたが、もはや限界が近い。早急に人里にたどり着かなければ、水不足で倒れかねないだろう。
そんな風に遭難5日目の日も暮れそうになってきた頃合いだった。
「……ん?」
人の声がトーヤの耳に届いてきた。
「……ついに……人に会える……」
トーヤは喜びに震えていた。
何やらか細い悲鳴に聞こえるが、人の声には違いない。トーヤは意思疎通さえできるなら、最悪野盗のような存在でも構わなくなっていた。
とにかく人恋しさが募り始めていたところだ。なんとか話をして、一番近い人里を教えてもらい、ついでに水と食料を分けてもらえたら理想的だ。
そんな都合のいいことを考えつつ、トーヤは喜び勇んで声の聞こえる方角に向かう。
あ゛……あ゛……
「……あのさぁ、確かに野盗だろうがなんだろうが構わない、とは思ったよ?」
トーヤは思わず天を仰ぎ、どこにいるのかわからない神様に文句を付ける。
「でも……ゴーストってのはいくらなんでもあり得ないでしょうが!?」
己の運命を呪いつつ、「あ゛ー!」などと意味のわからない苦鳴を漏らしながら襲い掛かってきた半透明のゴーストに、爆炎魔法を叩き付ける。
実体のないゴーストに物理攻撃は通用しない。本来なら除霊専用魔法を使うべきだが、トーヤにそんなものの心得はない以上、通常魔法でチマチマ戦うか、あるいは……
「ッ!」
ミスリルで作られた剣に、魔力を流し込んで叩き斬るか、である。親方謹製の剣を振り回し、なんとかゴーストのうち1体……1人と呼ぶべきかもしれないが……を倒すことに成功する。
「悪いけど、あんたらの仲間になるわけにゃいかないんだよ……」
なおもゆっくり向かってくるゴースト相手に宣言する。常に人の温もりに飢えているゴーストたちには、生者を仲間に引きずり込むこと以外に行動原理はない。
「……俺は穏やかな生活がしたいだけだってのに……」
幾度愚痴ろうが目の前のゴーストが消えてくれるわけはない。諦めて戦うしかないのだ。
……なんとかゴーストの勢力圏から逃げない限り、今夜は眠れそうにない。トーヤの受難は、まだまだ続きそうだった。
ぜいぜいと息を荒げつつ、トーヤはその場にしゃがみ込む。ようやくゴーストから逃れた時には、既に明け方だった。
結局一睡もできないまま、ゴーストを時にやり過ごし時に返り討ちにしながら、ここまで逃げ延びたのである。
だが、ゴーストの存在はトーヤに1つだけ明るい展望を与えていた。
「ゴーストがいるってことは……少なくとも人の通る場所が近いってことだ……」
ゴーストは死者の無念の結晶体である。トーヤのような遭難者がゴースト化した可能性もなくはないが、それならあの数はありえないだろう。多数の人がこの近くで死んでいて、初めてあれだけの規模のゴーストが出てくるはずだ。
「絶対に、生きてこの森から抜け出してやるからなー! 覚悟しとけー!」
トーヤは誰に言うでもなく叫んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ガレオンの街では、ある1つの料理の噂が流れていた。
「……本当に美味いのかそんなもん?」
「騙されたと思って一度食ってみろって。作ってる量が少ないらしくて、すぐ売り切れちまうんだよ」
「いや……スパイス煮込みを飯にぶっかけただけなんだろ?」
「それがさ、配合が違うってのかなんていうのか……何よりあの濃厚な味わいがな……また食いたくなる美味さなんだよ」
「ふーん……そこまで言うなら一度食ってみようかね。で、なんて料理だっけ?」
「だから言っただろ?『トーヤのカレー』だよ」
「オーダー! 4つ!」
「あいよ!」
「ミオリ! ジャガイモが足りねぇぞ!」
「ジャガイモなしを5デルス引きで出せばいい!」
「姐さん! 食材追加、お待たせしました!」
「そこに置いとけ! ミオリは今忙しい! 置いたらすぐジャガイモ調達だ!」
村のドワーフたちが起死回生を賭けて始めた料理屋は、蓋を開けてみれば殺人的忙しさであった。
とりあえず試験的に買って来た食材を使って、ミオリが宿の厨房で作った料理は、悲観的になっていたドワーフたちをして「これなら売れるかも……」と思わせるに足りるものだったが、それでも本当に売れるかはわからずとりあえず宿の食堂で試しに出させてもらったのだ。
それがまさか売り出して3日後には、空いている店舗を探してモイが走り回る羽目になるとはだれも予想していなかった。
小さな空家をモイの伝手で格安で借りて、なんとか店の体裁を整えたのは、5日ほど前。
本業とはかけ離れた接客業にゴウジやギエンたちがようやく慣れてきたころには、「トーヤのカレー」の名はガレオン中に広まっていた。
この料理は、実は料理が趣味のトーヤからミオリが教えてもらったものである。
肉体労働者の多いドワーフは、スパイスでガッチリ味付けされた濃い味の料理を好む。だからドワーフの集落は香辛料が手に入りやすい環境にあるのだが、トーヤはその香辛料を色々混ぜ合わせて試行錯誤を繰り返していたのである。
香辛料を足し混ぜながら、肉や野菜を煮込み、ドロッとした粘り気が出るように小麦粉などを織り交ぜ、最後は炊いた飯にぶっかけた料理……トーヤはこれを「カレー」と呼んでいた。
しかし、どうしても思い通りには行かなかったらしく、食べては首を傾げていたのだが。
食べさせてもらったら美味しかったので、見様見真似でミオリも色々混ぜて作ってみた。最終的には、兄の試作品を超えるものができたのではないか、と自負していた。
もっとも、ミオリの自信作を食べてもやっぱりトーヤは首を傾げていたのだが。
この秘密の料理は、トーヤとミオリの分しか作られたことはない。様々な本を見ても該当する料理を見たことはなく、ゴウジやモイ、宿屋の主人ですら「知らない」と断言したこの料理、必ず売れるとミオリは確信したのである。
また、ミオリは単に「カレー」として売り出そうとしたこの料理に、「トーヤ」と名付けることを提案したのはギエンであった。そうすれば、この料理が広まると共に「トーヤ」の名も広まる。何かしらトーヤの情報を持つ人にその名が知られれば、「そういえばトーヤって名前に覚えがあるかも……」とこの店に来てくれるかもしれない。
可能性は低いとはいえ、金稼ぎとトーヤに関する情報収集を並行して行えるこの案に、ミオリが一も二もなく賛成したのは当然の流れであった。
「し……信じられん……10日で3万デルスじゃと……」
閉店後、モイが売上表を見て震えていた。
「地代引かなきゃいけないから、もうちょっと下がるけどねー。でも、モイの爺ちゃんが頑張ってくれたおかげで地代も食材費も最低限に留まってくれて、本当助かるよ」
「い、いや全てわしの責任じゃから、わしにできることは何でもするが……」
ミオリの言葉に返答しながらも、モイの頭は素早くそろばんをはじいていた。
……10日で食材費を差っ引いた純利益が3万。しかも、これは当初宿屋の片隅を借りて売っていた時期も合算したものである。きちんとした店舗を構えて売りだしてからの5日の利益だけで2万を超えていることを考えると……
(行ける……いや、遥かに余裕を持って稼ぎ出せてしまうぞ、これは!?)
まさか、ギエンになんとなくくっついてきただけのように見えたミオリが、これほどまでに素晴らしい成果を上げるとは誰も想像していなかった(実態としては暴走するミオリの手綱をなんとかとるために、ギエンが付いてきたのだが)。
「姐さん! 試しに作ってみました! どうですか!?」
「どれどれ……んーまたスパイスの配分が違うんじゃない? 徹底的に正確に作れとは言わないけど、ここまで味が違うと……」
「はい! 作り直してきます!」
……荷物持ち2人は、年下の少女であるミオリを「姐さん」と呼ぶまでに尊敬している有様だ。まぁ確かにミオリの他人をぐいぐい引っ張っていく行動力は、そう呼ばせるだけのパワーを放っているが。
そうして、カレーの売り上げに希望を持ち始めていた彼らは知る由もなかった。
「トーヤ」と「カレー」、両方のキーワードに誰よりも強く反応する人物がいたことを。
その人物の来襲が、巨大な風雲となってガレオンの街に吹き荒れることを……まだ、誰も知らない。




